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第291話 傍観する愚者と、賢者を探す者

「──クルトさんっ!!」


 擘くような悲鳴と共に宙を舞う鮮血。深々と斬り裂かれたクルトはそのまま前に横に倒れていく。地面には数秒もしないうちに血溜まりができあがった。


 クルトに気を許したフリをしているだけのはずのラヴィアがクルトから発せられる血液に叫ぶのは、自分の目の前で血が流れるのを見たくなかったからだ。クルトを心配しての事ではない。


 それと、クルトを斬り付けた人物がラヴィアにとって見覚えのある人物だったからだ。


「どうして逃げるんだよ? 俺が助けてあげたんだけど? 俺が助けなければ君はずっとあの首輪を着けたままだったはずなんだけど?」


 血濡れの剣を片手にして、地面に倒れるクルトに見向きもしない男は口を手で押さえて震えるラヴィアに言った。


「ひぅっ……」

「つまり君は詰んでた。それを助けたのは俺。なら、その恩人に報いるために従うのが助けられた君の余生なんだよ。首輪が外れたとしても結局君は奴隷にすぎないの」


 それは助けられた側が選ぶ事で、助けた側が強要できる事ではないだろう。ラヴィアはそう思うがそれを口にはできない。今ラヴィアの口から出ているのはしゃくりあげるような泣き声だけだからだ。そんな指摘は後回しだった。


 その代わりにラヴィアは頭で考える。

 そしてこの世に潜む狂気にさらに震えを大きくした。


 最初に出会った時は至って正常な人間に見えたと言うのに、目の前のあれはどうだろうか。

 恩を押し付け、自分の欲望を満たすために人間を斬り、まるで地面を歩いているだけかのようにその人間を踏み越えてラヴィアの髪を掴んでいる。


「いぃ……いだっ……はっ、はなっ……離して……!」

「離したらまた逃げるだろう?」


 痛がるラヴィアにそう返し、そのままラヴィアを引き摺って来た道を引き返そうとする男。その掴む手の平を何度も何度もラヴィアは叩く。だが、その手は鋼のように固く握られており、同年代の子供よりも数段非力なラヴィアの抵抗は意味を持たなかった。


 正常の皮を被り、普通の中で善人のように振る舞い、悪を働く。奴隷商と言う可視化された悪よりも質の悪い悪。

 普通に生きてこっそり悪を働くから表に出ず、あまり知られていない悪。だからこれから自分がどうなってしまうかの予想がつかない。


「だ、誰か……助けて!」


 そう考えると自然と口が動いていた。だがここは草原だ。周囲には何もないだだっぴろい草原。街道からも遠く離れており近くには誰もいない。


「ま……て……っ」


 そんな草原でラヴィアと男以外の声が聞こえた。声のする方はラヴィアと男の足元だ。

 それと同時に男の脹ら脛に鋭い痛みが走る。何かが刺さったような、そんな刃物による痛み。


 叫びそうになるのを堪えて男は勢いよく振り返る。髪を掴まれているラヴィアが痛みに悲鳴をあげるが微塵も構わずに振り返った。


 そこで男が見たものは、背中をばっさりと斬り裂いたはずの男が地面を這うようにして何かを投擲したかのような体勢をしていた。


 痛みを与えた存在が誰かを認識した男は憎しみが宿る瞳で男を睨んでから脹ら脛に刺さっている短剣を引き抜いて、それをクルトへと投げ返す。しかしそれはクルトに向かって飛んで行かず、それは再び男の脹ら脛へと回帰した。全く同じ位置に……傷口に再び刺さった。


「うぐああぁぁああ!?」


 傷口に深々と刺さる短剣に痛みを堪えきれずに男は叫ぶ。そしてラヴィアの髪を掴んでいた手を離してよろめくように前に倒れこみ、脹ら脛を押さえて地面を転げ回る。


 クルトが投擲したのは賢者に与えられた神器である短剣だ。この短剣が持つ効果は傷口を塞ぐと言うもので、この短剣は『杭の短剣』と呼ばれている。


 魔力を流した短剣を振るって相手を斬り裂けば、短剣はその傷口を塞ぐようにして勝手に突き刺さる。そして突き刺さった短剣は何をしようとも相手の傷口へと舞い戻る。引き抜こうとも、引き抜いた短剣を握っていたとしても、引き抜いた短剣を遠くに投げ捨てようとも、必ず短剣は傷口に舞い戻る。使用者が効果の停止を念じるか、刃が壊れでもしない限りずっとだ。


