第256話 光線、裂く一閃
「あああああぁぁぁあああああああぁあああぁあああぁぁぁあああああああああぁぁぁぁああああああああああぁぁぁあああああぁぁああああああぁぁあああああ!?!?」
斬り落とされた右腕が地面に落ちるより早く洞窟内に響く悲鳴。
「アデルっ!!」
握力が無くなり、剣を手放した右腕は断面から血をぶちまけながら、ベチャリ……グシャリと、妙に水気のある、思わず寒気がしそうなほどに悍ましく、気色の悪い音を立てて地面を一度だけ跳ねた。
凍り付いた左腕と右足をそのままに、凍り付いた左腕で傷口を押さえるが、傷口に当てられる氷の冷たさは更にアデルを悶絶させるだけだった。
「利き手は失われました。止血するための左腕も使えません。痛みで魔法の操作もままなりません。 ……終わりですよ」
冷たく言い放つレジーナを睨むクルト。だが、クルトはすぐにアデルへと駆け寄る。
「させませんよ」
「……くそっ!」
行く手をアデルを囲うようにして出現した氷の壁で隔てられたクルトは、火魔法を放って氷の壁を溶かそうとするが、すぐに氷の壁が薄い事に気付いた。
(こんな薄さではアデルにまで火魔法が届いてしまう。……でも、この薄さでは俺のパンチやキックではびくともしない!)
絶妙な薄さ。そんな氷の壁は、アデルの治療を行おうとするクルトを阻むだけでなく、壁の内側にいるアデルを寒さで蝕む。
切断面にその寒さは染みた。スーっと、まるで歯磨き粉使って歯磨きをした時のような感覚。それが痛みとなってアデルを襲う。
ドーム状に広がる氷の壁に覆われたアデルの叫び声が壁に阻まれ、小さくなってクルトの耳に入る。
「これが最後です。 あなた方がここで引き返すのなら命までは取りません。……どうしますか?」
先ほどまでは「嫌だ」と一蹴して終わりだったレジーナの提案に思案する素振りを見せるクルト。その様子はいつもと違ってとても焦っているようにみえた。
「……アデル……どうす──」
「……ぼ、ボクは……もちろんっ……引き返さない……!」
クルト言葉を遮って脂汗をだらだら流しながらも、氷の壁の内側でレジーナを睨み付けながらそう口にするアデル。そんなアデルは続けて言葉を紡いだ。
「クルト! ボクの事は気にしないでこの壁を溶かして!」
「でも──」
「いいからはやく!」
「…………分かった……!」
できるだけ威力を抑えて火魔法を氷の壁へと放つクルト。火魔法の衝突により生じた煙の中から飛び出すアデルが、血を撒き散らしながら向かうのは右腕が握っていた剣の元だ。
それを拾い上げ、クルトの元へと走るアデル。咄嗟にクルトはアデルに聖魔法を使って、取り敢えずの止血を施した。
一瞬の間に起きた出来事に反応できなかったレジーナはまんまと敵に回復の隙を与えてしまったのだ。
反応できなかった原因はクルトが一瞬躊躇った後に火魔法を放ったのが大きいだろう。本当に撃つとは思っていなかったのだ。
「まだ……終わりじゃないよ。レジーナ・グラシアス。ボクにはまだ左腕がある」
「え……?」
見ればアデルに纏わりついていた氷は溶けてなくなっていた。アデルの左腕と右足に残るのは滴る水だけだ。
レジーナはハッとする。
(そうか。さっき……)
アデルはクルトが放った火魔法に左腕と右足だけを突っ込んで氷を溶かし、運良く火傷しなかったアデルは駆け出して剣を拾い上げたのだ。
異常な度胸と勇気。そして行動力。
クルトはそんなアデルに驚きを禁じ得なかった。
昔から臆病で、度胸や勇気、行動力とは無縁だった幼馴染がこんな行動を取った事に。
「やるじゃないですか。しかし、利き手を失ったあなたに何ができますか? ……利き手を使っていても私を倒せなかったあなたに何ができますか?」
「それは大丈夫さ。だってボクは両利きだからね」
