第279話 支配する骸
蹲ってしくしくと泣くナルルースを見て嗤うアルタだったが、そこでアルタは違和感に気が付いた。
絶望とは即ち諦め。何もかもを手放して何もかもを諦めた人間が味わうものだ。
なのにどうしてナルルースは泣いているのだ? 絶望しているはずなのに、生きる上で必要な感情を捨てられていないのである。 ……なぜだ?
答えは目の前にあった。
拳を握って、歯を食いしばって、怯えるようにしながらも、地面を睨んで、誰かに敵意を剥き出しにしているナルルースの横顔が答えだった。
それを見たアルタに言い知れない昂りが訪れる。
……あぁ、こいつはまだ生きようとしているから感情を捨てられていないのか。こいつはまだ絶望していない。未来に希望を抱いて縋っている。折れそうだけど折れない不安定な糸の上を渡っている。
だが、その糸を渡る行為はアルタを喜ばせるものだった。ちょうど、サーカスのピエロのように。ギリギリを渡るナルルースにちょっかいをかけて楽しむのだ。
それを理解すると共にアルタはだんだんとナルルースに興味を持ち始めた。
これほどまでに酷い仕打ちを、のうのうと平和を享受してきたであろうハイ・エルフに叩き付けたはずなのに、それなのに目の前のハイ・エルフは未だに絶望せずに生きる事に執着している。
何がナルルースをここまで駆り立てるのか。なぜここまで自分を強く持てるのか。
あぁ、輝かしい。失明しそうなほどに眩しい。嘗てないほどに綺麗だ。無残に潰したい。絶望を希望と呼ばせたくなるほどに蹂躙したい。徹底的に破壊したい。壊して壊して壊し尽くしたい。
美しく生の中で輝くナルルースを見てアルタはそう思う。美しいものをそうでなくす事による背徳感を味わってみたかった。必死に生きようと足掻く強いものを、適当に生きて狂気に身を委ねる自分が覆い隠したかった。
とにかくナルルースを無限の遊び方がある玩具のように扱いたかった。色々な方法で掌の上で転がして、愉快に踊る様を楽しむのだ。
「ナルルース。もういいよ。君が絶望していないのはよく分かった」
「…………」
アルタが言うと虚ろな瞳をしたナルルースが顔をあげる。それを鼻で笑ってからアルタはナルルースに注意するように言葉を発した。
「あのね、ナルルース。絶望して廃人になった人間は人の言葉に反応しないんだよ。廃人とはまさに心臓が鼓動するだけの死体だからね、死体が反応するわけがないんだよ。その虚ろな瞳は上出来だけど、君は絶望に対して理解が足りなすぎる。無知すぎるんだよ」
アルタが言うと、諦めたように溜め息を吐いたナルルース。
「いったいどれだけ人が絶望する様を見届ければそんなに理解を深められるんだ……? 本当にお前は気味が悪い」
目の前を飛び回る虫を払うようにシッシと手を払うナルルースにアルタが答えた。
「簡単さ。何度も絶望に片足を踏み入れたからだよ。それらの経験を繋ぎ合わせれば、絶望せずに絶望を知れたと言うだけ。言ってしまえば僕は、絶望していない廃人……生きた死体ようなものさ。この世界風に言えば不死者になるのかな。死んだ癖に死に切れていない不完全で未熟でどっちつかずな見ていてイライラする存在さ」
「生きた死体……か。お前の道徳の無さはまさに死人……いや、意思のないアンデッドのそれだからな、お前にぴったりな呼び名だ」
ナルルースが言った以外にも、死んだとて復活できるまさにアンデッドであるアルタには『生きた死体』は、ちょうど良すぎる呼び名であった。
「あはは、まぁ、君が元気そうで安心したよ。糸から落ちて糸に掴まっているような状況じゃなくてよかった」
「なんの話だ?」
「いや、こっちの話。気にしないで」
そう会話を終えてからタイミングを見計らったかのように地上に降りてきた赤龍。驚くナルルースだが、眠りに落ちる前にそれらしきものを見たのですぐに冷静になれた。そして赤龍から落ちてきていた人間がアルタだと言う事も理解した。
「その赤龍もお前の【生物支配】の支配下にあるのか?」
「そうだよ。力で捩じ伏せて無理やり支配したんだ。なぁ赤龍?」
「人間だと侮っていた……などと言う言い訳はしません。侮っていなくてもどの道俺は負けていたでしょうから。……龍種であるこの俺が簡単に負かされてしまう……それほどまでにアルタ様は強大だ。くれぐれも逆らおうなどと考えるなよ、人間」
