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(5)

 少年の家を出た頃には、既にうっすらと朝陽が周囲を柔らかく照らし始めていた。

 それでもいまだ空気は凍てつくように冷たく、ティアナンが身を震わせる。

 庭の隅で雑草をはんでいたビリーの手綱を取り、外してあった鞍を手際よく乗せるティアナンを、少年の家族は複雑な眼差しで見送った。


 早朝の人気のない道をゆっくりと進み、ティアナンがまず一番に向かったのは、街中に数多くある教会のうちのひとつだった。

 そこで彼曰く「神への仕事の報告と、無事を感謝する祈り」をしっかりと捧げる。そうしてやっとで、仕事が完全に終了したことになると言う。

 ここでも注目の的のビリーを置いて、二人は教会に足を踏み入れた。その厳かで澄んだ空気は、確かに邪気や何かを全て拭い去ってくれるような気がした。

 ティアナンに習い祈りを捧げ、ヘザーもやっとで一息つくことができた。生きている時はさほど信心深くなかったほうなのに、そんな自分が不思議だと思う。

 教会を出て再びビリーと街を歩き出し、ふと、ヘザーの視線がある物に釘付けになる。


『ちょ、ちょっと待って』


 ティアナンの肩越しに声を掛けると、彼はすぐに手綱を引いた。

 ショーウィンドウに飾られたマネキンが着ていたドレス。

 ヘザーは、それに目を奪われたのだ。

 ワインレッドの、大人びたデザインのドレスだ。袖は短く、膝丈のスカートはふわりと優雅に広がっている。


『わあ……』

「着たいのですか?」

『え!? まさか、あ、あたしになんて似合わない』

「そうでしょうか?」


 ティアナンはドレスから、背後のヘザーへと視線を移す。


「あなたは今、実体を持たないゴーストです。いつでも着たいものを着られるのですよ。気付いていないかもしれませんが」

『え? どういうこと?』

「イメージするだけでいいのです。あなたは、なりたい姿になれる」


 ぽかんとした表情で、ヘザーはティアナンを見上げる。

 ティアナンはにこりと微笑んだ。


「試しにやってみましょうか。このドレスは?」

『う、ううん! こんなの日常的じゃあ……あ』


 キョロキョロと視線を巡らせた先に、急ぎ足で道を行く同い年くらいの女の子を見つける。

 垢抜けた雰囲気の、キラキラ輝いている女の子。

 いつもヘザーがつい目で追い、眺めていたタイプだ。

 彼女は唖然とした表情で、馬上のティアナンを見つめている。彼と目が合うと、慌ててその場から去って行く。


「ヘザー? なぜそんな恨めしそうな目を?」

『ちょ……ッ、恨めしいんじゃないったら、羨ましいのよ!』

「では、やってみましょうか。目を瞑って、彼女の服装を思い浮かべて、自身が着ているところを想像して」


 半信半疑ながらも、素直に従う。言われたようにして――。

 恐る恐る目を開ける。

 思わず声を上げた。感嘆の、ではない。自身の姿に恐れおののいて、だ。

 ショーウィンドウに映っていたのは、別人だった。

 いつも適当に一本に纏めていた髪を下ろし、野暮ったい黒縁眼鏡もない。

 ダボダボだったフランネルのシャツはぴったりしたタンクトップに変わり、何の変哲もないデニムはミニスカートになっている。

 おまけに、しっかり、フルメイク。


『……ッ!』

「どうしました?」

『す、スッゴく変……!』


 まるでピエロだ、とヘザーは思う。

 大袈裟なまでに真っ白い顔に、目や唇をおかしいくらい強調したメイク。


「そんなこと、ないです……よ?」


 口ではそう言いながらも、彼は素直だとヘザーは思う。

 その顔は、不自然に引きつっている。まるで笑いを堪えているかのようだった。


『……! や、やっぱり、だめ、戻、戻――ッ』


 恥ずかしさのあまり顔を隠したくなり、ヘザーはティアナンに背中を向ける。


「でも、そうですね、あなたは素顔が良いから、そんなに顔に色々塗らないほうが、いいとは思いますけど」


 不意に聞こえた思いもしなかった言葉に、ぴたりと全身の動きを止める。そして肩越しにティアナンを振り返った。


『素顔が――』


 良い?

