1-1.ヒーロー参上
早朝。
ガラクタで組み立てられた化け物が天の太陽を呪い地の全てを憎むように咆哮をとどろかせたとき、東京都C区画に住んでいる人類は心の奥底にしまいこんでいたはずの恐怖に襲われた。本来、人間には外敵など存在しないにも等しかったはずなのだから。
アスファルトに舗装されていた地面は化け物が一歩歩むごとに大地にその存在を刻み込まれ、進路上にあった邪魔な障害物――自動車だとか電信柱だとか――は踏みつぶされるか、さもなくば腕によって薙ぎ払われて風に吹かれる紙のように、彼方の空へと吹き飛ばされていく。
「なんでだよ、なんで<ブロウクン>がいるんだよ……!」
「Dの壁が破られたって聞いたわよ。もうダメ……終わりよ!」
「皆さん、慌てないで避難してください。大丈夫です、落ち着いて、落ち着いて……!」
「通せ、ワタシを誰だと思っている!?」
「押さないでください! 避難所はあちらです!」
我先にと逃亡を開始する男、恋人だけは必ず助けると息巻くも、自分達が置かれた現実を前にしては蟻の足掻きにすら届いていないことを自覚する男。何をすればいいのかも分からず泣き喚く女、そんな彼らを必死に制御しようとする警備員。
彼らは何もすることが出来ていない。心のどこかで、「どうせD区画の壁を破る前に討伐されるだろう」と思っているか、もしくはそんな貧乏人どもの巣窟のことなど綺麗さっぱり忘れているかのどちらかだ。
混沌の様相を呈する町中であったが、そんなものは化け物にとっては何も関係はない。ただ踏みつぶし、薙ぎ払い、蹂躙し、破壊すること。廃液が零れおちる思考回路基板に刻まれていた命令は実にシンプルであり、そんな彼を前にしてみれば、人々は蟻にも劣る存在であったからだ。
いや、積極的に噛み付こうとする蟻の方がまだマシだっただろう。それこそ、化け物が侵入してきた最初の場所は、必死に抵抗しようと武器を向けていた。
とはいえ現実はこれだ。化け物の歩みを止めるどころか、鈍らせることすらできていない。成すべきことを成す、ただその一心でここに突入した彼は、蟻の一噛みを気にすることはなく、隔てていた厳重であるはずの防壁を打ち破って此処にいる。
襲撃、暴力、暴虐の旋風。
鉄をくずに変え、住宅を段ボールを潰すかのように粉砕し、文明社会が築き上げてきたものを嘲笑うかのように破壊活動を繰り広げる化け物。
一通り終えた彼の視線は、いつしかある一点へと向けられていた。
大勢の人間達が出口から雪崩のように排出され、逃げ惑う場所。C区画を一周する電車の駅であり、大勢の人間が行き交う場所。
化け物は人の気配に吸い寄せられるように一歩、二歩と足を進めた。それに合わせて恐怖と狂気に彩られた悲鳴があがる。
化け物が迫る、人が逃げる、あと四歩、三歩、二歩――乗客乗員の避難が完了した。
それでも化け物は止まらない。頭部に取り付けられた錆びついたカメラアイを動かし、生存者を探す――発見、レンズが絞られた。
「おがあさん、おがあさーん!」
一人の子供がへたり込み、どこにもいない母親の姿を探して泣き叫んでいる。お気に入りのスカートを汚すこともいとわないで地面に腰を下ろしている彼女は、動けなくなっていた。化け物が齎す、人の大混乱に巻き込まれ、障害物によって足を挫いた。
彼はそれを視た。無機質に殺して無意味な死を与えてやりたいと。積み重なる屍の山の一部にしなければならないという脅迫めいた思考回路に従い、一歩踏み込んだ。
ここに、一人の少女の命が潰えようとしていた。
知ってか知らずか、いつしか少女は呪うように世界へ紡いでいた。
いや、本人は呪っているという意志すらないかもしれない。だがそれは、死に瀕した誰もがあげる声だ――。
「たすけてよ、たすけてよ……!」
その声に応えるものは、誰もいない。
だから、化け物はその足で踏みつぶそうとして――。
「凍てつけ我が心、『魔神義装-氷華-』」
――自分の足が動かないことに気付いた。
灼熱の太陽が照り付けているにも関わらず、真冬のような冷気がこの場に展開された。
アスファルトは、自動車は、電信柱は、街路樹は、何もかもが凛とした一声を合図にして凍り付いた。
化物の足に至っては、接地面から自身へ向けて侵食するかのように氷が這おうとし、その全身を食い散らかさんが勢いだ。
