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第293話 遠来の外来

 最果ての大陸の海岸付近にセトはいた。周囲に巨大な砂嵐を侍らせて真っ直ぐ海へと進んでいた。その砂嵐を追跡するのはイシスだ。兄であるセトに夫を殺された恨みを胸に執念深くセトが生み出した砂嵐を追っていた。


 セトは無から砂を生み出し、そしてそれを自由に操る事ができた。


 やがて砂漠を抜けて草原に出たセトだが、やはりそこでも避けられた。まだ何も問題を起こしていないと言うのにあからさまに避けられていた。

 セトが発生させている砂嵐のせいではない。砂嵐が側を通っても微動だにしなかった魔物達はセトの気配を察知すると同時にその場から離れていた。


 自分が生み出した砂を食して空腹を満たしていたセトは相変わらず戦いに餓えている。


 そうしてセトは海へ来ていたのだ。この大陸を出て、自分の事を知らない者で溢れ返っている人間や亜人、魔人が住む大陸に出る。


 海を渡る手段は自身の能力で砂を生み出して、海を埋めると言うものだ。つまりは最果ての大陸と人間達が住む大陸が地続きになるわけだ。セトが通ったその道が一本橋のようになって大陸と大陸を繋いでしまう。


 最果ての大陸の魔物が人間達の大陸に傾れ込むのは明らか、この道が危険だと判断した人間がこれを破壊するのも明らか……そう、セトが生み出す道のせいで壮絶な戦いが巻き起こるのは明らかだった。


 セトはこれを意図していたわけではない。ただ自分が殺戮を繰り広げるためだけにこの道をつくるだけだ。


 神々にとっても世界にとってもこんな事は想定外だろう。


 抑えられない欲望のせいでセトは意図せず世界の意思に反し、人間達を危険に晒して神々にも叛く。


 自覚なき反逆者──セトは海へと足を踏み出した。足の裏が水面につく前にそこには砂が生み出される。一歩、また一歩と足を前に出して深くなる海をすぐに埋めていく。

 海の深さを嘲笑うように一瞬とも言えるほどに短い時間で埋めていく。


 イシスは躊躇う。世界のためにこの大陸で力を蓄える役目を背負っている私が、セトが海を渡ってしまっていいものか……と。


 考えた結果、イシスがだした結論はなかった。そもそも結果が訪れなかった。その思考は次に現れた脅威のせいで巻き上げられてしまったのだから。


 イシスの側を、渦を巻き、草も木も岩も崖をも崩して空高く巻き上げる嵐が過った。

 セトと言う砂嵐と並ぶように、純粋な風で巻き起こされる嵐は海を進む。嵐の渦から離れた草木や岩や崖を砲弾のように海に放ち、その代わりに海水や水棲の魔物を巻き上げて海を突き進む。


 その速度は足を踏み出す度に海を埋める必要があるセトと比べれば圧倒的に速かった。


 海を渡る嵐に目的はない。最果ての大陸にとどまって力を蓄える事も、大陸から出て殺戮を行うような目的もない。何も目的がないからこそ、ただひたすらに進んで進んで進み続けて何かを求めるのだ。夕飯のために品定めをする主婦の如く万物を巻き上げて目的を探すためにひたすらに進み続ける。


 ちなみにこの嵐が、森でフレデリカ達を襲ったものだ。目的もなく彷徨うようにしているのだからフレデリカ達が遭遇してしまうのも仕方ない事だと言えた。


 そんな嵐の存在を感知したセトは怒りを抱いた。砂だけを巻き上げる砂嵐ではなく、草木や岩や崖……そして砂までをも巻き上げる嵐は完全にセトの上位互換だと言えた。そんな上位互換に自身の獲物を全て巻き上げられてしまうかも知れない 。セトはそれを警戒して心配して怒っていた。


