6人の背の小さい芸人
毎日毎日、新聞には新しいニュースが掲載される。それは尽きることがない。「本日は一面に掲載するようなニュースはありませんでした」という謝罪文が掲載されることはない。
同じく毎日毎日、新聞には四コマ漫画が掲載される。それも尽きることがない。「本日はネタを思いつきませんでした」という謝罪文が掲載されることもない。
いや?もしかしたら漫画ならあり得なくもないかな、ともおもったりするが。
今回はそんな四コマ漫画的な物語です。
この物語は「連日ワイドショーではー」
ではじまる。
テレビのワイドショーを観ていて、インタビューに答えたある芸人の一言から発想がふくらんだ。そして唐突に、この話は一旦置いておく。
誰だかの思いがけない言葉とか、熱をこめて真剣に語ってるであろう言葉とかが耳に残るというか。無意識に耳の穴の中の壁にメモして貼ってある。なんかそれが忘れられなくて。気になってしょうがないというときがある。
「これはなにかあるな」と思わせるのだ。そうしてぼくは物語を書きはじめる。
日常には物語があふれている。ぼんやりする時間というのは大切なものだ。世の中の人はぼんやりする時間があるとスマホをいじるようだ。自分の考えが誰かの考えにすり替わってしまいそうで「怖いなあ」とおもって、またぼんやり考える。そしてこの時すでに物語の入り口が浮かんで見える。
小説家ならどんなモチーフでも読み手が満足する物語が書けるのだろうとおもうけど。
少なくともそうなりたいとおもっているから、ぼくは書きつづけているのだろうと自己確認する。
それが散文的であっても今のところは仕方ない。見習いの料理人がプロの味をいきなり作れないように、今はただ書き散らすほどに書いていくしかないかなと。
とは言っても。それを読む人がいて読む価値のあるものでないといけない。小さく見積もってもクスっと笑ってもらえたら今回は御の字だ。では。
連日ワイドショーではお笑いに特化した芸能事務所の所属タレントの、闇営業及び反社会的勢力との関係による問題が話題となっていた。
記者会見でその所属タレントらがその問題の真相を語った。またこれまで虚偽の説明をしていたことを涙ながらに詫びた。
それを受けてその記者会見の二日後にタレントらの所属先となるお笑いに特化した芸能事務所の社長が記者会見をした。問題を起こした所属タレントに下した処分の撤回を発表し、社長である自らの責任だとこちらも涙ながらに謝罪した。しかしその後の記者会見の展開はお粗末なものであった。投げかけられる記者らの質問に対して社長は要領を得ない的外れな返答をしたり、イエスかノーを避けはぐらかしているとも取れる返答に終始した。
そのように社長がはぐらかしたり、はっきりとしたことを言えないというのも、その芸能事務所にも問題があるからだろう。潔白であればもっと歯切れの良いものであったはずだ。マスコミにもそこらへんのネタはつかまれていて、現時点ではあくまで疑惑として報道されている。
そんな中、あるテレビ局のワイドショーでそのお笑いに特化した芸能事務所に所属するタレントらにインタビューしたVTRが流れていた。名前も聞いたこともないような若手芸人や最近見なくなって忘れてかけていた中堅芸人が好き勝手に会社批判をしていた。かつてのお茶の間の人気もので現在は師匠クラスとなっている芸人が「若いやつらが会社を批判するもんじゃない」と怒っていた。そんなインタビューの最後に登場したのは誰もが知るベテランの、背が小さいという身体的特徴で笑いをとる芸人だった。
その芸人が自らが出演する劇場付近だと思われる商店街を足早に歩いている。彼は笑いが取れるほどの背が小ささだ。よって一般的な成人男性と比べるとかなり足も短い。彼が足早に歩いていても横にぴったりと付いて歩く芸能レポーターは普通に歩いているように見えた。芸能レポーターは今回の騒動について会社に何か言いたいことはあるか?と聞いた。芸能レポーターは彼に会社の批判を言わせたいのだ。芸能レポーターというものは多かれ少なかれそういう目論見があって質問をする。
「会社に?」と彼は険しい顔をした。そして続けた。「会社に言いたいことがあるとすれば」と彼は間をとって「背を高くする薬を開発してくれ。それだけや」と言った。
