第295話 瞋恚の悪魔は鬼の形相で
ミレナリア王国、王都ソルスミードの冒険者ギルドを出たマーガレットやライリー、ブラン達。
まず向かうのは王都ソルスミードのすぐそばにある比較的小規模な村だ。この村は村の位置のせいで経済的なピンチに陥っていた。王都などと言う大規模な街がすぐそばにあるせいで旅人や商人も金を落としていかない。そのせいで宿屋も雑貨、道具屋も武器、防具屋も果てには冒険者ギルドまでもが乾いていた。
そんな村だが、ここに住む住人達はとても溌剌としていた。村の貧困を感じさせないほどに誰も彼もが精力的に活動していた。子供は外で元気にボール遊びや鬼ごっこをしている。大人はそんな子供達を眺めながら仕事をしていた。
そんな村にやってきたマーガレット達は大層驚いていた。貧乏な村だと聞いていたのにそんな有り様だったからだ。
村人からの好奇の視線を受けてやってきたのはこの村で一二を争うほど大きい建物だ。案内の看板にしたがってやってきたここが冒険者ギルドだ。
扉を開けて向かうのは受付嬢がいる受付だ。定型の挨拶をする受付嬢の言葉を聞き流し、マーガレットは受付嬢にルイスから渡された手紙を差し出した。
ギルドカードを提示されるものだと思っていた受付嬢は一瞬呆気に取られるが、すぐにハッとなって手紙の内容を確認する。読み進めて行く内に次第に表情が焦ったようになっていく受付嬢は今にも走り出しそうなほど忙しなく動きながら手紙を最後まで読み切った。そして、少々お待ちください、と言い残して奥へと消えていった。奥からは受付嬢とギルドマスターだと思われる男の騒がしいやり取りが聞こえてきた。
そうしてドタドタと走ってやってきたのはルイスほどではないが筋肉がついている男だった。
それから息を切らしている男に案内されてやってきたのは応接室だ。ソルスミードの応接室と比べればかなり質素だが、それでも一応体裁は気にしているのか華やかに見えるように工夫されている。
「それで、えぇと、Aランク冒険者……君達のパーティメンバーがクエストとか関係なく行方不明になったんだって?」
「あぁそうだ。だからここでのギルドカードの使用履歴を見せてもらいたいのだが……」
「それは別に構わない。こんな村でクエストを受けるような物好きは使用履歴なんか見なくても分かるんだからな」
そう言うギルドマスターは案外あっさりと使用履歴が残されている書類を持ってきた。それにマーガレット達全員で目を通すが、そのどれもが同じような名前ばかりで目的の秋やフレイアの名前は見当たらなかった。
そもそもAランク冒険者のギルドカードの使用履歴自体がまっさらなので目を通すまでもなかったのだが、何らかの手違いや別にギルドカードを発行している可能性もあったので一応全てに目を通しておいた。
そしてギルドカードの使用履歴確認している時、なんだか人の個人情報を違法な手段で盗み見ているような気分になって物凄く罪悪感があった。
「な? なかっただろ?」
「あぁ……ありがとう。ギルドマスター」
それからギルドマスターに手紙を返して貰ったマーガレット達は冒険者ギルドを出て、村の広場にある椅子に座って地図を広げて次にどこへ行くかを相談し始める。冒険者ギルドがある場所で、尚且つ効率的に移動できるルート、比較的安全に進めるルートなどを相談して決める。
そんな時、どこからともなく突如として漂い始める濃密な殺気。ティアネーと以外がそれに気付いて椅子から腰を持ち上げた。そうして周囲を隈無く見回す。全員がいきなりそんな行動とったからか、何も理解していない鈍感なティアネーも同じように周囲を警戒し始めた。
村人達の憩いの場である広場でそんな事をしていれば村人達に不審がられるのは当然で、この広場にいた中で最も筋肉があると思われる青年がマーガレット達へと歩みより、心配そうな表情で声をかけた。
いや……声をかけようと口を開いた瞬間、その青年のいた位置が爆発した。
かなりの近距離で起こった爆発に地面にしゃがみこむマーガレット達。頭を守るために前に翳す手の隙間から見えるのは茶色と黒がまざった暗い色をした土煙。
「くははは、臭い臭い。自分達の利益のために無理して明るく振る舞う嘘吐きの匂いがする。結局それでも、貧困に晒されてるのに住人が明るくて不気味な村、って扱いをされて全く利益にはなっていないみたいだけどな」
