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第289話 不可避の刃

 村を出て歩くクルト。行く宛はないがその足取りは軽い。どこへ向かうとも定まらないその足はただ前に進んでいる。どこへ行く気もないが、取り敢えずどこかへ行きたい。そんな一心でただ足を動かしている。


 そしてクルトは出会った。見つけた。


 草原のど真ん中で倒れる人物を。手首と足首に付けられた手枷と鎖。それが着ている服は薄汚れていて汚い。

 埃だろうか。土だろうか。油だろうか。

 なんの汚れかは分からないが、潔癖症気味なクルトが近付くのを躊躇ってしまうほどには汚かった。


 だが、流石に放置してはおけない。とどこからか湧いてくる正義感の駆られてクルトはその人物の肩を揺すろうとするが、とどまった。

 そして恐る恐るクルトはその人物が着る服に手を触れた。少し触っただけで指先に残る茶色い汚れ。


 あぁ、これは肩になんか触れられないな。そう考えてからクルトは水魔法をその人物に向けて放った。怪我をしてしまわないように加減はしてある。


 地面に流れる茶色い汚れ。結局最後までなんの汚れかは分からなかったが、こうして流してしまったのでもうどうでもよかった。


 そして水魔法で洗い流してから分かった事がある。それはその人物の容姿だ。先ほどまでは全体的に茶色かったので茶髪なのかな、と思っていたのだが実際は違った。

 健康的な小麦色の肌に、桃色がかった薄い橙色の髪。瞼で覆われているために瞳の色は分からない。

 性別は女性だろう。水を浴びたせいで肌に張り付く服のお陰で普通の女性特有の丸みを帯びた体つきが窺えた。


 汚れは落としたしさて肩を揺すって起こそう、とクルトがその女の肩に手をかけるとゆっくりと瞼が開かれてその女は目を覚ました。寝惚けているような虚ろな目をしているその瞳は色が綺麗な薄緑色をしていた。まだ堕ちていない人間の瞳。


 水をかけたせいで起きてしまったのだろう。と暢気に考えていると、ゆっくりと開かれたその目は次第に驚愕と焦燥に満たされていき、その女は勢いよく立ち上がって走り去っていった。……地面に寝ている時には気付かなかったが、女の背丈はクルトよりも低かった。 


 ヨタヨタとした覚束ない足取りで去っていった。途中で転けそうになり、そして転けながらも必死に逃げるように去っていった。振り返る事もせずに、止まったら死んでしまうのかと思わせるほど一生懸命に。


 その理由はなんとなく分かっていた。あの女の両手首と両足首に付けられていた枷。

 あれは街中を歩いている奴隷がよくつけていたものだ。その枷と鎖を繋がれ、犬を散歩させるかのように主人に鎖を引かれてトボトボと俯いて生気のない瞳で歩いているのだ。


 そして不意に睨むようにジロリと向けられる死体のようで機能を停止していそうな濁った瞳。それと目があったら暫く安眠はできなかった。一瞬目があっただけだし何もされていないし脅かされていないと言うのに、言い様のない恐怖がクルトを撫で回していたのだ。

 それと同時にクルトはゾクゾクしていた。あの瞳を真正面から見てみたいと言う欲求も生まれていた。


 自分が生きている安穏とした世界からは想像もつかない地獄のような世界で、強引に人間性を殺されて尚生かされている。

 そんな安穏とした環境で堕ちた人間を身近に感じたせいだろう。闇を恐れて闇に興奮を覚えていた。


 あの女もそんな闇に堕ちる前のギリギリのところで踏みとどまっている人間なのだろう。……あぁ、いや、人間と言うと語弊がある。

 あの女は亜人だった。犬と猫の耳を一つずつ持っている混血の亜人だった。一セットではなく一つずつだ。犬耳が右側にあり猫耳が左側についていた。

 人間の耳がある位置には何もない。どこか違和感があるがそこには何もなかった。


 世界各地に根を張っている蒐集家(コレクター)と呼ばれる闇の組織にでも捕まって売られてしまったのだろう。そして買い手の元から逃げてきた……もしくは売られる前に、買われる前に逃げ出してきたのだろう。


