第206話 新しい名前
翌日
昨日と同じで午前中をダラダラ過ごし、今は昼食を食べに『移ろい喫茶ミキ』へと向かっている。
そう言えば最近、街中でゲヴァルティア帝国の名前をよく聞く。 最初は特に興味がないので耳に入れなかったが、流石にここまで来ると気になってくる。 まぁ気になるだけで聞きたいとは思わないが。
移ろい喫茶ミキに到着した俺は、喫茶店の扉を開いた。扉の上部に取り付けられた鈴が清んだ音を鳴らす。ちなみにフレイアは体調がの優れないとかで屋敷で寝ている。
「あっ! すみません今日は休──って……お兄ちゃんだ」
店内を掃除していた冬音が何かを言いかけたが、俺に気付いて言葉を途絶えさせた。
「今日は休みなのか?」
「うん。そうだけど、お兄ちゃんは別だよ」
「……? そうなのか」
「付いてきて」
掃除用具をその場において手招きをする冬音に付いていく。 案内された先は店の奥、厨房を抜けて居住スペースとして扱われている場所だ。
「おー秋じゃないk……」
「まぁ! よく来たわね秋ちゃん!」
新しい看板を作っていた父さんの言葉を遮って、母さんがこっちへ来た。
「秋ちゃんお昼ご飯はまだよね?」
「まぁ……」
「ならもうお昼にしましょう!」
「私も手伝う」
そう言う母さんと冬音は厨房へと姿を消した。
ここに残ったのは、新しい看板を作っている父さんと春暁だけだ。
ちなみに春暁は集中すると黙々と盲目的に物事に取り組む節があるようで、今も淡々と看板の塗装を行っている。
「俺も手伝おうか?」
手持ち無沙汰になったのでそう申し出てみる。
「いや、秋には完成したものを見て欲しいんだ。 だからそこで待っていて欲しい」
「……分かった」
断られた。
……さて、何をして時間を潰そうか……いやここで大人しく待っていよう。
それから暫くすると、母さんと冬音が皿に盛られたオムライスをお盆にのせて運んできたので、父さんも春暁も看板の作成を中断して家族全員で机を囲んでオムライスを頬張った。
冬音と春暁に多少は認められ少しは馴染んだようだがしかし、どこか疎外感……と言うか場違いのような気分だ。だけど母さん達はそうでもなさそうなので俺が勝手にそう思っているだけなのだろう。
……あれだ。俺のいない間に長い年月をかけて築き上げられた尊い家族の絆に割り込むような、そんな後ろめたさがある。
ちなみにオムライスは安定して美味しかった。
食後、父さんと春暁は早々に看板の作成に取りかかった。 母さんと冬音はそれをスムーズに進める為にその手伝いをしている。
さて、俺は今すぐにでもダンジョン攻略を始めたいのだが……まぁいいか。ダンジョン攻略なんていつでも出来るしな。
そんな感じで俺はボーッと無心でその作業を眺める。ボーッと眺めていたせいで作業の工程などは何も覚えていないが、それでも看板の作成が終わったのは目の前の雰囲気が集中したものから達成感に包まれたものに変わったので分かった。
「ふぅー……お待たせ、秋。 じゃあ早速完成した看板を見てくれ!」
「おう」
大きな看板の後ろに父さんと母さんが立ち、持ち上げて……冬音と春暁が横からそれを支える。
そんな看板には漢字と、この世界の文字の両方で、『移ろい喫茶シキ』と書いてあった。
「シキ?」
俺がその単語に首を傾げていると、父さんが答えた。
「そう。シキだよ。 季節の四季」
「四季…………あぁなるほど…………確かにこれは家族の証だな」
俺達家族はそれぞれ『春夏秋冬』と、季節の名前を冠している。
それが四季の『四』にあたり、父さんの『季弥』と言う名前の『季』が四季の『季』にあたる…………と言う訳だ。
ならば以前のミキと言うのは漢字で表すのなら、『三季』と言うところか。そしてそこに普通ならいない筈の俺が加わったので『四季』と言う店名に改名したのだろう。
なるほど。これがあの時、冬音と春暁が必死になってこの店を守ろうとしていた理由か。
新しい(?)家族である俺を認め、受け入れる為に。
「それと僕はにいちゃんに言いたいことがある!」
「何だ? どうした?」
今までにない程真剣な、怒ったような表情で春頃が俺にそう言う。
「にいちゃんはあの時『俺がお前らも、お前らの店も守ってやる』……って言ってたよね!」
「……多分言ったな」
あんな風な恥ずかしい事を言った記憶なんてあまり記憶していたくなかった事だからあまり詳細に覚えていないが、言ったと思う。
「僕は『お前らの店』じゃなくて『俺達の店』って言って欲しかった! 家族なんだから!」
見れば父さんも母さんも冬音も、うんうん、と頷いている。
…………そんな些細な事を今の今までずっと気にしていたのか。我ながらいい家族を持ったものだ。
「ごめんな。 これからは気を付けるよ」
そう言って俺は春暁の頭を撫でた。
動機はペットに対する愛情表現からではなく、兄弟への愛情表現からだ。
「お、お兄ちゃん。 わ、私も怒ってるんだけど……」
「あぁ、ごめんごめん。 これからは気を付けるよ」
頬を膨らませながら冬音が言うので空いていた手で撫でておく。
「あ、秋ちゃん! お母さんも怒ってるのよ!」
そう言いながら母さんもちょいちょいと、ぐいぐいと頭を近付けてくるが、流石に親に向かってそれはどうかと思うので口頭でさっきと同じように謝って済ませておく。
「夏蓮……」
苦笑いしながら父さんが項垂れる母さんを見つめている。
俺は冬音と春暁の頭から手を離す。
「さて、見たかったものも見れたし俺は帰るよ」
「あら……もう少しゆっくりしていってもいいのに……」
母さんが残念そうに言うが、そろそろダンジョンに行きたいので仕方ない。
「じゃあなみんな。 また来るよ」
俺はそう言って、移ろい喫茶ミキ、改め、『移ろい喫茶シキ』を後にした。
あぁ、そうだ。 帰ったらフレイアに教えてやろう。
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秋が去った移ろい喫茶シキでは、こんな会話が繰り広げられていた。
「……僕……『ごめん』じゃなくて『ありがとう』……って行って欲しかったなぁ……」
「仕方ないよ春暁。 お兄ちゃんはそう言う事に疎いんだから……」
最後に「私もまだあまりお兄ちゃんの事を知らないけど、それは分かった」と付け足してその言葉を締め括った。
「そうだよね……なら僕もお兄ちゃんのそう言うところを受け入れるよ」
12歳と8歳にしては成熟した会話だなぁと感心しながら季弥と夏蓮は微笑ましそうな表情で二人のやりとりを眺める。
「さて、じゃあそろそろ看板を入れ替えよう! みんな!」
季弥はそう言って、新しい看板を抱えた。