新しい家族の誕生
「ママ、奈緒にちゃんと話してよ」
「パパがねえ、三人で一緒に暮らさないかと言ってくれたの」
「何でこのおじさんと暮らさないといけないのよ。私、絶対反対。一度会うだけだと言ってたじゃない。話が急展開すぎるもん」
「おじさんでいいけど、病気の事とか、色々大変だと思うんだ。今すぐどうこうて事はないんだが、事は急を要するので、おじさんとしては、君のお母さんに病状とか、治療の日程とか確認したい事が山ほどある。やるからには、最大限の対応がしたいんだ。分かってもらえるだろう」
「ママとおじさんとで納得出来ているみたいだけど、奈緒は納得出来てない。私をはずして話した内容は、奈緒には話せないの。おじさんは、全く知らない、『どちらさん』とまで言った。ママは、『私の事覚えていませんか』で、やっと分かりあえた。どういうプロセスで分かりあえたのか、全然理解できない」「一度でもそういう事したら、あの時の私よで、済む話と思うけど、わかんない」
直之と朋子は、お互い顔を覗き込みながら、お手上げ状態だった。どう説明したらいいか、本当の事は、言えないんだから。
返答に困っていると、玄関のチャイムがなった。「どちらさんかな」と直之は玄関を開けた。「トモ遅かっ……鳴海さん!」
「お久しぶり、山ちゃん。ちゃんと原稿の方は書きあがったかなと思って、ちょっと立ち寄っちゃった」と言いつつ中を覗き込む芳子であった。
「芳子。わざわざ来てくれたのね。ありがとう。芳子には全部話したって、山路さんには説明してあるから、気を遣わなくて大丈夫よ」
直之は、朋子の耳元に小声で、「マタガリータも」
「馬鹿ね、それだけは言えないわ」と小声。
「ちょっと何、お二人さん、うまく話がまとまったみたいだけど、私に大事な事隠し立てしていない!」
「『お忙しい編集長さんに心配かけたらいけないじゃないか』と朋子に注意しただけ」
「そんな長い台詞じゃなかったね。それに何々、もう朋子て呼んじゃてんの。あれこれ心配したのが馬鹿みたい」
「そういう事で、お忙しい編集長さんには、お引取りいただいて」
「私を追い出そうとするのね、山ちゃん。私が居たら邪魔かしら」
「そんな事ありません。私の尊敬する……」
「鳴海西大后だから、山ちゃん」
「もう勘弁して下さい。昔、なんかの拍子に間違って言ってしまっただけなので。今日は、もうそれどころではないんで。今年の秋には、年貢を納めますだに、お代官様おねげえしますだ」
「編集長から今度はお代官様か、……あら、奈緒ちゃん大きくなったね。お姉さんの事覚えてる」
「母とおない年のお姉さん、覚えています。奈緒の誕生日にいつもプレゼントを買ってくれてたやさしいお姉さんの事、忘れる事などありえません。その節は、色々有難うございました」
「朋子、いい子に育ったね。奈緒ちゃん、無理してお姉さんて言わなくていいのよ、おばさんで」
「ところで、おばさん……」
「山ちゃん、あなたが言う事ないじゃない」
「業界人として、突っ込み入れれるようにしただけで、……冗談はさて置き、事情が事情なんで、今から朋子の事で精一杯の対応をとりたい。だけど、奈緒ちゃんの心の整理がつかないのも理解出来るので、その対応を三人で話し合ってた矢先の編集長の訪問だったんで、邪魔とか思ってないです」
「そうね、朋子どうなの。山ちゃんとどうしたい」
奈緒の顔色を窺いながら
「16年ぶりで、何から山路さんに話していいか、悲痛な気持ちでこちらに来たの。奈緒には、今は話せない事もあるけど、時間がたてばいずれ話そうと思うので、今は待ってお願い。山路さんて、今日会うまでどんな人かも私自身全く理解出来てなくて、……でも、今日真剣に話をしたら、こんなに愛情に溢れたすばらしい男性だったなんて、夢にも思わなくて。包容力もあって、一も二もなく、一緒に暮らそうと言ってくれた。私、そこまで期待してなかった。女手一人でちゃんと育てられる自信を持ってた。でも、癌を告げられ、途方に暮れた私は、今日山路さんに私が死んだ後、影からでも奈緒の事見守って欲しい唯それだけをお願いに来た。でも、断られた。影からでは駄目だ、真正面から奈緒を見守る。『俺の娘なんだから』と、今私、病気に感謝したい気持ち。長くは生きられないと思うけど、病気にならなければ、この先一生山路さんに会えなかったと思う。奈緒には母親として、結婚も出産も立ち会えないと思う。でも、こんなに立派な人があなたの父親よ、とその事だけでも大きな収穫。これもみな芳子のおかげ、感謝してるわ」
