チート転生の成れの果て
「やあ、おはよう。気分はどうだい?」
浮上しかけた夢現の意識にするりと滑り込んでくる若い男の声に、少年は僅かに首を傾げて目を開けた。真っ白いどこまでも真っ白い天井を背景に、どこか人を小馬鹿にするような気に障る笑みを浮かべた男が少年の顔を覗き込んでいる。
「……誰だアンタ……」
「ボクは……まあ細かいことはどうでもいいや。適当に神様かなんかだと思っててよ。キミ……まあ自分で自分の名前も思い出せないだろうけど……に用事があってね」
「胡散くせェ」
ばっさりと切って捨てた少年は起き上がりあたりを見回す。天井と同じく真っ白で何もない部屋だった。明らかに自分の部屋ではない部屋で、ベッドすらもない為床に直に寝転んでいたようだ。
「どこだ、ここは?」
「死後の世界? まあ簡単に言えば君は死んだ、というか死に掛けてるね。だからキミ達のところでの言い方だと……三途の川、みたいな感じ?」
「川なんかねェじゃねーか」
「そりゃ、概念みたいなもんだからね。昔は川が多かったけど今はこんなのが流行ってるみたいなんだ」
そう言いながらも自身を神と名乗った男は立ち上がろうとする少年に手を差し出す。少年は、何となく気に入らなくてその手を無視し、体を起こしただけで胡坐をかいて座り込んだ。
昔から散々子供に泣かれてきた強面で睨みつけるものの、男は何処吹く風と涼しい顔をしている。それがまた苛立たしい。
「で、死に掛けてるからなんだってんだよ?」
「あれ、案外冷静なんだね? 大抵の子は自分が死んでるとか死に掛けてるとか言われたらパニックを起こすんだけど。ああ最近は、妙に大はしゃぎする子もいるみたいだね。どっちにしろ冷静な反応返されるのは珍しいかな?」
「そりゃ世に出回ってるネット小説の影響だろ」
仏頂面で言うものの、少年自身もネット小説の類はよく読んでいた。玉石混交、さらにはジャンルも何もあったものではない。その中に異世界にチートを持って転生したりトリップしたり、といったものもよくあった。むしろ割合的には多かったといえる。
自身のこれまでの人生が何の変哲もない面白味のない代物であったが故に、そういう類の物を読んでは想像して気を紛らわせていたのだ。
現在の己の状況とても、そう言った小説なんかではよくあった状況だ。死んで、気がついたら白い場所。目の前には神と名乗る存在。思わず頬が緩みそうになるのを必死で堪える。
「あっはっは、なるほどねえ。ま、流行り廃りがあるんならそれに乗っ取っていこうかな。キミにはとある世界に生まれ変わって欲しいんだよね。その世界には魔族と人間がいて、大体20年くらい後には滅びの危機を迎えるかな?」
「魔族……ってことは魔王がいるのか? 魔法とかは?」
「いるよ。魔法、というか魔術? 詳しいことは専門じゃないからわかんないけどそういうのもあるよ」
「つまり勇者になればいいんだなっ!」
途端に張り切り始めた少年に少しばかり面食らいながらも、男はふわりと手を振って少年の目の前をスクリーンのように切り取り一枚の地図を映し出した。まるで瓢箪のような形をした大陸の地図で、南部はところどころを除き緑に覆われているが北部は少なく、赤茶けた土色の部分が多い。
「北部が人間達がメインで住んでるところだよ。数十年前くらいから、徐々に荒地が広がって行って、今じゃ大陸沿岸部くらいしかまっとうに人の住める地はないね。南部は魔族の土地なんだけど、キミに行って欲しいのは人間の土地だからとりあえずはいいや」
「おお、すげぇな。何れ魔族の土地にも行くんだろうけど、まあ今は良いか。んで、どうなんだ? チートはもらえるんだろうな?」
「……え? キミ、チートなんて欲しいの?」
はしゃぐ少年は自身と神の微妙なニュアンスの違いに気づかない。初めの不機嫌さは何処へいったのか、目の前に振って沸いた異世界転生にすっかり浮かれてしまっていた。
「…………あんまりお勧めしないけどねえ。どうしても欲しいの?」
「当たり前だろそんなの! 誰にも負けない剣の腕前に魔力量、当然見た目だってこんな強面じゃなくてすらっとした優男風味のイケメンじゃねェとな!」
「…………明らかにポイントオーバーしてるんだけどなぁ……どう辻褄合わせよう……」
こちらも初めの人を小馬鹿にしたような笑みなどもうどこかに飛んでいってしまった神は、指通りのよい髪をがしがしと掻き毟りながら自分の前に細かい文字の羅列を浮かび上がらせ困った様な唸りを上げる。
「そもそも世界最強とその次点は、人間限界値の上さらに加護を持ってるからボクじゃどうしようもないんだよなぁ。とりあえず肉体能力と才能を限界値まで持っていって……魔力は門外漢で手に負えないから、祝名を削除するだけにしておけば魔力は持てるかな……外見に関しても専門外だからせめて生まれ変わり先の両親の容姿を選ぶくらいかなあ……とりあえず、出自を奴隷にしておけば祝名削除と併せてなんとかとんとん、かな……」
