第285話 cult
白い狼──スコールと、黒い狼──ハティはアデル達が追ってきているのを知っていながら父親が封印されているダンジョンへとやってきた。
久々にやってきたが、不思議と道を間違える事はなく、真っ直ぐここに辿り着けた。
「バカな勇者共だ。そこまでして俺達を追う意味などないと言うのに。今の俺達は魔王様の配下ではないから『強制の称号』が働いているわけではなさそうだが……ならなぜ追ってくるんだろうか。まったくもって理解できないな。……窮寇は追うことなかれ、と言う言葉はお前達人間が生み出した言葉だろうに」
愚かな人間をバカにしてからスコールはハティの影を踏んだ。
「まぁいい。行くぞハティ」
言うとハティ首を縦に振ってから、自分の影に沈んでいった。それと同時にハティの影を踏んでいるスコールも影へと沈んでいった。
そうしてハティは遺跡のようになっているダンジョンへと足を踏み入れ……影となって遺跡の影と同化した。
これは『影狼』と言う種族であるハティが持つスキル、【影移動】だ。
このスキルは文字通り影を移動する事ができるスキルだ。なので光が皆無なこの世界の夜に真価を発揮する。希少なスキルではあるが、吸血鬼などの夜を生きる生物もこのスキルを持っている事があるのでそこまで自慢できるものではなかったりする。
この【影移動】によってダンジョン内を魔物と交戦する事はなく進んでいく。なぜ戦わないのかと聞かれれば、消耗するから、としか言えない。
倒せない事はないが、その全てを相手にしていると、自分達が倒したせいで全く魔物と戦う事がなくなった勇者に追い付かれてしまい、そのまま殺されてしまうかも知れないからだ。
それにここの魔物がその全てがかなりの強さを誇っている。
なんせ、昔の勇者と賢者が『倒せなかったから』と一匹の魔物を封印した事により、その封印を隠して守るために人工的に作られた『ダンジョンコア』を用いて人工的に造られたダンジョンだからだ。
飢餓に晒されると瞬く間に力を増してしまう魔物故に、安定して食糧を与えるにはダンジョンで死んだ生物の死骸を取り込んで与えるしかないだろう。そんな考えがあってダンジョンと言うシステムが採用された。
そのため、ダンジョンに出現する魔物は食糧を供給するため……そして死骸を生み出すためにかなりの強さを誇っていた。
だから自分達が父親の養分になってしまわないように戦闘を避けて安全に、そして確実に進むのだ。
二匹のこの情けない行動はダンジョンに封印される父親に、封印を通して見られているので再会した時に叱られるのは必至だろう。
それに憂鬱な気分になりながらも、やはり父親に会いたいので二匹は影の中を進んだ。
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スコールと、ハティを追ってアデル達がやってきたのは遺跡のような風貌をしたダンジョンの前だった。
最初にスコールとハティに襲われた地点からは遠くはなれている。距離としては、エルフの国を跨げてしまうほどには草原を移動しただろう。
乱れた息を整えながら三人は会話する。
「ここに入って行ったよね……?」
「うん、間違いないと思う。ここは平原だし、いきなり消えたから間違いないだろうね」
「でもここってダンジョンですよね? 私達三人だけで大丈夫でしょうか……」
そう心配するラウラにクルトが言った。
「大丈夫だよ。あの二匹の魔物は俺達と同じぐらいだったし、あの二匹が進めるのなら俺達にも進めるよ」
スコールとハティが戦闘を避けて進んでいる事を知らないクルトはそう言ってしまう。
昔の勇者と賢者が封印するしかなかった魔物を守るために造られて、それ以来誰も深層に到達していないダンジョン。……それどころか誰一人として中間にすら辿り着いていない、まさに魔境とも呼ぶべきダンジョン。
そんなダンジョンだとは知りもしないクルトはそう言い、アデルも頷いていた。
「そう……ですね……よし、じゃあ頑張って行きましょう!」
やがて呼吸が整った三人はダンジョンへと足を踏み入れた。
