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(2)

 想像以上だった。

 ニューヨークの街中で馬を駆る神父の姿は、人々の注目の的などという言葉では現せないほど目立っていた。それも悪い方に。

 その背後にしがみついたヘザーは、人々には自分の姿は見えていないとはわかっていても、穴があったら入りたい気分だった。

 都会の喧噪を抜けて都市部から離れた頃に、やっとでほっと息を吐く。そして改めて手綱を操るティアナンに訊ねた。


『なんで馬なの? 皆スッゴい見てたじゃない、目立ってしょうがないのに』

「わたしはどうも、機械、というのですか? そういうものが苦手でして。できる限りは避けたいのです。馬も悪くはないですよ? 渋滞知らずだし、良い運動にもなる」

『機械って……車のこと?』

「ええ、それに、地面の中を走る……」

『地下鉄?』

「そう、それです」


 肩越しににっこり笑う彼は、少し、いや相当変わり者だとへザーは胸の内で思う。けれどその考えをすぐに打ち消し、頭の隅に追いやった。

 オタクと呼ばれるヘザーは、そのような目で見られることの辛さは嫌と言うほど知っている。だから、自分は誰かをそういう目で見たくない。

 二人を乗せた馬は、今では自分の意志で足を進めている様子だった。

 気付けば、その建物の前にたどり着いていた。背後には、鬱蒼とした森が迫っている。


「ほら、もう着きましたよ」

『え、本当に、ここ?』


 驚きに目を見開いて、へザーはそれを仰ぎ見る。

 星空の元ひっそりと建つそれは、廃屋と見間違えるほど年季の入った物だった。天に向かって一際高くそびえる鐘の付いた尖塔から、かつて教会であったことはわかる。

 その隣に隣接する居住区らしい平屋の建物も同じく風雨に晒され、ずいぶんと痛んでいる。


「見た目はボロボロですけど、住んでしまえば気にならないものです」


 ヘザーの眉間の皺に、ティアナンはさらりと言う。


『神父って、こんなストイックな生活しているものなの?』

「いえ、わたしくらいなものでしょうね。わたしは、あまりに便利過ぎる生活は合わなくて。どうぞ先に入っていて下さい。わたしはビリーを厩に連れてゆきますから」

『厩』

「ええ、厩です」


 今時、滅多に聞かない言葉だ。


『待って! 先に入ってろって言っても、鍵は?』

「あなたはゴーストですよ?」

『うん、そうだね? まぁ、まだ実感ないんだけど』


 言って、首を傾げて。


『ああ、そっか!』


 彼の言わんとしていることをやっとで理解し、ヘザーは大きく頷く。

 ゴーストなのだから、壁を抜けることなど朝飯前のはずだ。

 けれどティアナンは、くすくすと笑いながら律儀にも鍵を手渡してくれた。


「鍵はこれです、はい、どうぞ」

『あ、ありがとう』


 今日会ったばかりの人物、それも男性の家の鍵を開けて、先に上がり込む――この状況に一瞬不安が胸を掠めるが、それを意識してかき消す。

 言われるままに一足先に足を踏み入れたヘザーは、電気を探して周囲を見回した。しかし、それらしきものがない。

 どうしたものか考えあぐねていると、厩からすぐに戻ったティアナンが、棚の上にあったランプに火を灯した。

 そしてコートを脱いで壁のフックに掛け、自身の腕をさする。


「寒いですね。すぐに暖炉に火を入れますから」


 それに頷きはしたが、ゴーストであるヘザーは実は寒さはほとんど感じていない。

 ティアナンが歩く度に、年期の入った木製の床がぎしぎしと軋んだ音を立てる。

 まるで古い映画かドラマの世界に入り込んだような錯覚にすら陥る。

 キッチンにはさすがに冷蔵庫とコンロはあるが、それも見た目からしてかなり年代物であることは窺える。 

 他に置かれた物も全て質素なものだ。木製の小さな食器棚にシンプルなテーブルと椅子が四脚、たったそれだけだ。

 テーブルの上にランプを置いたティアナンは、ヘザーに椅子を勧めた。

 慣れた手付きで暖炉に火を熾し、そしてコンロの上にあった鍋に火を通す。


「食べますか?」


 ややあって目の前に差し出されたのは、浅い皿に満たされた湯気の立つスープだ。

 数時間前には『神父がバーガー』という画のギャップに思わずバーガーを断ってしまったが、ずっと空腹ではある。


『……うん』


 ゴーストだと言うのに、それに寒さや暑さは感じないのに妙なものだと我ながら思いつつも頷く。するとスプーンと、さらに水の満たされたグラスを渡された。

 自分の分も用意し、ヘザーと向かい合わせに着席したティアナンは満足気に頷く。


「では」


 言って、ティアナンはヘザーの予想外の行動に出た。

 彼女の手を握ったのだ。


『ちょ、あの、えええええ!?』


 取り乱すヘザーに、ティアナンは爽やかに微笑む。そのあまりの眩しさに、昇天しそうだと思った。


「神に、お恵みの感謝の祈りをしましょう」

『……………………はい』


 そうだった、彼は、神父なのだ。食前の祈りは当然だろう。

 しかしティアナンの厳かな祈りの声は、両手に全神経を集中しているヘザーの耳には届かない。

 ややあって手を離された時には、心底ほっとした。改めて、スープの皿に視線を落とす。


『い、いただきます……』


 とは言ったものの。


(食べられるのかな)


 自分は今は、ゴーストだ。

 例え食べ物を口にしたところで、半透明の体を通り抜けてしまうのがオチではないのか、などという考えが咄嗟に浮かんだのだ。


(ええい、ものは試し!)


