(2)
『な、なんか、派手な演出をしたわりにはあっさりしているけど……!?』
息も絶え絶えにへザーが言うと、ティアナンも荒い呼吸を整えつつ頷いた。
「奴は昔からそういう奴です。楽しんでいるんです、わたしをああやって脅すことを」
『悪趣味だね……。ところで、えっと――?』
へザーも頷き、それから突然目の前に現れて、颯爽と自分達を救ったその人物に改めて目を向ける。
一際目を引くターコイズブルーのショートヘアに、顔のそれぞれのパーツを強調する派手なメイク。
瞬きする度にくるりとカールした長い睫毛が頬に影を落とし、その存在を主張する。
服装もかなり個性的だ。闇に溶け込む黒ではあるが、艶のある素材の生地の膝丈タイトスカート、それに髪に合わせたネイビーのストッキングにピンヒール。
メイクのために正確な年齢はわかりにくいが、おそらく二十代前半といったところだろう。
時々街で見かけることはあっても、話したことはないタイプの人物だ。
――ドラァグ・クイーン。
そう呼ばれる人々のことを、ヘザーも知っていた。
ティアナンがごほんと咳払いをし、改めて紹介する。
「彼……いえ、彼女はヴィクトリアです」
『ハイ! よろしくね! あ、先に断っておくとさっきのアレは、人体には害のない防犯アイテムだから、心配しないでね♥』
早口に言ってウィンクし、ヘザーの手を握りブンブンと上下に振る。
その手はへザーと同じく半透明だった。そのことに今更ながらに気付き、目を見張る。
『あなたもゴーストなんだね。どうして……その、ゴーストに?』
『お嬢ちゃんにはちょ~っとばかり、刺激が強すぎる理由だと思うわよ?』
うふふと笑い、意味深に瞬きをするヴィクトリア。
ヘザーの素朴な疑問には、ティアナンが代わりに答えた。
「どうやら自分で自分の写真を撮ろうとして、落雷に遭ったそうで」
『ああ……セルフィー(自撮り棒)……』
最近そういう事故が多いという噂は聞いていた。階段から踏み外してしまったり、感電したり。
しかしまさか落雷に遭うなどとは、死んだ本人も思いもしなかっただろう。
『それはそのぅ……何というか、お気の毒としか……』
言葉を探し、哀れみの目を向けるしかできない。
『ちょ! ティア!』
本当に、人間はいつどんなことで突然死んでしまうかわからないものだ、と妙にしみじみとヘザーは思った。
『にしても、ティアったら、珍しいじゃなぁい? こんな若い女の子連れてるなんて。って言うか羨ましいわぁ、アタシなんて、ちょっとでもついて行こうもんなら冷たくコレよぉ、コレ』
言って、ヴィクトリアは手で追い払う仕草をして見せる。
「ティアではなくティアナンです。ヘザーは亡くなった時の記憶もなく本当に不安そうで、困っている様子でしたので。でもあなたは違う、ただ自分の意志でこの世に残っているだけでしょう?」
『だって、天国がこのニューヨーク以上にハイだなんて保証があって?』
からからと笑うヴィクトリアに、ヘザーは早くも好感を抱き始めていた。ただいるだけでその場がぱっと華やぐ、そんなタイプの人物のようだ。
『アタシのことはいいとして、ところで。百戦錬磨のティアが、悪魔相手にあんなに苦戦するなんて珍しいわねぇ?』
「ティアナンです。あの悪魔は、わたしの……」
『わたしの?』
「いえ、奴は手強い相手なんです。これまで何度も対峙してきましたが、とにかくあのように動きも素早く、一カ所に留めることすらできず……わたしの力不足です」
『だから、いっそのこと銃でぶっ飛ばそうってこと? アンタがそんな物騒な物を持ってるなんて、びっくりしたじゃないの』
ヴィクトリアが目で示したのは、未だティアナンの手の中にある、鈍色の光を放つリボルバーだ。
改めて見ると、かなりの大きさがある。へザーの肘から指先ほどまでの長さはあるかもしれない。
二人に注視され、ティアナンは慌てて否定した。
「いえ、これは違うのです。本物の銃ではありません。聖水を込めた、特殊な弾が装填してあります。悪魔に憑依された人体には、当たっても痣ができる程度の威力しかありません」
『なんだ。それじゃ、見てくれだけは立派な水鉄砲ね』
「そう言われてしまうと、否定はできませんが。けれど、逃げ足の速い悪魔には必須です。現代は便利になりましたね。かつては聖水の瓶を投げつけていたのですが、それでは射程距離にも限界が」
『そりゃ人間の腕で素手で投げてたら、さほどは飛ばないでしょうねぇ』
ヴィクトリアの言葉に、はは、と苦笑したティアナンはそれを鞄にしまう。
『でもルーカスは……そんなんじゃなかったのに、どうして』
クラスメートの変貌ぶりを思い出し、へザーは言葉を詰まらせる。ティアナンがへザーを気遣うように、眉を寄せた。
「ヘザーの知り合いのようですね?」
『うん、あたしの――クラスメートだったの』
『ボーイフレンド?』
これはヴィクトリアだ。へザーは首を横に振る。
『まさか! ルーカスとあたしじゃ、釣り合わない』
『どうして?』
『だって、科学好きのオタクとアメフト部のキャプテンだよ? どう考えたって無理だよ』
そう返すが、ヴィクトリアは納得いかないという風に肩を竦めただけだ。
『ねぇ、ルーカスはどうなっちゃうの? 悪魔は、ずっとあのままなの?』
「悪魔の憑代となった者は、やがて衰弱し死に至ります。そうすると悪魔は次の身体に乗り移る。そうやって長い間、世界中を渡り歩いている」
『そんな、死……』
『まぁ、ゴーストライフも悪くはないって今では思うけどねぇ』
『ダ、ダメだよ! 死ぬことってそんな軽いことじゃない!』
「ヘザーの言うとおりです」
ティアナンも真面目な表情で頷く。
『悪魔って、どうやったら祓えるの?』
「奴の弱点を見つけるか、もしくは、真実の名を見つけるか。憑依された人間のものではない、悪魔自身の名を知ることができれば、悪魔を操ることができるようになります」
『ああ、そうか、あの時の悪魔もそうだったっけ』
先日、ヘザーが素手で押さえつけた悪魔のことを思い出す。
あの時も確かにティアナンは悪魔の名を探り、聞き出していた。
『あ~、なんか映画とかで観たことがあるわ。やだ、なんだかスッゴいエキサイティングね!』
一際高いハイテンションな声に、ティアナンはげんなりとした表情をヴィクトリアに向ける。
「真実の名を知られたくないのは、あなたもでは? アンドリュー」
『ちょ……! それを言うんじゃねェ!』
ヴィクトリアの口から飛び出した野太い男性の声に、ヘザーは一瞬目を丸くする。そんな場合ではないと言うのに、つい噴き出しそうになり、慌てて口を押さえた。
『じゃあ、ルーカスを助けるには名前を見つければいいんだね。この前の、あの男の子の時みたいに』
「ええ、そうです。ですが――」
眉を寄せ、ティアナンは困惑したように俯く。
その深刻な表情にヘザーは妙な胸騒ぎを覚えるが、ヴィクトリアのハイテンションの声に、一瞬浮かびかけた不安はかき消される。
『大丈夫よ、アンタならできるわよ! 次に会った時には今度こそ、ちゃちゃっと祓っちゃいなさいって!』
「……そう、ですね。次こそは絶対に」