左腕に持った剣を左側に提げられた鞘へとしまい、剣の柄を握りながらレジーナへと駆け出すアデル。そんなアデルを守るかのように追従するクルトの火魔法と風魔法。
やがてその二つの魔法は混ざり合い、炎の風となってアデルへ放たれる氷を片っ端から無差別に焼失させていく。
「【居合術】」
その言葉を聞いたレジーナは焦って魔法を連射する。狙いが定められていない魔法は明後日の方向に飛んでいったりしているが、先ほど違ってそれが跳ね返ってくる事はなかった。
「【三の太刀 空虚】」
アデルがそう言い、一瞬だけ前傾姿勢になると、次の瞬間にはレジーナの背後で剣を振り抜いた体勢で立ってた。
左腕で左側にある鞘から剣を引き抜いたため、逆手持ちになっており、抜刀の速度は落ちていた。
それを補うのが、【二の太刀 六徳】の次に抜刀速度が速い、【三の太刀 空虚】だ。放ったのは【三の太刀 空虚】だが、実際の速度としては【一の太刀 刹那】程度だっただろう。だから前傾姿勢になったのが見えたのだ。
基本的にアデルの【~の太刀 ~~】と言うのは、前の一太刀とセットになっている。
例えば、一の太刀であれば返す刃で二の太刀を放ち、三の太刀であれば返す刃で四の太刀を放つのだ。
なのでアデルは次の太刀を放つ。
「【四の太刀 清浄】」
清浄を放つ前に、逆手ではなく、普通の持ち方に戻していたアデルの太刀筋はいつも通りに戻り、剣の速度はこの戦いで見せた中で一番速かった。
一陣の風が吹く事すら許さない静謐な一閃。
レジーナの正面でレジーナに背を向けた状態で、静かに剣を振り抜いた体勢で佇むアデル。
隙だらけであるが、レジーナは何もできないでいた。一瞬の出来事に呆気に取られているのもあるが、そもそもレジーナが攻撃をするための両腕がないのだ。
呻き声すらあげる事なく、清浄に呑まれたレジーナは黙って両腕を元に戻した。
静寂に包まれる空間。そんな静寂を崩壊させたのは静寂を生んだ張本人であるアデルだった。
「驚いた? 窮鼠に噛まれた気分はどうかな? レジーナ・グラシアス」
「正直、驚きました。 あの状態から立ち上がって剣を取り、私へと走り出して二太刀も加えた、不屈の心に」
「不屈の心……そんな事が言われる日がくるとは思いもしなかったよ」
アデルはクルトの元へと歩きながら戻る。レジーナはそれを攻撃する事なく見送る。意図は互に理解している。
「勇者、次で終わりにしましょう。私にはもう魔力が残っていませんから、体を修復する事は不可能です。あと私にできるのは、最後に死力を尽くしてあなただけでも道連れにする事ぐらいです。……賢者は諦めます」
周囲から徐々に魔力を集めながらレジーナは言う。魔力の集まりが悪い事から、本当に魔力が尽きそうなのが窺える。
こんなにも早く魔力が尽きかけているのは度重なる再生の影響だ。戦闘経験が少なく、魔力の管理下手だったのも理由一つだ。
「道連れになんかさせないよ。ボクは無念を抱えて死んで、人間辞めて、アンデッドになるなんて嫌だからさ。 絶対に生き残って、あなたも魔王も倒して世界を平和に導かないといけないんだ」
左手で剣を構えながら、そして喋りながらもアデルは神経を研ぎ澄ませている。現在のアデルは『強制の称号』で思考操作をされていない。
蚊帳の外に置かれたクルトは空気を読んで離れる。
「えぇ、あなたならそう言うと思いましたよ。 ……できれば、あなたのように強い決意を抱いた貴重な人間を殺したくないのですが……引き返さないのなら仕方ありません」
「何度言われようとボクは進むよ。 ──あなたを斃すために」
静寂が洞窟を満たす。緊張感はクルトだけを襲う。
「『朽ちぬ氷の柱、曇天より出づる煌々たる日、氷柱照らす日の光は万物を凍てつかす光の線となる。 光は集束し、ただ一つを穿つ槍となれ』」
