第259話 友情による救済
とある犬獣人とエルフの家に一通の手紙が届いた。
最初こそ訝しげに思うが、差出人を見た途端に封筒を破き捨てて中身を手に取った。その拍子に何かが落ちたが気にする事なく手紙を読み進める。
『見つかったよ』
手紙にはそれだけ書いてあった。だが、そんな一言に含まれた意味を察した犬獣人とエルフは荷物を纏め始めた。
そんな両親の行動に疑問符を浮かべる子供だったが、その子供は地面落ちた物を拾い上げる。先ほど手紙を破き捨てた時落ちた物だ。
「お父さん、これ落ちてたよ」
「……ん? どうしたラルフ……おおこれは! キャニス! 『追跡の羅針盤』だ! これで行き先が分かるぞ!」
「本当!? ……あ、でもラルフはどうしましょう……?」
どうやら何も考えずに荷物を纏めていようだ。
「ラルフ、どうする? 父さん達は昔の友達に会いに行くんだが、ついてくるか?」
昔の友達とやらには面識がないラルフだったが、この街に残っていてもいじめの標的となるだけなので、ラルフはすぐに「うん!」と大きく頷いて元気に返事をした。
「よーし! じゃあ荷物を纏めろぉ! 行く先はノースタルジアの方だ!
エルフの父親は追跡の羅針盤を見てからそう言った。
「「おー!」」
ラルフと犬獣人の母親はそれに対して元気よく腕を突き上げて返事をした。現在地はミレナリア王国だ。行く先が分かっていても真っ直ぐ突っ切る事ができないので長い道のりになるだろう。
ラルフは幼いながらもそれを理解していたが、喜んでそれに同行したいと思っている。
もう、コレクターのような悪人や、いじめっこと関わってまで、王都ソルスミードで生きたいとは思わなかった。
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アブレンクング王国に到着したアデルとクルト。二人は知らないが時鐘の老人による影響はもう受けていなかった。そもそもそれに気付かなかった二人はそれの変化に気付いていなかった。
二人が時鐘の老人の妨害を受けなくなった理由しては、アデルの盾に付与された『スキル封印』の効果のおかげだ。この『スキル封印』と言う効果はとても強いもので、【勇者】【賢者】【神徒】には効果がないのだ。
今回誕生した【神徒】への効果についてだが、それは女神ベールは気を利かせて修正していた。周囲に称号持ちの氷の女王がいたためその修正は困難を極めたがそれでも二人が氷の女王と戦っている時には修正は終わっていた。
そんな便利な効果が付与されたアデルの盾は時鐘の老人の妨害を無効化していた。ちなみに『スキル封印』は使用されたスキルそのものを無効化させてしまうため、時鐘の老人の時間操作そのものを無効化しているので周囲との時間の流れに齟齬が起きる事はなかった。
これで普通に流れる時間の中で成長する事ができるようになったのだ。もうアデルとクルト、ラウラの成長を妨げるものはなくなった。
クルトにかけられた『魔法Lv成長不可の呪い』だが、これは先代魔王が【賢者】と言う存在そのものにかけた呪いなので聖女にでも解呪を頼むしか方法はない。しかしその聖女は行方不明だそうなのでどうしようもない。
アブレンクング王国にあるソルスモイラ教も、今は聖女の捜索に必死だそうだとアデルとクルト、ラウラは聞いていた。
そんな騒がしいアブレンクング王国にあるランスフィーア魔法学校の学生寮で、アデルとクルトはラウラに会いに行っていた。目的は帰って来た事を知らせるためだ。すれ違う学生達はアデルを驚いた表情で見ているが当然だろう。前まではあった右腕がなくなっているのだから。
右腕を失ったことによる不自由に、クルトの補助を受けながらアデルは進む。聖女がいれば右腕も治ったのだろうが、先ほども言った通り聖女は行方不明なのでどうしようもないのが現状だ。
残る可能性は【聖者】だが、これもまた失踪してしまっているために不可能だった。これと同時に【不死身】もどこかへ行ってしまっているため、行動を共にしていると各国の貴族は考えている。
ラウラのいる部屋の扉をノックするアデル。中から返事が帰って来たので入っていいかを確認した後で扉を開けて室内へ足を踏み入れる。