暗いダンジョンを松明で照らしながら進む。
ダンジョンの内部は遺跡のようでありながらも湿地のようであった。
茶色と黒が混ざったような暗褐色の色をした妙な地面に、踏めばピチャピチャとはねる水溜まり。その中には踏めば深く沈んでしまう部分もあり、沼地のようでもあった。
なので、稲や蚊帳吊草、藺草などが生えている部分を歩く必要があった。……もちろんそこを歩いても沈む時は沈むので、沈む可能性を下げるためにそこを歩く。これに効果があるのかどうかが分からない三人にはそうするしかなかった。
泥水がはねるせいで神器が泥だらけになってしまう。破けたり穴が空いたりすると自動で修復される神器だが、流石にこの程度の汚れはどうにもできないようだ。
ラウラはもちろん、アデルも一応女性なのでそんな汚れにはウンザリしていたようだ。若干潔癖な部分があるクルトも顔を顰めながら進んでいた。
「もう嫌になってきちゃった……」
「そうですよね……暗いですし、ジメジメしてますし、泥もはねます」
「しかも魔物も強いしね……足場が悪いから戦い辛いよ」
「その癖に相手はこんな場所でも普通に戦ってきます……はぁ……」
愚痴を言い合うアデルとラウラの二人の背中に向かって苦笑いを浮かべるクルト。後ろを歩いているのは後衛だからだが、前衛の二人ほど力もなく、そこまで足運びが上手くないクルトからすればここは歩き難くて仕方なかったのだ。
「クルト、大丈夫?」
「大丈夫、大丈夫!」
「あぁ……後衛にとっては歩き辛いですもんね……」
「あはは……」
振り返って心配するアデルにそう返しながら、今気付いたとばかりに言うラウラに笑って答えるクルト。そのラウラの言葉に悪意はなかったのだろうが、クルトが抱く劣等感のせいでそんな薄い笑いを浮かべる事しかできなかった。
ただでさえ戦闘に積極的に参加できない立場であると言うのに、こんな様ではどうしても足を引っ張っている気がしてならない。
脳裏に過るのは魔王の配下、レジーナ・グラシアスにかけられた言葉だった。
『やはり賢者は身体能力が低いようですね。どうです? 男なのに女に守られながら戦い、女を援護するしかできないと言うのは? 惨めな気持ちでいっぱいなんじゃないですか?』
あの場ではアデルのおかげで上手く追及を逃れられたが、その言葉をかけられる以前からこれを気にしていたのは事実だ。いくら逃げて誤魔化したとしても、何よりも自分がそれを一番よく知っている。だからこそ焦りを覚えていた。
このままではいけない。二人の足を引っ張るわけにはいかない。男として前に出て女を守りたい。友達と並んで戦えるようになりたい。いつまでも後ろに突っ立ってこそこそ攻撃するなんて嫌だ。
それに、自分にとって唯一の利点である魔法に関してももう限界が見えてきていた。
ラウラは魔法の高みに至っているクルトと成長し続けるアデルに焦って特訓を始めたが、クルトのこれは人に焦りを覚えさせるようなものではなかった。
賢者でありながらこの程度が限界など論外だ。まだまだ成長し続けるアデルとラウラに追い付けず、今のように物理的にも、強さ的にも、心の距離的にも置いていかれてしまうだろう。
足を引っ張るわけには……男として女を……友達と並んで……などと願う前に限界が見えてきてしまっているのだ。一度も追い付く事ができずに、ただただ差を付けられていく。
情けないほどに無力。頭を投げ捨ててしまいたくなるほどに惨め。
これほどまでに強さを渇望していると言うのに、それは与えられない……得る事ができない。それを考えると同時に疑問が浮かんできた。いや、疑念だろうか。
魔王を討伐しろ、と自分達に言っている神はどうしてこの望みを聞き届けてくれないのか。そこらの人間の願いより優先する事だろうに、どうして? もしかして神は神ではなく、神の名を語る不信心な愚か者なのか? そんな疑念が生まれた。
すかさず『強制の称号』が働きかけてその思考をガリガリと削り取っていく。あっという間に真っ白になる思考。だがその片隅には劣等感が残っており同じような思考を経て疑念が生まれた。
