突然の訪問
山路直之は、渡辺智也から「夕方、ついでが出来たんで。行けたらそっちに行くわ」との連絡を受けていた。「来るの!来ないの!はっきりしてよ」と直之。いつもながらの智也の事なので、来たらその時と、直之も適当に構えていた。畑仕事を趣味に持つ直之は、早めに風呂に入った。夜食は、収穫したての野菜で歓待するのが慣わしで、来る当ての無い友の為にまずは準備と。
風呂からあがり、下着を穿こうとしている時に玄関のチャイムが鳴った。「ハイハイ、えらい早いな」慌てて、上半身裸で、ズボンをひっかけながら玄関ノブに手をかけて、「どうぞ、トモ……」、と言いかけて見ると玄関先に親子と思われる女性が二人。
「これは失礼、失礼」と慌てて、Tシャツを取りに戻り、上からはおって「智也という、野郎が来る予定だったんで、こんな格好でごめんなさい……」「それでどちらさん」と初めてまじまじと訪問客を見つめた。母親が前に立ち、娘が後ろにたたずみながら、娘の方が何となくどうも直之を睨み付けているように感じた。
「突然押しかけて来た私達が悪いので、あなたが謝る事などないわ」「それより、私の事覚えてないかしら。」この後、(何よ、それって)という顔で更に娘の方のムッとする視線にたじたじになりながら、
「昔、どっかで会った事あったかなあ……」と語尾が消え入りそうになりながら、遠くを見ながら、さも思い出そうとしている直之。(何なんだ。この娘の威圧的な態度は、俺が何か仕出かしたでも言いたいのか。あはあん!)イラつきと、戸惑いの中直之は、母親を仕方なくじっくりと見る事にした。
(よく見ると、中々の別嬪さんやないの。それにしても、少しやつれた感じがするね。もう少し、ふくよかだったら、あの娘に似てるかなあ……)(あっ!若しかして)
「若しかして、……佐藤さんだったけ」
「そう、よく思い出してくれたわね。佐藤朋子です。お久しぶりです」
「何か、前はもっと……これは言わん方が。前よりもスリムになったかなあと、……それで、直ぐに思い出せなかったのか。よかった、よかった」(何が良かったんか分からんけど一先ずは、何処の誰子さんかは分かった。はあー。何か分からんこの重苦しい雰囲気は、この娘が発する悪意の気のせいやな)
「ところで、何年ぶりになるかな」と言いながら、ちらちらと娘を盗み見る。
「そうね。この娘が15歳になるから、16年ぶりかしら」
(どういう事、どういう事。何か、俺がさも関係するような棘のある言葉)(どっかの映画みたいやな。冤罪をかけられた男に仕立てられて、……俺はその主人公て訳か、成る程、成る程)
「どうかしまして、何か考え事でも……」
「うん。(落ち着け、落ち着け)その15歳と16年に何か引っかかりを感じてね」
「何言ってんのよ、とぼけないでよ」という甲高い声。後ろに居た娘が前に迫り出しそうなのを、母親が「待って、落ち着きなさい」となだめようとしながらも、視線はじっと直之を離さなかった。
「佐藤さん。待ってくれよ。俺は何が何だか理解出来なくて困ってんだよ。突然来られてよ、おたくの娘さんが、さっきからどうも俺に文句を言っているようにしか聞こえない。しかも、今日、分かる、今日突然二人の訪問を受けた……こんな場合なんて言うんだ。鳩が豆鉄砲でどうとかこうとか言うんだったかな。こんな事、どうでもいいか」「何がどうなってるか、俺に理解できるように説明してもらえないかな」
「最低、無責任な男。ママ、早く帰りましょ。こんなとこ、何時までいてても仕方ないじゃない」
「あなた、少し黙ってて頂戴。ママはこの人と大事な話をする為に此処に来たの。話が終わるまで、頼むから静かにしていて頂戴」
娘は、何か言おうとしたが、今にも切羽詰った目をした母親を見て、何も言えなくなった。けれども、何か言いたげな衝動をやっぱり抑えきれない。しかし、母親の覚悟を考えると自然に自分も涙が出そうになるのを堪えながら、天を見上げながら消え入れそうな声で「分かった……」とただ一言言うしかなかった。娘は、母親の為に自分は泣いてはいけないのだと自分に言い聞かせた。娘は娘で、この葛藤に必死で戦っていた。
直之は、だんだん訳の分からない切迫感を感じながら、思考停止状態。(何なんだ、何なんだ、この展開は。完全にこの話の当事者だ。俺は最重要被疑者扱いかあ。トモ早く来てくれ。あれでも、おらんよりはましやろ)
「山路さん。先ほどから失礼の数々、申し訳ございません。それで、とりあえず二人だけで、先にお話がしたいのですが、宜しいでしょうか」