土煙の中から聞こえてくるのは男と思われる人物のそんな声、言葉だった。これはただの独り言か、或いは今から死に行く村人達に向けての死刑宣告なのだろうか。
それがどんな意味を持つ独り言なのかは言葉発した本人にしか分からない。
「俺はな、嘘吐きが大嫌いなんだ。だからこの村の人間は皆殺しだ。それと、嘘に踊らされるような頭が悪い情弱も大嫌いなんだ。だから、ヴァルキリーを連れてるそこのお前ら。……お前らも殺す。いいな?」
土煙が晴れて露になる男の姿はまさに鬼と言ったような見た目だった。
般若のように怒りに染まった表情の仮面をつけており、白髪、上半身はギチギチに引き締まった赤い肌が……筋肉が露出しており、つまりは裸だ。そこに着るものであるはずの衣服は腰に巻き付けてあった。腰から裾までがダボダボでラフなズボンを穿いており、そして裸足だ。
「嫌いだから、なんてつまらない理由で人殺しをすんのか。ははっ生物としての価値が途轍もく低い奴だな?」
挑発するように笑うジャンクに視線を移す男。表情は窺い知る事ができないが、恐らく般若のような仮面と同じで怒りに染まった表情をしている事だろう。そう理解させるほどに男は明らかな怒りをジャンクに向けていた。
「俺に逆らうつもりかよお前? ……くはは……そうか、そうか、俺は俺に逆らう奴も大嫌いなんだ。……まったくどいつもこいつも憎くて憎くて仕方ないな」
この男は一々、~~は嫌いなんだ、と言っているが実際のところこの男は何もかもが嫌いなのだ。
相手がどれだけ善人であろうと、相手とどれだけ気が合おうと、相手がどれだけ自分のために行動しようともその全てが途轍もないほどに憎くて何もされていなくても恨んでしまうほどに大嫌いなのだ。
そんな嫌いな相手を放置するのではなくその怒りに任せてぶち殺すのがこの男、瞋恚の悪魔──ブリンドネスのやり方だった。
「おい行くぞノワール」
「本当あなたと共闘する事になるなんて思いもしなかったわね。いいわ。一緒に戦いましょう。あなた様」
あなた様、そんな呼び方にイマイチ納得がいっていないジャンクだったが、すぐに思考を切り替えてブリンドネスへと走り出し、その上をノワールは自身に生やした黒い翼で飛行する。
ヴァルキリーは天使のような純白の翼を自由に出し入れできると言われている。しかし、ヴァルキリーの異端であるブランやノワール達は自身の髪色や瞳の色と同じ色の翼を生やす事ができる。
秩序や調和の維持に固執するかそうでないか、男嫌いであるかそうでないか、などと加えてこれもブラン達が異端として扱われる原因だった。
「ははっ……黒い翼のヴァルキリー? なんだよそれは……もしかしてお前、堕天してるんじゃないのか?」
「……っ! どこの誰か知らないけど、言っていい事と悪い事があるのよ!」
飛行速度をあげたノワールはジャンクの制止を無視して、猛スピードで急降下して地面に立つブリンドネスへと斬りかかった。
「腹立つな。すぐに感情に流されるカスを見てると。腹立つな。人の指示を聞けないゴミ見てると」
仮面の下にある顔を歪めたブリンドネスはノワールが振るった剣を片手で掴んで受け止め、そして空いている方の手でノワールの顔面を地面に叩き付け、そしてそれを自分に向かって走って来ているジャンクへと蹴り飛ばした。
ノワールを避けれず、受け止めようとしたジャンクはその勢いに呑み込まれてノワールと共にマーガレット達がいる場所まで転がっていく。
「ダメですよノワール、ジャンクさんの制止を無視しては。ジャンクさんもノワールを連れて二人で突っ込もうとしないでください」
「……悪かったわ」
「すまん」
ヴァルキリーは連携してこそ真の力を発揮する生物だ。それはヴァルキリー同士でなくても、連携さえとれれば圧倒的な力を発揮する事ができる。つまりヴァルキリーの四人と他の七人で連携を取れば数の暴力と連携の暴力であの男をすぐに片付ける事ができるだろう。ブランが言いたいのはこう言う事だった。
「反省してくれたのならいいんです。……では行きますよ皆さん!」
ブランの合図と共に走り出すティアネーとエリーゼ以外の九人。その手にはそれぞれが得意とする武器、或いは素手だ。