 クルトはその効果を利用して短剣を投擲して男の脹ら脛に短剣で杭を打ったのだ。クルトが停止を命じるか、刃が壊れてしまうまで、永遠に男の脹ら脛は杭の短剣が舞い戻る。


 それを知らない男は何度も何度も短剣を引き抜いたそして杭を打たれる。それを十数回繰り返したところで痛覚が麻痺し始めたのか男は叫びを止ませ、憎々しげに立ち上がっているクルトを睨んだ。


「俺に何をした」

「特殊な短剣を投げただけですよ」


 男を見下ろすクルトは上等なローブを着ていた。白を基調とした金色や水色などの明るい色で構成された華やかで美しいローブだ。そしてその手には自然を思わせる木製の杖。その先端には無色透明の魔石がついている。


「あなたが中々その効果を理解しないおかげで傷も癒えました。戦うための装備に着替える事もできました。ラヴィアさんもこちらに連れてこれました。現在のあなたは圧倒的な劣勢です」


 正面を向いているので分かり辛いが、背中から血が滴っていない。華やかな衣服。クルトを見上げながらクルトに隠れるようにしているラヴィア。

 クルトの言う通り男は圧倒的に劣勢だった。逃げようにも脹ら脛には短剣が刺さっているので逃げられない。


「抵抗せずに詰所まで同行してくれるのでしたら攻撃はしません。どうしますか?」

「……ひひっ。なぁ、交渉しない?」

「しません」


 縋るように言う男の提案をあっさり断るクルト。もしクルトに危害を加えていなければ聞くぐらいはしただろう。しかしあの男はクルトの背中を深く斬り付け、その上まるで地面を歩くかのようにクルトを踏み越えた。


 ここまでされていれば流石に何かを聞き入れる必要はない、なのでクルトは土魔法での作り出した土の縄で男を縛り上げ、武器になるような物を持っていないか確認し始めた。


 完全に動きを止めたと思っての行動だった。戦いは始まる事なく終わり、後始末だけが残っていると思っていた。

 だがそれは違った。動きは止まっていないし、戦いは終わっていなかった。寧ろ今から始まるところだった。つまり後始末は早すぎた。


 土の縄で縛られているはずの男は裂ける。蛹から姿を現す蝶のように。いや、蝶と言うには些か醜すぎる。これは美しい蝶とは対を成す存在だ。

 欲望にまみれて愚かに堕落している醜い虫だ。


 肉が裂ける音を響かせて男の体から、男の体以上の大きさをしている異形が姿を現した。男から覗くそれは唇を彷彿とさせる貝のような姿をしていた。柔らかそうで食欲をそそる唇のような部分を抉じ開けるようにしてクルトとラヴィアの目に映るのは無数の触手。赤黒くてらてらと輝きを放つそれは生理的な嫌悪感を抱かせるような見た目をしていた。

 二人がこの生物を見て最初に思った事は……悪魔。それだけだった。


 粘液を滴らせるその気色悪い怪物を見上げながらクルトとラヴィアは後退りをする。正確には、足が震えて動けなかったラヴィアに後退りをしたクルトがぶつかっただけだ。そのせいでラヴィアも後ろに下がる事になっていた。


「あ、あぁあ……なに……あれ……?」

「分かりません……ですけど、あれは野放しにしていいものじゃなさそうです。ラヴィアさん、もっと向こうまで避難しておいてください。危ないでしょうから」


 特にラヴィアを守る理由はないのだが、クルトには何の目的もないのでこうして何かをして暗い気分にならないように気を紛らわす。例えそれが危険な事だったとしても、今のクルトには失うものもないので遠慮なく飛び込める。


