第230話 適当
目覚めたドロシーは何がなんだか分からないままマテウスを宥めていたが、こいつは何も覚えていなかった。
自分が何者なのか、ここはどこか、何があったのか、あなた達は誰なのか、と言ったように色々な記憶が抜け落ちていた。
原因は完全にあの地下室での出来事だろう。 何をされたのかは知らないが、記憶が抜け落ちる程の苦痛やらなんやらを与えられたのだろう。
それを知ったマテウスは真っ白になっていたが、すぐに気を取り戻してドロシーに何やら伝えていた。 ドロシーの名前やら自分が誰か、俺とソフィアがどういう人間なのかとか。 最低限の情報を分かりやすく丁寧に説明していた。 説明に戸惑いがない事から、ある程度は予想していたのだろうと考えられる。
ドロシーの記憶を引き摺り出すのは[脳味噌の大樹]のスキルがあるので簡単だが、他の記憶と共に記憶喪失の原因まで引き摺り出してしまえば、またこうなってしまうのは明らかなのでなんとかドロシー自身にトラウマを克服してもらわなければいけない。
まぁ【記憶消去】でドロシーのトラウマだけを消去すればいいんじゃないか? と思うだろうが、本人が忘れてしまっている記憶を消す事はできない。【記憶消去】はその本人が覚えている記憶を消す能力なので、記憶喪失によりトラウマも何もかもを忘れているドロシーには効果がない。
どうするにせよ、ドロシーにショックを与えてトラウマを呼び覚まさせて克服させなければいけないと言う事だ。
……もちろん俺はマテウスとドロシーと常に一緒に行動する気はないので、何らかのショックにより呼び覚まされたトラウマを消すなんて事はできない。
要するに後はマテウスとドロシーの頑張り次第なのだ。
……さて、そろそろ帰らないとな。
「ドロシーも目覚めたし俺は帰るよ。 お前はどうするんだ? ゲヴァルティア帝国に戻るなら送っていくけど」
「え……っと……どうしましょう……行く宛もなくなってしまいましたし……」
「そうか。 じゃあ適当に転移させておくぞ。 ここに置いてくわけにもいかないし」
「え、え? ちょ──」
行く宛もないようだし取り敢えず孤児院に送っておいた。 そこでまた目的の人とやらの情報収集をしながらあの子供達と暮らせばいい。
「じゃあな。 マテウスとドロシー。 頑張れよ」
「あぁ。ありがとうアキ。 君のおかげで助かった。 本当にありがとう。 いつかこのお礼はさせてもらうよ」
「面白いものを期待してるぞ」
そう言って屋敷の門の前に転移した。
とびついてくるクラエルを適当にあしらいながら門を潜ると、いきなり手首を掴まれた。
嫌な予感がするが、それでも振り返ると、そこにはオリヴィアがいた。 門の側に隠れていたんだろう。
腕を液状化させて屋敷に駆け込もうとするが、玄関では仁王立ちのリブが待ち構えていた。
これは……無理だ。
その後、一時間近く説教を受け、お湯抜かれる寸前の風呂場に駆け込んで【思考加速】を使いながら全速力で風呂を済ませた。【思考過程】では体感時間が遅くなるので、その中で速く動こうとすると必然的に行動の速度も上がるのだ。もはや思考加速ではない。
そして更に風呂から出ると、フレイアに何をしていたのかを、これもまた一時間近く執拗に問い詰められた。 これからはオリヴィア、リブの他にもフレイアから怒られる事になるのかも知れない。
「随分とお疲れな様子じゃのぉ?」
「当たり前だ。 この短時間でどれだけ忙しく動いたか……」
「どれ、ちょいと童が……ひ、膝枕でもしてやるのじゃ……?」
「いや、普通に寝るからいい」
もうそんなおふざけに乗っている余裕もない。 体力的には余裕があるが、精神的にキツい。 てか休日なのに休めないってどういう事だよ。
そんな事を考えながらベッドに飛び込み、意識を手放した。
~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~
(どういう事なんでしょうか……?)
ソフィアは孤児院の前で困惑していた。
足下の黒い渦が出現したかと思うと、次の瞬間にはこの間ここから旅立ったばかりの孤児院の前にいた。
黒い渦についてはその前に一度経験していたからさほど驚く事はなかったが、問題はそれ以外にあった。
(なぜ私がここに住んでいた事を知っていたのでしょうか……「適当に転移させておくぞ」とは言っていましたが、総じて転移系のスキルは視界に収まる範囲か自分が行ったことのある場所にしか転移はできないはず……だとすればあの梟の方はここに来た事があった?)