レジーナが言葉を紡ぐと【不朽の氷柱】は真の姿を現した。
地面から【不朽の氷柱】を持ち上げるようにしてせりあがる、渦を巻く茎。すると【不朽の氷柱】は鎌首を擡げるようにしてアデルへ向いた。花弁は限界まで開き、【不朽の氷柱】の花弁に集められた光が、氷の花の柱頭部分へと集束する。
「【明鏡止水】【心頭滅却】」
アデルは剣先をレジーナに向ける正眼の構えをしながら言う。【集中】と【思考加速】が足りていないが、どこかで見たスキルの構成だ。
「『集束─カルテスリヒト』」
「【無明の太刀 絶影】」
柱頭から砲弾のように放たれる眩い閃光の槍と、影すら呑み込む深く暗い、正眼の構えから素早く放たれる斬り上げる一太刀。
洞窟全域を揺らす激しい衝撃波。クルトは崩落に怯えるが洞窟が崩落する様子は一切なかった。
ここは『神器』を保管するための場所だ。人類と神の希望である神器が簡単に盗まれたり埋もれてしまわないようある程度の強度を得ており、安定感に優れているのだ。
崩落の心配がない事を悟ったクルトが視線を衝撃波の発生源に戻すと、すでに勝敗は決まっていた。
レジーナの技が光線であれば、一太刀に全てを込めたアデルの攻撃はすぐに潰えてしまっていたのだろうが、レジーナが放ったのは光線が極限まで集束された光の槍だ。
その衝突は一瞬だった。少しだけ二人の攻撃が鬩ぎ合ってはいたが、数秒程度の拮抗だった。
見れば二股に洞窟の地面は抉れており、その二股の分岐点から伸びる一本の筋は、上から何かを叩き付けたかのように地面を裂いていた。
そしてその一方の筋のそばには、人型をした氷の彫像が真っ二つになって転がっていた。
光の槍は漆黒の一太刀によって二つに裂かれ、アデルではなく地面を二ヶ所だけ穿っていた。
光の槍を裂いた漆黒の一太刀はその先にいたレジーナを真っ二つに斬り裂いていた。
途轍もない威力を誇っていたアデルの技によって見るも無惨な姿になってしまったレジーナは、腕や足などの部位を欠損させながら息絶えていた。
そんなレジーナを見やる余裕すら持ち合わせていないアデルは倒れそうになるのを堪えて、尻餅をつくようにして勢いよく地面に座り込んだ。
足を大きく広げて、左腕を背中より後ろについて凭れかかるようにして体重を支えているが、右腕が無いせいでアンバランスだ。
「やったねアデル」
「はぁぁぁ……! 死ぬかと思ったぁ……! 疲れたし、痛いし……とても最悪な気分だよ。……でも、達成感は凄く大きい。疲れや痛みを笑い飛ばせそうなほどだよ」
座り込みながらアデルがクルトを見上げて笑う。
そんな清々しく明るいアデルの笑顔は、クルトの心臓を高鳴らせる。
必死に意識しないようにしていたが、もうそれは限界だった。
今まで幼馴染として見ていたアデルを、クルトは幼馴染として見れなくなってしまった。
上目遣い、笑顔、荒い呼吸、赤らむ頬、足を広げて隙まみれな姿。
今にも力尽きそうでとても弱々しく、座り込んでもう動けないほどに疲弊していて、欠損している。
そんなアデルに魅了されて意識してしまったクルト。
今すぐ抱き締めてそのまま絞め殺してしまいそうなほどに激しい愛の衝動を必死に堪えてアデルの頭を撫でた。
「よく頑張ったねアデル」
「えへへ……ありがとうクルト。あ、美味しいところだけ取っちゃってごめんね?」
「いいよ。俺じゃ、あの光の槍は防げなかっただろうからね」
「えー? クルトならできたと思うよ?」
和やか会話の節々に刺激されて荒れ狂う衝動を抑えながら、やがて立ち上がったアデルと共に洞窟を進む。
今のところ『試練』と呼べるものは二人の前に立ちはだかっていない。
先ほどのレジーナは想定外の存在である、魔王の配下だったので『試練』の内には入っていない。
この先に立ちはだる『試練』に身構えながらアデルとクルトは進む。