「め、め、め、め、おん……めじょおお、おななん……めなめめめじょおん」


 奇怪な声を漏らす貝の化け物を観察するクルト。今のところ敵意は感じられなず、ただただ危ない雰囲気が漂っているだけだ。


 チラリと視線を後ろに向けて見ればラヴィアがきちんと後ろに下がっている事が確認できた。再び視線を貝の化け物に戻すが、貝の化け物は無数に生えた触手を蠢かせているだけだ。赤と白いベタベタした液体を滴しながらその化け物はそこに佇む。


 悪人の体を裂いて現れたのとその見た目の醜悪さのせいでよくないものだと判断したクルトだったが、何かをする様子も見せない貝の化け物に警戒を緩める。構えていた杖を下ろしてクルトはその貝の化け物を見上げる。


 そんなクルトはどうにかしてこの化け物の正体を知る事ができないかと思い始めた。もし歴史に名前を残しているような化け物であったりしたら大変だからだ。いくら警戒を緩めたとしても、完全に無くしたわけではない。なので正体を知って本当に無害な魔物かを確かめる必要があった。


 クルトが使うのは【鑑定】だ。しかしクルトの【鑑定】はスキルのレベルが低いため、高レベルの生物を相手に使えば黒く塗り潰された状態で鑑定結果が表示されてしまう。目の前の相手はそれなりに強いはずなのでその黒く塗り潰さた状態が鑑定結果の一部に及んでいるだろう。そのせいで正確な情報を得られないのが不安だが、それでもクルトは【鑑定】を使った。



 ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄

名前:リビディン

種族:■■

Lv■■0

MP :1■0,8■2

物攻 :1■■,■■2

物防 :1■0,■64

魔攻 :■00,84■

魔防 :■0■,894

敏捷 :■■■,9■0


固有能力

【■欲】


常時発動能力

触手操作Lv■ 魔法Lv5 魔力操作Lv6 精霊術Lv5 体力自■■復速度上昇Lv2 魔力自然回復■■上■Lv1 嫌悪Lv7 斬■耐性Lv6 打撃耐性Lv3 火耐性Lv■ 水■性Lv7 土耐性Lv6 風■■Lv2 氷耐■Lv1 雷耐性Lv1 光耐性Lv1 闇耐性Lv4 状■■常耐性Lv7


任意発動能力

探知Lv■ 遠視Lv2 邪視Lv3 身体強化Lv5 気■■断Lv6 無音■動Lv■ 連撃Lv1 衝撃吸■Lv1 ■■Lv■ 威圧Lv3 浮遊Lv■ 転移Lv2 溶解付与Lv■ 粘着■与Lv1 憑依Lv3 搾取Lv2 ■殺Lv5 増殖Lv2 ■化Lv3 超再生


魔法

火魔法Lv■

水魔法Lv■

土魔法Lv■

風魔法Lv7

氷魔法Lv5

雷魔法Lv■

光魔法Lv■

闇魔法Lv8

無魔法Lv3

聖魔法Lv■

時空間魔法Lv■


称号

外■種 訪問者 異物 ■■の使徒 嫌悪■■■■

__________________________



 読めない部分は多いが、かなり手強い魔物である事が窺える。アデルやラウラと一緒に戦えばそうでもないのだろうが、今ここに立っているのはクルトただ一人なのだ。居もしない人物の事を考えるのはやめだ。


 クルトは頭を振って考えを振り払う。正面にいる貝の化け物は【鑑定】された事に気付いたのか、クルトを見下ろすようにしている。眼球がないので見ているのかは不明だが、強い視線をあの化け物から感じる。敵意を感じられない……かと言って友好的な感情を感じられるわけでもない、正体不明の視線。


 リビディン……そんな名前は聞いた事がない。ならば歴史に名を残すほどの危険な魔物ではなさそうだ。だが、【■殺】などと言う物騒なスキルや、危なそうな気配がするものが散見しているので確実に無害と言うわけではなさそうだ。


