第237話 避難所の現在
ミレナリア王国の国民が避難した避難所では、重苦しく暗い雰囲気が漂っていた。
そんな避難所の一角では子供達が寄り添いあって寂しさと悲しみを紛らわせていた。
そんな子供達に声をかけるのはシャノンだった。 シャノンはこの子供達が住んでいた孤児院の院長だ。
「みんな退屈でしょう? 何かして遊びましょうか!」
「先生~怖いよ~……」
シャノンが気を遣ってそう声をかけたが、まだ幼い子供達はその意図を汲み取れずに不安を吐露してしまう。
「……大丈夫よ。 とっても強い騎士さんや、冒険者さんがいるんだから」
シャノンがそう言うが子供達の顔色は晴れない。
いくら子供とは言えど、ゲヴァルティア帝国とミレナリア王国の戦力の差は知っている。 子供が知る、それほどまでにゲヴァルティア帝国の強さは周知されていた。
「こんな時にソフィアちゃんがいてくれれば少しはこの子達も安心できたんでしょうけどねぇ……」
「ダメですよ。欲張りを言って。 私が無理言って手伝わせてただけで元々ソフィアちゃんはここの職員じゃないんですから」
女性職員のボヤキを咎めるシャノン。 「そうでしたね。すみません」と言って謝る女性職員。そしてシャノンはもう一つの問題に目を向けた。
それは、フィドルマイアで見た男達がここにもいる事だ。
この男達はあの時シャノン達を囮にして逃げようと考えていた者達だった。幸か不幸か生き残ってこの王都へと避難して来たところにこの戦争が重なってこうして再会してしまったようだ。
あの男達はシャノン達に気付いていないようなので、このまま終戦までやり過ごせればいいのだが……
ちなみに現在は戦争開始日の前日だ。当然だが終戦までは程遠いので、やり過ごすのはほぼ不可能だと思えた。避難所は広いのだがそれでも数日も過ごせば狭く感じてくるし、出会すタイミングも増えていく。時間が経てば環境にもある程度慣れるので必然的に周りを見る事もできるようになるので更に不可能へと近付いて行く。
暫く何もする事がなく子供達と寄り添いあって時間の経過を体感していると、避難所の外が騒がしくなっている事に気が付いた。
耳を傾ければ魔物が近くに現れたとか、避難所から出て外の空気を吸っていた人に対して避難所の中に入れなかっただとか、色々な喧騒が聞こえてくる。
シャノンの脳裏にはあの日のフィドルマイアの光景が蘇っていたが、すぐにそんな不吉な思い出を振り払い、なるべくこの喧騒が子供達の耳に入らないように言葉を紡ぎ始めた。その意図を汲み取った他の職場も子供達に話しかけ始めた。
その甲斐あって子供達は不安を抱かなかったようだが、重苦しく暗い避難所でこれ程までに騒いでいるのはとても目立つので、シャノン達は大勢の視線を受けていた。
微笑ましそうな視線や、迷惑そうな視線、暇なので取り敢えず見ておこうと言うような無関心に近い視線、そして一部からの恨みがましい視線。
その恨みがましい視線はだんだん近付いてくる。
シャノンはここで自分の過ちに気付いた。さきほど気付かれないようにひっそり生活してやり過ごそうと考えたばかりなのにこうして目立ってしまった。
(でもまぁ、遅かれ早かれこうして気付かれただろうし……無駄に子供達の不安感を募らす事を防げただけで十分かね……)
諦め気味に思考するシャノン。周りの職員はどうするのか、とシャノンに視線を向けるが、シャノンはそんな感じだったので宛にならないと悟ったようで、子供達と場所を移動するために立ち上がった。
だが、そんな行動が余計に男達を刺激したのか男達は鬼の形相で走りだし、職員達と子供達に迫っていった。
「おい待てよお前ら! フィドルマイアの時はよくも俺達を見捨てて逃げやがったな!?」