だがこの程度、彼にとっては何の不自由にもなりはしない。誰がどう見たって錆びつき壊れかかっているはずの脚部機構が生み出す馬鹿力が、自分に張り付いた氷を引きちぎった。
さあ、これで問題はない。彼は彼にしかできないことを成すことであり、目についた人間を鏖にすればよいだけのことだ。
「羽搏け私のこどうっ! 『魔神義装-風鳥-』」
そうして一歩踏み出そうとしたところで、彼は、彼の眼から少女の姿が消えていることを感知した。何処だ、何処にいる、あり得ない。何故、何故――。
その場に残されていたのは、誰も追いすがることを許さない自由の風そのものだ。ふわりと現れ、子供を攫って去っていく悪戯好きなおとぎ話の精霊のように立ち振る舞う少女がいた。
彼女の左腕には、黄金に輝く義手が装着されている。
宙を走り宙に立ち止まり、たった今化け物の魔の手から救い上げらげられた童女。何が起きたか分かっていない様子の彼女は、少女の右目を見て小さく声をあげた。
「こわいよ……!」
「あー、うん、やっぱりこうなっちゃうよねぇ」
少女の右目は黄金に輝く仮面のようなもので覆われ、眼球にあたる位置では大量の歯車が動いていた。
分かり切っていた反応を前に少し寂しそうに微笑んでから、この場にいるもう一人――真打へと向けて叫んだ。
「椿姫ちゃん! こっちはおーけーだよ、よー救助者いちめー確保っ!」
化け物は、そのカメラレンズにもう一人を映し出していた。
先ほど自分が無意味につぶすはずだった命とは違う、煌々と燃え上がる何者かを。
一本に纏められた髪は先ほど精霊を演じてみせた少女が起こした風で揺れ、何処か幼くも真っ直ぐな目で前を見つめるその姿をこの場を凍てつかせてみせた少女の手によって生み出された氷結の粒が際立たせていた。
「篠宮さん、お願いします!」
「たのんだよー!」
二人の声に応える少女は、燃え盛っていた。
だがそれは死を意味するものではない。全てを焼き払う灼熱と人体が同居するという奇妙な現象として、彼女はそこにいた。
両腕、両足より噴出する炎が、彼女の姿をまるで火炎より生まれた魔神のように振舞わせている。
そして、彼女は天へと拳を掲げた。
炎が揺らめく、吹き上がる、超高熱の波動が放出される。
人類の理解の範疇を超えた超大規模の化学現象を演じておきながら、しかし古来より人々を見守るためだけに其処に在り続ける存在。
「篠宮椿姫の人生三箇条!」
そんな彼女が、快活さを絵に描いたような屈託のない笑みを浮かべて叫んだ。
「一つ! 泣いてる人を見つけたら放っておけるわけがない!
二つ! 暴れているのを見つけたら、この鉄拳が炸裂する!
三つ! 目指すはいつもハッピーエンド!」
化け物が咆哮した。
新たなる敵を鏖にしなければならないと、彼自身ですら感じたことのない何かが思考回路を支配した。屑鉄を寄せ集め、超高温で煮立たせ続けたような熱気と情景に近いのだろう。
あれは必ず潰さなければならない、あれは必ず滅ぼさなければならない、あれは必ず、必ず、かならず、カナラズカナラズ!
「燃え上がれ私の情熱ッ、『魔神義装-光焔-』ッ!」
少女が動き出す。
化け物がその腕を振り上げれば、少女も紅蓮に燃えるその拳を構えた。
互いに止まる様子はない。全速力で、屑鉄の意志と灼熱が衝突する!
「『爆焔・熱衝撃』――ッ!」」
交錯、決着は一瞬だった。
拳を振りかぶった少女の目の前で、屑鉄を組み立てて作られたような化け物の体が跡形もなく崩壊していく。
化け物の頭部が消滅していた。首元では赤熱し、水あめのように輝いていた。少女の超高熱の拳は、化け物の頭部を焼くどころか融かした上で吹っ飛ばしたのだ。
リングの上に立つのは、勝者唯一人。
ただの瓦礫の山と成り果てた化け物の上で、少女は拳を天高く掲げて叫んだ。
「だいッ、しょぉぉぉぉぉり――!!!」
――東京。
それは、気候変動と温暖化が進んだ世界の中で、ただ一つまともに運営されている都市。
貧富の差によってエリアAからDまで分けられ、東京という町のみで一国家の機能を担っているこの場所に、分け隔てなく全てを救わんとするヒーロー達がいた。
だから、人は今日もなんだかんだ言いながら平和に過ごすことが出来る。