「何言ってんだよ当然王族だろ? 後、今の記憶の保持も頼むぜ?」
「え?」
悪戯小僧めいた神が思わずしてぽかんとした顔になるのを見て、少年は思わずにやりと唇の端を吊り上げた。間抜け面を浮かべてすらとんでもない美形な神には聊か腹立たしくもあるが、それでも先程とは比にならないくらいに慌てふためき始めた姿を見れば溜飲は下がる。
「ちょっと待ってよそんなの世界システムにハッキングでも仕掛けなきゃ無理だよポイントの辻褄が合わないんだってば。どっかで妥協できない?」
「ダメダメ、流行の流儀に乗る、つったのはそっちだろ? そもそも勇者なんだからそのくらい当たり前だろ?」
「むう……何が起こっても知らないからね……」
はぁ、とため息をついて神は再びいくつものウィンドウを呼び出し操作を始める。そのSFを連想させる光景を見ながら、少年は口角を吊り上げたまま頬杖をついて威圧するかのように神を睨めつけていた。
「…………とりあえず、割り込ませる事は出来た、かな。側室腹の末王子なのは勘弁してね……」
くはぁ、とため息をついてへたり込んだ神を見て、少年は仕方がないな、と呟きながらも満足げに頷いた。
幼いうちはどうしようもないだろうが、少なくとも次の人生は退屈だけはしなさそうだからだ。
「とりあえず、キミが生まれる予定なのは北大陸中央の砂漠地帯の、さらにド真ん中にあるベルリーズ王国で……キミは第二王子になるね。年の離れた兄と姉がいる。王国としては末期でかなり腐敗が進んでるけど、他に割り込めそうなとこが見当たらなかったからこれ以上の変更は効かないよ。剣の腕前に関しては、一番魔族領に近い国に、今は一人、もう直ぐもう一人加護持ちが生まれる予定だから一番にはなれないけどボクに出来る最大限の事はしたからね。両親は、見てくれだけは極上だから多分容姿も何とかお気に召してくれるといいんだけどね。そこの扉から出れば生まれ変われるからね」
「なんだよ使えねェな。まあいいや。とっとと生まれて魔王でも何でもぶっ倒して英雄にでもなってくるか」
くつりと嗤いながら少年は立ち上がり弾む心に浮かれ過ぎないよう殊更ゆっくりと足を進め、指し示された扉を押し開けた。
その瞬間、一気に膨れ上がった光に飲まれ、少年の意識は緩やかに沈んでゆき……。
その日、ベルリーズ王国王宮の片隅で、小さな産声が上がった。
生まれたのはベルリーズ王国国王の第三子で、両親に似て玉の様に美しい赤子であったけれども、その泣き声は生まれた翌日にはもはや響くことはなかった。
赤子の母は数多の王の側室の中で唯一の平民の娘であり、子を身篭っている間に他の側室達からの数多の嫌がらせに身も心も衰弱しきっていた為、子に祝名を与える間もなく息を引き取った。
そして祝名を与えられなかった赤子は四半刻もしないうちに魔に染まり、手も使わず物を動かし周りの者たちの言葉を解するような反応を見せた為、その日のうちに呪われし子として闇に葬られたのである。
「……しかしまあ馬鹿な子だよね、チートなんて欲しがるなんてさ? ボクとしてはあの世界で適当に生きて、適当に死んでくれるだけでよかったのに」
ロクフェ……少年と相対していた神は掌の上にたゆたう魂を眺めてぽつりと呟いた。その魂は、名もつけられぬ内に殺された赤子の、つまりは少年の物である。
魂はまるで抗議をするかのように揺らめいて見せたが、ロクフェは構うことなく魂を手に乗せたままゆったりとソファに寝転んだ。
「ポイントっていうのはね、要するに凡てをひっくるめた素養なんだよ。そもそもキミは魂が特別なせいでポイントそのものは元から沢山はあったけれどもね、それでもあれはやりすぎた。部外者のボクが手を入れたというのもあるけど、まさしく、不正プログラムだったからね、世界からの修正がはいっちゃったんだよね。本人だけじゃなくて母親の寿命まで食いつぶす事になるとは思わなかったけど。最後の記憶保持さえなきゃ、まあ母親は無事だったし5年は生きられたんじゃないかなあ?」
邪気のない子供のような口調で、嘲る様に嗤うとロクフェは魂を遠心分離機にも似た装置へと放り込み無造作にスイッチを入れた。
それきり、キィンと悲鳴染みた響きを上げる魂からは興味を無くしたかのように虚空へと視線を彷徨わせ、ロクフェは小さく、それでいて熱っぽい息を吐きだす。
「レヴァン、あともう少しでキミを蘇らせてあげられるよ……後もう300人分、それだけを集めればいいんだ……少しだけ、待っていておくれ……」