シャノン達に怒声を浴びせる男達の一人。見捨てるも何も、そもそも他人同士だし、他人の為に自分と子供達の命を犠牲にするわけには行かなかったので、シャノン達の判断は正しいものだった。
それを伝えるために職員の一人が口を開くが、言葉が出るのを待たずに次々と罵声が浴びせられた。
人でなし、卑怯者、恥知らず……と言った謂われ無き罵声のシャワーに、子供達は泣きこそしなかったが、その剣幕に怯えて萎縮してしまっていた。しかもその剣幕は職員すらも萎縮させてしまっていた。
そんな中で、一人立ち上がったのは今まで沈黙を貫いていたエマだ。
普段はこうして悪口に言い返したりせずに受け流すのがエマだったが、自分が育った環境や、自分を育ててくれたシシャノン達への罵声にとうとう耐えられなくなったのだ。
「あなた方には私達に向かって文句を言う資格はありませんよね? だって私達を囮にして逃げようとした本物の恥知らずで人でなしの卑怯者なんですからね」
いつものソフィアや子供達に接する口調とは明らかに異なる口調でエマは言う。
言い返してこないと思っていた女子供に言い返された男達は、エマの正論にたじろぐ。そんな男達を見た他の職員もだんだんと威勢取り戻していき、形勢は逆転した。
「何だと!? 喧嘩売ってるのかお前!」
「いえ、今はそんな状況ではありませんし、あなた方ももうこんな事は止めてみんなで協力して──」
「ふざけんなよ! なんで俺達を見捨てた卑怯者なんかと!」
どうやらこの男達は因縁をつけるためにこうしているのではなく、本気で見捨てられたと思い込んでいるようだった。
このままでは話にならない。
そんな時、男達の様子が一変した。
「お話になりそうになかったので【魅了】で黙らせておきました」
そう言うのは長い黒髪に黒目の美少女だ。その名前をフレデリカ・エルウェッグと言う。フレデリカはフェルナリス魔法学校で生徒会長を勤めていた、魔人だ。そしてフレデリカは過去に秋に接触して校内の不良を一掃するように依頼している。
「え……あ、ありがとうございます……」
「いえいえ」
エマの前までやってきたフレデリカが微笑みながら言う。すると、遠くから声が聞こえてきた。
「会長。 あっちの揉め事も片付けてきましたよ」
手を振りながら言うのは青髪青目のスカーラだ。
スカーラは自分の父親兼仕事先の武器屋の店長であるアルロと共に避難していたところをフレデリカと出会し、こうして行動を共にしていた。
「ありがとうございますスカーラさん。 ではこの方達も加えて再び巡回に向かってください」
「分かりました!」
フレデリカが言うこの方達とは、先程エマ達に絡んでいた男達だ。 フレデリカはこの避難所の秩序を保つためにこうして【魅了】を使って支配下にある迷惑だった人間を集めて秩序を保っていた。もちろんフレデリカに【魅了】されずに自発的に秩序の維持に協力しているものもいる。その内の一人がスカーラだ。
「では、私は仕事があるのでこれで」
「あ……ありがとうございました」
自分より年下の少女がこうして行動している事に呆気にとられたエマはそんな返事しかできなかった。
エマが今のフレデリカを見て真っ先に思うことは、その仕事を手伝いたいと言う事だったが、自分には子供達の面倒を見ると言う役割があるのでできないのだと諦める。
そんなもどかしい気持ちを抱きながらエマはさっきの俺達のせいで怯えてしまっていた子供達をあやしていた。
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避難所を忙しく奔走するスカーラは、文句一つ言わずに動いていた。寧ろ喜んで働いているようにも見える。
スカーラはこうして働く事が好きなわけではなかったが、こうして馬車馬のように働かせられている事が堪らなく興奮したのだ。……別にそれほどまでにこき使われてはいないが、スカーラが働く意欲を出すためにそう思い込んでいるだけだ。