魔物の類いも一切現れない。元々温暖な気候だったこの山に氷の女王が現れた事により、ここで暮らしていた魔物達は全て逃げるか凍死してしまっていたからだ。
そうして何の苦労もなく辿り着いたのは、豪華な造りの扉だった。洞窟の風景から浮いた明らかに異常な扉。
「ボス部屋の扉に似てるけど……まさか……?」
「開けるしかなさそうだね。 クルト、お願い」
右腕がないアデルが開けるよりクルトが開けた方が早い。そんなわけでアデルはクルトに任せた。
開かれた扉の先にあるのは二つの宝箱だけだ。他には一切の物がない。
「えっと……丁度二つあるね……この中に神器があるのかな?」
「でもまだ『試練』らしきものには遭遇してない。 ……もしかすると、神器を手に入れた後に『試練』がやってくるとかか?」
二人は知らない事だが、『試練』とはこの洞窟に蔓延る自然の魔物達の事だった。この山は温暖で住みやすい気候だったため、弱い魔物から強い魔物まで、多くの魔物が住んでいたのだ。それを『試練』としていたのだが、先ほども言った通り氷の女王が環境を覆す吹雪で魔物を追い払ったり、凍死させてしまったため、『試練』は無くなってしまっていた。
考えていてもしょうがない、と言う事で二人は鍵穴に鍵を差し込んで捻り、宝箱の蓋を開けた。
アデルが開けた宝箱に入っていたのは、白を基調とした服に金色や水色などの装飾があしらわれた上等な服だった。ラウラのものと色合いはとても似ていた。 そしてそれに赤いマントと、ベージュのズボンがセットでついていた。全体的にどこか旅人を彷彿とさせる勇者の服だ。
宝箱に入っていた武器は剣と盾だ。両方とも煌びやかであるが、絢爛とまではいかない程度の上品な装飾がされている。
クルトが開けた宝箱に入っていたのは、これもまたアデルとラウラと似たような色合いの上等な服だった。そしてラウラのものと違ってこれは完全なローブだった。テイネブリス教団に詳しくない者が見れば、教徒だと間違われてしまうかも知れないだろう。そしてローブの内側に着る薄い服などもセットだった。
宝箱に入っていた武器は杖と短剣だ。自然の力を感じさせる木製の杖の先端には無色透明の魔石がついている。短剣はアデルの剣を短くして装飾も控えめにしたようなものだ。
二人は自分の神器を手に取って【鑑定】を使って付与された効果を確認した。神器言うからには何か特殊な効果があるのだろうと考えていたからだ。
その後、自分の神器を身に付けて洞窟を出た二人はアブレンクング王国へと馬車に乗って帰路に着いた。『試練』がなかったのを訝しげに思っているのだが、知らず知らずの内に突破していたか、インサニエルの脅しかと思い、気にしない事にした。
ちなみに馬車の御者からは、二人が豪華な服を着ている事から貴族だと間違われていたのだが、終始二人はそれに気付かなかった。
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バーベキューを経て翌日、白龍の里から結構離れたところにある平原で、俺と一匹の白龍とで向かい合っていた。
「アキ、分かってると思うけど絶対に殺しちゃダメよ? 相手はアルベドのお兄さんなんだから」
「分かってる」
「……この人の言う事ですから到底信用できませんね。 いざとなれば助けに入れるよう、備えておきましょう」
「ん。注意して見守る」
フレイアが言う通り、この白龍はシロカの兄であり、その大きな体はシロカと比べ物にならないほどだ。更に言えばシロカの父親よりも大きい。
……シロカとこいつは結構な歳の差があるのではないだろうか。
「何度も言ってんだろうが、俺は女に興味ねぇんだよ。妹が婚約者見つけたんだからこいつに産ませればいいだろ?」