ソフィアはそこまで考えてから次の問題へと切り替えた。
(第一、なぜあの方は私が聖女だと……? 『鑑定妨害の指輪』もしていますし私を鑑定できるはずがないのですが……もちろん孤児院にお邪魔させていただいてからはお風呂の時にしか外していませんから聖女だとバレる筈もありません…………そう言えばエマさんと一緒にお風呂に入った事がありました……まさか……? いえ、あり得ませんね。 エマさんは怪我をしていますし、何より梟の方の声は男性のものでした……)
考えれば考える程謎だった点は明らかになっていくが、だがそれと同時にどんどん謎が逃げていく。結局何一つ正解には進んでいないのだ。 登っても登っても頂上が見えない高山のように。
やがてソフィアは考えるのはやめて、今回の出来事を振り返る事にした。
冷静に考えて今回の出来事でソフィアは目立ち過ぎただろう。ゲヴァルティア帝国の兵士達からすれば素性も分からない人間と面会していた皇帝が死に、そしてその面会相手は姿を消した。
普通の思考回路をしていれば面会相手であるソフィアがやったと考えるだろう。 そうすればソフィアは王殺しの大罪人として指名手配されそこら中で狙われるだろう。そして不幸にも、その特徴的な綺麗な銀髪と輝く金色の瞳などを思い切り晒してしまっているので、追っ手から逃げられる可能性は低くなってしまっている。
ソフィアはそう考えると、こんな事態を招いた梟の男に腹が立ってきた。 支配されないように助けてくれたのには感謝しているが、それでも……これから絶えず追っ手に追われ続け、心身共に摩耗していくような道を辿るぐらいなら支配されて捨て駒になった方がよかったかも知れないと思えてくる。
(……いえ、これこそが教皇聖下がおっしゃっていた茨の道なのかも知れませんね……皇帝陛下に支配されるあの運命より明らかに私にとって悪い事態ですし………………もしかすればこれが運命を変える事の代償なのかも知れませんね)
ソフィアはそう考えるが、どうしても梟の仮面を被った人物の事が気になった。
大勢の人間の意思と行動で確定に近付いた、個人の未来無き無情な運命の流れを断ったあの人物が。
(……運命を断ったあの方はどんなやり方であれ、私を救ってくださった……守って……くださった)
ソフィアは近付く。謎の山の山頂へ。
(……そう言えば【不死身】のマテウスさんも言っていましたが、あの声……どこかで聞き覚えがある……?)
ソフィアは追いかける。 逃げる謎を。
(そして、私の素性を……ステータスに表記されている事を知っていた。 『鑑定妨害の指輪』がついていない時に私を鑑定した)
そこまで考えて、漸く頂上が見えてきた。
ソフィアは自分につけられた白い仮面を外した。
運命を断ち切れる程の未来の力を持つ人──即ちソフィアより多くの称号を持ち、王と言う運命の強者に勝利する程の未来の強さ。
それは一国の王を越える規模の力を持つと言う事だ。
つまり人類の一部を従える人間より上なのだ。
その上、皇帝との戦いで圧倒的な力量の差を見せ、桁の違いを見せつけた事から、もしも人類を統べる王がいたとしてもそれよりも上であるかも知れない。
そして『鑑定妨害の指輪』を外している時に聞いた声と言えば本当に限られている。
……コレクターの残党か? ……いや違う。あの二人に全滅させられたコレクターの中にあんな強者がいるわけない。
……じゃあ、あの紫髪青目で外套を羽織っていた人…………いや、声も喋り方も違う。
なら、あの黒髪黒目で外套を羽織っていた…………それなら色々一致している。
思い出してみればあの黒髪黒目の人物は梟の人の外套と同じものを羽織っていた。 外套は洗ったようだが、付着した血は完全には消えなかったようで、薄く同じ位置に同じだけ血の痕跡が残っていた。
「──っ! 間違いない……! あの人だ!!」
思わずそう叫んでしまったソフィアの声に釣られて孤児院から人が出てきた。
~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~
翌朝、そう言えば梟の外套を洗っていなかったな、と思い起床して早々に水魔法で作り出した球体のなかに外套と石鹸を放り込んで適当に洗う。
そう言えば、適切には二つの意味があるのだ。
一つ目が『雑に』などの悪いイメージを持つ意味
二つ目が『あるものに丁度よくあう事』などのいいイメージを持つ意味。