インタビューのVTRが終わりテレビ画面にスタジオが映しだされた。コメンテーターの一人が、背の小さい芸人を「お笑いの鑑」だと称えた。そしてスタジオにいる出演者も同様に感じたようで一同に笑った。
ぼくもテレビを観ながら彼の受け答えに笑った。そしてさすがだなあと感動した。
そのお笑いに特化した芸能事務所は歴史ある会社だ。そして今や知らない人はいないくらい有名で、規模の大きな会社になっている。
不祥事を起こした所属タレントらは涙を流し謝罪した。会社の対応に怒りにも似た感情を露わにする場面もあった。一方で他のタレントらが各々で不祥事を起こしたタレントのことを心配したり、会社に対して怒りのコメントを口にしたりしていた。そんなことがワイドショーでは伝えられていた。
だけどあの背の小さい芸人は嘆いている。お笑い芸人がテレビの前で悲しくて涙を流したり、ただ感情的に怒ったりするもんじゃない、と。
そしてそれはテレビを観る視聴者も同じく感じてることだとぼくは思った。
ぼくは考えた。大きな会社に一人で立ち向かうのは無謀だ。なんにしたって組織と個人が喧嘩して個人が勝利することは考えにくい。そしてドロ沼の醜い争い事なんて見たくないし、納得のいかない便宜的な処置ならいらない。なにより最後は笑って握手ができる結論に至ってもらいたい。そこは“笑い”が乖離してはいけないと思うんだ。それは簡単なことではないだろうけど。
そう考えているとぼくの脳裏に、あの背の小さい芸人が浮かんだ。彼ならそれができるかもしれない。でも彼がどんなにすごくても一人で立ち向かわせるわけにはいかない。組織と個人が喧嘩したら云々だ。そこで彼を6人にしてみた。はじめは1ダースとして12人と考えた。だがその12人という人数はサッカーチームをつくるならぎりぎりの必要最低限で少ないが、個人のクローン人間をつくる上ではあまりに多過ぎる。半ダースくらいが妥当ではないかと判断した。三人寄れば文殊の知恵と言うじゃないか。それの「さらに倍!」なら心強い。何とかなりそうな気がした。
ある日の朝10時に背の小さい芸人は背の小さい芸人5人を連れて(計6人で)会社に乗り込むんだ。
「社長を出せ!」と背の小さい芸人はいきなり受付の女性を怒鳴りつける。
「社長はただいま外出中です」と受付の女性は手元の資料に目をやり返答する。
「外出中やったらその外出先へ連絡せんかい、このボケ」と背の小さい芸人はまた怒鳴る。後ろの5人の背の小さい芸人たちが「そうや」、「早よせえ」などと囃し立てている。
受付の女性は要求に応じ社長の携帯電話に連絡をする。社長は携帯に出た。受付の女性が状況を説明する。社長は受付の女性の声が震えていることに気づき「何か良からぬことが起きている」と感じとり直接話すから背の小さい芸人に電話を代わってくれと言った。受付の女性は受話器を背の小さい芸人の方に差し出し「社長です」と、か細い声で言った。背の小さい芸人はその受話器を受け取ろうと反射的に右手を伸ばしかけて背中のゼンマイが切れたように一旦静止した。居酒屋で呑んで店を出たらたまたま偶然タクシーが走ってきていて「ツイてるな」とそのタクシーを停めるみたいに右手を挙げた状態で、しっかりと間をとってからその手のひらを夜空の星を表すようにひらひらと振った。きらきら星だった。
「顔みな、話せん。戻れ言え」と背の小さい芸人は受話器を突っぱねた。後ろの5人の背の小さい芸人たちも「不躾な」、「生意気や」などと文句を言った。
それは背の小さい芸人によるファインプレーだった。電話で話すのなら計6人で来た意味がない。仮に一人ずつ電話を代わったとしても声も喋り方も一緒なのだから伝わるはずがない。顔見て話す、それだけや。
受付の女性はもう一度電話に出て社長に経緯を説明した。社長はすぐに戻ったほうが良いと判断した。わかった、と言って電話を切った。さほど遠くへは行っておらず10分少々で戻れると社長から聞いたので、受付の女性は背の小さい芸人たちを応接室に通した。
社長は本当に10分で戻ってきた。受付の女性は「応接室です」と言い「6人おられます」と添えた。
「あと5人は誰や?」と社長は背の小さい芸人の名前を言ってからそう聞いた。
「5人ともその方です」と受付の女性は言った。「その方が計6人です」