シロカの兄はシロカの父親にそう言うが、既に事情は説明してあり、シロカの兄も婚約者云々が間違いだと知っているのだが、知っていたしても認めて受け入れるのは難しいのだろう。さっきから何度も同じ事を言っている。
「兄上、早く始めるのじゃ。アk……灰龍は気が短いのでな」
「……チッ……分かったよ。 今日で終わりだ親父。 俺はこの灰龍をぶっ倒して里を出てやる。 跡取りなんかこいつにでもやらせとけ」
「あぁ、好きにしろ。どっちが跡取りになろうと知った事ではないからな。血筋さえ途絶えなければそれでいい」
シロカの父親はこの戦いどうでもいいと思っているようで、心底興味なさそうだ。その言葉通りシロカかシロカの兄のどちらが跡取りになろうと本当にどうでもいいようだ。
退屈な生活を送っていた上にこんな親だなんてシロカも可哀想だな。
「そうかよ。……てなわけで、俺の自由のためにもお前をぶっ倒させてもらうぞ。恨むなら親父を恨むんだな」
「おう」
そう返事をすると速攻でブレスを吐いてきたのでそれを回避してからシロカの兄に向かって走り出す。
「今のを避けるのか……中々やるじゃねぇか。 これはどうだ?」
次にシロカ兄が繰り出すのは飛ぶ爪撃だ。蛇のように長い胴体から繰り出される爪撃が、飛ぶ斬撃となって連続的に飛んでくる。わざわざ受ける必要もないので全て躱してシロカ兄へと距離を縮める。
そうさせるのが狙いだったのか、長い尻尾を横薙ぎに振るって攻撃を仕掛けてきた。驚いた事に回避するためのスペースがない。上も横も後ろも、全方位から飛ぶ爪撃が俺を目掛けて飛んできている。
仕方ないので【転移】して一旦そこから離れて距離を取る。
別にさっさと昏倒させてしまってもいいのだが、シロカの兄だし、腕っぷしに自信があるみたいだし、簡単に終わらせてへし折るのも憚られるのでこうして長引かせている。 一言で言ってしまえば可哀想だからだ。
大して強くもないのに「自分より弱い奴には従わない」などと言っているのが。それもこれも『龍の里』などと言う狭いコミュニティで生活していたから力の強弱に疎くなってしまっているのだろう。
「逃げてばっかりか? はぁ……弱い奴はつまんねぇな」
完全に舐められている。不快以外の何物でもないが、シロカの兄なので見逃してやる。
「待っててやるから一発当ててみろよ」
だが、少しビビらせるぐらいなら構わないだろう。気を引き締めてくれるかも知れないしな。
俺は【傲慢】の効果の一つである、格下への威圧効果と、ただの【威圧】スキルを使ってシロカの兄に恐怖を与え、シロカ兄の目の前に【転移】してゆっくり拳を振り上げる。
「……っ!?」
そして振り下ろす。間一髪のところで避けられたが、それでいい。この行動的の目的はシロカ兄の侮り払拭して気を引き締めさせる事だからな。萎縮してしまっていない事祈るばかりだ。
晴れた砂煙の奥でシロカ兄がその大きな口をパックリ開いてみっともなくパクパクしているのが見えた。
その視線の先にあるのは俺ではなく、拳振り下ろされた場所だ。見れば、割りと大きめの穴が空いている。
「どういう事だ……? なんだそれ……? 人化してる龍の癖にその膂力……意味分かんねぇよ」
すっかり怯えてしまっているが、まだ挫けていないようで敵意を向けてくる。その瞳に侮り映っておらず、自分と同格かそれ以上の脅威として俺を捉えたようだ。
「お前の事を舐めてた……こっからは本気で行くぞ!」
敵として捉えてくれたのは嬉しいのだが、残念な事にもう飽きてきた。こいつの驚いた顔を見たあたりから唐突に面倒臭くなってきた。
「もう飽きたから次で終わりにしないか?」
意気揚々と突進してきていた白龍避けながらすれ違いざまにそう言ってみた。受け入れないなら受け入れないで、すぐに意識を刈り取って終わらせるつもりだが、それも可哀想なのでできれなやめておきたい。
