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 およそ二週間の旅行から帰ると、ティアナンの笑顔が二人を温かく出迎えた。

 旅行は楽しかったが、彼の優しい笑みを見たとたん、ヘザーは『帰って来たんだなぁ』と妙に安堵してしまう。

 ここは自分の本当の家でもないはずなのに、そう感じる自分がおかしく、そして不思議に思えてしまう。


「お帰りなさい。旅行、どうでした?」

『うん、スッゴく楽しかったよ!』

『あ、安心して。ヘザーが勝手に色々と盗ったりするのは良くないって言うもんだから、ヨーロッパ飛ぶ前にヴェガス寄って、旅行代をちょろっとスロットで稼いだから。元手は、あんたから少し借りたけどね』


 ヴィクトリアは言って、ウィンクして見せる。

 これにティアナンの笑みが瞬時に強ばった。


「い、いつの間に……!」

『だって、キッチンの床板を外したところの穴に置いた壺にあるんだもん、そりゃあ見つけるってもんでしょ』 

「場所を変えます。二度と勝手には持ち出さないで下さい」


 びしりとヴィクトリアの鼻先に人差し指を突き付けて、ティアナンは厳しい表情で警告するが、対するヴィクトリアは肩を竦めるだけだ。


『ていうか今時壺ってどうよ、グランマ(お婆ちゃん)のへそくりじゃあるまいし、不用心でしょ。銀行に預けなさいよ』


 しれっとしたヴィクトリアに、ティアナンは渋面になる。

 放っておくといつまでも言い争いが続きそうに見え、ヘザーは口を挟んだ。


『でも凄いんだよ、ヴィクトリア! 百戦錬磨って感じで』


 現地での買い物の代金や滞在費は全て、店のレジの近くやホテルの部屋に置いて来た。『メリークリスマス』と書いたメモと共に。


『アタシは昔っからギャンブルの神様とラブラブなのよ~♡』

「そんな神はいませ」

『ほら、写真も見て見て~』


 ティアナンが否定するも最後まで言わせずに、ヴィクトリアはスマートフォンを見せる。相変わらずのマイペースだ。

 画面を覗き込んで、ティアナンは眉を寄せた。


「あの……写っている人達が皆、すごい顔をしているのですが」

『しょーがないのよね。どう頑張っても、スマホが勝手に浮いてるようにしか見えないんだもの』

「ああ、なるほど、そういうことでしたら仕方ない、なんてわたしが騙されるとでも? わざと見えるようにしてからかったんでしょう? あなたのことですし」

『あらやだぁ、バレちゃった?』

「ところで、その袋は」


 そう言ってティアナンが目を向けたのは、彼も目にしたことのある大型スーパーの袋だ。


『帰りに寄って来たのよ』

「そうですか。では、冷蔵庫にしまわないと」


 ティアナンは、妙なところが几帳面だとヘザーは思う。袋に手を伸ばした彼を、ヘザーは慌てて止める。


『あ、あ、これはいいの! すぐに使うから』 

『そうね、アタシも手伝うわよ!』

「夕飯ですか? 帰ったばかりで疲れているでしょう? 今日はわたしが作りますから」

『え、ティア、料理なんてできんの?』

「ええ、これでも一人暮らし歴は長いので」


 この流れでは、ティアナンお手製の超絶薄味スープが今晩のメニューになってしまう。

 危機感を覚えたヘザーは大げさな仕草で手を振り、慌てて二人の会話を遮った。


『い、いいのいいの! これは特別なの! ティアナンこそ、リビングでゆっくりしてて!』

「特別?」

『うん! 楽しみに待ってて!』


 首を傾げるティアナンに、ヘザーはにっこり笑って見せた。




『『Ta-dah!(ジャーン!)』』


 数時間後。

 ティアナンをキッチンに再び呼び戻したヘザーとヴィクトリアは、声を揃えて両腕を大きく広げ、彼を迎えた。

 予想すらしていなかったことに、ティアナンは驚きに目を見張る。

 テーブルの端から端まで所狭しと並べられている皿の上にあるのは、大きさや形も様々なバーガーだ。

 キッチンには、鼻孔をくすぐる食欲そそる匂いがいっぱいに広がり、否応なしに空腹を刺激する。


「これは」

『ティアナンへのお土産ね、何がいいかなって考えて。国によって、そこにしかないご当地バーガーがあったんだ。それ食べてみて、レシピをメモしてきたの。これが一番、喜ぶかなって思って』