連携の繋ぎや要となるのは後ろにいるティアネーとエリーゼだ。攻撃の手が一瞬でも途絶える事がないように魔法でカバーできる二人は連携において重要な役割を果たしていた。とは言え、一人の敵に対して近接が九人もいれば十分だと言えるし、それに近接が多すぎる魔法放つ隙がないので、ティアネーとエリーゼはかなり難しい立場にあった。
「集団で一人に襲い掛かるとか卑怯だとは思わないのか?」
こめかみに青筋を浮かべるブリンドネスは両手を握り締めて九人の到来を待ち構える。自分が負けてしまうと思っていないのか、逃げるような事や躱すような事はしないようだ。
「卑怯者と言うのは本当に腹が立つ。弱い癖に歯向かってきて、小賢しい真似をして俺を苛立たせる。……本当に腹が立つ。本当に、本当に、本当に!」
声を荒らげるブリンドネスに怯んだアジュール。それに向かってロケットのように凄まじいスピードで肉薄するブリンドネスはアジュールに向かって飛び蹴りを放つ。腹部に途轍もない衝撃を受けたアジュールは口から血を吹き出しながら近くの民家の壁を破って止まった。
アジュールに飛び蹴りを放ち、大きな隙を晒すブリンドネスに殺到するラモンとグリン、ルージュの三人。未だに飛び蹴りの反動で空中にとどまるブリンドネスはそのまま体を思い切り捻ってフリスビーのような回転蹴りを繰り出した。体中からボキボキと嫌な音が出ているがお構いなしに三人を振り払った。
それを見たマーガレット達は動きを止めて距離をとるが、そこに邪魔が入った。雷を纏った横向きの小さな竜巻がブリンドネスを襲ったからだ。
その魔法が放たれた方向をみれば、そこにはハイタッチをしているティアネーとエリーゼがいた。
「はぁ……ふぅ……烏合の衆じゃないかお前達は。その程度で俺に喧嘩売ってくるとは思わなかった。舐められたものだな。腹が立つ」
「な、なんなんだお前は……!」
瞬く間にアジュールとグリン、ラモン、ルージュがやられてしまった事に危機感を覚えたマーガレットがブリンドネスから更に距離をとって恐れるようにそう言った。
「俺はブリンドネス。世界を渡り歩く悪魔の一人だ。俺の象徴は瞋恚─つまりは怒り。どうせお前らじゃ俺には勝てないから教えてやるよ。俺のスキル【加速怒】は俺が怒りを覚える度に俺のステータスを上昇させるスキルだ。つまりお前らは俺がここに来る前に俺を殺さなければいけなかったんだ」
それを聞いて顔を歪めるジャンクとノワール、マーガレットとライリーとブラン。怒りっぽいこいつに絶対に与えたらダメなスキルじゃないか、そう思うがそれを口に出す余裕すらもう消えていた。
「痛いッス……でもウチは負けないッスよ……短気な悪魔なんかには絶対屈しないッス……!」
民家を突き破っていたアジュールは民家に住んでいた人間の驚いたような視線を受けながらブラン達の側まで歩いて移動する。
「あたしも絶対負けねーぜ……お前が強いのは認めるけど、それでもあたしらの方が……上だよバーカ!」
直後ブリンドネスに走る左肩と右肩への鋭い痛み。そしてそれと同時に両端に着地するグリンとラモン。アジュールやルージュの発言はブリンドネスの注意を引き付けるためのものでしかなかった。本命は飛び上がったグリンラモンよる斬撃だった。
「たいちょー、ノワール、今のうちに!」
「はい!【昊天 巫女秋沙】」
「分かってるわ!【玄天 黒烏秋】」
ブランがスキルを使用すると、ブランが手にする剣に白いオーラが宿る。
この【昊天 巫女秋沙】は剣で斬った相手の上昇しているステータスを一撃で全てゼロにすると言うものだ。ノワールの【玄天 黒烏秋】と違って斬りつけるとステータスを吸収できたりはせず、ただ相手のステータスの上昇値をゼロにするものだ。
ブランの白い刃に斬り付けられステータスの上昇値がゼロになり、素の状態に戻ったブリンドネスに更にステータスを吸収される黒い刃が迫る。その黒い刃に斬り付けられる度に自分の体が重くなっていくのが分かる。
「なんなんだ、なんなんだ、なんなんだよ!」
滅多斬りにされている事に怒り、ステータスが上昇していくブリンドネスだったが、すぐにそれはブランによってゼロへと戻される。
「痛い痛い痛い痛い痛い痛い! クソがクソがクソがァ!!」
痛みに叫び、痛みに怒り、痛みを与える者に怒るブリンドネス。そんなブリンドネスをただひたすらにノワールは斬り付け、ブランがステータスの上昇値をゼロに戻す。