「飽きた……? ふっ……そうか。飽きたか……ふははははは! 俺と戦いながら飽きたなんて口にする奴は初めてだ! いいぜ、その提案に乗ってやる!」
愉快そうに笑うシロカの兄は、口腔に魔力を集め始めた。
ブレスを放つつもりなのだろう。
俺はどうしようか。ブレスにはブレスで対抗するのがいいのだろうが、しかしそれはクロカとの戦いでやってしまったし……魔法で迎え撃つのも、ブレスで迎え撃つのと大差ないしな…………よし、武器で迎え撃とう。
そう考えて取り出したのは最近出番がなかった蛇腹剣だ。
剣状態の蛇腹剣に魔力を纏わせ強度を上げる。蛇腹剣はその構造上、こうして魔力を纏わせなければ使い物にならなかった。そして鞭状態にするにしても、刃に力が加わらないので斬り裂く事ができなかった。
それらを全て補うのが魔力による強度と切れ味の上昇だ。鞭状態であれば、魔力のお陰で鞭の軌道を操る事もできてしまう。
魔力を纏わせるだけで化けてしまった、可能性の塊である蛇腹剣。
そんな蛇腹剣と、シロカの兄が放ったブレスが衝突した。
そのブレスには膨大な魔力が込められていたようだが、俺の魔力を纏った蛇腹剣勝てるわけなく、真っ二つになる事もなく叩き伏せられてブレスは消滅してしまった。
「ははっ……俺の全力のブレスを真っ向から叩き伏せるか」
「お前の負けだ」
「そうみてぇだな。……なるほど、世界は広いんだな。俄然興味が沸いてきたが、約束は約束だ。お前が俺に妹の代わりに子を成せと言うなら成してやらぁ。だが、育てはしねぇぜ? そこまでしてこんな惰眠の里のために行動したくねぇからよ」
……やはりこんな奴に跡取りを産ませていいのだろうか。……こいつが産むわけではないが。
……いやしかし、かと言ってシロカに産ませるのもなぁ……シロカには俺の旅に同行して貰うつもりだから子供なんて言う枷をつけられるのは困るんだよな。もちろんシロカだけでなく、シロカ以外のここにいる奴ら全員もそうだ。
特にフレイアだ。こいつは俺の護衛対象であるから邪魔な虫寄り付かせるわけにはいかない。
……感覚としては娘を授かった父親のそれに近いだろうか。フレイアの父親は死んでしまったらしいし、勝手に親のようなツラをしておこう。
「兄上、流石にそれは道徳的にどうなのじゃ?」
「知った事か。ただでさえ嫌な事を強制させられてんだ。こんぐらいの我が儘ぐらい認めろよ。じゃあな。俺は嫁探しに行ってくる」
シロカの兄はそう言い残して飛び立って行った。その気持ち……分からんでもない。確かに嫌な事を強制されたら我が儘を言いたくなってしまう。
まぁ、俺の場合は常に我が儘を言っているんだけどな。
「全く……兄上はいつもああじゃ……いつになったら成長してくれるのやら……それで父上、童は子を産まなくてよいのじゃな?」
「あぁ。 彼奴がああ言ったんだ。もういい」
「うむ。それでは童達は行くぞ」
意外にもあっさりした再出発。シロカの家族関係サバサバし過ぎと言うか、冷た過ぎる。一切の暖かみを感じない。
こんな環境でよくこんなまともに成長できたものだな。……いや、クロカと言う親友がいたからこそ、あんな環境でも歪まずに成長できたのだろうな。
やはり生物の成長における人格や性格の形成には、家族関係や交友関係、成長するための環境が大切なようだ。
例え幸せな生活を送っていたとしても、成長途中でそれが奪い去られてしまえば人格や性格の形成に異常をきたしてしまう。
……難しい話だな。
……さて次は、白龍の里から次の目的地である、アケファロスとジェシカの故郷の国に向かう。五百年も昔の国ながら未だに存続しているらしい。簡単に国が滅ぶこの世界では珍しいものだ。そう言えば龍の里密集地帯の中で唯一赤龍の里だけが見当たらなかった。赤龍だけはここではないところで生活していると言う事なのだろうか?