『アタシは色んな国のエッチな雑誌を推したんだけどねぇ』


 しみじみと呟くヴィクトリアに、ティアナンは真顔で頷く。


「未成年のヘザーを連れてそんなことをしたら、即刻祓ってましたね、あなたを」

『あらぁ、照れ屋さんなんだからぁ。でも、それなら止めて正解だわね。アタシはまだ天国に逝きたくないも~ん』

「そもそも、賭博場に連れて行くのだって――」

『それって、ヴェガスのこと? んもう、堅物!』


 ヴィクトリアのネイルで飾られた指先がティアナンの額をピンと弾くと、彼の柳眉が寄せられる。


『それより、ほら、冷めちゃうよ』

『あ! それ、チーズたっぷりのスイスバージョン! アタシが貰う!』

「え、ちょ、これ、わたしへの土産ですよね?」


 冗談めかして言うティアナンに、ヴィクトリアはにやりと笑って見せた。


『ケチくさいこと言わないの! 全部食べきれないでしょ?』


 久々に三人揃っての食事は、やはり楽しいとヘザーは思う。

 カットしたバーガーを皆で取り分けながら、旅行のことで会話は盛り上がった。


「海外旅行、デート。これでリストの残りはクールになるだけになりましたね」


 ゆっくりと時間をかけた食事も済み、既に恒例になっている食後のコーヒータイムに、ティアナンが確認するように頷いた。


『あら、そんなこともあったの? って言うか、デートは誰と?』


 からかうように肘でつつかれながら訊ねられ、ヘザーはちらりと視線を目の前の彼に向ける。


『……ティアナンと』

『ティアと? え、ちょ、それ本当に?』

「それは、どういう意味でしょう?」


 ティアナンが苦笑する。


『いえ、ティアがデートでちゃんと女性をエスコートできるとは思えなくて』


 はっきりとしたヴィクトリアの科白に、ティアナンは心外だとでも言うように肩を竦めた。


「礼儀はわきまえているつもりですけど、一応は」

『一般常識的な意味のマナーじゃないんだったら! デートにはデートの流儀ってものがあるのよ!』

「流儀」

『流儀』


 ヴィクトリアは大きく頷く。


『そう、流儀』

「マナーではないのですか」

『んもう! 細かいことはいいんだったら! で、デートは、どこに行ったの?』

「わたしがよく行く場所に行きたいとヘザーが言ったので、ゴースト祓いの仕事場と、それから教会巡り――」

『いやぁ、ないわ~、それないわ~』


 ティアナンが最後まで言い終わらないうちに、遠い目をしたヴィクトリアが言葉を重ね、更に大げさに天を仰ぐ仕草をする。


「ないって……」

『デートじゃないじゃん、そんなの』


 厳しい口調できっぱりと言い切るヴィクトリアに、ティアナンは口を開くが、肝心の言葉が見つからなかったらしい。すぐにそれを閉ざす。

 ヴィクトリアはヘザーに向き直って微笑んだ。


『それから、リストの三つ目だけど。そんなことなら早くアタシに言えば良かったのに。すぐに変身させたげるわよ?』

『ヴィクトリアが? あたしを?』


 普段の彼女の派手なファッションや、ツリーの飾り付けの好みを思い、ヘザーは一瞬不安を覚えた。それはティアナンも同じだったらしい。


「ヘザーには、あなたのような服装は、その、ちょっと――」


 腕を組み、ヴィクトリアの服装を改めてまじまじと観察する。

 今日のファッションは、グリーンのロングヘアのウィッグ、派手な柄の入ったワンピースに足のラインがはっきりとわかる黒のパンツ、そしてやはり足には黒のピンヒールというものだった。

 ティアナンとヘザーの不安をヴィクトリアは気を悪くすることもなく受け止めて、軽くウィンクして見せる。


『大丈夫! 人それぞれ似合うファッションのタイプと好みがあることくらい百も承知だってば! ファッションはアタシ達、ドラァグ・クイーンは得意なのよ。だから安心してお任せあれ』


 そう言えば、とヘザーは思う。

 確かに、そういう話を聞いたことがあった。彼ら、いや彼女たちのファッションセンスはかなりハイレベルで、それを仕事にしている人々も多いのだと。

 だとしたら、プロのスタイリストに頭のてっぺんからつま先までのコーディネートやメイクを整えてもらうのと同じようなことかもしれない。

 それは願ってもないことのように思えた。

 けれどヘザーは、慎重に考えた後に首を横に振った。


『……ううん、いい』

『だぁから、本当に大丈夫って――』

『違うの、ヴィクトリア。あたしに、やり方教えてくれる?』

『やり方?』

『そう、メイクもファッションも。あたし、思ったの。クールになる、って、きっと自分の力でやらなきゃダメなんだって。だから……』

『エラい! モチロンよ、アタシにできることなら、手助けは惜しみませんとも!』


 ぎゅっと肩を抱きすくめられ、頭に軽くキスを落とされる。


『……ちょっ、ヴィクトリア!』

『そうと決まれば、すぐに行動あるのみよ! ヘザー、行くわよ!』

『え、ええ!? 行くってどこへ?』

『もちろん決まってるでしょ、ショッピングよ! あ、それに、髪も整えに行かなきゃね。あとエステでしょ、ネイルに、ええとそれから、コンタクトも必要かしら。ヘザーの目はキレイな色だから、カラーじゃなくても十分ね』

『え、ちょ、待って、そんなに一気に!?』


 ノリノリでやる気に満ちたヴィクトリアに、ティアナンは苦笑し、そして彼からもひとつだけアドバイスした。


「今日はもう遅いですし、明日からの方がいいでしょう」


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