 今、褒められたのだろうか。耳を疑い、驚いて彼を見つめる。


「ええ」


 科学好きであることを褒められた時と同じく、奇妙な感情が浮かぶ。

 これまで誰かにこうして、面と向かって認めて貰えたことなどなかった。

 だからこういう時、どんな顔をすればいいのかわからない。


『……それ、本当?』

「はい。ですので、あの、今のその、何というか……」


 笑顔で頷いたティアナンの口元が再びひくりとひきつるのを目にし、ヘザーは慌てていつもの自分の姿を思い浮かべたのだった。




「それもリストの一つですよね。ええと、確か、ホットになる」

『ううん違う。逆よ、クールになる』


 その後、一休みに寄ったセントラルパークのベンチでヘザーは深々と溜め息をついた。

 二人の間には、「朝食にしましょうか」と言ってティアナンが買ったバーガーの袋がある。

 ベンチの端に手綱を繋いであるビリーは、適当にその辺りの草をつまみ始める。あの庭の雑草だけでは、どうやら不足だったらしい。


『クールになるって難しいのね。見た目だけ変えても、自分自身にスッゴく違和感。クールな子って中身もクールだから。あたしは、なかなか』

「わたしには、なぜあなたがそこまで『クール』にこだわるかはわからないですけど……でも、どうやら前途多難のようですね」


 首を傾げる彼に、ヘザーは情けなさを感じつつ『それもいいかな』と思っていた。


(だって、リストを叶えなければ、まだこの世界にいられる)


 あの日ティアナンについて行ったのは、この現状をどうにかしたい一心だった。

 ゴーストとなってしまった以上、自分にとって最善と言えるのは、この世を去り天国へ行くことのはずだ。

 しかし、今はやはりまだここにいたいと思う。

 そしてそれはおそらく、ティアナンという話し相手がこうして傍にいるからだろう。

 もしあのまま誰にも気付いてすらもらえずに一人きりのままだったら、孤独のあまり発狂していたかもしれない。

 そう考えて、ぞっとする。


(あの時ティアナンが来なかったら、あたし、どうなってたんだろう)


 隣の彼を見やると、実に幸せそうな表情でバーガーを口に運んでいる。


(ティアナンって不思議、イケメンなのに緊張しない。彼も変わってるから、かなぁ……)


 彼が選んだのは、やはりと言うべきか、バーガーだ。

 「クックスバーガー」が特にお気に入りのようだ。初めて会ったあの晩に食べていたのも、確かそうだった。

 テイクアウトにし、この場を選んだのは、さすがに人目を気にしてのことらしい。

 ヘザーはゴーストだが、食事もできる。ただヘザーが食べている間、ティアナン以外の人には食べ物が浮いているように見えるのだと彼は言った。


『ああ、ポルターガイストってやつだよね?』


 そう呟くと、ティアナンは「そのとおり」とにっこりと微笑んだ。

 周りに誰もいないことを確認して、ヘザーもバーガーにかじりつく。

 実を言うと、常に空腹を感じている。そしてどんなに食べてもそれが満たされることはない。

 こんなことは、生きている時には一度も感じたことなどない。ゴーストはやはり不便だ、心地良くはないものだと思う。


『ねぇ、なんでいつもこれなの? 他に食べたくならないの?』


 ヘザーの問いにティアナンは顔を上げ、唇に微かに付いたソースを親指で拭った。


「わたしが唯一、ここで美味しいと感じるものなんです。他のものは、味が濃すぎる。でもこれだけは、味が濃くても不思議と口に合う」

『でも、毎日これじゃ不健康でしょ。濃い味が苦手なら、薄い味付けで色々作ればいい。マカロニチーズとか、マッシュルームオムレツ、グリルドチーズ、マッシュポテト、それに、ええと、そうそう、パンプキンパイにキーライムパイとか』


 きょとんとした表情でティアナンはヘザーを見る。聞いたことすらないと言いたげな顔だ。


『もしかして、知らないの?』

「いいえ、そうではないのですが、どれもほとんど食べたことがないもので……。以前、少しだけ試したことはあるんですけど」

『口に合わなかったのね……。アイルランドって、そんなに薄味な料理ばかりなの?』


 ヘザーの口から出た国名に、彼の目が見開かれる。


「なぜ、それを?」

『だってティアナン・オフラハーティって名前、がっつりアイルランド系でしょ』

「ああ……、そうですね、そうでした」

『わかった、スーパー寄って帰ろう。食材買うの。あたしが作ってあげる。それで、もう一回試してみて。絶対に美味しいから』


 生前は、仕事で留守がちだった両親の代わりに夕食を作るのがヘザーの日課のようになっていた。その腕を褒めてもらえたことも多く、料理は苦手ではないと思う。

 ふいに両親に会いたくなり、寂しさに襲われる。

 それを振り払うように、ヘザーはすっくと立ち上がった。


「けど、ヘザー……」

『あなたの好きなバーガーも、あたしのレパートリーだから、任せて』


 その言葉に、ティアナンの顔が目に見えて輝いた。


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