 結局、状況は何も変わっていない。


 どうするべきか、それを考えるが経験が浅いクルトには何も分からない。

 賢者などと呼ばれてはいるがクルトはそれほど賢いわけではない。寧ろ愚かだ、愚者だ。この世界を乗っ取ろうとしている神に逆らい、その癖に目的もなく生きるだなんてまさに愚か……愚の骨頂と言える。

 そんな愚者に何かを見出だせるはずがなかった。


 そうして続く何も起こらない睨み合い。動けば攻撃される……なんて予感はしないし、動けば殺される……なんて予感もない。まさに無意味な睨み合い。貝の化け物に眼球はないので睨み合いと言えるのかは分からないが、過ぎ去っていくこの時間が無意味だと言うのは確かだった。


「あ、あの……クルトさん……? これはいったい?」


 よく分からない状況を何とかしようと取り敢えずラヴィアは口を開いた。危ないから下がっていろ、と言われたが流石に声をかけずにはいられなかった。


「……俺にもよく分かりません。 敵意もないし、友好的な感じもない。攻撃していいのか、無視して逃げてもいいのかすら分かりません……」

「えぇ……」


 何かの意味がある事を期待していたラヴィアは十数分を無駄にした事を理解してそんな困惑と呆れを含んだ声を出した。


「何もしてこないのでしたら逃げ──」


 突如途絶えるラヴィアの言葉。貝の化け物と睨み合いをしていてラヴィアを見ていなかったクルトだったが、クルトはラヴィアの言葉が途絶えた理由を理解できた。


 唇と唇の間のような部分から伸びる貝の化け物の触手。無数にあるうちの一方の触手だ。蠢く触手の中で恐らく一番細いであろう触手だ。それはどんどん伸びていっているようだった。


 動いたり声を出したりするのはまずかったか、そのせいでラヴィアがあの触手で貫かれた……そう思って呆然と立ち尽くしていたクルトだったが、しかしそれならばラヴィアを貫いたはずの触手が伸び続けている意味が分からない。


 ギギギ、と錆び付いた機械のように拙くぎこちない動きで振り返ったクルトが目にしたのは、ラヴィアの口内を侵す触手だ。

 グググ、ズズズ、そんな擬音がつくであろう動きでラヴィアの口内へと押し込まれるように侵入していく触手。

 触手という異物が大量に体内に侵入しているせいか、ラヴィアは人としての尊厳を失うようなみっともない姿を晒していた。


 白目を剥いて、触手が侵入する口からは涎を垂らし、失禁し、ビクビクと痙攣している。触手に持ち上げられて地面から足が離れているせいで痙攣がより酷いものとなっているのか、尋常ではない震えかたをしている。


 他人に恐怖を抱かせるほどの痙攣による震え。クルトは先ほどまで普通にしていた少女がそんな残酷な状態に陥っている光景を目にしてしまい、発狂を堪えるので精一杯だった。苦しみ悶えるラヴィアを助けようなんて言う考えは思い浮かばなかった。思い浮かんでいたのかも知れないが、助けるために動かなかった時点でどちらも同じだ。


 そう知った瞬間、クルトは再び暗い気持ちに浸された。

 自分の弱さを知り、劣等感を抱く。その劣等感は誰に対してだろうか。それは先ほどの、アデルとラウラが一緒に戦えば──と言う考えのせいで抱いてしまった劣等感だ。


 あの二人がいれば片付いた問題を自分一人だけでは片付けられない。


 まるで掃除ができないダメ人間のような……家事を全て妻に任せてだらけている夫のような情けなさを感じる。仕事などで疲れているのであれば分からなくもないが、今のクルトにそんなものはない。……つまり正真正銘のダメ人間だった。


 自覚すればするほどに、認めれば認めるほどにその劣等感はクルトを苛んでいく。無力感と言ういらなすぎるおまけを持って追いかけてくる。


 いつの間にかラウラにすらも劣等感を抱いていた事を自覚して、クルトはただそれを眺めているだけ。

 強くなる努力を、行動する勇気を持たずに眺めているだけ。

 目の前と言う『自分の先』の出来事を眺めているだけ。

 それは今も昔も変わらない。


 アデルが前を歩くのを眺めているだけだった事に劣等感と無力感と情けなさなどの感情を抱いていた、銭湯に入るまでの自分のように。


 少しは前に進んだつもりだったが、それは大きく逃避に進んでいただけだった。クルトの本質は何も変わっていなかった。いつまでも勇気を持てずに目の前の出来事を眺めるだけの傍観者。