 だからセトは地面を埋める速度を上げて急いで嵐を追いかけ、人間達が住む大陸へと真っ直ぐに向かう。


 そんな砂嵐と嵐をただ呆然と見つめるイシスは自身が持つ鳶の翼で滞空しながらそれらを見送った。セトだけならともかく嵐までもがいるとなれば追跡は困難だったからだ。


 夫の無念を晴らせなかったイシスは、やがて泣く泣く最果ての大陸へと引き返していった。







~~~~







 過ぎ去る嵐と砂嵐を睨み付けるスキュラ。

 途轍もなく憎い。嘗ての同胞……現在では餌と変わりないマーメイドを他の水棲生物と共に巻き上げて言った二つの嵐が去っていった方向を睨み付ける。


 以前、自分がマーメイドだった頃と変わらない相変わらずの非力さを自覚させられる。憎い……自分を犠牲にして力を得たと言うのにそれを凌駕する存在がいる事が。悔しい……人格や自我、種族に容姿、それなどを自分の全てを犠牲にして、怪物を受け入れたと言うのに未だに自分が非力な事が許せなかった。


 奪われるのにはもう懲り懲りだった。もう二度と自分から何も奪われないように強くなろうとした。侵食してくる怪物を受け入れて強くなる決心をしていた。

 なのにあの二つの嵐は自分から獲物を奪い去った。憎い、悔しい、許せない。


 そんな憎しみや悔しさを抱くスキュラは海中に潜った。向かうのは二つの嵐が去っていった方向だ。


 許さない。その一心でスキュラは海中を進む。

 今の弱い自分では二つの嵐に敵わないのは分かっている。だが、それでも人間を殺すのは簡単だろうと思えるぐらいには自分の強さに自信を持っていた。


 そこで人間達を殺し尽くして強くなって、そうしてそれから二つの嵐に分からせてやるのだ。誰に手を出したのかを、誰から獲物を奪い盗ったのかを分からせてやるのだ。

 そしてそのついでに人間達にも分からせてやる。奪われる前に奪うのではなく、手出しをしようと思えないほどに痛め付けて干渉してこなくなるまで暴力で分からせるのだ。


 私からは何も奪えない、そう分からせて二度と誰も自分の領域を侵して自分に手出しをしてこなくなるようにするために暴力を振るって振るって振るい続けるのだ。


 非力で臆病だったマーメイドの頃には微塵も思い至らなかった思考が今では当然のようにして存在している。その事に、あぁ本当に変わってしまったんだな……と、スキュラは強者への憎しみと嫉妬と、弱い自分への悔しさの中で考え、そして人間達が住む大陸を目指して海中を進む。







~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~







 大昔に異世界よりヴァナヘイムへと辿り着いたと言われていた悪魔達が各地で目を覚ましていた。

 それらが目覚める前触れやそのきっかけとなる出来事と言えば魔王が現状二柱も存在しているからか、邪神の復活が近いからか、狡猾な老賢人の企みが実現しようとしているからか──

 詳しい原因は不明だが、このヴァナヘイムに流れる時間の中に存在する大きな事象が原因なのであろう事は確かだった。



 何の取り柄もなかった悪魔は魔王に仕え、【転生】のスキルを得て全身に無数の口を持つ大食いの化け物へと変貌している。

 貝のような姿をした化け物は情欲に任せて人体実験の被害に遭った少女に宿っている。

 醜い姿をしている女性型の化け物は艶羨に駆られて嵐の過ぎ去った道をゆらりゆらりと徘徊している。

 山のように厳かで巨大な化け物は、山として扱われながらもそれでも無精に流され時身動ぎをしていつまでも眠っている。

 全てに対して瞋恚を抱き、排他的で淘汰しようとしている般若のような化け物は山のような化け物に握り締められている。

 天上から地上を見下ろす化け物は左右で黒と白に分かれた翼を背に宿して居丈高に腕を組んでいる。

 同じく天上から地上を見下ろす煌びやかに肥えた化け物は足を組んで貪婪な瞳で地上を睨んでいる。


 個性豊かで世界を越えてきた悪魔達は各地で目覚める。今までの静寂が嘘かのようにハッキリ鮮明に目を開けている。


 その中の大食いの悪魔はとっくに無力化されてしまったようだった。いきら大食いの悪魔が転生して間もない幼体だったからと言っても、幾度となく転生して生前のステータスの何割かを引き継いでいた悪魔は七人の悪魔の中では最強と言えるほどだった。象徴が定まっていなくともそれだけで十分に強かった。