 だからあれほどまでに必死に逃げていた。


 気付けばクルトは闇に片足を踏み入れたと思われるあの女を追っていた。本当にどうして走り出したのか分からない。正義感でもないし闇への興奮でもない。


 そしてクルトは足首に痛々しい枷の後を付けている女の手を掴んだ。いくら犬獣人と猫獣人の混血と言えど、足を負傷していれば賢者であるクルトでも追い付けた。

 常人では追い付けないだろうが、それなりにレベルが高くてステータスの数値も高いクルトならば可能だった。

 例え賢者であろうと全体を見れば一般人よりは遥かに優れていた。


「い、嫌だっ……! やめて、離してぇっ……! お母さぁん! 誰か助けてっ……!」

「落ち着いて、俺は敵じゃないですよ」

「いやぁっ! 触らないで!」


 落ち着かせようと話しかけるが、尚も騒ぎ暴れ続ける女。クルトの手を振り切ろうと背中を向けて、向こうへ向こうへ走り出そうとしている。


 そこでクルトは手を離した。


 突然離された手のせいでつんのめって顔面から地面に飛び込んでしまった女は「ぅあべぇっ!?」とみっともない声を上げながら地面に顔を擦り付けた。


 一瞬頭が真っ白になる女だったが、すぐに仰向けになって手を使って後退りをする。

 地面と擦れた場所は土まみれで、誰が見て分かるほどに赤々と血が滲んでいる。


「ひぃぃぃっ! い、痛いのやぁっ……やめて、来ないでぇ……痛くしないで……お願いやめてっ……に、逃げてごめんなさい! 本当にごめんなさい許してください!」


 土と血の中に鼻水と涙を混ぜながら女は後退りを続ける。立ち上がって走り出さないのは腰が抜けたからだろうか、それともそんな考えが浮かばないほどに追い詰められているからだろうか。


「落ち着いてください、俺は悪者じゃないです」

「う、嘘……だって私を……」

「あれは暴れるあなたを黙らせるために仕方なくしただけです」

「……お、お願いします……どうか痛い事だけはしないでください……! お願いします……っ」


 女の頬から線を引くように土が洗い流されていく。上唇の上のあたりからも土はなくなっている。


 尋常ではない怯えっぷりに頭を掻いて困った表情をするクルト。そうするために手を動かしただけで女はビクッと体を震わせていた。


「大丈夫ですよ。俺は大丈夫です。あなたを無意味に傷付けたりしません」

「……お願い……お願い……痛くしないで……叩かないで……蹴らないで……斬らないで……刺さないで……落とさないで……沈めないで……縫い付けないで……ビリビリやめて……抉らないで……焼かないで……」


 頭を抱えて、膝も自分に寄せて自分も身を守るために丸くなる女。そんな女の近くまで歩み寄って膝を突いたクルト。女は目を閉じていてクルトの行動が見えていないはずだが、その獣の耳からは音がよく聞こえるようで、その全てに体を硬直させていくばかりだった。

 痙攣するように丸まって震えて怯える女を安心させるためにそっと抱き締めるクルト。


 どうして見も知らない女のために時間を裂いてこうして抱き締めているのか。抱き締めながら漫然と考えるがクルト。答えはすぐに出た。今のクルトにはそれしかないのだから。


 目的がない。


 だからこうして何かをして気を紛らわしている。何かをしていないとまた暗い気分になってしまいそうだから。例え赤の他人であってもこうして一々大袈裟に反応して行動を起こすのだ。


 腕の中には未だに震えている女がいる。抱き締められているのは理解しているはずだが、その後に何をされるかを想像して怯えているのだろう。

 この優しさが見かけだけの可能性もある。もしそれに気付かず一瞬でも気を許して、そしてそれを裏切られてしまえば自分が簡単に折れてしまうのを理解しているから。


 だから女は震え続ける。自分を抱き締める男が怖いから、今の自分が取るべき行動が分からないから。こうして震え続けていればいいのか、気を許して……或いは気を許したフリをして次に進むべきなのか。


 震えて考えて……そして女は決断した。覚悟を決めて決断した。


 震えてばかりでは、またあの時のように目の前を残酷に流れる現実に置いていかれてしまうから。

 そして残酷な流れの結果だけが自分を連れ去ってしまう。自分は流れに乗っていなかったと言うのに、流れの結果だけが忘れなく自分の存在を連れ去ってしまう。

 焼かれた村で凍えるかのように震えながら残っていた自分を、焼死体の間を縫って「忘れてないぞ」とでも言うように目敏く拾い上げにくる。


 終わりに拾われてしまう前に行動しなければならない。残酷がやってくる前になんでもいいから行動しなければならない。


 今年で15歳になる少女はそう考えて震えを無理やり押さえ付けた。まだ少し震えているだろうか? だとしても少女は行動した。震えそうになる腕を一生懸命に動かして。今度は逃げるために一生懸命になるのではなく、向き合うために一生懸命に。