 スプーンをすくい、一口含み――噴き出しそうになった。

 不味い。と言うより、ほとんど味がない。


(ちょ、待っ……! これ、食べられるものなのかな!?)


 ヘザーの様子に気付いてか気付かないでか、ティアナンは普通にスープを飲み下しつつ言う。


「あなたをどうにかしないといけませんね」


 思ってもいなかった言葉に、ヘザーは瞬いた。


『どうにかって?』

「いつまでも彷徨える魂のままではいられないでしょう」

『彷徨える魂……そっか、そうだよね』


 自分自身を見下ろし、ため息をついた。手に握ったスプーンが透けて見えている。これは自分にとっては、当然のことながら異常な状況だと思う。

 しかもそれは、思った以上に予断の許されない状態なのかもしれない。

 死後の世界が一般の人よりは身近な生活を送っているであろう神父の彼が、今のヘザーを「どうにかしなければいけない」と言うのだから。


『もしこのままだったら、どうなるの?』

「最悪の場合、悪霊化することもあります」

『さらりと怖いこと言う……』


 もう何が起こっても驚くことができないだろうと感じていたヘザーは、苦笑するしかない。


「と言うよりも、通常この世に残るゴーストは悪霊か、もしくはそれに近い状態のはずなんですよね。あなたのように邪気を持たず、それに生きている人間と変わらない様子のゴーストは珍しい」

『そうなの?』

「ええ。私が知っている例でも多くはありません。いないわけではありませんが」


 ティアナンの説明に、ゴーストになってまで自分はマイノリティなのかと思うと、ヘザーはほんの少し悲しくなった。


「あなたの未練は、なんですか?」


 それはあの廃墟でティアナンが告げた、ヘザーがここにこうして残っている理由だ。

 改めて問われ、初めて様々な想いが胸に沸き起こる。


『未練……。やりたいことは、たくさんあったよ』


 ぽつりと呟き、手元の皿に視線を落とす。

 将来は、科学者になるのが夢だった。それに、結婚だってしてみたかった。

 一度行って、その暖かな気候に魅了されたフロリダに移り住み、家を買う。

 子供は男の子と女の子一人ずつ。そうだ、ふわふわの大型犬も飼いたい。仕事も家庭も充実した、絵に描いたように幸せな――。

 いや、それよりももっと近い未来。

 ハイスクールでは誰もが楽しみにしている、卒業間際に開かれる一大イベント、プロムパーティー。それに行きたかった。

 それもただ行くだけではない、ヘザーの『運命』の人、ルーカスと。

 そう思った刹那、ひとつの辛い記憶が脳裏に浮かび、ヘザーは唇を噛み締めた。だからその願いを言葉ごと飲み込む。


『あたしの人生って、なんだったのかな……』


 ふいに大粒の涙が零れた。


『馬鹿みたい。未来なんて、もう永遠に来ないのに』


 これまでどことなくふわふわしていた死という現実が、一気に波となってヘザーを襲った。嗚咽を漏らして泣きじゃくると、椅子を引く音がした。

 ティアナンが隣に立ち、慰めるようにそっとヘザーの肩に手を置く。


「大抵の人間は、死を間近にしてそう思うものです。毎日過ぎていく時間が、どれほど貴重なものか考えてもいない」

『……時間が、貴重?』


 言われてみれば、そうかもしれない。

 辛い現実や日々のことに追われ、そんなことを考えたことなどなかった。明日は当たり前に必ず来るものだった。


「でもあなたは、あまりにもまだ若過ぎますね。心の底からお気の毒だと思います。だから、お手伝いしましょう。未練を断ち切るための。やり残したことを叶えるのです。さぁ、ここにリストを」


 差し出されたのは、紙とよく使いこまれた羽ペン、それにボトルインクだ。

 ヘザーは袖口で鼻を啜りながらティアナンの顔を見上げ、訊ねた。


『つまり、死ぬまでにやりたいことリストを作れってこと?』

「いえ、正確に言えば、死んでから昇天するまでにやりたいことリストです」

『ちょ……ッ!』


 どこからつっこんでいいかわからない。けれど、彼はどこまでも大真面目な表情だった。

 ヘザーは大きく息を吸い込んで、半ばヤケクソでペンと紙を受け取る。と、あることに気付く。

 そういえば、物に触れることはできる。ここに来るまでにだって、馬に乗り、彼の背に触れることはできていたのだから。

 思い出して、今更ながら、かっと顔に血が上るのを感じる。

 考えてみれば、父親以外の男性にあんな風にくっついたのは初めてだ。

 再び、しかし今度は控えめにちらりとティアナンの顔を見上げると、彼はにっこりと微笑んだ。


「今ここで急いで仕上げなくてもいいのです。一晩ゆっくり考えて下さい」


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