食う寝るところ、差すところ
賭け事で一番難しいのはなんだと思う? 『勝つこと』だと思う奴は
ギャンブル向いてねぇから金輪際手を出さないほうがいい。
「……………………――?」
「オウ。兄ちゃんよ。頭からっぽンとこわりぃけどよ。起きてくれや」
「……――!?」
「起きたけ? ホラ。わかンだろ? オマエ、マケタ。オレツヨイ。カネヨコス」
「…………――……」
「カネ。ヨコス。――――そうだ。いーぃこだ。」
正解は、『勝ち分を取り立てること』だ。
渾身の三十七手詰問題を解かれた小男は、しばらく何が起きたのかわかんねぇって風に大盤を見て放心していた。
わからなくもねぇ。でかい勝負の後ってのは、勝っても負けてもそんなもんだ。
口をポカン。目はどんぐり。指先だけがふるふる震えてなきゃ、立ったまま死んでんじゃねぇかって心配ンなるくらいだ。実際、俺が声をかけなきゃそのままポックリ死んじまいそうだったね。
正直ちょいと気の毒ではあったが、それでも腹がすくのが渡世ってもんだ。気がしゃきっとするまで声をかけてから俺が籠を指させば、小男は心底悔しそうな顔でそれを差し出した。
――やっぱり、こいつは商売が上手ぇよ。
感心する。惜しくて惜しくて今にもどたまから真っ二つに裂けちまいそうだって面してる癖に、それでもちゃんと、負けを払おうってんだ。
賭け事で一番難しいのは、『勝ち分を取り立てること』だ。
嫌って程見てきたぜ。いざ負けるだけ負けて、一発逆転の大勝負でも負けて、どん底のどん底まで身代さらった金までぶち込んで負けて。ヤケクソんなって踏み倒そうってクソ野郎はよ。
こいつだってやろうと思えばできなくもねぇ。今すぐ籠ぉ抱えて駆けだせばいい。体格だけみりゃ俺から逃げ切れるか怪しいとこだが、俺は上から下まで正真正銘の異邦人丸出しだ。地の利があるのはよぉくわかってんだろう。
それでも払おうってんだ。色々理由はあるだろうよ。実際どこまで逃げ切れるのか解んねぇって不安だとか、この舞台や大盤を置いて逃げるのは割に合わねぇだとか。周りにまだたむろしてる観客連中の手前とか。――客の前で不義理をやらかしたら、二度とこの商売はできねぇからな。
ただ、そんな現実的な重大事なんかよりクソ下らねぇ大事な理由があるんだろう。
手前の商売はそういう商売で。
選んでそんな商売をやってるってぇ矜持が、少なからず、あるからだろうな。
――こんな見も知らねぇ場所で、将棋を差してる知らねぇ野郎って贔屓目が、そう思わせてるのかもしれねぇけどな。
そうだ、実際、贔屓目はある。
正直、心細かった。わけも次第も右も左も解らねぇこの場所で、唯一意思の通じる相手だったからな。
だからよ。
俺のすべき選択肢は一つだぁな。
「……あー。なんだこの銭。文字から形からマジで見覚えねぇな。何所の何時なんここ……。でかいのがいい銭なのか、それとも材質なのか……」
とりあえず、籠に一番多く入ってる小男が最初に払いに使った銅貨(?)はパス。削れてるし汚ねぇし割れてるのとかある。明らかにクズ銭って感じだ。一番ちいせぇ銀貨(?)は比較的綺麗な銭が多いんで、これを二十枚ほどつまんでポッケに突っ込む。それより一回り大きいデザインの違う銀貨(?)は四、五枚しかねぇ。特にきれいな三枚だけ選んで、そっちは財布にしまう。
「……ん」
んで、残りを籠ごと、小男につっかえす。
「……?」
「オラ。はよとれや。返すってんだよ。キャッシュバック。フォーユー。アーハン?」
「……――……?」
「タダじゃねぇぞ。ホラ。タダじゃねぇっつってんだろ。はよ。話がすすまねぇんだよ! はよせんかい!」
「――!? ――! ――――……!?」
負けが決まった時と同じぐらいに、わけがわかんねぇって顔して籠を受け取る小男。
「よぉし。うけとったな? いま俺から銭もろたな?」
「……――?」
「金はろたら仕事さすでな。――俺よ。寝床もなきゃメシのあてもねぇんだよ」
大阪弁は宇宙共通語。ジェスチャーも合わさればなんでも通じるわ。
「メシや! メシ、フード! 腹いっぱい!」
「――……――!」
突然大声でわめきながら手で口に何かを掻きこむ動作をする俺。
キョトンとする相手。
「んで布団! 壁と屋根! ウォール!」
「――? ――! ――――――!」
間髪入れずに両手を重ねて顔の横に。目を閉じて首を傾けおねむのポーズ。
「ホンでな! 酒! 酒や! メシ! サケ! フトン! オマエツレテケ! メシ!」
「――!」
最後は見えないジョッキを握って、ぐいっと一杯、飲み干す動き。
「わかったか? わかった?」
「――――! ――!」
「よっしゃぁ!」
ドン、とこぶしを胸に当て、ふんぞり返った小男を見て、俺は喜びで飛び跳ねた。
俺! 今日からバイリンガル! ドヤァ!
***
何事かの口上を述べ、観客を散らした小男に連れられ、たどり着いた建物。
国も言葉も違ってもわかる。酒と飯を出す店の気配。軒先まで漂う食い物の薫りと、漏れ聞こえる喧騒。
扉をくぐれば、絵にかいたような『洋風酒場』だ。
ああ。見立てぁ間違ってなかった。この男は聡い。あんな身振り手振りだったってぇのに、俺の希望と寸分たがわずだ。
ほんとに、聡い。
「……――?」
店に入るなり、にやりと微笑んで男が指示したのは酒場の隅。ほんのりと暗がりになった、不自然に空いた席。
「……お前よぉ」
「――?」
テーブルの上には、盤と、駒の箱。
「ホンッと、心底、商売上手な」