 そうして少女の腕が辿り着いたのは背中だ。もちろん自分のではない。辿り着いたのは自分を抱いている男の背中だ。


 その男の服を掴んで誰かに縋る哀れな少女を演じる。先ほど恐怖で溢れた涙を利用して声を上げて号泣を演じる。表情はどうだろうか……自分では分からないが恐らく無表情だ。なので肩から首を出して何もいない草原に向かって号泣を演じる。


 少女が選んだのは気を許したフリをして進む事だった。フリであれば裏切られても傷付く事はないから。裏切られた後は裏切られたせいで壊れてしまった人形を演じるだけでいい。そうすればいずれ飽きられて捨てられる。そうすればもう自由だ。捨てられる保障はないが、人は一生一つの事に執着する事はできないので絶対にどこかで興味を失われて隙が生まれる。そうなれば自分で逃げればいい。


 少女はそう考えて演じる事にした。


 抱き返されたクルトはさらに抱き締める力を強めて「大丈夫。大丈夫」と繰り返していた。





「……すんっ……ごめんなさい……迷惑かけて」

「いいですよ。落ち着いてくれたみたいですし。痛いでしょうけど、菌が入ったら大変なので洗い流しますね」


 泣き止んだ少女と向き合いながらクルトは水魔法で少女の顔を洗いながしながら謝罪に答えた。痛い事に対して強い拒絶反応示していた少女にそうするのは気が引けたが、怪物のような顔にさせるわけにはいかないのでそう断ってから水魔法で優しく土を洗い流す。


「いっ、痛い……あ、ご、ごめんなさいわがまま言って……っぅぅ……」


 傷口に沁みる痛みに声をあげる少女すぐに謝ってから、歯をくいしばって痛みに耐え始めた。そんな様子を見ているとあんなやり方でなくても黙らせる事はできたのではないかと後悔し始めるが、今さら悔いても仕方ない事だと言い聞かせてできるだけ痛みを与えないように、優しく手で染み付いた汚れを落としていく。


「俺はクルトって言います。あなたは?」

「あ、あ、私は……えと、ラヴィアって言います……」

「ラヴィアさんはどうしてここにいたんですか?」


 水魔法の使用をやめて聖魔法を使い始めるクルト。発光するクルトの手の平に一瞬驚いたラヴィアは目を閉じながら答えた。その無防備な姿にクルトは少しだけ嬉しくなった。あれだけ自分を拒絶していた人間がこうして隙を見せてくれている事が。


「見れば分かると思いますけど、私は……奴隷なんです。その奴隷商で酷い扱いを受けてそれが嫌になって逃げ出してきたんです」

「やっぱり奴隷だったんですね。首輪はどうしたんですか? つけてないみたいですけど」


 そう、奴隷ならば殆どが着けている首輪がラヴィアにはなかった。首輪の装着者が故意かそうでないかは関係なく少しでも首輪に触れたり、主人に逆らったりすれば装着者に激痛が走る『隷属の首輪』がなかったのだ。これをつけられていない奴隷もいるが、そう言った奴隷は醜かったり体の一部を欠損しているものなので、可愛くて欠損もないラヴィアは着けられているはずだった。


 この『隷属の首輪』は本来は犯罪者などの罪人に着けられるものであり、こんな罪人でもない人間に着けるものではないのだ。

 だが、どこかから漏れでて世間に広がり過ぎたそれは正規以外の使い方をされるようになり、手が付けられなくなっていたので半ば黙認されていた。他者から訴えられてしまえば負けてしまうが、この首輪を着けた奴隷を連れているのはだいたいが貴族なので周囲はそれに逆らうまいと訴えたりはしない。金でそれを揉み消した貴族に報復されてしまうから、と。


「外してもらったんです。通りすがりの人に」


 この『隷属の首輪』は装着者が触れた時に効果を発揮する。そうでもしなければ拷問目的で使用されたりするからだ。罪人に課せられるものなのだから拷問目的にあっても良いのではないかと思うだろうが、過去に一度それで冤罪で捕まっていた囚人が死んでしまった事で全て作り直されていた。


「いい人だなぁ、この人は私の事を助けてくれるんじゃないかなぁ、と思って従っていたら……そのぉ……せ、性的な事をさせられそうになりまして……」

「……あぁ、それは災難でしたね。辛かったと思いますよ。一度信じた人に……信じていた人に裏切られるって言うのは」


 信じていたものに裏切られた覚えのあるクルトが実感の籠った声で、共感するように、同情するようにラヴィアに返す。それに不思議そうな顔をするラヴィアだったが、すぐにその表情は怯えと恐怖に染まる事になった。