まぁ、そんな事より、スヴェルグの故郷のドワーフの国……クロカの故郷の黒龍の里……シロカの故郷の白龍の里……と、ここまで来れば今の俺達が何をしているのかが分かると思う。
今は、現在行動を共にしているメンバーの故郷を渡り歩いているのだ。
【魔王】である俺について来ると言う事は、故郷の人々にまで敵視されてしまうと言う事だ。
俺のせいでこいつらがそうなってしまうのは結構心苦しいので、こうして観光ついでに故郷巡りをしているわけだ。これは【魔王】の事が知れ渡っていない今しかできない事なので、少しばかり急ぐ必要があった。
なお、クロカとシロカは帰りたくない様子だったが、後になって「あの時に家族と会っておけばよかった……」などと後悔させたく無かったので、半ば無理やり連れて行った。……シロカは家族に会えたが、クロカは会えていないのでまた今度連れてくるつもりだ。
こんな草原でクロカの親の帰りを待ちたくなんかないので、まずはアケファロスとジェシカの故郷の国へ向かう。
ちなみにセレネだけは故郷に帰らせないつもりだ。セレネの話によると、セレネは混血だからと言う理由で、避けられたり、煙たがられたり、いじめられていたらしいからな。それに加えて本人も明確に拒絶している。
セレネが成長して進むためにはこれに向き合わねばならないのだろうが、心が弱い状態ではそれに向き合っても確実に無駄で、それどころか逆にズタボロになってしまい、成長の妨げとなるのは目に見えている。だから、まだセレネの故郷巡りはしない。
なのでアケファロスの故郷巡りを済ませれば次はソフィアのいたアブレンクング王国へ行くつもりだ。
行くかどうか迷っているのは、フレイアの母国であり現在では亡国となったアイドラーク公国と、クラエルがいたダンジョンだ。
フレイアはともかく、クラエルのいたダンジョンは向かう意味がなさそうだが、それでも一応クラエルにとっての故郷だし……で、迷っている。
まぁいいか。
フレイアとクラエルの故郷についてはまた後で考えよう。
どちらにしろ、滅んだ国にフレイアの友人や知り合いがいるわけないし、ダンジョンで生まれたクラエルに友人や知り合いがいるわけないから、つまり【魔王】の影響で会えなくなったり遠ざかったりする人物はいないのだ。
後でじっくり考えて決めればいい。
俺はそう考えてアケファロスとジェシカの故郷の国へ続く街道を歩く。
道中は相変わらず賑やかだが、暇ではないし、安心できるので凄く居心地がいい。
俺一人ではこんな旅には早々に飽きてどこかを宛もなく放浪するはめになっていただろう。
……そう考えればフレイア達の存在はとてもありがたく、俺の支えであり、救いである、とても大事なものだと言えた。




