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(3)

 ティアナンに会い、共にいるようになって早くも一ヶ月が過ぎた。

 ルーカスの件は、結局その後は何も進展はないままだった。

 あの悪魔は、再びヘザーとティアナンの前に姿は見せていない。

 『こちらから出向くのはどう?』というヴィクトリアに、ティアナンは首を横に振った。

 「奴の名を見つけない限り、逃げられて終わりでしょう。結果は先日と変わりません」と。

 サンクスギビングデーも過ぎ十二月に入り、雪がちらほらと舞う日も増えてきている。

 遊園地でルーカスに会ったあの日から、ヘザーはほぼ毎日ハイスクールへ通っていた。

 とは言え今のヘザーは誰の目にも映らない。

 授業中に教室の隅に立っていても、やはりと言うべきか皆全く気付かない。それに誰もがヘザーの名を口にすることがなかった。

 まるで自分など最初から存在しなかったかのようで、自分がいなくても変わりなく過ぎてゆく日々に、ヘザーは今更ながらショックと寂しさを覚えた。

 それでも彼女がここに通うのは、ルーカスのことが心配だったからだ。

 悪魔が憑いているはずのルーカスは、若干顔色は悪いものの、それ以外では普段と変わった様子はない。 それを見る度にヘザーは安堵に胸をなで下ろした。

 あの晩のことは、悪い夢であったのかもしれない。

 あまりにも変わらない日常に、徐々にそう感じるようにすらなっていた。

 そんなある日、ヘザーはカフェテリアで自分の名を呼ばれるのを久し振りに耳にした。飛び上がりそうなまでに驚き、振り返る。


「なぁ、ヘザーだっけ? あのメガネでオタクの。最近ずっと見ないじゃんか」


 どくん、と胸が鳴る。

 それは、ルーカスのグループの一人の言葉だった。


(気付いて。あたしは、ここにいる)


 息を詰め、テーブルでランチを取る三人を、カフェテリアの隅からじっと見つめる。


「あ~、なんかさ、良くない噂聞いたぜ? 自殺したとか何とか」

「ルーカス、お前があんなこと言ったからじゃねぇ?」


 これに名を呼ばれた彼の顔色がさっと青くなる。


「おい、よせよ、いくら冗談でも」

「けどさ、タイミング的にもそんな感じじゃね? お前がからかった次の日だったとか」

「やめろ! もしそうだとしても、俺は関係ない! 勝手にそうした本人の責任だ。あいつは弱いヤツだった、それだけだろ!」


 激高し、ルーカスは椅子を倒す勢いで立ち上がる。辺りはしんと静まりかえり、ルーカスに全ての視線が集中した。


「何だよ、見るな!」


 彼は周囲に向かって怒鳴り、そしてそのまま足早にカフェテリアを去ってしまった。ヘザーは、その背を呆然と見送る。


(……自殺した? あたしが? 事故じゃ、なかったの?)


 ショックだった。

 ヘザーには、自分が死んだ時の明確な記憶がない。


(あたしが天国に行けなくて、こうしてまだここにいるのも、自殺したから……?)


 それからは、ハイスクールを出た記憶もなかった。

 どこをどう歩いてたどり着いたのか、気付けば墓地の入り口に立っていた。周囲は既に薄暗くなってきている。


(もしかしたら、あるかな。あたしの――)


 無意識にそんな考えが浮かび、ぞっとする。

 けれど、自分の死に関する何かが掴める気がして、ヘザーは思い切って敷地に足を踏み入れた。

 とたん、悲鳴を上げそうになる。

 墓地のあちこちに、生前のヘザーの目には映らなかった姿があった。

 それらは皆一様に生気のない顔をし、何をするでもなく、無表情で佇んでいる。

 墓標に座っている者、木の側に立ち尽くすもの、小さな礼拝堂前のベンチに腰掛けている者。

 ここにいるのは自分やヴィクトリアと同じゴーストではあるが、明らかに様子が違っていた。

 目玉があるべき部分は黒い空洞で、心や感情というものをまるで感じられない。

 その全身を黒い霧のようなもので包まれ、禍々しい気を醸し出している者もいる。


(ティアナンの言うとおりだ)


 寒気がした。

 ――いや、厳密に言えば、そんな気がしただけかもしれない。ゴーストになってからというもの、暑さや寒さを感じることはなかったのだから。

 それでも肌が粟立っているのを感じ、ヘザーは自身の墓標を探すのはやめてすぐにその場を去った。


(どうして、あたしは自殺なんてしたの? どうしてあたしは、まだここにいるの。どうして、どうして)


 考えても答えが出ることはない。

 自分のことだというのにわからなくて、混乱した。

 半透明なつま先だけをじっと見つめて歩く。次に顔を上げたのは、自分の家の前で、だった。

 先ほどの墓地と同様に、無意識に向かっていたらしい。見慣れたその青い屋根の二階建ての一軒家は、何も変わった様子もなく静かに佇んでいる。


(パパとママは、どうしてるのかな。きっと、すごく悲しんでる。あたしが、自殺……なんて……)