「二人きりで……。分かるように説明していただけるなら、こちらとしても異存はありません」
「表で待ってて」「そうだ、娘の名をまだ言ってなかったわね。奈緒て言います」
一応、奈緒もお辞儀をし、「どうも、直之です。山路…直之です」と頭をかきつつ。「ふうん」
直之を更に動揺が襲った。(まさか、俺の名前から採ったと言うのか。)「どういう…字を書くんですかねえ。ちょっと興味に」
「奈良の奈に、糸へんに者と書いて奈緒です」
(俺を奈落の底に落とす為に来た者の事か、成る程、はあ!溜息しかでそうにない)
「いい名前だ」「夫婦で考えたの、それとも親御さん」
「いいえ、私一人で考えましたの」
(ここで大きなミス。オウンゴール。言ってはいけないと五感で分かっていながら、何で口からこんな言葉が……。だんだん憂鬱になってきた。俺って、今更ながら大馬鹿者だ)
「娘さん、奈緒ちゃん、一人で表で大丈夫……かな」
「二人きりで話したいので、大丈夫です」
「じゃー、汚い所ですがどうぞ」
「こんな事、不躾で申し訳ないのですが、ご家族は」
「俺。天涯孤独です。親も行くとこ逝っちまったし、……」
「ご結婚は、……」
「ほんとに不躾ですね。それで、俺の家が此処て、誰から聞いたの」
「鳴海芳子から」
「そんなら、あの放送局と云うか、私設探偵局と云うかに聞いて俺の事、……何でもお見通しやないの。あの芳子の情報は150%間違いない。佐藤さんだったけね、芳子と知り合いやった」
「中学、一緒やったから」
「ふうん。あいつ、誰々(だれだれ)は、1年は何組で、2年は何組て、本人が忘れてしまってる事でも滅茶苦茶記憶力がええ。勉強はそこそこで、もっとその能力勉強に活かせよ言うてたら、芸能雑誌の記者しとるからな。大したもんやと錦先生が言うてたな。俺の方は今では、あいつから仕事もらわんと食うていかれんからな」「はあ!そんなん、どうでもええわ。それで、大事な話て……、そろそろ本題の話してくれる」
「結論から言うね。奈緒は、あなたの子供なの」
「やっぱり。話の展開からするとぼんやりとそうかなと思ってた。俺のキャベツ畑で採れたんか、そうか、そうか」
「話を茶化さないで」
「茶化してなんかない。俺は何時でも真剣。真面目が服着て歩いてるような男。佐藤とは何回か同席した事あったと思うが、唯それだけやったやろ」「アイラブユウ、も言った事ない。交際もしてなかった。俺も男や、それなりに交際したもんもおったが、結婚までは行き着かんと今日まできたんや、俺は、……」
「あなたの言ってる事、よく分かるの。だけど、ちゃんと説明するから、真剣に聞いて欲しいの」
「俺はさっきから言ってるように、真面目が服着て歩いてるような男。俺は何時でも真剣。兎に角、理解出来るように説明して、お願い致します」
「あの日、芳子の会社のパーティに呼ばれて私も行ってたの」
「パーティ。俺も文壇の端くれだから、たまにお呼ばれする事もあるが、佐藤とその時会った記憶はないけどなあ」「あの日て何時」
「16年前の12月15日」
「その時分の12月に、一遍だけ行った記憶はある」「だけど、どう記憶を辿っても佐藤に会った記憶はない」
「私、遅々(おそおそ)行ったの。長年付き合ってた斎藤高志と別れて、自暴自棄になってたの。兄には婚約者を連れて行くて言ってたけど、斎藤ははなから結婚する気なんかなく、挙句の果てアパレルの社長の娘と近じか結婚するから、俺に纏わり着くなと一蹴されて、泣き泣き。一ヵ月後、斎藤は結婚式。その当日にあいつの前で自殺してやろうと思ったの。そう思って、芳子に最後に会っておこうと思って、パーティに」
「芳子、ああ見えて感働きがすごいの。斎藤の事話したら、『あんな男と結婚しなくて良かったよ。朋子、人見る目ないね。いい男なら此処に居るよ』と言って改めて紹介してくれたのがあなたなの」
「言い訳する気はないけど、紹介された覚えも、記憶も無い。本当。信じてお願い」
「山路さん、お酒弱かったわね」
「そう、今はちょっとはたしなむ程度になったけど、昔はビール2杯でグロッキーだったね」
「芳子が、今にも寝てしまいそうになるあなたを『この可哀想な女性を親身になって相談にのってあげて。分かった、直之』と私をあなたに押し付けたの」
「俺は何と言ったのかなあ」
「西大后様、私に何なりとお申し付けくださいませ」と
「『誰が西大后よ。そしたら頼んだわよ』と芳子の強引な後押しで二人はパーティをあとにしたの」