「おかえりなさ──ど、ど、ど、どうしたんですかアデルさん!?」
「ちょっと失敗しちゃって……えへへ」
「えへへじゃないですよ! 今すぐ聖魔法を……!」
アデルに駆け寄ったラウラは右腕に聖魔法を使い始めるが、一向に治りはしない。そんなラウラに「無駄ですよ。俺がやっても治りませんでしたから」と俯きがちにクルトが言ってやめさせる。
「取り敢えずは聖女様か聖者様が見つかるまでこのままかなぁ……不便だけど何とかなると思うよ。ボク両利きだし」
「……でも……」
「ボクは大丈夫だよラウラ。心配しないで。 ……それで、ラウラも神器を貰ったんだって? ボク達にも見せてよ」
アデルはアイテムボックスから自分の神器を取り出して言う。
話題の転換がしたい事を悟ったクルトとラウラもアデルに続いて自分の神器を取り出して、お互いの神器の効果などを語り合った。
それに熱中していてアデルの右腕の事などはもうとっくに意識の範囲外へ追いやられていた。
…………そうなればどれだけよかっただろうか。
やはり会話や行動の節々で右腕の喪失による影響が現れていた。
例えば仕草だ。会話の中で手で何かを表現する際に、両手で説明するのを前提とした動きをしてしまい、慌てて手を振って話を変える。
例えば神器などの物を持ち上げる時にしっかり持ち上げられずに落としてしまうなど。
逸らそうにも逸らせない。忘れようにも、気にしないように振る舞おうにもどこかでボロが出てしまう。
そんな何もかもが上手くいかない自分に、とうとうアデルは立ち尽くして話すのを止めてしまった。その足元にはアデルの神器が落ちている。もちろんアデルが左手だけで持ちきれずに落としてしまったものだ。
……明らかに片手だけで持てる大きさじゃないのはクルトとラウラにも分かっていた。だが手伝わなかった。それを手伝ってしまえば右腕の事に触れてしまうようなものだからだ。
「…………」
「…………」
静寂が流れる。
その静寂の中で啜り上げるような音が聞こえるのは気のせいだろうか。
落ちた水が金属を打つ音が聞こえるのは気のせいだろうか。
「ボク……何かしたかな……?」
「…………」
「…………」
アデルが言うが、クルトもラウラも何も言わない。何を言えばいいか分からなかったのだ。下手に声をかけてアデルを傷付けたくなかったからだ。
無力感と情けなさと、みじめさがアデルを苛んでいる。
「ボク、みんなのために頑張ってたよね……? なのにどうして……? なんでこんな目に遭わないと……ダメなのかな……?」
神による救いはない。
アデルが唯一会ったことがある、運命の女神ベールが、レジーナ・グラシアスとアデルの戦闘に助けに入らなかった事からそれを理解していた。『試練』だからと言う理由もあるだろうが、流石に腕を失うほどの怪我を負いかけたら助けに入るはずだ。なのに……
「辛いよ……苦しいよ……やめたいよ……折れたいよ……楽になりたいよ……もう無理だよ……」
「諦めちゃダメだよアデル。俺にはその苦しみが分からないけど、ここで諦めたらもう一生何もできなくなるよ」
「……その時も今みたいにクルトが助けてくれるから大丈夫だよ」
アデルに頼られた事は嬉しい。だけどクルトはそんな頼られ方をしたくなかった。もっとちゃんとした強固な信頼をされたかった。
「俺は今のアデルなんか助けないよ」
「え……?」
「俺は今までの、元気で前向きなアデルのままでいて欲しかったから助けてたんだ。……でも、腐ってしまったものを助けるなんて事はしないよ」
冷たい一言。だが、アデルが前みたいに元気で前向きになれば助けてやると言う事でもある。……しかし、今のアデルにはクルトに突き放されたようにしか受け取れなかった。
「アデル、誰も腐ってしまった人間を救おうとはしない。救って欲しいなら腐る一歩手前まで立ち直る必要があるんだよ」
「無理だよ……今のボクには何の気力もないもん……」
「今のアデルに何の気力もないのは分かってるよ。何もかもが上手くいかなくて自棄になって、抑えてた感情が溢れだしたのも分かってる」
クルトはアデルに言う。ラウラは相変わらず傍観している。
「でも、大丈夫だよアデル。上手くいくように一緒に頑張ろう」
「…………」