学習する『強制の称号』は今度はその劣等感すらをも消してしまった。だがクルトが常に意識している、目の前を歩く二人と自分の実力の差のせいで再び劣等感が生まれてそしてまた疑念が生まれて……
途轍もない執念と劣等感から生まれる、思考操作が為される前と全く同じ思考。その狂った執念と劣等感は、もはや強さと比較の狂信者かのようだった。
昔は、アデルの支えになると言う、優越感に浸れる生活を送っており、劣等感とは無縁の生活を送っていた事による反動のせいもあるのだろう。
だが、それはこの思考からはほど遠いものだったので『強制の称号』の修正の影響が及ぼされる事はなかった。
そうして際限なく繰り返される思考操作。とうとうおかしくなってしまったのは『強制の称号』である『賢者』と言う称号だった。何度やっても元通りになる思考に、組み込まれていたシステムが異常を起こしてその活動を停止させてしまった。言ってしまえば機械が起こしたバグのようなものだ。
そのバグによって組み込まれていく予期せぬ事態。
クルトの思考はどんどん神が意図しないものへと変わっていく。自分が実際に接した運命の女神ベールを否定し、ラウラの称号にあるその加護も否定する。そしてクルトはラウラへと哀れみを視線を向ける。ここにはいないソルスモイラ教の信者にも、テイネブリス教の信者にも……
可哀想に。偽物の神を信じてしまって。
可哀想に。偽物の神の加護なんか与えられてしまって。
そうは思ってもそれをラウラに向かって口にする事はしなかった。誰が何を信じて何に魅入られようと関係のない事だから。
クルトは神を信じない。信じるのは神ではないものだけだ。
使命をまっとうする自分の望みの一つも聞き入れてくれないのだから。
勝手に自分を賢者と言う後衛の存在に任命しておいて、その癖にその賢者には呪いと言う致命的な欠陥、不備があった。これが仕事などであれば依頼主である神は信用を失って、そして失望されて当然だ。神がやっている事は会社に不可能な事を押し付けている迷惑な客でしかないのだから。
二匹の狼を追跡する気がなくなってしまった……何だか全てがどうでもよくなってしまったクルトは踵を返してダンジョンの出口へと向かい始めた。
強制的に与えられていた信仰心とは言え、それまで抱いていた信仰心は紛れもなく本物だった。
その信じる気持ちを踏み躙られた事によって胸に空いた穴は……喪失感はとても大きかった。
ダンジョンへの愚痴を語り合うのに夢中なアデルとラウラは、クルトの様子がおかしい事に気付けず、そしてクルトが去って行く事に気付けなかった。
二人がクルトがいなくなった事に気付いたのは魔物と遭遇してからだった。
「いくよ、 ラウラ、クルト!」
「はい!」
返事が一つも足りない。
剣を構えて魔物と睨み合っているアデルは目を離さずにクルトに声をかけた。
「あれ、クルト? 大丈夫?」
しかし返事はない。疑問に思ったアデルの後ろに立っているラウラは杖槍を構えながら振り返り、そして叫んだ。
「あ、アデルさんっ!! クルトさんがいませんよぉっ!?」
「えぇっ!?!?」
二人の驚いた大声に反応した目の前の魔物が咆哮を上げて二人に襲いかかってきた。それはオーガキング。物理攻撃に対する耐性が非常に高い魔物だ。
真っ赤な体に、真っ黒に捻れた角を左右の頭部に生やしている、赤鬼と呼ぶに相応しい容姿。それがオーガキングだ。
だが目の前にいるのはゴブリンのように緑色の肌をしており、人間と同じぐらいの背丈をしており、角も茶色に染まった個体だ。通常のオーガキングよりも弱そうに見えるこのオーガキングは『異常種』だ。
この『異常種』とは通常のものと違った姿形をしている強力な個体だ。一部の『名前持ち』や『特殊個体』と違ってこれは完全な天然の個体なので誰かに従っていたりなどはない。【生物支配】などのスキルで支配されれば別だが。
「うああぁぁああっ!」
驚いて振り返っていたラウラに体当たりをするオーガキング。蹴り飛ばされたボールのように飛んでいくアデルは湿地の上を転がって勢いを緩めていった。
「あぁっ! アデルさんっ! ……ぐぅっ!」
