修行は気合いでなんとかやり過ごすの巻。
ハルが調えてくれた御寝所は、がさつな私に似合わぬピンク一色だ。女子専用ですよ! と言わんばかりの花、華、ハナ。
御帳台と呼ばれるベッドは四方桜模様の几帳に囲われお姫様気分。几帳という几帳が桜。屏風も、簾もぜーんぶピンク。ハルだけに? 落ち着かないわっ!
天井の明障子にも桜の紋様がいくつも浮かんでいる。いま目を開ければ桜の花弁が陽に透けて、綺麗だろうな──。
「しゅ……ん?」
腹部に感じる熱。
添えられた指は肌に懐かしく、幼馴染みのものに似ている。逢いたくて瞼を上げようとするが、躯が縛られたように重く、動かない。
金縛りのようなのに恐怖が先立たず、妙な安心感があった。全身の血が忙しなく駆け巡り、爪先までじんわり暖まっていく。変なの、私──木偶なのに。
「はぁ……、はぁ……、シーナたん」
シーナたん?
シュンごめん、とんだ人違い。
おい貴様どこのキモヲタだ。
「はぁ……、はぁ……、この薫り、っ舌に絡み付く甘さ、程好い酸味……」
うん、夢じゃない。夢じゃないよ。荒々しい男の(変態的な)声が聴こえるよ。
瞼を開けるが明障子に人影は映らない。ただモゾモゾと針が触れるようなむず痒さが下の方で気色悪く感じる。恐る恐る見下ろせば、下腹部を這いずる黒い影。
「はぁ……っ、美味しいよぅ、シーナたんの愛液っ」
「ひぃい!?」
「じゅるじゅる」
──あ、カブトムシだ。
「南無三!」
『ピーン』
「ぁああ──────ああぁ」
指で弾き飛ばしたがまたブーン、と戻ってきやがった。散々人のヘソなめ回しといてまだ足りんのか。女子高生はみんな昆虫が苦手だと思たら大間違いだこの六本足がぁあ!
「三本くらいにしてやるわっ」
「中途半端ぁあ」
「やめんか、それは私の識神だ」
帳台に掛かる几帳に男の影が映る。この声はハル。もとい、クソ陰陽師。シキガミって、よく陰陽師が従えてるあの? 霊的な? 位の低い神様、へぇ。
うむうむ誇らしげに頷いてるけど、識神がカブトムシて。
「あんた、自分の識神くらいちゃんとしつけときなさいよ」
「樹液垂れ流して寝ているお前が悪い。さっさと仕度をすませ、皆お前待ちだ」
樹液垂れ流してたのか私、なんて不憫な躯なんだ。
カブトムシは足を離せばブーン、とハルの肩へ飛んでいった。何のためにお連れになってるの、その識神。
「ふぁあ、しかしよく寝たな」
おかしなことに木偶にも睡眠欲はあるらしい、いつもなら新聞配達で午前二時には起きるのに、昨日は陽が昇りきるまで眠ってしまった。
死に疲れ?
更に二度寝を決め込もうとしたが御帳台から引きずり下ろされた。
木を担いでいるだけだと言うが、これ俗にいうお姫様だっこだ。
「ちょっと、あんた私に気があんの」
「もう一度言ってみろ。顔中に呪符を貼ってやる」
眠い目(木だけど)を擦りながら、されるがままに転移するとそこは御所内。広い庭園の中に武道場のような浮舞台が設けられ、その紅い板張りに足をつけていた。目の前の邸の中には三日前召喚された広間が観覧席となり、束帯装束をまとうマロがずらり、並んで何か叫んでいらっしゃる。
え? なんだあのチンチクリンは?
あんな小娘をトウグウヒに?
なにそれ、私のこと?