抵抗しようにも素の状態のブリンドネスではノワールとブランの二人を打ち払う事はできない。起き上がっても頭を突き刺され、立ち上がろうと膝を立てれば膝を斬り落とされ、手を突けば手の甲に剣突き立てられる。
そこまでされても怒りを抱いて、【超再生】のスキルで生き続けようとするブリンドネスの怒りと生への執着は異常なものだった。
「……フッ……くふふふ、くはははははは!」
斬り付けられ続けるブリンドネスは唐突に大きな笑い声をあげた。そして次に両手が再生された瞬間、ステータスの上昇値をゼロにしようと振り下ろされた白い刃を掴み、両腕を斬り落とそうと振り下ろされた黒い刃の両方の剣を捕らえた。
上昇したステータスをリセットしようと振り下ろされた剣と両手を斬り下ろそうと放たれた剣を丁度捕らえた。全ては計画通り。再生ステータスリセットのタイミングを重ねて両方同時に防げるように再生速度などを調節した結果だ。
ブリンドネスを殺すためのブランとノワールによる息の合った作業を邪魔するまいと遠目でそれを見ていたマーガレット達は警戒心を強める。
白い刃と黒い刃を両手に宿すブリンドネスは、地面に横たわったままでブランとノワールそれぞれ別の方向に投げ飛ばした。
起き上がるための時間を稼ぐため、ブランとノワールが宙を舞っているその間に他の奴らを殺しておくために。
やられっぱなしでも反撃すると言う意思の強さを知られてしまったのだから、もう一度先ほどと同じ状態に陥れば今度は他の奴らも混ざってくるだろうから、そうなる前に潰しておくのだ。
立ち上がったと思えばその瞬間に砲弾のような速さでアジュールに肉薄するブリンドネス。大声を出しただけで怯んでしまうような惰弱なヴァルキリー、恐らくは戦闘に駆り出されるようになって間もないのだろう。それを悟ったブリンドネスがアジュール最初に狙うのは当然だった。
当然だったが、流石に一番経験が浅い自分が狙われると分かっていたアジュールはブリンドネスが砲弾のように肉薄する直前に自身が持つスキルを使っていた。
「【蒼天 聖水の剣】」
アジュールが砲弾のように急速に迫るブリンドネスに対して使ったのは受け流しの剣。アジュールが剣を横薙ぎに振るうと、剣に宿っていた白みを帯びた青々とした綺麗な水が薄い膜のように広がってアジュールと周囲の人間を覆い隠す。
この聖水はマジックミラーのようになっており、聖水の内側……つまりアジュールとマーガレット達からはブリンドネスの姿が丸見えなのだ。そしてその反対にブリンドネスからはアジュール達が一切視認できない。
ブリンドネスの攻撃が聖水を薙ぐ。そしてそこに放たれるのがアジュールの一撃だ。さっき蹴り飛ばされた仕返しとでも言うような強烈な一撃だ。
「【蒼天 大水青】」
青いオーラを纏うアジュールの剣は拳を振り切った状態のブリンドネスを一閃する。それは見事にブリンドネスの左の横腹から右の横腹を真っ二つに裂いた。青いオーラで異常なほどに切れ味が向上していたために何の抵抗もなく、紙を……いや、空気を裂いたかのような殆ど無と言ってもいいほどに裂いた手応えがなかった。
この【蒼天 大水青】は純粋に剣の切れ味を向上させるためのシンプルなスキルだった。夜風のように冷たく鋭く肌に刺さるような澄んだ一撃を繰り出せる強力なスキル。
それによって一閃されたブリンドネスは自分がどうなっているのかを理解できないままに、離れた上半身と下半身の二つが地面に落ちた。
感覚があるのは上半身だけのために、ブリンドネスは未だに下半身が離れている事には気付いていない。
必死に立ち上がろうとしているが、足がないのだから当然立ち上がる事はできていない。
しかしそれも時間の問題だった。生命の危機を感じた【超再生】が勝手に発動し、離れた下半身をそのままに新しく下半身を生成し始めている。
上半身だけとなったブリンドネスに易々と再生を許すわけがないマーガレットやライリーなどがここぞとばかりに攻撃を加える。地面に転がっている状態だと斬り付け辛いので蹴り上げて、テニスやバドミントンをするが如く剣で打ち上げては斬り裂いて、そんな事を続ける。
そうされる度に体の一部が斬り取られている事に気付いたブリンドネスは再び怒りに震えるが、上半身だけとなったブリンドネスになす術はなかった。