横に吹き飛ばされたアデルを見送りながら、こちらへと走って向かってくるオーガキングの体当たりを避けられないと判断し、杖槍を横にして受け止める。が、押さえきれずにラウラも湿地を転がる。
転がり、動き止めたラウラへと拳を振り下ろすオーガキング。ラウラの視界の端には駆け寄るアデルが映った。アデルからの助けはないと考えたラウラは再び杖槍を横にして防御の姿勢をとった。
人間ほどの大きさの握り拳は杖槍に直撃する。二撃目が来る事を察していたラウラはその隙に転がってその場を脱し、起き上がり際にオーガキングの横腹を槍で突いた。
だが、そこは流石オーガキング。キンと金属音のようなものを立てて傷の一つも与えられなかった。僅かに突いた後が残っているが、とても傷と呼べるものではない。
横腹を擦るオーガキングは、ニヤリと笑みを浮かべて余裕そうに腰に手を当てている。その目付きは完全にラウラを舐めていた。
こんなオーガキングを相手をするにはクルトがいなければならない。
一度ここから退いて思考を纏めたかったが、もしクルトがダンジョンのどこかで魔物に襲われていたらいけないから、と、このオーガキングによる追跡を避けるために戦う事を選んだアデルとラウラ。
一度オーガキング振り切ってからクルト探したかったが、もしもこのオーガキングがクルトと出会ってしまえば大変だ。だから落ち着いてクルトを探すためにも、クルトの捜索の邪魔をされないためにも、ここで倒しておく必要があった。
とは言え、攻撃するための手段がないのは事実。魔法を使ってもいいが、このダンジョンの魔物の強さを知っているので、いくら弱点と言えど、アデルの魔法がこのオーガキングに通用するとは考えられなかった。ではラウラはどうだろうか。……微妙なところだ。最近は神徒の力を活用するために魔法も鍛え始めているが、まだまだクルトやエリーゼには遠く及ばないだろう。
だが、現状ではラウラの魔法が希望であるのは事実。それに、我武者羅に魔法を放っていればいずれ死んでくれるかも知れないのでそれに賭けてみる事にした。
舐めたような顔をして挑発するように手招きするオーガキング。先ほどの攻防による侮りが幸いしたのか、ラウラが魔力を集束しだしてもオーガキングは依然として余裕の笑みを浮かべている。
それはラウラと言う存在への侮りだろうか。それとも、その程度の魔法は通用しないと言う事の表れだろうか。
結果は後者だった。ラウラが得意な風魔法と土魔法を合わせた、巻き上げたものを八つ裂きにする竜巻でも『異常種』のオーガキングには傷を与えられなかった。
「ダメだこれ……ボク達じゃ敵わないよ。一旦ダンジョンを出るよ、ラウラ」
「え……でもクルトさんが……」
「ボク達が死んじゃったら探す事もできなくなっちゃう。だからまずは生きて帰る事が大切だよ」
「……確かにそうですね……分かりました」
泥を巻き上げて来た道を引き返すアデルとラウラ。オーガキングが追ってくるが、ラウラが水魔法で発生させた水をアデルが火魔法で溶かす事によって生じる水蒸気でオーガキングの視界を奪い、そしてラウラが土魔法で作った縄で拘束する。
それは本当に一瞬だけの拘束だったが、目眩ましの水蒸気も合わさってオーガキングから簡単に逃げる事ができた。
それから、時折深く沈む泥に足を取られながら転がるようにしてダンジョンを出た。泥だらけの神器や肌をそのままにして拭う事もなく、倒れるように地面に寝転がったアデルとラウラ。
「はぁ……はぁ……い、息を整えたらもう一度行くよ……っ」
「わっ……分かりま……ぁっ!」
呼吸荒く言うアデルに答えようとしたラウラは驚きの声をあげて言葉をとめた。
「……はぁ……ふぅ……どうしたのラウラ」
「アデルさんっ! 足跡が続いてますよ!」
「ほ、ほんと!?」
アデルは勢いよく起き上がって、座った状態のラウラが指差す場所を見れば確かに足跡が続いていた。ただの足跡ならば他の冒険者のものもあるのだが、その中にはクルトの神器にある靴と同じ足跡があったのだ。