「もっと俺を頼って」
「頼ってるよ……でも、これだけはどうにもならないよ……」
「それでも俺を頼って。アデルがいつも通り過ごせるように尽くすから。……アデルにそんなウジウジした姿は似合わない。いつもの元気で前向きで明るくて人を笑顔にする可愛いアデルでいて欲しい」
褒め千切るクルトに赤くなるアデル。いくら気分が沈んでいても、褒められれば動揺してしまうようだ。恋愛感情ではないが、好意を持って接している相手から可愛いなどと言われると嫌でも嬉しくなってしまうのだ。
そして心を開いてしまう。
「本当に……?」
「本当に」
「嘘じゃない?」
「嘘じゃない」
「信じていい?」
「信じてくれ」
何度も確認するアデルに一つ一つ丁寧に答える。はい、や、いいえ、ではなく復唱して言う。それがこの場合では最適な解答だから。
「……ちょっとだけ泣いていい?」
「それで少しでも気分が晴れるならいくらでも泣いていいよ」
「うん……分かった。全部洗い流すね」
アデルはクルトの胸に飛び込んで大声を上げて泣いた。
クルトは隣室への騒音へ配慮して、突然の行動に慌てふためきながらもアデルの頭を自分の胸へ押し付けた。
ラウラはそんな二人の様子を微笑ましそうに眺めていた。発展しそうで発展しない二人の関係。そんな二人のもどかしい関係に微笑みを抑えきれなかった。
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破壊された門に群がる群衆を掻き分けてエリーゼは前へと進む。遠くから自分の魔法が門を打ち砕いたのは見ていたが、きちんと近くで見ておきたかったからだ。
散らばる瓦礫、焼け焦げた石、仄かに漂う熱気と黒い煙。それはエリーゼが魔法を直撃させた事を証明するもの以外のなにもでもなかった。
(本当にやってしまったんだ。危険をおかしてしまったんだ。このわたくしが他国の……)
後悔や怯えなどではなく、言い様のない高揚感がエリーゼを襲う。
貴族らしくお淑やかに礼儀正しく生きてきた事の反動だろう。こうしてぶっ飛んだ事をしてしまった事に興奮していた。今にも叫び出してしまいそうな興奮に駆られるエリーゼの肩を叩く者がいた。
金属が金属にぶつかりあっているような硬質感のある音がする。恐らくは鎧。この場面で鎧をつけた者と言えば……騎士しかいない。
(もしかして、わたくしが犯人だと……!?)
バレたかも知れない。そんな考えがエリーゼの頭を過る。それと同時に冷たい汗もエリーゼの背中を流れる。
やっぱりこんな事をするのではありませんでしたわ……と後悔するエリーゼが恐る恐る振り返ると、そこにいたのはマーガレットとラモンだった。鳴り合う金属音はマーガレットの鎧だったのだ。
「……疚しい事があると何にでも怯えてしまうんですのね」
「…もしかして俺らを帝国の騎士と間違えてたのか?」
「すまない私の鎧が紛らわしかったようだな」
「マーガレットさんが謝る事ではないですわ。わたくしが勝手に勘違いしてただけですもの。 ……さて、わたくし達も行きましょうか」
エリーゼが進むのは人々が傾れ込んでいる貴族街へ続く道だ。
マーガレットとラモンもエリーゼと共にそれに紛れ込んで貴族街へと侵入果たした。
次の目的は貴族に買われたラモンの家族を見つけ出す事だ。ここからが本当に大変なのだ。ゲヴァルティア帝国にたくさんいる貴族。その貴族が所有するたくさんの奴隷の中から特定の人物を探すと言う事が。
だが相手は侯爵だと判明している。つまり三人の標的は限られている。
だが、そもそも貴族の屋敷に忍び込んで、そして屋敷を彷徨いて奴隷を探す……と言う時点で難しいのだ。隠密系統のスキルを持っていれば別だが前衛のマーガレットとラモン、貴族の娘であるエリーゼがそんなスキルを持っているわけがない。
「貴族街には入り込めましたが、どうしますの? 狙いは侯爵と言う話でしたけれど……この国には二人の侯爵がいますわ。二分の一ですわね。どちらを狙いますの?」
「…物持ちが悪い方だ。俺はそうとしか聞いてない。……こうなるぐらいならもっと話を聞いておけばよかったかも知れねぇな」
ラモンはそう言って頭を掻いた。だが、マーガレットはそんなラモンに言った。