分かりにくいだろうが『いい加減』という大雑把な奴を想起する『適当』と、『良い加減』というそれに丁度いいものを想起する『適当』と言う感じだ。
例えるなら、いい加減な奴──良い加減のお湯──のような感じだろうか。
……そこでふと思ったんだが、クロカやシロカ、その他の人に度々言われる俺のイメージは『適当な奴』─『いい加減な奴』の方だと思っていたが、もしかしたらそっちではなく、いい意味の『適当』かも知れないと思い始めたのだ。 ……或いは両方の『適当』だったのかも知れない。
まぁ、俺はいい加減な行動もするが、それでも良い加減の行動もとっている。 なのにマイナスなイメージだけなんておかしいだろ? ……だから普段言われる悪い意味の『適当』が、実はいい意味の『適当』だったりもするのではないかと思ったのだ。
まぁそんな事をはどうでもいいんだが、それよりもやはり情報の流れと言うのは速いもので、もうマテウスとドロシーの事が知れ渡っている。
ドロシーが目覚め、マテウスの手足が治った事、ドロシーが記憶喪失な事や、ではなぜ記憶喪失のドロシーが見ず知らずのマテウスを治療したのか? などと言う疑問まで浮かび上がってきている。……情報源は他の患者のお見舞いに来ていたおばさんが偶然マテウスと出会したからだと。
戦争前で人通りなどが少なくなっていると言うのに、まだ王都に残っている人々の間でそう広まっているのだ。
そして朝から病院へ押し掛ける人間、亜人が後を断たないらしく、その上、戦争で死んでしまうかも知れないから生きている内に会いたいとか言っているそうなので病院側も対処に困っているらしい。
梟の外套を洗いながらそんな事を考える。 そう言えば今日は俺達の中での休みが終わり、ダンジョン攻略が再開される日だ。
昼食を摂る前にソフィアをダンジョン攻略に誘わなければ。これは予定通りマテウスから聞いた事すれば大丈夫だろうし、聖女だってバラされたくなかったら付いてこいって脅せば余裕だ。
完璧だ。 ここ最近何もかもが上手く行く。 模倣のダンジョンも踏破してムカつく遊戯の女神も殴ったし、皇帝も殺して戦争を防いだし、それに今回の聖女への脅迫だ。 聖女への脅迫はまだ上手くいっていないが『鑑定妨害の指輪』をつけてまで隠している事なのだから上手く釣れてくれる事だろう。
「アキが一人で不気味に笑ってるのだ。悪巧みでもしてそうなのだ」
「ついに鬼畜パワーが限界突破して頭がイカれたようじゃな」
鬼畜パワーってなんだよ。 というか上司に向かってなんだその口の聞き方は。 これはお仕置きが必要だな。
「おっと! 手が滑ったー!」
「のじゃああああ!」
泡まみれの水の球体をシロカにぶつける。 当然だがシロカは泡の混ざった水でびしょ濡れだ。
「な、なにをするのじゃ!」
「手が滑ったって言っただろ。 だから仕方ないんだよ」
「絶対わざとじゃろうが! どうするのじゃ、床がびしょびしょになってしもうたぞ!」
自分ではなく先に床の心配をするとは。中々やるな。
これで終わりにしておいてやろう。
「俺は用事があるから掃除は頼んだぞ」
そう言って俺は自分の部屋を後にした。 一々外に出て洗うのも面倒臭かったからな。 もちろん汚れないように配慮してたし、使い終わった水も腕を変形させて喰うつもりだったので全て安心だ。 ……まぁ精々頑張って掃除しろやシロカ。
「いじめじゃあ! 童、上司にいじめられてるのじゃああああああ!」
~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~
遠くから屋敷を眺めるフォニアはどうするべきか迷っていた。
(あの男が夕方前に出掛けた時に隙を突いて、フレイア・アイドラークを暗殺するか、近々起こると言う戦争の混乱に乗じて暗殺するか……)
そんな時、朝なのにも関わらず警戒するべき男が出掛けた。 フォニアは飛び出そうとするが、踏みとどまる。 罠の可能性を考えたのだ。 自分を誘い出す為にわざと外出したのではないかと。 それに万が一罠じゃなかったとしても、この後のあの男の行動が分からない。 少し外出しただけなのか、それとも……
普段のフォニアならば迷わず飛び出し、あっさり暗殺していただろうが、今は違う。 捨てられたフォニアを育ててくれた前皇帝の望みである、正真正銘最後の仕事なのだ。 絶対に失敗はできない。