 アデルとクルトの役割が逆であればどれだけ楽だっただろうか。勇者として神の加護を得て勇気を得られ、勇者として前に立って密かに自分が恋心を抱いている幼馴染を守りたい。自分の代わりに賢者になって呪いのせいで四苦八苦している幼馴染を励まして支えたい。

 ……つまりは呪いで苦しむアデルの弱さに付け込んで簡単に籠絡したかっただけだ。苦もなく愛を手に入れて幸せになりたかった。


 それなのに、現実はそうはいかなかった。

 現実では想い人のせいで劣等感と無力感に苛まれ苦しんでいる。呪いも受けて支えもなく勇気もない。クルトが夢想するものとは正反対だ。


 そんな非情な現実をクルトは眺める。

 貝の化け物の全てが入り込み、無様な姿で地面に転がっているラヴィアを眺める。


 あの華奢な体のどこにあの化け物が入り込んだのだろうか……妙に鮮明な思考でクルトは思った。







~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~







 クルトを追うアデルとラウラは草原に佇んでいた。


「どうしよう……」

「どうしましょう……」


 その理由はクルトが残したものであろう泥の足跡が途切れてしまっていたからだ。その地点には他の場所よりも泥が多く散らばっている事から、クルトは暫くここにとどまった後に何らかの手段で泥を消したのであろうと考えはするが、どんな手段でどのようにして泥を消したのかが分からない。


 洗い流したのであれば泥水が残っているはず。それが乾いてしまった可能性もあるが、地面に残っている泥はまだまだ水気を帯びているので泥水が乾くほど時間は経っていないと思われる。


 泥が乾くまでの短時間で泥を落とし、ここから去った。


 泥を落としたのではなくその地点で転移した可能性もあるが、もし転移したのなら最初からそうすればよかったと言う話になるので、ここまで歩いてきた意味が分からなくなるので無しだ。

 単にここに来るまでにそこまで考えが至らなかっただけの可能性もあるが、あのクルトが何か目的を持って行動している以上、そんな無駄なミスはしないだろうと。……そう考えてアデルとラウラはその考えを自然と排除していた。


 考えるアデルとラウラ。そうこうしている間にも時間は過ぎていっているのだが、考え無しに動いても何にもならない。だから明確な目的を持って行動できるように痕跡を辿るべきだと考えた。

 もっとも、その痕跡自体はもうないのだが何かクルトの手がかりになるような事がこれしかなかったのでこれについて考えている。何かが分かるかも知れないからどんな些細な事でもこうして考えるのだ。


 アデルはクルトの幼馴染として責任を抱いていた。クルトの変化や考えに気付けずにこうしてクルトは何かを考えて行動してしまっている。その考え、或いは悩みに気付いてやれなかった事を悔やんでいるのだ。

 悔やむだけでクルトの考えや悩みを何も理解していないのだが、それでもアデルは幼馴染として、最もクルトを知る人事の一人として責任を抱いていた。


 幼馴染として……最もクルトを知る人物の一人として……そこまで考えたところでアデルの脳裏に電流が走った。快感を覚えるほどに気持ちのいい電流だ。


「あ! ボク分かったよアデル!」

「え! 本当ですか!?」

「うん、クルトは綺麗好きなんだよ、昔からね。だから泥のついた服が気持ち悪くてここで着替えたんだと思う。そう考えればここで泥が消えているのも納得できるでしょ? 脱いだ服はアイテムボックスにでも入れたんだろうね」


 クルトを知る人物、それで思い至ったのはクルトが潔癖症気味だと言う事だ。目の前に広がる泥を眺めながらだったからこんな些細な事に気付く事ができた。


「なるほど……それでしたら納得できます。 それにしてもクルトさんって綺麗好きな人だったんですね。普段はそんな素振りを見せませんから知りませんでした」

「あはは……みんな気付かないだけでいつも身の回りは綺麗にしてるんだよ、クルトは。戦いで発生した土煙で服が汚れた時なんていつも汚れを払ってるし、ボクの涙で服が濡れちゃった時も、笑ってああは言いながらもちょっと嫌そうな顔をしてたしね……」