「物持ちが悪いと分かれば後は簡単だ。なぁエリーゼ」
「えぇ。時間はかかりますけど、侯爵の邸宅に張り込んでゴミの排出量を調べれば簡単ですわね。そうと決まればまずはここから一番近い侯爵の屋敷に張り込みをしますわよ」
「了解!」
「…いいのかよ? 結構時間がかかっちまうぞ?」
ラモンが懸念するのは秋達との距離が離されてしまう事だ。だが、マーガレットはそんなラモンに再び言った。
「確かにそうかも知れないが、クドウ達がずっと移動しているとは限らないだろう? それに、目先の問題が先だ。お前は心配せずに張り込みに集中しろ」
「そうですわ」
エリーゼもうんうんと頷いている。
ぷっ、と吹き出したラモンは「…おう。分かった。じゃあ心置きなく時間かけれるな」そう言って腹を抱えて笑う。
今のたやり取りの何が面白いのか分からないマーガレットとエリーゼは顔を見合わせて首を傾げている。そんな二人の様子は更にラモンの笑いのツボを刺激してラモンは更に笑っていた。
やがて涙を拭いながら落ち着いた様子のラモンを連れてマーガレット達は一番近い侯爵の屋敷の側までやってきた。
「……ふむ……どうやらここで間違いなさそうだが……一応もう一つの方も見ておくか」
「そうですわね。確実にここな気もしますけど一応ですわ」
そうして三人はもう一つの侯爵の屋敷へ向かったがそこに捨てられていたゴミの量は最初に見た侯爵の屋敷とは歴然とした差があった。もちろん最初に見た屋敷の方が多いと言う意味だ。
「…最初のところだな」
「あぁ、間違いない。ゴミの量がそれを物語っている」
「張り込む必要なんてありませんでしたわね」
三人は最初の屋敷の側へ戻って再びゴミ捨て場を見やる。まさに山のように積まれたゴミ、ゴミ、ゴミ。何かが腐ったような鼻をつんざく臭いにおいに思わず鼻を摘まんでしまうほどだ。ゴミ山の向こうから風が吹く度に悪寒に襲われる。臭いにおいがなくとも吐き気を催してしまいそうだ。
「…お前ら貴族の癖に品のねぇ顔してんなぁ」
「仕方ないだろう。臭いのだから」
「品だ何だのと言ってる余裕がありませんの」
伯爵令嬢のエリーゼが品を捨ててしまう程の異臭だ。
「朝にはゴミは回収されてるはずなんだがな……これが一日の量か? だとしたら物持ちが悪いってレベルではないぞ。これは」
「…人間を詰めてるってんなら納得がいくぜ」
「気味の悪い事を言わないでくださいまし」
「…いや結構マジだぜ。俺の家族はどこだって言ったら、あの貴族は物持ちが悪いから今頃捨てられてるか死んでるって言ってたんだからよぉ。その可能性はゼロじゃねぇよ」
そう言うラモンに嫌そうな顔をするマーガレットとエリーゼ。当然だろう。ラモンの言い方からすれば、屋敷にいなければこのゴミの山を漁ると言っているようなものなのだから。身嗜みを気にする年頃のマーガレットやエリーゼが嫌そうな顔をするのも無理はない。
「本気で漁るんですの……?」
「…あたりめぇだろ? あいつはわざわざ『捨てられてる』と『死んでる』を分けて言ってたんだ。ならゴミ捨て場で生きた状態で見つかるかも知んねぇだろ?」
「いなかったらどうするんだ?」
「…このゴミ捨て場にもいなかったら……死体すら見つからなかったら……そん時はここの侯爵に直接聞きに行く。俺一人でな。流石にここまでお前らを巻き込めねぇからよ」
ラモンは屋敷を見据えたまま言う。その目付きはとても鋭い。まるで獲物を狙う烏のようだ。
「ふむ。では急いで三人分の外套と仮面を勝手おかないといけないな」
「わたくしがお金を出しますわよ」
「…おい?」
振り返ったラモンが間抜けな顔をしながらマーガレットとエリーゼを交互に見る。冗談だよな? とでも言いたそうな顔をしている。
「私達は仲間だ。単独行動は許さないぞ?」
「えぇ。仲間ですもの。足並みを揃えて行きませんと」
「…ははっ……そうだったな。俺達は仲間だ。侯爵を脅す時は……周りの騎士を頼んだぜ?」
「任せろ。エリーゼは屋敷を破壊しない程度に加減をするんだぞ?」
「もちろんですわ。マーガレットさんこそ殺さないように気を付けてくださいまし?」