「ああぁあっ! く、クルトさんっ! 後ろっ!」


 ラヴィアが悲鳴に似た声をあげてクルトの後ろを指差す。そこ……クルトの背後には、太陽の光を受けて鋭く輝く剣を振り上げ、逆行のシルエットを纏った男が立っていた。


 ラヴィアのこれはクルトを心配しての事ではない。ただ単に自分の前で血が流れるのを見たくなかったからだ。

 故郷の村が燃え盛る中で弾ける火花の如く舞い飛ぶ赤い血飛沫。炎に同化して視界を過るそれにはもう懲り懲りだったのだ。


 これは自分も精神の自衛だ。この少しの時間の会話でクルトに心を許して絆されたわけではない。


「え──」


 ラヴィアの悲鳴によって振り返る事になったクルトは疑問に思う事すら……振り返る事すらできずに、耳を擘く雷に撃たれたかのような激しく鋭い衝撃を受けて意識を手放した。







~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~







 街道を進むアルタとナルルース、エルサリオンに赤髪赤目の男の四人。そんな中、ナルルースは【念話】と言うスキルを使っていた。


『こう使うのか……? あー……あー……おーいサエルミア。エルサリオンと合流できたぞ』

『……ん~……了解~……じゃあエルサリオンの監視を始めるね~……』


 眠そうな、気怠そうな声色のサエルミアからそう返ってきた。

 初めて【念話】を使ったナルルースは声を送る感覚と、声が送られてくる感覚に鳥肌を立てていた。特に声が送られてきた時は、頭に直接響くような……脳を揺さぶるような感覚にふらふらと酔ってしまいそうだった。


『……大丈夫~? ナルルース~。【念話】は向き不向きがあるからね~……頭が痛くなったりとか~……ボーッとしてきたりとか~……とにかく体調が悪くなったら言ってねぇ~』

『……そうだったのか……道理でふらふらするなと思ったらそう言う事だったのか。 分かった……教えてくれてありがとう』


 くらくらする頭を抱えながら、ふらふらする足取りで転ばないように気を付けながら、きらきらを吐いてしまわないように堪えるナルルース。


 そんなナルルースに声がかけられるのは当然だった。


「どうしたのナルルース。気分が悪いの?」

『あぁ……そうみたいだ……すまない』


 そう返すがアルタはナルルースの顔を覗き込んで何かを待っているような雰囲気醸し出している。


「聞いてる? と言うか聞こえてる? 熱中症かな?」

『聞こえている……心配するな。お前らしくないぞ』


 そう返すがアルタは「ダメみたいだね」と呟いてから街道を逸れて近くにあった木陰へと向かった。

 四人仲良く日陰に入って涼む。ナルルースは不服そうな表情をしていたが、おかげで体調も大分よくなってきた。


 ……と、そこでサエルミアからの言葉が聞こえてきた。


『ん~……っと……気を付けてねナルルース……あの人への返事~……全部私にしか聞こえてなかったよ~……』

「なっ!?」

「今度はどうしたの? まだしんどいの?」

「あっ、いや、なんでもない……」


 顔を朱に染めながらナルルースは俯いてサエルミアに言葉を送った。


『その……なんと言ったらいいのか……取り敢えず……ありがとう……すまない。うるさかっただろう?』

『ま~……【念話】を覚えたての人はそうなっちゃうから仕方ないよ~……じゃあそれだけだから……気を付けてね~』

『あぁ、分かった』


 返事をする時に声に出しかけたが、なんとか踏みとどまって念話として返す事ができた。エルサリオンを通してナルルースを見ているサエルミアはそれを察して、地面に寝転がりながら苦笑いを浮かべていた。


「みんなすまない。もう大丈夫だ」

「そう? 無理しないでね?」


 やけに心配してくるアルタへ気味の悪いものを見た時のような視線を向けるナルルース。だがアルタは微笑みながら真っ向からその視線を受け止めている。なんだか分が悪くなったナルルースは視線を逸らしてエルサリオンへと顔を動かした。