そんなスカーラにとってこの活動はまさに御褒美と言えた。
気性が荒そうな大男を注意した時なんかゾクゾクしていた。 実際の大男はまともな人間だったが。
足を引っかけられてこかされた時は自分のみっともなさに恥じらいを覚えるものの、それにゾクゾクしていた。 実際は眠っていた人の足に勝手に躓いて転んだだけだが。
そんな被害妄想で快感を得るスカーラは嬉々として動き回っていた。
そんな娘の様子に父親である、アルロは不審に思っていたが特に何も言わずにフレデリカを手伝っていた。
そんなこの親子がこうして働く事になったのには、理由があった。
フレデリカに【魅了】を使われたからとかではなく、避難所へ向かう道中、森から出てきた魔物に襲われていたところをフレデリカに助けられたからだ。スカーラは秋から習った技術を活かしていたが、あくまでもその技術は対人間用だったのであまり意味はなかった。そんな状況から助けたフレデリカに戦闘能力は全くなかったが、自慢の【魅了】で魔物を魅了して森へ追い返したのだ。
そんなわけからスカーラとアルロは恩返しとしてフレデリカを手伝っていた。
「あぁ? 邪魔だぁ?」
避難所の扉の前に荷物を置いて扉を塞ぐのは一人の不良だった。この者はフェルナリス魔法学校でも有名な不良の生徒だ。生徒同士の喧嘩は当たり前で、果てには一般人にさえも暴力を振るい、一時期停学にもなっていたようなやつだ。
「通行の邪魔になるので退いてください」
「仕方ねぇだろ。どこにもスペースがねぇんだから」
「あっちの方が空いてるじゃないですか」
スカーラが指差すのは避難所の奥にある一つのスペースだった。だが、そこには如何にもガラの悪そうな男達が広がってそこを陣取っていた。
「ふざけんなよ、どう考えても近寄れねぇだろ」
「じゃあ私が場所を空けて貰えるように言ってきますよ」
「は!? やべぇって、やめとけよ」
不良生徒の制止も聞かずに歩みを進めたスカーラは男達の前に立ちはだかった。
「あの、少し場所を空けて貰えますか?」
「は? 嫌だけど。 てかお前何? いきなりやってきて何なの?」
「周りの迷惑になっていますので、場所を空けて貰えますか?」
「しつけぇな。 舐めてんの? 俺らの事。 …………もういいやめんどくせぇしボコっちまおうぜ」
男が立ち上がって拳を振り上げるが、スカーラはその腕を掴んで男を背中から地面に叩き付ける。 受け身をとれなかった男は空気を吐き出す。
仲間がやられたのに怒ったのか他の男達も次々とスカーラに向かっていくが、スカーラはそれらをヒラヒラと躱してそして合間合間に反撃を挟む。そんなスカーラの踊りのような身の捌きに、続々と周りには退屈していた人々が集まりだした。投げられる硬貨に、熱い声援と歓声。
これは不味い……秩序が乱れてしまっている……そう思ったスカーラは戦闘スタイルを変えて攻撃に転じた。
スカーラは秋から学んだ技術を自分なりに昇華させていた。技術の飲み込みの早さと言い、それらを自分のものに変える努力。スカーラは天才的なのかも知れない。
それからはあっという間に片付き、床の上で伸びている男達。
「私に快感を与えたければ、攻撃を当ててくださいね」
パンパンと手を払うような仕草をしてスカーラは言った。
そしてスカーラはそれらの頬を叩いて起こし、拳をちらつかせて場所を移させた。
「ほら、空きましたよ」
「お、おぉ……あ、ありがとう……ございます……」
敬語になってしまった不良生徒。それもそうだろう。明らかに自分とは喧嘩の次元が違う。
原始を思わせる素手同士の品がないただの喧嘩と、知性の結晶を思わせる流麗な喧嘩。 自分のためだけに品がない拳を振るっていた不良生徒は知性の拳を振るうスカーラに畏怖と尊敬の念を抱いた。