 それが容易く無力化された事を知った残りの六人は悪魔同士の繋がりでそれを知り、どれもが行動を慎重にせざるを得なくなっていた。情欲と艶羨の悪魔は既に人間に発見されてしまっているが、それでも悪魔なりに慎重に行動した結果なのだ。

 幾つもの世界を渡り歩いてきた悪魔達。そこで思うがままに力を振るっては逃げるように渡り歩いて、それを繰り返す悪魔達は抑制とは無縁であった。

 そう考えれば気性が荒い瞋恚や居丈高、貪婪がまだ人間に発見されていないのは奇跡と言えるだろう。そして『神の園』と呼ばれる浮島にいる居丈高と貪婪はともかく、もっとも危険な瞋恚が発見されていないのはもっと奇跡だと言えた。


 世界が神に抗うための戦力になるかも知れないと思って受け入れている異世界人達はともかく、この悪魔達は世界にも神々にも呼ばれていない。

 勝手にこの世界に入り込み、そこで己を象徴するものに従って好き勝手に暴れ回っている空き巣や強盗の如き存在だ。


 世界や神々が悪魔を、疎ましい以外に思う事はない。ただひたすらに邪魔でしかない。言ってしまえば色々なものに害を及ぼす害虫や、環境問題を引き起こす外来種のようなものだ。

 早急に排除しなければならない、そう思って世界や神々は度々刺客を送るのだがその悉くが悪魔の力の前に動かぬ死体となって積み上げられていく。


 それだけだった。何をしようとも悪魔達はそれらを力で捩じ伏せる。どんな汚い手段を使ってでも捩じ伏せる。神が仕向けたヴァルキリーや、世界が仕向けた最果ての魔物には苦戦していた様子だったが結局は捩じ伏せられる。そのせいで悪魔達は経験値を得て更に強くなっていった。


 しかし、強引に世界を渡って来た代償か、それとも経験値の吸収効率が悪い世界で生まれた生物なのか……それは分からないがヴァルキリーや最果ての魔物をいくら倒そうとも悪魔達は劇的に強くはならなかった。着実に強くはなっているのだが急激に成長する事はなかった。


 打つ手がない神々と世界にとってはそれらはありがたい事だった。いずれまた世界を渡るのを待っているだけでいいと、それまで我慢していればいいのだと判断する余裕が残されていたのだから。致命的なミスが最小限に押さえられたのだから。


 悪魔は世界を渡り歩くのだ。渡り歩く目的は不明。

 様々な世界の生物を滅ぼしたいのか? いや、それならばとっくにヴァナヘイムの生物は殲滅されている。

 自分達が住みやすい世界を求めているのか? それならばもっと早くに見切りをつけて別の世界に移動しているはずだ。


 異世界の事は何も分からない。神々が管理するのはこの世界だけだから。世界が知っているのはこの世界の出来事だけだから。


 そう言えばこの七人の悪魔を象徴する能力と似たようなスキルを持つ存在がいたな……そう考えるのは神々か世界か、或いは両方か。







~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~







 ゲヴァルティア帝国を火の海に変えるのは【神眼】の持ち主であるティオ=マーティと【冒険王】と呼ばれる人物の二人だった。二人はグーラとの戦闘を行っていた帝都の貴族街以外をも攻撃していた。

 以前、ミレナリア王国とゲヴァルティア帝国が戦争をしているその隙に効率重視で、逃げるなら逃げろと言わんばかりに粗い方法でゲヴァルティア帝国を広範囲に渡って火の海にしていた。皇帝が留守で戦力が疎らなその時が広範囲を攻撃するチャンスだったのだ。


 そして現在は効率ではなく殺戮重視で帝国の貴族街を蹂躙していた。

 前回の襲撃はゲヴァルティア帝国を弱らせるため……そして自分と言う脅威を認識させるための準備に過ぎなかった。だから今回は仕上げなのだ。

 最も安全であろう帝都に集まった避難民を袋叩きにする、それが【冒険王

】による復讐の仕上げ。

 袋叩きにすると言う点では貴族街と言う狭い場所に入っていてくれたのは助かった。壁を燃やして逃げ道を塞げるので、行き止まりに進んで追い詰められた鼠のように簡単に始末できるので実にありがたかった。平民街と言う貴族街を囲うように広範囲に広がる場所にいられれば始末するのは大変だっただろうから。


 不本意ながら密かに【冒険王】は感謝していた。暴動を起こして貴族街と平民街を隔てる門ぶっ壊してくれた人間に。見も知らない人間だがそれに感謝していた。

 自分や他の人間の暮らしをよくするために、と貴族街への門を破壊したのだろうが、それが却って悲劇を齎していると知ったその人物はどんな顔をするのだろうか。

 今頃頭を抱えて嘆いているのだろうか。苦悶の表情を浮かべて黒焦げにでもなっているのだろうか。