そう交わして三人で笑い合う。静かに笑い声を殺すようにクスクスと。ここは侯爵家のゴミ捨て場なのだから、大声で笑えばバレてしまうからだ。
いかに楽しくともそう言った注意を怠らないのがこの三人だ。
並大抵の敵では肉体的にも精神的にも絆的にもこの三人には敵わないだろう。
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フレデリカ、スカーラ、ナタリア、モニカ、アンドリュー、シュレヒト、アーク・ザティオの七人はアブレンクング王国の方へと進む。
道中の会話はスカーラとシュレヒトがメインだ。スカーラは話したくない様子だが、シュレヒトがうるさいのでやむを得ず会話する事になってしまっている。
「スカーラの姉御! お荷物、お持ちしましょうか?」
「結構です。あなたに持たせたら何をされるか分かりませんから」
スカーラの周囲をちょこまかと動き回るシュレヒト。
「僕達は何を見せられているんでしょうね?」
「さぁ……?」
アークとアンドリューが遠目からそのやり取りを見てそう交わす。
「クドウ君達、大丈夫かしら?」
「お姉ちゃん……この間からそればっかりだよね。ただの生徒相手にその心配様……もしかしてお姉ちゃんクドウさんの事……?」
悪戯っぽくナタリアの顔を覗き込むモニカ。みるみる内に赤くなる姉の顔を見て確信していた。
そんな纏まりのない七人。フレデリカは先頭を歩いて周囲の警戒に気を張っているので会話に参加する事はできなかった。
当然だ。旅人でも冒険者でもないフレデリカが魔物の脅威に晒されているのだからこうなってしまっても仕方ないと言うものだ。
(……はぁ……私は集団に紛れてこそ真価を発揮できると言うのに……どうしてこんな少数で行動しなければいけないのでしょうか……)
フレデリカは自らが得意とする【魅了】を使用して大人数を操る事で輝く事ができる。だと言うのにどうしてこんな少人数での行動を受け入れてしまったのか。名乗り出てしまったのか。
フレデリカは自身がとった不可解な行動に頭を悩ませていた。
「スカーラの姉御ー!」
「た、助けてください! フレデリカさん! シュレヒトさんが私の荷物を持ちたいって言って聞かないんです! 仕舞いには無理やり奪い取ろうとしてくるんですよぉ!」
助けを求めるスカーラのために思考を切り上げて揉め事の仲裁に入る。こんな事が日常茶飯事であるから、この七人は数日経った今でもアブレンクングへ半分も進めていなかった。
実はドワーフの国帰りのアデルとクルトとも出会っているのだが、馬車から外は見えづらい事もあったし、歩行者から馬車の内部を覗くのは難しかったので、お互いに気付かずに馬車は通りすぎてしまっていた。
そんな七人は平和に街道を進んでいた。
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ゲヴァルティア帝国から離脱した【冒険王】とティオ=マーティは、帝国から少し離れた小高い丘のような場所で帝国の様子を眺めていた。
皇帝への復讐は果たせなかったが、憎いゲヴァルティア帝国を窮地に追い込む事ができた。
【冒険王】はゲヴァルティア帝国の全てが赦せなかった。自分の家族や国を滅茶苦茶にしたゲヴァルティア帝国が。
ゲヴァルティア帝国からすれば【冒険王】の生まれた国など、今までに滅ぼした数ある国の一つに過ぎないのだろうが、だからこそ【冒険王】はゲヴァルティア帝国が赦せなかった。
自分が生まれた唯一無二の祖国を何気ない気持ちで滅ぼされたその事がどうしても赦せなかった。
だから【冒険王】はゲヴァルティア帝国に復讐をした。
ゲヴァルティア帝国に他国が滅ぼされているのに平和にのうのうと生きているゲヴァルティア帝国の民が。
滅ぼした国の領土を取り込んで、そこで暮らすゲヴァルティア帝国の民が。……【冒険王】が生まれた国まだ手付かずでゲヴァルティア帝国に取り込まれていないが、それでも温厚だった【冒険王】が復讐を実行してしまうほどにゲヴァルティア帝国が憎かった。
もちろんゲヴァルティア帝国の民には自国の暴力的な行動に心を痛めている者もいるのだろうが、それでもゲヴァルティア帝国の強さと、その強さを振るう戦争で得た利益によって得られる安定した暮らしに甘えて国を出ないのは事実だ。