 初めて知りましたというように言うラウラにそう返すアデルだが、最後の方は自分で言っていて悲しくなったのか尻窄みになっていた。


「えぇっと、じゃあつまり今のクルトさんは神器を着ていないと言う事ですよね?」

「そうだね……クルトが神器を着てくれていたら探しやすかったんだけど、まぁクルトが綺麗好きな限りは仕方ないよね。……よし、じゃあ手がかりも無くなったし、ここら辺を虱潰しに探してからアブレンクング王国に帰ろう。クルトがいなきゃあの狼達とも戦えないもん」

「そうですね。あの『異常種』のオーガキングのような魔物が現れれば私達だけでは対処できませんから一旦帰りましょう」


 話し合い、そう決めた二人は手分けして周囲を虱潰しに捜索する。高く跳ねて上から見下ろして見たり、走り回って周囲を高速で移動したりなど、とにかく広い範囲を捜索した。


 しかしクルトは見つからない。体を洗うために近隣の村へ向かっていたクルトは見つからない。そしてその先に進んだクルトが見つかるはずがなかった。


 なぜクルトが潔癖症気味だと気付いていながら近隣の村に向かって体の汚れを洗い落としたはず……と考えなかったのか。それはここで着替えをしていたと言う事が大きかった。泥が付着した服から着替えるため、と言う一点にのみ注目したせいで体に付着した泥にまで気が回らなかったのだ。ローブを着ているので体に泥が付着し難いと言うのも原因の一つだった。



 結局それからすぐに日が暮れてきたので、クルトが着替えたであろう地点に集合した二人は急いでアブレンクング王国へと走り出した。


 そうして帰って来たアブレンクング王国。

 呼吸を乱して汗だくなまま二人はインサニエルの元へと向かい、二匹の白と黒の狼に逃げられた事、賢者であるクルトが失踪した事を報告した。

 顔色を赤から青へと目まぐるしく変化させるインサニエルに、怒られるのだろうとビクビク怯えながら二人はインサニエルの答えを待った。


「最悪の事態ですね……最果ての大陸の魔物を二匹も逃がし、魔王討伐に必要な賢者すらをも失いました。……さて、どうしましょうかねぇ……」

「ごめんなさい……インサニエルさん……」


 項垂れて謝るアデル。それに続いてラウラも頭を下げる。それを見たインサニエルは微笑みを浮かべて言った。


「いえ、お二人のせいではありませんよ。……皆さんがお疲れのところに無理を言って働かせたのは自分です。逃げられたのも、ストレスに耐えられなくなったであろう賢者様が失踪したのも全て自分達のせいなのですから」


 表情を変えて焦っているような雰囲気のインサニエルだったが、実際はそれほど焦ってはいなかった。なぜなら【勇者】や【賢者】や【神徒】と言うのは取り敢えずいるだけに過ぎないからだ。


 インサニエルや運命の女神ベールの本命は邪神だ。人間の負の感情などを糧としている邪神を復活させ、魔王と戦わせる。それが狙いなのだ。

 暴れられないように、邪神を復活直後の意識が朦朧している段階で神々の力を合わせて縛り付けて支配する。そうして魔王と戦わせる。その後は神々で挙って邪神を屠ればこれで終わりだ。多少の被害は覚悟しなければならないが、これがもっとも確実に異常な魔王を屠れる作戦なのだ。


 そんな作戦の元に行動しているインサニエルはたった今いいことを思い付いた。魔王の誕生は既に公表している。勇者や賢者も発見されている事も公表している。ならばこの状況で堂々と賢者の失踪を言い回ってやろう。

 そうすれば不安や疑念、絶望などの負の感情を集められる。


 胸の内に黒い笑みを浮かべるインサニエルは、感動したように自分を見つめる勇者と神徒に微笑みを浮かべながらそんな事を考えていた。

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