「俺が影で西大后と言ってたのがばれたのはこの時やったんやな。誰がリークしたかと思ってたら、自分自身とは情けない」
「私達は、芳子の用意したタクシーチケットであなたのマンションへ行ったわ」
「俺のマンションに。どうして」
「私行くところもなかったし、それに山路さんが西大后様の命令ですので、御相談奉りますと言って、私もいいかと思ってついていったの」
「マンションに着いて、部屋に案内されて、寝室に直行。『ここが私のベッドであります。御相談の件は、また別途……なんちゃって』と言って私を横に置いて大の字でグースカ寝ちゃったの」
「それが本当なら、俺って、相当失礼な奴やね、ごめんなさい。けど……、けど……、それやったら何もなかったんと違うの」「つまり、男と女の関係……やで」
「まさか、ここで一人で寝てしまうとは私も信じられなくって、あなたを揺り動かしたけど、どうしても起きなくって。私も男の部屋に連れられてそのまま寝られたら、私ってそんなに魅力ないかしらと思って、悔しくって涙が出て止まらなかった。そしたら、斎藤の顔が思い出されて、悔しくって何度も何度もあなたを揺り動かした。でも、あなたは起きなかった」
「辛い目にあわせたね。けど……、けど……、何にもなかった…よね」
「私何か意固地になって、このままではおられない気になって、よく見るとあなたの股間がテント張ってるのが目に入ってきたの。いけない事だと思っていても、……ズホンと下着を剥ぎ取り、私あなたの上に跨り、酔った勢いなのか何なのか分からないうちに、思いっきり腰を動かしたの。すると1分もしないうちにあなたが果てたみたいなの」「なんて馬鹿な事したと、自分が恥ずかしくなり、そうこうしているうちに、朝がきていて、さよならも告げずに一人で帰って行ったの」
「そういえば、いい夢見た記憶が残ってる。実に現実的な……、マタガリータなの、佐藤」
「変な言い方やめてよ」戸口を気にする朋子。
「そんなの、逆セクハラ違うの」
「大きな声出さないで。娘に聞こえる(だんだん声のトーンを下げる)じゃない」
(声を徐々に下げて)「何となく、理解出来る段階には来た。けど……、何で今迄なんにも言わなかったのに、今日この説明をしに来たの」
「こんな話誰にもしたくなかった。当然、あなたにも。山路さんに、とんでもない迷惑をかける事も分かってる。でも…でも…私に残された時間はないの」
「どうして」直之は、はっと感じるものがあった。最初に会った時に少しやつれた感じがしたのは……、「どこか、具合が悪いの」
「私、癌なの。短くて半年の命。手術は出来ないって、医者が。両親は既に他界してて、奈緒の父親が分からないからって、兄に言わないから勘当されて。本当の事を言えば、私が死んだ後は、とりあえず兄は奈緒を引き取ってはくれると思うけど、私のとった行動で奈緒が出来たと知ったら、本人はどれだけ傷つくかと思うと遣り切れなくて。兄は聞こえよがしに平気でそんな事を言ってのける意地悪な所があるの」
「子を宿してるて、何時気づいたの」
「1ヵ月後、やっぱり自殺してやろうと思っていたら、斎藤が女の父親に怒られて、結婚は破談。それで、私に『赦してくれ、もう一度やり直そう』と言ってきたので、こんな男だったのかと馬鹿馬鹿しくなって、心機一転仕事に打ち込もうとしたら、数ヵ月後体調不調があって、病院で診てもらったらおめでただった。あなたが父親だとすぐに分かった。もう男なんてこりごりと思って誰とも付き合っていなかったから」「死ぬの生きるのって、本当に駄目な私と思ったが、こんな私のおなかに命が授かったと思うと、愛おしくて絶対に産み育ててみせると思った。この出生の秘密は誰にも内緒で、墓場まで持っていくつもりだったの」
「最後の日が近づいてると知ってから芳子には、何もかも相談したわ。みんな、色々言うけど大事な事は、絶対に秘密は守ってくれるわ。今日も、先に芳子から説得すると言ってくれたの。でも、山路さんに迷惑かけてしまうのはどうかと思い悩んだわ。でも、奈緒の事が気がかりで。私の目であなたの事確かめて……、一縷の望みを持って、山路さんに本当の事を話た上で、ご相談にのってもらおうかと。山路さんの口から奈緒に、『昔、愛し合った中だった。奈緒を宿してたとは知らなかった、ごめん』と唯それだけ言ってあげて欲しいの。あなたは、望まれて生まれたのよと言ってあげたいの。認知とかそんな事、お願いしようとか思ってないの、一言奈緒に父親である事だけ言ってあげて。お願いです」「無理なお願いだとは重々承知の上です、お願いします」