 生き物の気配が途絶えたゲヴァルティア帝国の帝都のど真ん中で空を見上げる【冒険王】はそんなどうでもいい事を考えていた。


 見上げる空は濛々と灰色の煙が覆い隠している。火花がちらつくがそれらは空に昇る事なく地に落ちていった。死者の反撃だろうか……【冒険王】の頬に落ちる火花もあった。そんな瞬間的な焼ける痛みに動じる事なく【冒険王】は視線を真っ直ぐに伸ばした。


 視線の先に広がるのは【冒険王】がティオ=マーティと共に帝都のそこら中から集めてきた死骸の山だ。焼けて黒々としているものや、流血しているもの、腕や足や生首などの分断された体のパーツ。そんなものが積み上げられていた。


 復讐の終わりに達成感が存在しないのはしっていた。満足感もそれほどないし、それ以上に虚しさが大きく存在していた。

 今まで【冒険王】の思考の八割、九割を占めていた復讐と言う存在がこの時唐突に消えたのだ。残りの一割、二割しか残っていなかった思考と感情でどのようにして達成感や満足感を味わえるのか。


 そんな思考と感情と言った不可視のものではない、可視できる復讐の証を集めれば少しは達成感と満足感も増えるだろうか。


 考えた【冒険王】がとった行動は帝国の人々の死骸を一ヶ所に集めると言うものだった。普通の精神状態の人間では決して思い付かないであろう行為。こんな凶行に走ったのは周囲に広がる惨状のせいで精神が参っていたからだ。


 しかしそれでは一ミリも満たされなかった。寧ろ何かが磨り減っているような気さえしたほどだ。

 労力の割に対価が少ない事によって冷静になる事ができ、無心で死骸の山を見つめる【冒険王】は、そのおかげで自分はまだまともなのだなと安心できた。


 そして先ほどの空を見上げている状態になるわけだ。今はどこを見ても気分が晴れない事に辟易として視線を死骸の山へと戻していた。


 それらの挙動が手に取るように理解できたティオ=マーティは自分も大概おかしくなっているなと自覚して乾いた笑いを漏らした。そしてその笑みを消してから【冒険王】に話しかけた。


「さ、復讐は終わった。これからはどうする──そうだ、クドウ君達を探しに行こうよ。あの子達といれば絶対に元気でると思うしさ、どう?」


 ティオ=マーティは一瞬【冒険王】に選択を委ねようとしたが、それを止めて自分で考えて目的を示す。

 なくなった復讐の思考と感情を埋めるように、新たに生まれる思考や感情が足りていない【冒険王】に選択を迫るのは愚かだと悟り、親友のためにこうして道を示してやった。


 我ながら気が利く男だな、と自惚れるティオ=マーティは【冒険王】の答えを待つ。まぁ待つまでもないのは分かっていたが。なんせ相手は虚無感に苛まれている【冒険王】だ、断るわけがない。


「……俺の復讐は終わった。つまり俺にはなんの目的もなくなったわけだ。この復讐を虚しさなんて言う無意味なものにさせねぇためにも、俺はこのまま何かをして、行動し続けて気力的に生きねぇといかねぇんだ」


 自分に言い聞かせるように、口に出して誰かに誓いを立てるように、自分の目的であった復讐の価値を守るために、【冒険王】は再び空を仰いで言葉を並べる。

 目的を探すと言う目的を持って行動するのだ。【冒険王】はそれに気付いていないわけではない。目的を探すと言う目的は、目的を追うのをやめてしまえばなくなってしまうものだ。つまりはその場凌ぎに似たものに過ぎない。【冒険王】はそんな曖昧で朧気な目的ではなく、そこにある事が実感できる目的が欲しかった。


「だから、一緒に探しに行こうぜ。ティオ=マーティ」

「君ならそう言ってくれると思ったよ」



 【冒険王】の胸中を知らないティオ=マーティは秋達の捜索と言う一つのみを探す。それと同時に【冒険王】は自分にとって必要な目的も探す。

 例え地の果てに行くことになろうとも必ず目的を見つけ出す。


 そんな決意をして【冒険王】はティオ=マーティと二人で歩きだした。

 

「……それで、君の勘はクドウ君達がどこにいるって言ってるんだい?」

「あのな、自分が知りもしねぇ事に勘は働かねぇんだよ。それらの情報をある程度知ったところで初めて勘ってのが働くんだ。だからあいつらの事をそんなに知らねぇ俺が分かるわけねぇんだわ」

「そっか……自分で探そうぜって言っておいてなんだけど、もう探すのやめたくなってきたよ」

「はぁ?」

「だって僕は君の勘があれば楽勝だろうって考えて言ったんだ。でもその勘頼りにならなら、やめたいなぁ……って」