 二人に会いたい。

 しかしそれ以上に、両親の様子を見るのが怖く感じた。

 自分のせいで、どうなってしまっているのかと考えただけで、足が凍り付いたように動かなかった。

 だから慌てて背を向け、走った。一秒でも早く、一マイルでも遠く離れられるように。

 虚ろな表情で地下鉄に揺られ、どんどん人の気配も車通りも少なくなってゆく道をとぼとぼと歩き、やっとでティアナンの家に帰り着いた時には心底ほっとした。

 相変わらずのボロ屋敷ではあるが、少なくともここでは自分の姿を認めて貰うことができる。それに、人の温かい笑顔の傍にいられる。

 それだけでも今のヘザーにはとてもありがたく、救われた気分だった。

 両頬を掌でぴしりと叩き、必死に笑顔を取り繕う。


『ただいま~!』


 できる限り明るい声を意識し、扉を開く。同時に、奥の部屋からティアナンの声が響いた。


「うわ! 何ですか、これ!」


 彼も仕事から帰って来たばかりらしい。声のした部屋に行くと、まだコートを羽織ったままのティアナンが、それを見上げて唖然としていた。


『何って、ツリーよ~?』


 ふわりと空中に浮いたヴィクトリアが手に持っていたのは、天辺が天井にまで届きそうなほど背の高いツリーに半分巻き付けたガーランドだ。

 ヘザーは、ヴィクトリアが数日前から提案していたことを思い出す。クリスマスに向けて、部屋をめいっぱい飾り付けようと。

 どうやらヴィクトリアは、それを実行したらしい。

 計画を聞いた時、ヘザーは『ティアナン、反対しない? そういう派手なの好きそうじゃないし』と答えたが、ヴィクトリアは『クリスマスって言ったらキリスト教の一大イベントでしょ。それに反対するようなら神父じゃないわよ』と一笑に付しただけだった。


「ツリーはわかりますが、こんなに派手にしなくったって……」


 ヘザーは若干、ティアナンに同情する。ヴィクトリアのツリーは、世間一般からズレた、かなり奇抜なものだった。

 濃いパープルのツリーに、ビビットな蛍光カラーのガーランド、それに多数の電球がこれでもかとふんだんに巻き付けられている。

 肩に掛けていた鞄を定位置に片付けながら、ティアナンはツリーを眺め、ため息を落とす。


「いいじゃないの。ハロウィンの次はサンクスギビングデー、その次はクリスマスのシーズンって、デパート業界じゃ常識ってもんでしょ」

「そんな、商業戦略に踊らされて。いいですか、そもそもハロウィンというのは古代ケルト人達の収穫祭ですし、クリスマスとは起源は聖ニコラスが――」

「あ~もう! そんなウンチクいいってば。クリスマスって言ったら雰囲気を楽しむモンでしょ! ツリー、街中のイルミネーション、ショーウィンドウのディスプレイ、それにジンジャークッキー、エッグノック、クリスマスソング!」

「また、そうやって俗世間的なものばかり……。何より大切なのは、信仰心ですよ」


 ティアナンが諭すように言い、自分の胸に厳かに手を置くが、ヴィクトリアは真っ赤なルージュを引いた唇を尖らせるだけだ。


「つまんなーいッ! アンタ、ほんと固すぎるってば」


 思わず苦笑すると、二人がやっとでヘザーに気付いたらしい、揃って振り返る。


『あ! 帰ってたのね。ヘザーはこのツリー、どう思う!?』

『うん、素敵……と言うか、ファビュラス!』


 ヴィクトリアの喜ぶ一言を思い、ヘザーは言い換えて微笑んだ。


『そうでしょう? ほらねティア、これでいいのよ!』

「ティアナンです。……せめてもう少し、照明を落とせませんか? 眩しくて仕方ない」

『普段が暗すぎるのよ、この家は! ミラーボールがあったっていいくらいだわ』

「みらぁ、ぼーる?」

『知らないの!? ってか、そうよねぇ、アンタがそういう物がある場所にいるのすら、想像もつかないわ……』

(それは確かに、そうかも)


 二人のやりとりに内心でこっそり苦笑しつつ、ヘザーはキッチンへ向かった。

 今日のメニューは、得意のマカロニチーズにしよう。

 マカロニに具材を混ぜたチーズを絡めるだけのお手軽料理だが、ヘザーの好物だ。


『もう少ししたら、クリスマスディナーのことも考えよう』


 そんなことを考えながらマカロニを茹でる。その最中にも、キッチンまでヴィクトリアが口ずさむ楽しげなクリスマスソングが聞こえてくる。


『クリスマスか……』


 もう一つの鍋でチーズを溶かしてかき混ぜながら、ヘザーはしみじみと呟いた。

 毎年このシーズンになると思い出す。

 十二歳のクリスマスに出会った、不思議な人物のことを。


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