そんな緊張感のせいでいつものように簡単に動けなかった。
やがて出た結論は動かないと言うものだった。 これは今だけの結論ではなく、これからもだ。 戦争に乗じて暗殺する事にかけた……日和ったのだ。
迷っている内に積極的な考えができなくなり辿り着いた結論だ。
もし夕方前に出掛けた隙を突いても失敗したら? あの男が戻ってきたら? ……そんな不安からフォニアは失敗を恐れて動けなくなったのだ。
(成功しても失敗してももう普通には暮らせないだろうし、それまでは普通に暮らそう……)
そう考えたフォニアは物陰に隠れて普段着に着替え、そして人通りが少なくなった王都を満喫し始めた。
~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~
インサニエルがカエクスと言う忍者のような白ローブの男から伝えられた仕事の内容は、嘗てゲヴァルティア帝国が召喚し、そして逃げ出した異世界人の六人の殺害だった。 インサニエルは、カエクスがやればいい、と言ったがカエクスは、分担した方が早く終わる、と言うので分担して行う事になった。
その後の二人の話し合いでは【不死身】と【聖者】は襲撃を警戒しているから最後と言う事になり、【冒険王】と【神眼】は一緒に行動していて危険だから後回しになった。 残るのは【城塞】と【魔剣】だが、この二人はどちらも単独行動しているようなのでまずはそれを殺害する事にした。
暗殺に向いているカエクスが【城塞】を担当する事になったのでインサニエルはもう片方の【魔剣】を担当している。
ある貴族に仕えている【城塞】の発見は簡単だったが、王都の各地を転々としている【魔剣】はそもそも発見する事自体が困難だった。
……かれこれ数日、インサニエルは進展がないまま王都を駆け回っていた。
「……カエクス司教は探すのが面倒臭いから、自分に【魔剣】を押し付けたのではないでしょうか? もしそうだとしても、一度引き受けたからにはちゃんとこなしますけどね……」
屋根を跳ねるようにインサニエルは移動する。 そんな目立つ事をしているのに噂にならないのは人通りが少ないからではなく【隠密】と言うスキルによるものだった。
数日の間寝るとき以外ずっと繰り返し行うこの作業に嫌気が差してきていたインサニエルは、ある公園のベンチに座った。
就寝時以外でこうして気を休めたのは久し振りだ。 おもわずインサニエルは、はぁ~、と溜め息を吐いていた。
「おう。どうしたんだ? 平日の朝っぱらからこんなところで溜め息なんか吐いてよ」
「…………いえ大した事ではないですよ。 気にしないでください」
「そう言うなって。 俺に話してみろ。 少しは楽になるんじゃねぇか?」
「…………そうですね。 えっとですね──」
隣に座ってそう言う男をチラリとも見る気力もないインサニエルはポツリポツリと話し出した。 もちろんバレたら困る部分を暈しながら。
「なるほどなぁ……で、そいつを探してると……はぁ~……お布施を盗むとは罰当たりな奴だな。 逆にお布施をすれば石化でもどんな状態異常でも治してもらえる教会もあるってのによぉ……」
「全くですよ。 ……話、聞いてくれてありがとうございました」
「いいって事よ。さて、俺はそろそろ行くが、俺の勘がもうそろそろ会えるって言ってるし、頑張ってお布施泥棒を探せや。 じゃあな」
そう言って男は去っていった。
それから暫くして最後に一度だけ溜め息吐いたインサニエルは立ち上がり歩き出した。
それから間も無く、インサニエルは【魔剣】と遭遇した。
~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~
秋とソフィアが転移門で去った後、頭部を踏み砕かれたはずの皇帝は頭部を再生……と言うより一瞬で元に戻して立ち上がった。
「……くくく……あははははは! 死体の確認もしないで帰っちゃうなんて間抜け過ぎるよぉ! ぷっ……くくく」
アルタは心の底からバカにしたように笑う。
やがて落ち着いたアルタは一人呟く。
「……ふー……それにしても、支配した魔物の命を犠牲にして生き返れるなんて……凄すぎるよねぇ? まぁ、おかげで助かったからいいんだけどさ」
ぐーっと伸びをしてからアルタは穴の空いた謁見の間へ戻り、いつも通り玉座に座る。
「さて、取り敢えず明日もたくさん生物を支配しに行こうかな。 楽しい愉しい、戦争の準備をしないとね」