「他人なんかを頼りにしてっからそうなんだよ……まぁお前が言い出したことだし最後まで付き合えよ」


 希望が絶たれたティオ=マーティはあからさまに落ち込んだ様子になってとぼとぼと歩きだした。だが、その表情はそれほど落ち込んだようなものではなかった。

 嘗て味わっていた絶望や失意に比べればなんと浅いものか。一度折れて一度立ち直ったティオ=マーティにはちょっとやそっとの事では動じない堅い心ができていた。



 あの時……この世界に召喚された時だ。自分─ティオ=マーティとマテウス、ドロシーにリブとグラディオの当日面識がなかった五人でこの国の謁見の間に召喚された時は絶望しかなかった。


 元々いた世界で奴隷として扱われていたティオ=マーティはその謁見の間に不釣り合いな格好で現れた。当然、周囲の人間には嫌な顔で見られたが、そんな事が気にならないぐらいには精神は磨耗していた。


 そんな脱け殻のようなティオ=マーティに親切に接し続けたのが、本当は異世界人などではなくて正真正銘の現地人である【冒険王】だった。

 国を滅ぼしたゲヴァルティア帝国に自分と自分の家族のために仕えていた【冒険王】はそんなティオ=マーティが見ていられなかったのだ。元の通常の状態のティオ=マーティを見たこともないし、知り合いでもなかった。それでも当時のティオ=マーティの様子は酷いもので【冒険王】が親切にしたくなるほどだった。


 世界を渡っても再び奴隷と言う立場に収まったティオ=マーティだったが、その親友のおかげで徐々に奴隷になる以前の元気さを取り戻していった。


 そしてその後に発生したゲヴァルティア帝国の非道な実験にティオ=マーティは利用された。【遠視】や【透視】などの見る事に特化したスキルが詰め込まれた【神眼】の研究材料とされたのだ。


 瞼を固定されて眩しい光を何時間も当てられ続けた事、何かの薬物を眼球に直接注入された事……変態に眼球を舐められた事もあった。くり貫かれそうになった事も一度や二度じゃない。鉄板の上に固定されて目だけを執拗にいじくり回される生活が何日も何日も続いた。


 十数日程度が経った頃だろうか、異世界人の一人がいなくなっている事に気付いた【冒険王】が、窶れて餓死する寸前かのような死に体のティオ=マーティを発見した。

 あのまま放っておいても強制的に食事は与えられたり排泄もそのまま垂れ流しで行えるので死にはしなかっただろうが、精神が磨耗していき、窶れて……そして精神が崩壊して人間的に死んでしまうのは明らかだった。


 ……それがティオ=マーティが【冒険王】に依存と言えるほどに命の恩人に対して身を委ねるようになったきっかけであり、【冒険王】がゲヴァルティア帝国との関係を断とうとしたきっかけだった。


 一度折れて、立ち直ろうとするが挫かれてまた元通りになって、そして救われて一度救われた。


 絶望からの救済は生物を強靭に作り変える事ができる。

 失うものがない強さを知り、救われる事によって失い事の怖さを知り、失うまいと本気になれる。


 だが、ティオ=マーティの場合、それは依存と言う形で表れた。この人のためなら命を懸けられる。この人がいなければ本来あるはずではなかった命なのだからこの人のために使おう、この人のために生きよう。


 そんな狂信にも似た狂人的な依存をするティオ=マーティ。

 この命に懸ける価値が出るまで強くならなくては。この命を懸けて結果を残せるぐらいには強くならなくては。この命を懸けてよかったと思えるぐらい強くならなくては。


 自分の命の価値や、命を懸けて残せる結果。それらを意識してティオ=マーティは強くなろうと努力をする。依存する事によってこうして努力する事ができた。弱い命を懸けたところで命の恩人にとって大きなプラスにはならないだろうから。だから強くなって命の恩人にとって大きなプラスになるように努力をする。


 自分の人生を捨てた【神眼】の持ち主はどうしてでも恩人である親友のために在ろうとする。どんな形でも恩人のために。どんなやり方でも親友のために。

 奴隷して生きたせいで人との正しい距離感や情の重さ、付き合い方が分からないから。少し助けられたぐらいで自分の人生を投げ売ってその人のために生きるのだ。


「……僕が命を懸ける前に、名前を教えて欲しいな」


 目の前を歩く、恩人であり、親友であり、奴隷根性が染みついているティオ=マーティの主人である、【冒険王】にはそんな呟きが聞こえなかった。

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