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融けそうな事象はバスの餌食で

作者: 蕃茄子

ところで私はあんまり乗らないバスの中で、音楽を聴く。

音楽を聴くのは自分の世界に入れるからで、周りの雑音とか話し声とか余分な、なんていうかそこまで聴いていなくてもいいかなっていう音をシャットダウンするためにイヤホンをつける。

つけて、音楽を流す。

気分によってはアニソンだったり、優雅なクラシックだったり、イケイケのアイドルだったり、感情豊かな機械音だったり、ゴリゴリのロックだったり、数え切れないほど溢れる邦楽洋楽、時には耳が妊娠しそうなくらい甘い声を聴いたりと。

バスの中ではそんな風に、平然と乗車しているバスの中でそういう音を至近距離の装着器具で聴いている。

周りは私が何を聴いているのかなんてわかるはずもない。

ぐへへとか、エクセレント!とか訳わからない大丈夫かこいつって思われるような言葉を唐突に叫ばないようにさえすれば何を聴いているかなんて到底わかることもないだろう。

第一、そこまで周りは私という人間に興味関心を抱いてはいない。

だからそんなバスでどエロい喘ぎ声を真顔で聴いていようと関係ないのだ。

私が猫箱本体となろうとも何を聴いていてもいいのだ。端子と端末が離れることさえなければ、にやけたりしなければ、だが。

周りが私が何を聴いているのかどうでもよくても耳元で流れる音楽が現状況で私の耳を包み込んでいる訳だから、あくまで私の耳はその音で侵されている。

だから、周りにも聴こえてるんじゃないか、実はイヤホン外れているんじゃないか、と多少は気になってしまう訳で。

あとはたまに自分の顔を確認したり。ポーカーフェイスは苦手なのだ。断じて聴かせられないような音楽を聴いている訳ではない。常日頃ならばの話だけれど。

たまにはそういう音も耳には必要だと思う。耳という一部よりは絶大な浸透力を兼ね備えていると思うから。まぁ、耳に限らず。

音楽を耳にぶら下げて、勝手に進んでくれる乗り物に揺られて外を眺める。

ボリュームにもよるが煩すぎる音は嫌いだから、モーター音?回転するタイヤと路面の接触摩擦音?が少し聴こえるくらいが好きだ。

小さい頃近所にパチンコ屋があって、子供は入っちゃ駄目と親に言われて育ってきた。

どうして駄目なのか分からなかったけれど、一度だけこっそりと自動ドアの前に立って数歩中へ踏み出したことがある。

数歩で辞めた理由は親への罪悪感と劈く不協和音が不快だったことだ。

子どもだった私はあぁ、きっとこの音が煩すぎて耳に悪いから入っちゃ駄目なんだなと解釈をした。

でも、後になって簡単にギャンブルは悪影響だというシンプルなものじゃないかと理解した。

そんなこんなで大きい音を聞くとあの時の音が蘇って頭がおかしくなりそうだから好きではないのだ。

それか慣れていない。もちろん、クラブやパーティーも例外ではない。

コミュ障ではあるがそれ以前にうるさい、いや正確には喧しい音が嫌なのである。

しかし、耳元の音楽を静寂と肯定して、その蚊が泣くほどのブーンと唸る音に集中がいってしまう。

音楽メインで聴いていたはずなのにいつの間にか、音楽がBGMに変わり果てているのだ。

そしてコロコロランダムリピートで聴いているフォルダ内でたまに意識が音楽に戻った時にたまたま流れていた音楽しか覚えていないからその一曲にだけ飽きがやってくる。

てことで、聞き流しちゃうよね。これでよりBGMに成り果てるのだ。

が、だからといってボリュームを上げることはしないし、聴くことに集中するぞって感じにもならない。

だって、その音楽とブーンと一定に刻むリズムは何故だかとても聴き心地がいいから。

アレンジだと思えば…。おっと、ここまで考える必要は無論ない。

流れていた音楽から次の音楽へ流れる数秒間の完全な無音は現実に目をやるウェイトタイムみたいなもので、すごい気にしていることでもないけど思考が停止したみたいな、人形みたいに魂が抜けて次の音楽がかかるまで入ってこない感覚になる。

自分で聴くのを辞めたときは別として、自動はなにもかも自動任せとなる。

そう考えると便利な世の中になっているよなぁってしみじみ文明の発達に感謝をする。

私は小さい頃乗り物酔いしやすくて目が回って外が見えない、頭がクラクラして本も読めない、会話をするだけで気持ち悪くなる。もちろん音楽も聴けなかった。

寝るか、数字を無心で数え続けるかの二択だった。

大体は眠ってしまうけれど数字を数えている時の私は無心を意識していたものだからよりリアルな抜け殻だったに違いない。

しかし、今となってはその全てが実行可能だ。

三半規管大成長、ありがとう三半規管。おかげでその時間を有意義に使えるようになった。

音楽を聴きながら読書することが大半のバスの中。

世界に完全に没頭する事で先程のブーンという音もBGMの仲間になる。時に下を向いているものだから頭に血が上って酔う手前までいく。

これは本当どうしようもないから自我で気付くしかないのだ。

便利になったのは文明と共に私の成長。バスでなくとも私だってブーンと唸るものを動かせる年齢だ。そりゃ体ののかも目に見えるものも見えないものも良くも悪くも変化はするよね。

読んでいた本がバスに乗っている途中で読み終えてしまった。

他の本は持って来なかった。持ってこれば良かったかなと思う反面

持って来なくて良かったかなと思う。

ふと外に目をやると広がる風景に懐かしさや新鮮さ、興味を示しながら、ウェイトタイムに入ったBGMで耳元を包まれながらもブーンと唸る音がはっきりと風景にマッチしていてその儚さというか、普遍性というか、当たり前であることを認めたくないような思いがジリジリ内側から外側へ圧迫していく。

苦しいとも言えない、似つかわしくない勿体無いを当てて私は暫く勝手に進む乗り物に身を任せていた。

いつしか私はBGMに成り果てていた音を消失させて端子端末の関係を絶って、音を抱きしめることが可能な唯一の器官から音を紡ぐ機械を外し、ガラス越しの感情のない風景に目を奪われていた。

聴こえるモーター音のような摩擦音のような機械音は耳に付き纏うのに、過ぎ去るそれらを焼き付けることしか出来ない私は私という終着を認めたくない、認められたいの狭間で息をしているのだと再認識する。

バスの中で可能性が増えたからといって、全てをそれに捧げるだけができることではないのだ。

三半規管は成長した。なら私は…



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