主であるアルタの強さを自分と比べて教えてやる赤龍。未だにこの赤龍には名前がない。ゲヴァルティア帝国の貴族街を襲った悪魔にはグーラと言う名前があるのに、だ。赤龍はその事に不満を持ちながらもアルタに尽くしている。いずれ、自分にも名前が与えられると信じて。
「あぁもちろんだ。私はもうこいつの支配下に置かれたのだ。逆らうような自由すらないものと考えている」
若干の悲壮感を滲ませてはいるが、それでもそこまで大きく悲観しているわけではなさそうだ。
「あぁ、その事なんだけど、一応君にはそれなりの自由を与えようと思ってるんだよね。理由は君が強いからだ。僕は君みたいなのをつい贔屓しちゃうんだよね」
「……本当に言ってるのか?」
「本当だよ。なんなら、今さっきまでしてた君の用事を手伝ってあげてもいいよ。何か目的があったんでしょ? ハイ・エルフが目的もなく人里の周りを彷徨くとも考えられないしね」
信じられないと言ったように目を丸くしているナルルースに、本当だ、と頷くアルタ。
「……なら、手伝ってもらっても……いいか?」
「いいよ。大事な強い配下の頼みだし、任せておいてよ」
「あ、ありがとう……」
いきなり向けられた好意に何だか不思議な気分になるナルルース。ただのクソ野郎だと思っていたし、これからの境遇を最低なものに考えていたが、それを間違いだと改めるようと考える余地はでてきていた。
「うん、存分に感謝するといいよ」
アルタはニコニコと微笑みを湛えてナルルースに歩み寄り、そして徐にナルルースの頭を撫でた。
「ふわぁっ!? な、なんのまねだっ!?」
突然の行動に慌てふためくナルルースはなんとかその言葉を脳内で纏めて口にした。それに対してなんて事ないようにアルタは答えた。
「君は僕の支配下にある配下で、僕の感覚としては君達はペットと同等なんだ。……ペットを撫でるのっておかしい事じゃないから別に問題ないでしょ?」
「そうだが! も、問題があるのは私達がペットと同等だと言うところだ! そう思わないか? 赤龍」
「思わないな。寧ろペットとして扱ってくれていただいているだけ有難いくらいだ」
恍惚とした表情でそう語る赤龍に引くナルルースは、溜め息を吐いて話を戻した。
「あの、それで、私がお前に手伝って欲しい事なんだが──」
それからナルルースは自分の目的を話した。エルサリオンと言うエルフを追っている事。そのエルサリオンを介して視界を得た協力者と共に、ある人物に復讐をしたいと言う事を告げた。
「おー復讐かぁ。いいねいいね、面白そう。ついでにそのエルサリオンとか言うのも支配してしまうのもよさそうだ。革命が成された時に影の支配者みたいな立場になれて面白そうだしね。くふふ、いいねぇ。……うん、分かった協力してあげるよ」
「嫌な予感がするが、まぁ協力してくれるのなら問題はない。頼むぞ、本当に。私はあの男が憎くて憎くて仕方ないんだ。名前も知らないが、私に恥をかかせた事は絶対に赦さない」
拳を握り締め、地面を叩くナルルース。地面は少しへこみ、ナルルースの拳には血が滲んでいるが、構わずに感情を抑制するために何度も地面を叩く。
「いい復讐心だね。素敵だよナルルース。君が放つ生の輝きが眩しすぎるぐらいだ。ふはは、やっぱり君は面白い」
(絶望させて終わらなくてよかった)
絶望する顔も大好物ではあるが、それと同じぐらいに強い意思が大好物であったアルタは心の底からそう思っていた。
「その……簡単に素敵だとかは言わないで欲しいのだが……」
「思った事を口に出したまでだよ。何がダメなの?」
「ダメと言うわけではないが、私も一応は女なんだ……憎い相手からでもそんな事を言われてしまえばドキドキしてしまうんだ」
同性愛者であったはずのナルルースがなぜアルタのそんな言葉でドキドキしているのか。
その理由は、ナルルースが本物の同性愛者ではないからだ。
ナルルースのは、異性と縁がなく、異性との関わり方が分からないただの箱入り娘だったから勝手にそう思い込んでいるだけだ。
異性との縁の無さや関わり方が分からないのを無関心だと思い込んで、普段から関わりのある同性を好きだと錯覚していただけで、ナルルースの本来の姿は異性愛者だったのだ。
男子校やら女子校やらにやたら同性愛者が多いのと同じような原理だと言える。異性に縁がないから身近にいる同性を好きになってしまおう、と言うようなそれと似たようなものだ。