私か。私に野次飛ばしてんのか。そうか、後で全員ボコッてやるから覚えてなさい。
「汝が見込んだ娘の実力、見せてもらおうか」
広間の中央。たいそうな高座に構えられた御帳台から腸煮えくり返るほど憎らしい声がする。どうやら帝が御観覧される公開練習のようだ。浮舞台を下り、御所の砂利にひざまつくは陰陽師ハル。帝の意に背き私を人屋から助け出したのだ、いま結果を出さなければ私共々ハルまで人屋へ放り込まれるかもしれない。
寝起きの躯をコキコキ鳴らし準備体操をしていると、高座の簾が開き中から人が二人、此方へ下りてきた。男が先に階段を下り、女の手をとり腰をとる。
シュンと一の宮だ。
美男美女に朝陽が眩しいぜ。
「お久しぶり、シュン皇子殿。私が独り寂しく牢屋で飲まず食わず腹筋してる間に、見違えるほど美しくなられましたわね。そちらのお姫様をご紹介いただけるかしら」
最上級シャトーブリアンのコテッとした皮肉を並べたつもりが、にこーっ、とさっぱりサーロインの極上スマイルで返された。
「しぃの無事は皆から聞いてたよ。僕も気に入ってるんだ、この髪型。一の宮が切ってくれたんだよ?」
ね? と蕩けた眼差しを下方へ向ける。お前はど甘い宮崎産マンゴーか。
「眼鏡はどうしたのよ」
「結婚して、名字捨てたら目がよくなった」
僕のお嫁さん凄いでしょ? と、とろとろマンゴースマイルでまた一の宮をぎゅっ、と抱き締める。
て、──おい!
名字捨てたらて。
こんなに早い電撃結婚初めて聞いたわ。私が昆虫とお戯れの最中にご卒業か。おじさんとおばさん泣くわ。
これまたシュンが引き寄せた一の宮の衣裳は睡蓮が咲き清純な美を飾っているが、襟元はエロ全快。二つのお山がシュンの左腕に乗っかってます。
筋肉で乳を寄せあげた私へのあてつけか。
養殖は天然には勝てませんよ的な。
「シュン様の氏には目が病む呪がかけられていましたの」
初めて聴く一の宮の声はまた清流のごとく澄んでいて美しい。
「しゅ?」
「呪いのことよ。驚かれたでしょう? 眠っていたシュン様の輝きに」
いや知ってたけど、あらためて面とむかうと眩しいよね。
みっともないことに私の隣でハルは顔を真っ赤にして一の宮の乳に見入っている。男の子っておっぱい好きだよね、知ってる。君はチェリーで決定だね。シュンに先越されとるぞ、陰陽師。
「い、一の宮、鬼退治まで二日しかございません。修行には危険が伴いますのでどうか離れて御観覧を」
「何を仰っているの? わたくしは巫女の身、シュン様と運命を共にすると誓ったの」
観覧席がどよよ、とどよめく。
「姫様こそ何をっ、帝が許されるはずがありません……!」
そりゃそうだ、お姫様が戦場に出られたら、親の心子知らずの巻になってしまいますわよ。
「ぐちぐち、五月蝿いのよ!」
清流が一瞬デス声に聴こえたのは気のせいかしら。次に一の宮が呪なるものを唱え、華奢で小さな手をつきだすと、波動のような風がハルを場外まで突き飛ばした。
凄ぇ、カメハメハみたいだ。
ハルがリバースしてこない、姫様に一発KOてあいつ本当にクソ陰陽師だな。
「人柱姫シーナ、貴女には剣の錬成方法を今日一日で修得していただくわ。並みなら一ヶ月かかる修行、厳しいけれど覚悟しなさい」
「はい」
法則では人柱姫が錬成した剣を異国の剣士が操り鬼を倒すらしいのだが、「わたくしがシュン様の剣になるからっ」と一の宮が有り難いことを仰ったので、潔く頷いた。
一の宮は皇女でありながら、日の神を主神に祀る鏡都唯一の巫女であるという。神の霊力を元に人柱姫が織り成す聖剣と似て非なるものを創りだせる。私が宿す剣が陰なら、一の宮の剣は陽。鬼を斬るには充足であるらしい。ハルめ、私以外にいないみたいなことを言って、話がちと違うではないか。まぁ、一陰陽師が帝の愛娘に鬼退治手伝ってよなんて直談判は難しいか。
それに私としても好都合、自分が錬成した剣は自分で使いたいもの。
「では、手本を」
一の宮が一息吐き瞼を閉じると、先程の静かな詠唱とは異なり、低い韻律と高い韻律が交わり続く異様な呪を唱えた。
再び開いた両眼はサファイアの石を嵌め込んだように見事に蒼く輝いている。
その瞳が下向き腹に手が添えられると、なんと下腹部から剣が地と平行に、柄から生まれ出した。一の宮はその柄を握り、ゆっくりと慎重に抜いていく。柄から刃尖まで総てが蒼く、僅かに向こう側が透けて見えるガラスでできたような剣だ。
抜ききるなり、一の宮は身体をぐらつかせた。
「一の宮……!」
「あん、シュン様ぁ」
余程の霊力が奪われるのか、シュンに抱き付いたまま立とうとしない。はぁはぁ息を乱して、それ仮病だったら只の盛った牝猫ですからね?
