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バタバタとリビングの方から音がして、エプソン姿の神木さんが勢いよく飛び出してくる。
「おかえり! 由結! 会いたかったよー」
そう言って、勢いそのままに私に飛びついて来る、神木さんが玄関から落ちない様に受け止めるしかない。
ぼふぅ! ぎゅーーーー。すごい力で抱きしめられる、世の中、これをハグとは呼ばない。
玄関の段差の分、私の顔の位置が低くなるので、抱きついてこられると顔が神木さんの胸の辺りになる、これが結構こわい。出来れば、外人さんがやってるような、やんわりとしたのにして欲しい。勢いをつけて顔面に迫って来る胸は、正直、凶器だと思う!
「うぐぐぐぐ、苦しい。離して」
「あ、あれ? どちら様ですか? うちはセールスお断りです!」
私を両腕で抱き抱えたまま、神木さんは無愛想に言う。どうしてか、最近神木さんは千恵先輩を敵視しているように見える。
「それはこっちのセリフですわ! 何でアナタがここに居るんですの? しかも一人で! 自分の家でも無いでしょうに」
がるるるるr……、火花が見えるに違いない、わたしの目の前はまだ神木さんのおかげで真っ暗だが。
「おじゃましまーす」
ぞろぞろと皆、二人の茶番が始まらない内に、脇をすり抜けて行く。賢いなぁ、三人とも。
観客を失った、主演の二人は、おずおずとそれに習う。ようやく神木さんに開放されて、皆を誘導する。
「あの、真っ直ぐ行ったとこがリビングです、とりあえずそこへ」
入ってすぐに階段がある、上げれば二階は、私と弟の太郎の部屋と申し訳程度の狭い客室が一部屋ある。階段脇を通って行けば、すぐにリビングだ、説明するまでもない楽しい我が家。
「あーい」
「あ、初めまして、お邪魔します」
「わーーーーーー! 何? どうしたの? こんな大勢で! 由結!」
お母さんの困惑した声が、玄関まではっきり聞こえる。神木さんは丁寧に、みんなの分の靴を揃えてからリビングへ向かう。
「みんな連れて来ちゃった」
「これは、由結の分のアップルパイ、無くなっちゃくかも」
ふふと笑う。
七五三家始まって以来の、夏の珍事だった。
この私が、同級生ならぬ、先輩までをも家に招待する、私の交友関係は中学までの時とは、まるで違ってしまった。お母さんは台所で泣いてしまって、神木さんと硬い友情のハグを交わしている。
「よしよし。大丈夫、お母さん。大丈夫なので」
「まじろちゃーーーーん、こんな日がくるなんでぇ、ありがどうございます」
「いいのか? お前ん家のかーちゃん、なんか、泣いてんぞ」
「いや、お恥ずかしい所を、お見せしてしまって」
「シナモン効いてて、おいしい、コレ」
作ってくれた、本人たちを差し置いて、すでにお菓子パーティーは始まっていた。暖かいアップルパイが好きとか、あれは地獄の熱さだから、口を百パー火傷するとか。家中に響く楽しげな会話が、胸にじんわりと染み込んでくる。
「七五三さん、はい、あーーん」
「あ、いや、千恵先輩それは……」
振り向くとと後ろで神木さんが、いつの間にか、仁王立ちして見下ろしていた。
「今日は試験勉強じゃないの?」
「あ、はい! お、お茶入れてくる」
「ちぇっ! いいとこだったのに、台無しですわ」
舌打ちを分かるように鳴らして、ジトリと神木さんを睨んでいる、そんな視線を軽く否して。
「もう遅いので知念先輩だけ先に帰られてはいかがですか?」
「いやよ! まだ来たばかりじゃないの!」
みんなの雑談を背中で受け止めながら、お茶をたてる。ひい、ふう、みい。私を入れて六人分。
最近我が家で定番になりつつある、カモミールのフレッシュハーブティー。お母さんが家の花壇で育てている、水は汲み置きせずに新しいものを浄水器の付いた蛇口からケトルに移す。
「お母さんも、お茶飲む?」
「ありがと、いただくわ。カップはそこの上にあるの使って、新しいの出しといたから」
「うん」
さすがお母さん、準備がいい。皆でおやつを食べる、それも我が家のリビングで。自然と笑顔になる。楽しい。
「そうだ! ねー、みんなで写真撮ろ!」
女三人揃えば、かしましいとは、どこの偉人が言ったのか、その後も試験勉強になるはずもなく、ただただ楽しく時間が過ぎてしまうばかりだった。お母さんは、夜ご飯の買い物に出掛けてしまって、制する者もなく。
メガネ先輩と青木くんは、動画制作のあれこれを、持ち出してきた部のパソコンを開いて楽しげに計画している。
私はと言うと、今日は何でこんなことになってるんだろ? と彼女たちの会話を聴きながら思う。
ダメだ。つい、いつもの癖で、自分の状況を俯瞰に観ては、これは日常では無いなと軽視してしまう。神木さんと会ってから、目まぐるしく毎日が変化している、もともと流されやすい私は、置いてきぼりを食う。
皆に対して、ついさっきまで感じていた、わずかな緊張も、神木さんの、この嬉しそうな顔を見たら解けていく、人見知りという私の作る壁は、その作る暇さえ与えて貰えないほど、毎日が動いてる。新しい自分の発見や、二人でいることの楽しさや、家族とはまた違う、柑奈ともまた違う。誰かさんがいつも、私の側に居てくれるからだ。
そんな風に感じる
「ありがと」
「ん? 何が?」
そう言って、神木さんはまた楽しそうに笑う。
日も暮れて、今日はお開きということになった。皆で外へ出ると、千恵先輩の迎えの車がすでに玄関先に停車していた、ずっと待っていたのか気になったのだけど、運転手という仕事もそれほど暇ではないだろうと思うことにした。
でなければ、高校生の娘が友達と遊んでいるのをずっと待つのが仕事というのも、何だか可哀相な気がしたからだ。
「今日はありがとう、すごく楽しかった。勉強は全然出来なかったけどな」
「あはははは」
「千恵先輩もありがとうございました」
「今度は二人っきりで、ちゃんとお勉強しましょう。それから! 神木さん! どうしてアナタがそちら側に立ってらっしゃるんですの?」
今、私たちを隔つもの、それは、帰る側の人間と見送る側とだ。神木さんは私の隣、つまり見送る側に立っている。
「ふっ」
神木さんは笑って、私と腕を組む。
「くっ……ぐぐぐぐぐ! 覚えてらっしゃい! さぁ! 帰りますわよ!」
「じゃーねー、由結、神木さん」
みんなが口々に、挨拶をして車に乗り込んでいく。そんな中、すーっと助手席の千恵先輩に、神木さんが寄って行った。
「偲さんだけは、必ず家までお願いしますね。千恵先輩」
そう言った様に聞こえた。千恵先輩は一瞬驚いたような顔を見せたが、すぐに何事もなかった様に前を向くと、
「ふん! みんな乗りましたの? 行きますわよ!」
「ばいばーい」
皆の笑顔が一斉に、こっちを向く。
大きな車の割に静かな走り出して、やがて赤色のテールランプも見えなくなった。
「さてと、もう時期、お父さんも帰って来る時間だし、夜ご飯なにかなぁー」
「じゃ、早く片付けしなくちゃ、由結は洗い物を拭いて」
「はーい」