数日後の避難所で暮らすスカーラの気分は最悪だった。この最悪な気分は今だけのものではなく、この数日の間ずっと続くものだった。
それはあの不良生徒に付きまとわれていると言う事だ。遠くからスカーラを眺めているとかではなく、近距離でずっとスカーラに追随してきているのだ。流石にトイレなどのデリケートな場所や状況ではついてこないが、それでもずっと付きまとっているのだ。
そしてこいつは付きまとうだけではなく、話しかけてもくる。「姉御」だの「あねさん」だの「舎弟にしください!」などと、勝手にスカーラを慕っているのだ。
こうなった原因は確実にあの一件だろう。男達をのしたあの時がこうなる原因だったのだろう。
「あの、ついてこないでもらえますか?」
「そんな……! 酷いですよスカーラの姉御……! あんな綺麗な体捌きを見せつけた癖に、ついてくるななんて」
「私のせいなんですか!? ……それにどうして私の名前を……?」
「フレデリカ会長に聞きました!」
人の個人情報を勝手に教えたらしいフレデリカ。いくら恩人と言えど看過できない事だったのでスカーラはフレデリカのところへ向かった。
「会長。 どうしてこの人に私の名前を教えたんですか?」
「……スカーラさんこそどうして相手にしてあげないんですか? この方はこんなにあなたを慕っていると言うのに……」
自分を慕ってくれる相手には全力で応える。それがフレデリカの考えだった。【魅了】と言うスキルでしか人望を得られないフレデリカは、慕われているのにも関わらず邪険に扱うスカーラがわからなかったのだ。……実際は自分が思っている異常にに慕われているフレデリカはそれに気付かないのでそう考えるのだ。
「確かにこの人は私を慕っているのかも知れませんが、これはもはやストーカーですし、こう四六時中付きまとわれてはストレスが溜まるんですよ!」
「そうなんですか? ……でしたらいっそのこと舎弟として受け入れてあげては? その上で付きまとうなと指示すればいいでしょうし」
「……! なるほど……! その考えはありませんでした!」
フレデリカの案にポンと手を打って目を輝かせるスカーラは、早速隣にいた不良生徒を受け入れた。
「私はあなたを舎弟と認めます」
「…………そんで付きまとうなって指示するんでしょう?」
だが、話を全て聞いていた不良生徒には効果がなかった。しかも不用意に不満を募らせただけの悪い結果になってしまった。
「……取り敢えずあなたを舎弟と認めるので私に付きまとうのはやめてください。 時々会いに来る程度は許します」
スカーラは妥協する。なるべく不良生徒を刺激して既に拗れている今の事態を更に拗らせないようにだ。
「時々……ですか……分かりましたスカーラの姉御。 付きまとうのはやめて、これからは時々会いに来る程度にとどめておきます」
渋々と言った様子だが不良生徒はそれで納得したようだった。これ以上付きまとい続けても進展がないだろうから、この条件を飲んで確実な舎弟の地位と会う権利を得る事にしたのだ。
「えっと……」
「おはようございます! スカーラの姉御!」
「おはようございますって……三日も連続して私に会いに来ないでくださいよ。時々って言う約束でしたよね?」
三日連続でスカーラに会いに来ていた不良生徒は、当然と言った様子でスカーラに挨拶をしていた。が、スカーラは嫌悪感丸出しで文句を言う。
「付きまとっていたこの前までと比べれば、これは時々と言う頻度ですよね?」
「親しくもない人に毎日会いに来られる私の身になってくださいよ。……いくら私と言えど精神攻撃は気持ちよくないんです」
マゾヒストであるスカーラは精神攻撃は専門外だったようで、日に日に目の下の隈が黒ずんでいっていた。戦争の終結が先か、スカーラが発狂してしまうのが先か。