「ところでエルサリオンは知っているのか? 今の自分の状態に」

「俺の状態? なんの事だ?」

「その……ほら。やけに人に見つかり易いとか……ないか?」


 直接言って良いものか分からないナルルースは濁してエルサリオンに伝える。だが、濁して言ってからすぐに、別に隠す必要もないな、と考えた。

 だってそれをエルサリオンが知ったところでどうしようもないのだから。


「あぁ、それか。この間ドライヤダリスに来た人間がいただろ? あいつとの結んでしまった……結ばれてしまった【契約】を反故にしてしまったからその代償として運が悪くなっているみたいなんだ。……なぜナルルースがその事を……? 何か知っているのか!? この代償を帳消しにできたりしないのか!?」


 言ってからそれに気付いたエルサリオン素早くナルルースに振り返って詰め寄る。


「ま、待て待て。その契約を反故にした代償と言うのは知らないが、どうもお前の事を考えるとお前の居場所が頭に浮かぶみたいなんだ。会話などは聞こえない……ただ見えるだけだ。ドライヤダリスの一部のエルフには知れ渡っている事だ。恐らく今も誰かが私達を見ている」


 先ほど隠す必要がないと考えたので包み隠さずに教えてやる。一応今は味方なのだからこれぐらいの情報共有をして信頼を勝ち取るべきだろうと考えたのだ。


「本当かよ……だとしたら俺に課せられた代償は『運が悪くなる』ではなくて『居場所を把握できる』だったって事か……?」

「それは知らない。本当かどうかを疑っているのならやってみるといい。……あ、でもお前にも見えるのだろうか」


 ナルルースの言葉を受けたのだろうか、エルサリオンが遠くを見つめてボーッとしている。恐らく今自分の事を考えているのだろう。


 すると唐突にエルサリオンは表情を変えた。何かがおかしくて堪らない、と言ったように顔を手で覆って肩を震わせている。声をあげないので泣いているようにも見えた。……いや、確かに泣いている。顔を覆う手の平の指と指の間から何か透明な液体が……涙が流れてきている。


 ナルルースとエルサリオンの会話を聞いていたのか、アルタと赤髪赤目の男は遠くを見つめて……そしてはしゃいでいる。


「大丈夫か? どうしたんだエルサリオン。何があった?」


 エルサリオンの肩に手を置き、顔を覗き込むようにしてそう尋ねるナルルース。その顔には「私、何かやっちゃったのか?」とでも言い出しそうなほどの困惑を張り付けていた。


「……いや大丈夫だ。……ただ、バカらしく思えてきたんだ。必死になって拠点をたくさん用意して、そしてずっと逃げ回れるように色んな準備をしていたんだ。志を同じくする仲間達も集って……エルフをどこにだしても恥ずかしくない外交的な種族にするために頑張って行動してきた。……だが、しかしそれは全て俺のせいで破綻していた。運が悪いなんて生易しい代償だと思って必死に耐えて食いしばってきたが、この代償はそんなものじゃなかった。いつでもどこでも誰にでも居場所が把握されるなんて言う最悪な代償を背負っていたんだ。あいつらが追っ手に捕まって拷問されたのも……全部……全部……俺のせいだった……っ!」

「……あ……」


 そこでナルルースは気付いた。自分が何気なく信頼を勝ち取るために教えた事がエルサリオンにとってどれだけ辛いものだったかを。ナルルースは知らなかった。エルサリオンがこの代償のせいでどれだけの仲間を失ってきたかを。


 言われていなかったから。見ていなかったから。知らなかったから。


 違う。


 考えなかったからだ。ナルルースであれば考えれば分かったはずだ。エルサリオンとサリオンはまぁいいが、そこにディニエルも加わっていると言うドライヤダリスでは絶対に見られなかった三人の間にあった絆の強固さを理解できたはずだ。三人の誰もが仲間を失う事に異常に怯えている事にも気付けたはずだ。


 なのにそれをしっかり見ようとせずに軽率に信頼を勝ち取るために踏み躙ってしまった。こんな無意識に出る人を傷付ける言葉が、ナルルースが性格が悪いと言ってエルフから嫌われて敬遠される原因だった。


 悪意と敵意と殺意のない刃物ほど恐ろしいものはない。

 普通にしているだけでも自分や他人をも傷付ける事があるのだから。最初から悪意と敵意と殺意を向けられていれば警戒して対応できるだろうが、それがない無意識の殺傷力を秘めた刃物は不可避なのだ。

 ……もっとも、悪意と敵意と殺意の刃物を警戒できたとしてのその刃物を避けられない事はあるが。


 自分の行いでエルサリオンを傷付けてしまった事に気付いたナルルースの口からは自然と謝罪の言葉が溢れた。


「……すまなかった。私は全くお前の事を考えられていなかった」

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