その時点で【冒険王】が復讐するに価するものだった。
この復讐では多くの人々を殺す事になる。
……だが、もはや良心の呵責などとは言っていられない状況なのだ。人間、いつ死ぬか分からない事を【冒険王】は知っている。
戦争なんて言う予期しない事態が起きてしまうのだから。それに寿命や病気の関係で突然死する可能性もゼロじゃない。
だから【冒険王】は良心の呵責を押さえ付けて復讐を実行する。
「これからはどうするんだい?」
「まだ終わってねぇだろ。ほら、まだまだ残ってるじゃねぇか」
燃えるゲヴァルティア帝国を眺めて、復讐はまだ終わっていない事を【冒険王】は認識して伝える。
だってまだ根絶やしにしていない。逃げ惑えるような人間が生きているのだから。
そう、【冒険王】の目的はゲヴァルティア帝国の民を皇帝から貧民までを等しく皆殺しにする事だ。有罪無罪を問わず、無差別で的確に全て殺し尽くすのだ。
それが【冒険王】なりの祖国の民への償いだった。
一人の人間にはとても重すぎる罪を背負って生きていく。罪を背負う過程も、罪を背負った結果も……重すぎる罪を。
それが戦争に敗北した癖に諦め悪く逃げ出した卑怯な【冒険王】にできる唯一の償いだった。自分の人生を犠牲にしての贖罪だ。
「皆殺しにするのかい?」
「当たり前だ。逃げた奴は追わねぇが、帝国に残ってる奴は皆殺しだ。人一人の命を人一人の命で清算できるとは思ってねぇ。だからとにかくたくさん殺して少しでも清算するんだ」
そう言う【冒険王】の顔は悲壮そのものだった。どれだけ大きな決意をしてここに立っているのか。ティオ=マーティには想像もつかなかった。
「そうかい。僕は恩人への協力は惜しまない人間なんだ。……だから僕も変わらず手伝うよ。【冒険王】」
「すまねぇな。 こんな胸糞わりぃ事に付き合わせちまってよ」
「別にいいさ。……僕は失うはずだった命……本来あるはずじゃなかった命なんだ。ならそれを拾い上げてくれた人に尽くす。僕はそれだけさ」
そう言うティオ=マーティに、損な性格してるな、と返す【冒険王】の表情は心なしか嬉しそうなものに見えた。とても人を大量虐殺した人間とは思えない穏やかな表情だ。
「それで、そろそろ本名を教えてくれないかな?」
「……お前……まだそんな事言ってんのかよ。前も言っただろ? 俺は名前を捨てたんだ。捨てざるを得なかったんだよ。……こんな……自己満足のために行動してるような復讐者が名乗っていい名前じゃねぇからな」
「いい加減に僕も君の事を本名で呼びたいんだけどさ。まだダメなのかい?」
相変わらず名乗りたがらない【冒険王】にそう言うティオ=マーティ。
本名を知らなくて呼べないせいで二人の関係は見えない何かで隔てられている。高い壁で……或いは深い濠で。
「時期の問題じゃねぇんだよ。俺が復讐者になった時点でもう俺は名乗れなくなっちまった。……名前ってのは大切なもんでな、名前を背負うって事はそれ相応の責任がつきまとうんだよ。自分がした事のせいでその名前に関する人間が責められるんだ。……例えば、ゲヴァルティア帝国の『ゲヴァルティア』と言う家名を持った皇帝が行った戦争のせいでそこに住む国民が死んでいくと言ったような感じだな」
「ふーん……? 僕には理解できないな。個人が決断して実行した……させた事なのに他の人間にまで責任が及ぶなんて意味分からないよ」
「部下のミスを修正するのが上司であるように、部下は上司の仕事の手伝いをさせられんだ。……上下と言う関係にいるんだから、下の者が上の者を支えて、上の者が下の者を引っ張ってくんだ。そんな厄介な関係なんだよ。……貴族や王族ってのはよ」
「貴族や王族……ねぇ……」
「……あっ……しまった……!」
慌てて口を塞ぐがもう遅い。口から出た言葉は既にティオ=マーティの耳を通って記憶されてしまったのだから。
思わず漏らしてしまった【冒険王】の素性のヒントになる言葉。
それから【冒険王】について知るために考え始めるティオ=マーティだったが、この世界の貴族や王族に疎かったティオ=マーティが、それ以上に理解する事はなかった。
それがミスをしてしまった【冒険王】にとっての救いだった。