「憎い相手にでもドキドキしてしまうって、とんでもないドMだよそれ。分かってる?」
「……どえむ……? ってなんだ?」
「この世界にこの単語が存在しないのか、それともナルルースが無知なだけか……どっちだろう……まぁいいや。……とにかく行こう赤龍、ナルルース」
思考放棄したアルタは赤龍を伴ってナルルースの手を引っ張って街道を進む。手を掴まれたナルルースは顔を赤くしてアルタに文句を言っているが、一々相手にするのも面倒臭いので全部無視して街道を進む。
暫く街道を歩いていたアルタとナルルースと赤龍だったが、歩くより赤龍に乗った方がはやい事に気が付いたので現在はそうしている。
「ここの真下にいるようだ」
「いるんだって」
「了解」
降下する赤龍に振り落とされまいとナルルースはアルタにしがみつく。赤龍の鱗にでも掴まればいいのだろうが、ザラザラしていて痛いのと、すぐに取れてしまいそうだったのでナルルースはどうしてもそれを掴む事ができなかった。
それから少しして地上に降り立った赤龍から下りるアルタとナルルースと、それを見つめるエルサリオンとサリオン、ディニエル。
「……お前は……ナルルース……」
「久しぶりだな、エルサリオン。それにサリオンとディニエルも」
「何をしにきた……ナルルース。もしかして貴様も王に命じられて俺達を追って来たのか?」
「……そんなっ……! ハイ・エルフの方まで私達を……」
警戒を露にするサリオンとディニエルだが、エルサリオンはそれほど警戒をしていなかった。エルサリオンが警戒しないわけはそのそばにいる人間だ。
なぜハイ・エルフであるナルルースが人間と? そう考えれば警戒より疑問が勝ってしまったのだ。
そして一番意味不明なのがその後ろに控えている赤龍だ。さも当然かのよいに居座っているが、街道に龍種がいていいはずがないのだ。警戒心なんか吹き飛んで疑問だけがエルサリオンに沸いていた。
不可解の連続に困惑するエルサリオン。そんなエルサリオンにナルルースが声をかけた。
「そう警戒するな。私はお前達の敵としてここに来たんじゃない」
「では何をしにきた? お前がこうして行動していると言う事はそれなりの用事があるのだろう?」
サリオンが言う事に頷いてどうして自分がここにいるかを話すナルルース。一通り話し終わる頃にはエルサリオンからはいつも通りの顔で見られ、サリオンは何かを思案するような顔をし、ディニエルはナルルースに哀れみの視線を向けていた。
「酷い……街中で、それも自宅の屋根の上から全裸で吊るされるなんて……」
「そう言ってくれるのはありがたいが、無意味な哀れみは不要だ。本当に私を哀れむのであれば協力をして欲しい」
「ナルルース、その人間と龍はなんだ?」
「あぁ……その事なんだが……実は私はこの人間に支配されてしまってな、この龍は私と同じ立場のものだ」
ナルルースがそう言うと同時に全員が警戒心を強くする。先ほどまでナルルースに哀れみの目を向けていたディニエルでさえもだ。
そこで今まで言葉を発する事がなかったアルタが口を開いた。
「やっぱり人間も亜人も魔人も……人型をしている生物─人種は感覚が鈍いみたいだね。今さら警戒しても遅いよ。君達はもう僕の支配下にあるんだから」
嘲りを含んだような視線で三人を見回すアルタ。【生物支配】で支配された事に気付かないエルサリオンとサリオンとディニエルに嘲笑を向けているのだ。
「何を言って──」
「信じられないかな? じゃあ、両手を頭の後ろにして伏せろ」
言い返そうとするサリオンの言葉を遮ってそう命令するアルタ。一瞬だけ何を言ってるんだこいつ、みたいな表情をした三人だったが、勝手に動く体を前にしたらその顔を青褪めさせずにはいられなかった。
「……ひっ……」
「なんて事だ……ナルルース……性悪女め、貴様よくもやってくれたな……!」
怯えるディニエルとは反対に、憎悪に満ちた視線を向けるサリオン。その中ではエルサリオンだけが平然としていた。
「私がやったのではない。恨むのであればこいつを恨め」
「ふざけるな! こいつを連れてきたのは貴様だろうがっ!」
「落ち着けサリオン。そこの男はともかくナルルースは本当の事を言っているはずだ。でなければあんな嘘を吐く必要がない。……だろ?」