そしてそれに終止符を売ったのはジャンクだ。ライリーが剣の腹で一際高く打ち上げたブリンドネスを固く握り締めた拳で地面に向かって殴り飛ばした。
大きく陥没する広場の地面は月に無数に存在するクレーターのようだった。上半身だけとなり、さらに細かく裂かれたブリンドネスは【超再生】するための魔力が尽きそうになっているのか、その表情を苦悶に歪めている。
損傷が大きい腹部や切断された両腕の断面などがモゴモゴと再生するために蠢いているがそれだけだ。多少肉が盛り上がってはきているもののそれ以上の進展はないし、下半身を形作る事もなかった。
無様な姿に変えられたブリンドネスが味わうのは今までに味わった事がないほどに最も最低で最高の屈辱だった。
短気なブリンドネスはいつも怒り散らして絶対的な力で周囲の生物を捩じ伏せてきた。もちろん一応の仲間であったグーラやリビディン、オーデンティウスにクピディダス、残りの二人を相手にしてもだ。
常に増幅し続ける怒りは一度暴力として表に出せば瞬間的に霧散して一瞬だけステータスが落ちるものの、生来の短気さ故にすぐに元に戻る。
しかし、その瞬間的な怒りの霧散と言う弱点を知っているグーラ達にはすぐに弱点を突かれて小競り合いなどの些細な喧嘩で負け始めたが、それでも怒りの絶対的な力で捩じ伏せて無様な姿を晒させる側だった。
そんな絶対的強者であった自分が今ではこうして無様な姿を晒して満身創痍で絶体絶命の窮地に陥っている。クレーターの縁で自分を見つめる人間とヴァルキリー共が物凄く腹立たしい。
その怒りは、腕自体がないために指の一本も動かないので、微塵も発散される事なくずっとずっとひたすらにたぷたぷたぷたぷと蓄積されていく。
憎い、憎い、憎い、憎い、憎い、憎い、憎い、憎い、憎い、憎い!
俺を見下ろすな、俺を見下すな、心配そうな目を向けるな、周囲の目を気にするな、村の損害を気にするな、もう終わったものとして扱うな!
憎悪と瞋恚。
ゆっくりと……だけど激しく怒りが蓄積するのと並行して憎悪と瞋恚が一つに融合していく。
そしてやがて憎悪と瞋恚が重なった時、ブリンドネスは癇癪を起こした子供のように怒りに叫び、両腕と下半身がなくなった上半身と首を揺らす。
村を木霊する瞋恚の咆哮……絶対的強者を語る、湧き上がる瞋恚に呑まれた理性なき化け物の咆哮。それは好奇心でクレーターを覗いていた大人も子供も、村の外れで農作業をしていた村人までをも恐怖に陥れた。
それほど深いクレーターではないのだが、地の底から響くような重厚な咆哮は大地を揺らす。
そのせいで、ブリンドネスはもう直に死ぬだろうと油断し、余所見していたマーガレット達が再び臨戦態勢に入ったがすぐにバランスを崩してマーガレット達は地面にへたりこんでしまう。立ち上がろうと地面に手を突いて膝を動かそうとするが、揺れる地面のせいで上手く力を加えられない。
どこからともなく現れた影がマーガレット達を覆う。何事かと見上げてみれば空を覆うのは星のない夜のように真っ黒な雲だ。
王都ソルスミードからそれほど離れていない村での出来事だ。この揺れも、空を覆う黒雲も恐らくソルスミードには伝わっている。暫くすれば大勢の騎士達が馬に乗ってやって来るだろうが、伝えられるものなら「来るな」と伝えたかった。
揺れは収まっているのに未だに震えていて立てないために、それを伝えるのは不可能だった。そもそもこの場を離れる事ができないので論外だ。
マーガレット達を含む現在村にいる人間が見上げるのはあり得ないほどの、今までに感じた事がないほどの殺気を放つ二人の悪魔だった。
ブリンドネスの上半身が再生しきったものは大きな口を開けて咆哮を上げている。
ブリンドネスの下半身が再生しきった新たなブリンドネスは横一文字に口を結んでいるが、口を開けて咆哮しているものよりも怒りの形相が明らかだった。
クレーターに立っている二人の悪魔はそれでも座り込んでいるマーガレット達が少しだけ見上げなければならないほどに大きかった。
そんな人間やヴァルキリーの視線に気付いたのか、口を結ぶ悪魔と開口する悪魔は左右対称かと思うほどに、そっくりそのまま同じ動きをして、それらを見下すように見下ろした。
閉口する悪魔はその形相を更に凄まじいものに変えて、開口する悪魔は鼓膜を穿つかのような声量で咆哮する。
夕暮れに浮かぶ太陽はその怒りを表すかのように赤々と輝いていた。