「この剣は魂血剣。名の通り奪われるのは魂血、魂に流れる血。一時的とはいえ御霊を削るのだから、この錬成には酷い苦痛と虚脱感を──」
「できた」
「は?」
できたよ、うん。青じゃなくて赤だけど。
確かに痛いけど竹刀千本ノックよか千倍マシ。
「なっ、そ、そんなみようみまねで──」
「ちゃんとできたかは打ち合えばわかる。シュン、やるよ」
「わかった」
ハル(絶賛失神中)の為にも此処で成果を上げなければ。
シュンは優しく一の宮の手から魂血剣を奪うと、一歩も臆さず私の前まで歩み寄り、勇ましく剣先を天へ向けた。嫁にいいとこみせたいのだろう、やる気満々だ。
シュンが着ている道着は剣道着より身体に密着し動きやすそうだ。真っ白な衣に黒帯、特徴的なのが帯留めで、金糸の紐に碧色の宝石があしらわれている。チャンピオンベルトみたいね、それ。
そういえば私が着ているこの巫女装束も、見た目よりずっと動きやすい。袖は袂がなく手首に切替があり、袴も裾はすっきりと足首にフィットしている。
餌だなんだと言いながら、ちゃっかり戦闘用だ。
「しぃ、いくよ」
「はい」
シュンはいつも私と打ち合う時だけ、眼鏡をとる。髪をかきあげて真顔になる。普段黒子にされている腹いせに本気で一本取りにくるのだ。真剣だというのに今日もその気らしい、今は眼鏡もかきあげる前髪もないが、殺気はいつもと変わらない。
柄を握る手に汗が滲む。
──シュンは、強い。
「はぁああ──!」
互いの足袋沓が薄い板にめり込む。同時に水平に打突された剣は、その先で弧を描き音をたてて振るわれた。その力ずくの剣を受け止めれば、女の私には跳ね返すだけで腕が傷む。受け止める振りをして素早く刃身を返し胴へ斬り入れるが、もちろん容易く打ち返されてしまった。次に繰り出される手は予測不可能、シュンの剣技は従来の形にとらわれず、意表をついてくるから油断出来ない。
「こっちだ……!」
「片手……!?」
両手で握っていた柄を右手に持ち変え、ぺティナイフのように軽々と振り上げる。ならば、と両手で思いきり叩き落とすと、そうきたかとシュンは刀越しでにんまり笑った。
「次は──」
「させないわよっ!」
どんなに避けても打ち返しても、床に滑る身体を起こし、闘志を剥き出しに声を上げて負けじと立ち向かってくる──このかんじ。
楽しい。
聞こえるのは、剣が刻む金属音だけ。
互いの動きを読む為に一時も視線をずらさず、神経すべてを相手にとがらせる。
誰にも邪魔できない二人だけの領域。
主従関係のない、平等な二人の時間。
だから私は剣道が好きだ。
──これができるなら、木偶で充分。
砂時計の砂が落ちきるまでの僅かな時間。キン、と最後に刀を重ね清らかな音を鳴らした瞬間、周りから歓声がわき起こった。
「きゃぁあああっ!」
「シュン様ぁあ!」
いや、黄色い悲鳴だ。我に返ればマロ共は観覧席から追い払われ、代わりに十二単を着たアデージョが邸に溢れかえっていた。
仕事早いよハーレム勇者。
高座にいた黒い狩衣も消えている。
「本物だってわかったからもういーよね、ちょっくら修行してくる」
「えっ、しぃ……!?」
君はハーレム育成に勤しみなさい。
追いかけてくるシュンを足蹴に、途中吹っ飛んだままのハルを拾うと、鬼のいそうな洞穴へと転移した。
すみません……全体的に下品で。
ハルは、ウブなだけです。