神器の見せ合いをしている時に、クルトの靴の神器に耐熱効果がある事を知ったアデルとラウラは「この靴なら炎の上を歩いても大丈夫なのかな?」などと言って眺めていたり、他にも【地形把握】と言うデコボコ道でも難なく歩けるようになる効果が付与されていたり……などでよく観察していたので覚えているのだ。
二人はそう認識していたが、一々靴の形状など覚えているわけがない。しかもそんな効果であれば二人の靴にも付与されているし、特徴的な効果なら他の神器にもっとあったのでこんなものが印象に残るわけがなかった。
これはただの思考操作だ。『強制の称号』の効果から逃れた危険分子を探すために、自身が持つ『強制の称号』を介して、神から直接そんな考えを刷り込まれていた。
「間違いない……クルトはダンジョンを出てる。……でも、何でだろう。まぁいっか。クルトに会って聞けばいいはずだしね」
「何か厄介事に巻き込まれてなければいいですけど……」
「それもクルトを見つけたら分かるよ。早くいこう。今ならまだ追い付けるはず!」
「はい! 行きましょうアデルさん!」
二人は立ち上がって走り出した。まだ僅かに鼓動は乱れていたが、ちょうどいい具合の乱れだったので、泥まみれで気持ち悪いと言うのに気分よく走る事ができた。
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真っ白い世界で一人の男が自分の失態を悔いていた。それは、【賢者】と言う存在そのものを生み出した神──知識の神であるトレーン。
白髪と茶髪が混じったその髪を……頭を抱えている。アクアマリンのように澄んだ水色の瞳も瞼によって閉じられている。
そのトレーンは嘆いていた。なぜなら今代の【賢者】であるクルトが『強制の称号』の思考操作を振り切って【賢者】の役割を放棄してしまったからだ。
知識を司る神である自分がなぜクルトの苦悩に気付いてやれなかったのか、それを悔やんでいた。
クルトが役割を放棄するきっかけとなった【賢者】そのものにかけられた呪いに関してだが、これについては手を施さなかったのではなく、世界が生み出した【魔王】と言う何もかもが未知の存在によってかけられた物であり、トレーンの知識になかったからどうにもできなかったのだ。
如何に知識の神と言えど、未知を知る事はできなかった。知識とは培うものなのだから。
そんな【賢者】と言う存在の生みの親であるトレーンの元にやってきたのが、勇者と言う存在そのものを生み出した神──勇気の女神であるパニエ。
「トレーン。そう落ち込むんじゃない。元を正せば魔王が悪いんだから。賢者と言う概念そのものに呪いをかけた魔王が悪いんだ。トレーンが悔いる事ではない」
「それは分かっているんだ。だけど私の知識にないもののせいで、私のかわいい賢者があのように折れてしまったと考えるとどうしても悔しくて可哀想で仕方ないんだ」
胸に湧き上がる悔恨と忸怩、慚愧。
耐え難い感情に頭を抱えてしまう。
「でも、元気付けに来てくれてありがとう。パニエさん」
「礼を言わないでくれ。私の司るものを考えれば、トレーンに与えた勇気は足りないぐらいなのだから」
困ったように首を傾げて長くて綺麗な金髪を揺らすパニエ。
パニエの濃緑の瞳は右目だけは閉じられたままだ。これは彼女が生まれてからずっとこのままだ。
「いや、それでも少しは救われたんだ。ありがとう」
「大した事をしていないのに言われる礼はしっくりこないな」
「パニエさんはいつもそう言うけど、もっと自分に自身を持っていいと思うよ。パニエさんに救われている人は大勢いるんだから」
「そうなのか……知らなかったな。ならもう少し自身を持ってみるとしよう。 ……じゃあ、私はいくぞ」
それを最後に真っ白い世界から去って行くパニエ。パニエが立っていた場所から視線を外したトレーンは虚空を見つめる。その目に映るのは地上いるクルトだ。しかし、以前までと違ってクルトが歩む周囲の景色は朧気にしか見えない。モザイクがかかっているような、そんな乱れて霞んでいる景色だ。
クルトの思考に振り回されて不具合を起こした『強制の称号』のせいで少し【賢者】と言う存在そのものが曖昧になっているようだった。