平然とした様子のエルサリオンがそう言って激情に呑まれているサリオンを宥める。
「だったらなぜ俺達を支配する必要が……」
「これは僕が勝手にした事であって、ナルルースは関係ないよ。君達を支配した理由は単純に影の支配者になってみたかったからだね。もし君達が革命を遂げたら僕がそのさらに上の支配者として君臨するんだ」
「……最悪だ。いいところだけをかっさらっていくなんて」
「安心してよ。僕は政治なんかに興味はない。ただ、その立場に就いてみたいだけだからさ。政治は君達で好きにやりなよ」
額を地面に擦り付けているサリオンにアルタはそう返す。ゲヴァルティア帝国の皇帝の役割ですらまともに務めていないのにそんなものに関わるわけがなかった。
「意味不明だな。それに何の意味があるんだ」
「一国の王として偉そうに振る舞っているのに、さらにその上がいるってとっても愉快じゃないか。本物の王が王じゃないみたいでさ」
「ゴミ野郎だなお前」
「確かサリオンだったっけ? 君、さっきから口が悪いよ? 僕のお気に入りの知り合いっぽいから見逃してあげてたけどさ、いい加減に立場を弁えようよ?」
サリオンに向かって【威圧】スキルで威圧するアルタ。無数の魔物を従えているアルタから放たれる威圧感は凄まじいものだ。何の訓練も受けていない一般人が正面から受ければ気絶してしまうほどだ。
まだ、ゲヴァルティア帝国で面会をしていた時に既にそのレベルにまで達していたのだから今ではどれほどのものかは分かるだろう。恐らく、気絶した後の暫くはその威圧感を思い出してそれに怯えてすごす事になるのではないだろうか。
「……まぁいいや。それより僕達もこの旅に加わってもいいよね?」
「お前達を加えるメリットは?」
怯えるサリオンから目を離したアルタはエルサリオンに向かって言うと、エルサリオンからはそう返って来た。この返答は予想していたものだったのですらすらと答える。
「実は僕はこの先にあるゲヴァルティア帝国で皇帝をしているんだ。証明できるものはないけど、ゲヴァルティア帝国につけば分かると思うよ。この大陸で一、二を争う大国が後ろ盾になるんだ。魅力的だろう? まぁもっとも、僕が皇帝だって言う証拠がない現状では決められないだろうけどね」
もしそれが本当であるならば、自分達の安全は確保されたようなものであった。この大陸屈指の大国であり、ドライヤダリスの隣国であるゲヴァルティア帝国。大国であるから当然戦力もあるわけで、ドライヤダリスが迂闊に手出しをする事はできないのでほぼ確実に安全は約束されているのだ
そしてそこでドライヤダリスに対抗できる戦力を募ってエルフの意識改革のために必要な土台を築き上げる事ができるかも知れない。
だが、それはこの話が本当であればだ。アルタの言う通り証拠がない現段階ではそう簡単には決められない。
しかし、アルタの支配下と言う立場である自分達に確認を取る意味が分からない。アルタが協力しろ、と一言命令するだけでいいはずなのにどうして……?
まぁ何にしろ、これが事実かどうかを確かめればいいだけの話だ。と考えたエルサリオンが出した結論は、ゲヴァルティア帝国の城にある謁見の間まで案内させる事だった。
これであれば王でもなければ実行する事ができない。これで目の前の男が本物の皇帝だと証明できるはずだ。唯一の懸念は城の内部に存在する人間が目の前の男に支配されていないか、だが、しかしもうそこまでされていたら王も同然なので戦力を得るためにも協力は受け入れるつもりだった。
……と言うか、元々選択肢が与えられるはずがない配下と言う立場なのだから旅の同行を拒否するのは憚られるわけだが。
それからエルサリオンその条件を口にした。
「分かった。僕もそれが一番手っ取り早い証明だと思っていたんだ」
「ならこれで決まりだな。いいか? サリオン、ディニエル」
「……あぁ、構わない」
「………………私もそれでいいです」
仲間の二人に確認を取るエルサリオン。サリオンは若干怯えながら、ディニエルはそのサリオンを見てか、思考停止気味にそう返答した。大きな問題なくそれは受け入れられ、この瞬間アルタ達との旅が決定した。
「それじゃあ行こうか」
その一言でエルサリオンとサリオンとディニエルの体に自由が戻った。伏せていた状態から立ちあがり、服についた土を払ってから三人はアルタ達と共に街道を進んだ。