「山ちゃん、やっぱり私の見た目は間違ってなかった。いい男だね、あんたは。でも、大きく成長したのは、此処へ来てからだね」
「あんまり誉められると気恥ずかしい。そんな立派な男やない。16年前ぐらいの俺は、どうしたら売れる本が書けるか、あせっていた。技巧を極めようとしたり、流行やトレンドという言葉に踊らされていた気がする。どこか、世間に背を向けてすねてるような、そんな時、旅をしながらのエッセイの企画を受けた。色々巡ったが、どうというエッセイしか書けずじまい。自分でも分かる。つまらないと。此処へ来て、前週で打ち切りと聞かされた。拍子抜けしている内に此処に留まり、そして此処の氷川のじいちゃんとばあちゃんの養子となり、この家と田畑を相続して、今ここで暮らしている。話せば長い話になるので、とりあえずこの話はこの辺で」
「奈緒ちゃんは、どうなの」
「何か、二人で大事な事隠しているのが不満なの。でも、ママが…、ママが…、今は話せないけど、おじさんと一緒にいたいというんだったら私反対しない」
「奈緒ちゃん、そのおじさんはなんとかならないのかしら」
「おばさん…でいいのね、……おばさん、今の私はまだパパと呼べない」
「俺の事、おじさんでいい、性急に考えなくていいから。まずは、お母さんの事をどうするかを先決に考えていこう。ところで、朋子さん、山路さんはもうそろそろやめないか」
「あんたも朋子さんて、言ってるじゃない。朋子、そうと決まれば籍もちゃんと入れて、病院とか学校とか、説明がややこしくなるから、決まったんならそうしなさいよ」「奈緒ちゃん、正式にこのおじさんとママは夫婦になるの、いいのね」
「ママの為だもの、喜んで祝福するわ」
「奈緒、ありがとう。ママ、夢なら覚めないで欲しい。…ナオユキさん、お願いします」
「こちらこそ。なんだか、照れるな。朋子、奈緒ちゃん、編集長、もう時間も遅くなってきたから、お腹も空いたでしょう。今から、俺の料理で夜食にしませんか」
「山ちゃんの料理、噂には聞いていたけど、楽しみね。ご相伴させていただくわ」
「直之さん、手伝わせて」
「身体の方は大丈夫?無理しなくていいよ。俺に任せてくれたらいいよ」
「まだ、料理ぐらい作れる。数ヶ月後の事は分からないけど。だから、作れる時は、作りたいの」
「でも今日は、根つめてきたから疲れてると思うし、今日はゆっくりしてて」
「でも、あなたの横で手伝いたいの」
「何を二人でいちゃついてるのよ。どっちでもいいから、早くしてよ。……ねえ、奈緒ちゃん。あなたのお母さんのあんな笑顔見た事ある」
「笑った顔見た事あるけど、くやしいけど、あんな幸せそうな笑顔初めて」
「そうでしょう、今はいいけど、いずれ受け入れてあげなくちゃね」
「それは分かってる。でもね、今は私のママ、あんなおじさんに取られたくない」
「そらそうね、会った今日の今日だもんね、おばさんもそれは分かるわ」
そうこうしているうちに、玄関の戸がドンと前触れも無く開けられた。
「直之、遅くなったけど、君の友のトモが来たよ……お客…さんかよ。きれいどころとそれどころどゃない人がいるね」
「山ちゃん、何か失礼な人が来たね。どなたなの」
「トモ、もう来ないと思ってた、今から話をするとややこしいから、今日のところは、帰ってくんない」
「それはないだろう、直之。俺とお前の仲で、そんな水臭い事は赦されへんと思うが」とニタつく、渡辺智也が玄関先に立っていた。
つづく