直之は衝撃を受けたが、今朋子の必死の思いからすると、己自身の衝撃など取る(と)に足らないものであると承知していた。直之は戸口に向かい、戸を開けて
「ごめんね、奈緒ちゃん。待たせたね」
「話は済んだの」
「うん。別の意味でごめんなさい。……私が君の父親なんだ」
「知ってる。ママからこの間初めて聞いた。死んだとか言ってたのに、今更生きていてるって。何なのよ、それって、おかしいでしょ」泣きじゃくりながら、半べそで必死に訴え続ける奈緒。
「今君のお母さんと話してて、やっと気がづいたんだ。申し訳ない。赦してくれと頼んでも、すぐには駄目だと思うけど」
「あなた男でしょ。する事して、子供が出来るか出来ないかの自覚も無しに知らなかったて、何よそれ。あなた、最初何て言ったのよ。見知らぬ親子が二人突然。私の事はいいけど、ママの事、全然覚えてないってどういう事なの。ママの事、遊びだったの」
「遊びじゃない。決して遊びじゃない。それだけは、言える。……どう言えばいいのかな。そうだ、君のお母さんは高嶺の花で、俺なんか相手にされてなかった。ただ、一度だけ結ばれた。天に昇るぐらいの事、よく言うだろう、有頂天になってた。夢見てる気持ちで、そんな自分が現実だと認識してなかったんだ。本当に、ごめんなさい」
「そうだよ、私のママは世界中で一番の美人なんだから、おじさんなんかには勿体無いんだから」
朋子は、直之に頼んだ以上の事を直之が話してるのに、吃驚して気を取られているうちに、二人の会話を呆然と聞いてしまっていた。これではいけないと、気を取り直して
「奈緒、パパに何ていう口のきき方をするの」
「俺、パパと言われるのは、パッパラパーみたいで、お父さんの方がいいな」
「最低、もう父親気取り」
(マタガリータで親になってた事も知らんで、最低と言われれば最低だよな)
「ハア!おっしゃる通り最低です。ごめんなさい」
「最初の勢いは何だったの。無責任な男。ママ、早く帰りましょ。こんなとこ、何時までいてても仕方ないじゃない」「会わなきゃ良かった」「おじさんなんて、パパと思わない」
「奈緒、いくらなんでも失礼過ぎます。もう一度、表にいてて頂戴」と言って、再び娘を表に出す朋子だった。
「ごめんなさい。私が悪いのに奈緒に謝らせて本当にすみません。お頼みした以上の事をしていただいて恐縮です。本当はあの娘も、嬉しいんだと思います。拒絶されたらどうしょうと。私の気持ちを思いやるやさしい娘なんです」
「いいえ、そんな事別に気になさらないで。俺にとって超些細な事です。それでこれから、どうなされるつもりですか」
「何かと、芳子がバックアップしてくれるというし。私にもしもの事があれば、……唯あの娘に何かあれば影ながらあの娘を見守ってあげて欲しいのです。男手がいる事もあるし、あの娘に頼れる存在があるという安心感を与えたいのです。我儘なお願いとは思いますが、最後の私の願いとして、お聞きとどけていただけないでしょうか」
「……最後の願いですが、それは無理です」
朋子は一瞬直之の言葉を受け止められなかった。「駄目ですか」消え入りそうな声で。(どうして、あそこまで言って下さったのに)
「朋子と呼ばしてもらっていいですか」
「ええ、……いいですけど」
「朋子、俺は今あなたから、奈緒は俺の子供だと告げられた。そうだろう」
「はい、そうです。それが……」
「影ながらとは何だ。それが父親たるこの直之に言う言葉か。影ながら、ではなく今日から奈緒がイヤと言うても、正面から奈緒に敵対する奴は、この俺が蹴散らしてやる。俺に子供がいてるってことが、何だか嬉しくなってきた。朋子、俺に人の子の親の身分に引き上げてくれて、礼を言う、ありがとう。……闘病生活が待っているなら、俺の事いやでなければ、その最後の人生三人で暮らしていけないか。どうだろう」
朋子は望外の直之の言葉にうれしさのあまりに、嗚咽がとまらなかった。
「いいんだね、朋子さん」
朋子はもう声を出して返事することが出来ず、唯頷いて、うれし涙で一杯になった。(芳子が、言ってた。直之さんなら正面からぶつかって話しをすれば、決して分からない人じゃない。当たって砕けろよ。本当にもっと早く会えればよかった)
玄関の戸が開けられ、奈緒が吃驚して、血相を変えて飛び込んで来た。
「おじさん、私のママをいじめたりしたら、私が赦さないから」
勘違いをしていると察知した直之は、「何度でも言う。それは誤解だ」
朋子もそうよという顔をしたので、奈緒も安心して、母の胸に飛び込んで来た。
つづく