「6人?」と社長は目を見開いて受付の女性を見た。
「笑かそうとしてんちゃうか?」と社長は言ったが受付の女性は至って真面目な表情をしていた。
社長が応接室の扉を開けるとソファーに6人の背の小さい芸人が座っていた。その異様な光景は村上春樹著の小説『1Q84』に出てくる「リトルピープル」を思わせた。リトルピープル?あながち遠くはないか。横長の三人掛けのソファーに5人の背の小さい芸人が座っていた。彼らは笑いが取れるほどに背が小さく、よって一般的な成人男性と比べると体格もかなり小さい。リトルピープルだ(言い切ってしまっては支障がありそうだが)。彼らは三人掛けのソファーに5人座れる。そして本来なら社長が座るであろう位置にある真向かいの一人掛けのソファーに残りの背の小さい芸人が座っていた。
社長は6人の背の小さい芸人を見て驚いた。
「テレビカメラ撮ってんちゃうの?」とドッキリ番組を疑うような発言をした。
背の小さい芸人たちは社長の言葉には反応はしなかった。
「ずいぶんと待たせてくれたな」と一人掛けのソファーに座っていた背の小さい芸人が言った。社長はその背の小さい芸人の方を見た。
「なに、わしの席に座っとんじゃいう顔しとんなあ」と一人掛けのソファーに座っていた背の小さい芸人が社長に睨みを利かしながら言った。立ち上がって社長を見上げるように(身長差があるから)睨みジリジリと前進し社長を後ずさりさせると「席温めておきましたんで、どうぞお座りください」と腰を低くしてへりくだって言った。お笑い芸人らしくボケをかましたのだ。三人掛けのソファーに5人で座っていた背の小さい芸人たちが前のめりになってズッコケた。さすがの連携プレーだった。社長は苦笑いしながらその一人掛けのソファーに座った。たしかにソファーのクッションが生温かかったが社長はそれには触れなかった。座る席が無くなった背の小さい芸人は5人が座るソファーのすぐ横の板の間に胡座をかいた。
「おーい、わしがどこにおるかわかるか?」と5人に聞いた。5人は声はすれども姿は見えぬ的なリアクションをし探すふりをした。
「ここや」と胡座をかいた背の小さい芸人が大声で叫んだ。
「ここにいてはったんですか?」と一人が言って全員で大げさに驚いた。
「小さくて見えませんでしたわ」と別の一人が言って全員で顔を見合わせた。
「いつからいてはったんですか?」とまた別の一人が言って全員で胡座をかいた背の小さい芸人を見た。
「小5の夏からや」と胡座をかいた背の小さい芸人が言って、5人全員はまた前のめりにズッコケた。社長はけったいなものを見るような表情で6人を見ていた。
「お遊びはここまでや」と胡座をかいていた背の小さい芸人が立ち上がって続けた。「会社にたいして言いたいことがあるんや」と人差し指を立て、その指をふりながら社長の顔を指した。
「言うたれ言うたれ」
「我らは芸人みんなの代表や」
「売れない芸人にも家庭があるんや」
「会社の横柄な態度は許さへんぞ」
「ギャラをあげたれ」
5人の背の小さい芸人がそれぞれ一言ずつ言った。予め決められた台詞みたいに。そして社長の顔を指差した背の小さい芸人がたっぷりと間をとって最後にあの言葉を言うんだ。
「早く背の高くなる薬を開発してくれ」
5人の背の小さい芸人は大オチ用に派手にズッコケる。一人の背の小さい芸人は「それだけや」と言って応接室を出る。これにて彼らのなんたら新喜劇的舞台は終了だ。そして舞台袖から再び姿を現わすようにもう一度応接室に入り社長に言う。
「来月からギャラは6倍や」と言って他の5人を数えて頷きながら今度こそ本当に応接室を出た。
ぼくはこの会社が「背の高くなる薬」を開発することを考えた。その薬が完成し背の小さい芸人の手にわたる。
彼はその薬を飲まないだろう。
その理由を今度は何と言って笑わせてくれるだろうか。
大オチがすでにモチーフとした本人の口から語られてしまっていたのでやりにくい展開ではあった。
四コマ漫画的なおもしろさは表現できたとおもうが、四コマ漫画のあの小さなスペースで完結する物語をあらためてすごいと感じた。
笑いはテンポも関係してくる。それを表現するということは、その向こうにどこまでいっても完結しない枠のない果てしない世界が待っている。
喜ぶべきか‥?いや喜ぶべきだろう。