白羽の矢が立って、巓落の巻。
思えば、私に白羽の矢が立ったのは最悪のタイミングだった。
忘れもしない高校一年一学期の終業式。明日から念願の夏休みだという、キラキラ希望に満ちたあの日。
「あら珍しいわね、佐久良さん。今日は部活お休み?」
「明朝早くに京都で友好試合がありますの。今日中に前入りしようかと……部長とふ た り で」
「まぁ! 部長って、剣道部部長の柏木先輩と?」
「二人でって──まさか」
しれ、と机の教科書を詰め込むと、ざわめくお嬢様の群れをかきわけ教室を出るはわたくし佐久良紫菜。
私が通うこの学園は品位も学費も高い中高一貫の超エリート学園だ。この学園において最もエリートで学園アイドルの柏木先輩は、絵に描いたような金髪碧眼のキラキライケメンハーフ、部活の先輩であり私の恋人である。そのハートを射止めた私はこの学園において最も低位、下界の貧乏娘──てなわけで、シンデレラストーリーのような身分差カップルはいまや学園中で話題となっている。
「おほほほほ、ごきげんようー」
一庶民にとって、お嬢様の嘆き声はいつ聴いても気分がいい。うふふとお行儀よく過ごしていた一学期もこれにて終了、明日から四十八日間タンクトップ短パンでアイス片手にゴロゴロできるかと思うと涎が垂れそうだ。
後は皆さんに手を振って黒子に暇をだすだけ。
黒子とは、私の背中に貼り付く怨霊みたいな幼馴染みのことだ。その装いは男版サダ子。サダ男だ、サダ男。肩まで伸びた黒髪をふり乱し斜め四十五度で私の後ろを歩く。
今日こそはサダ男を振りきってやろうと廊下でスタートダッシュをかけるが、サダ男はもう廊下にいた。本当に怨霊かと思った。
「お願い、しぃ。五分で終わるから」
「話って何よ、教室じゃ駄目なの?」
「うん」
先急ぐ私を校舎裏へ呼び出したのは、幼馴染みでサダ男の不知火隼。
生まれた時から隣にいた、兄弟みたいなヤツだ。同じ団地に棲んでいて、学校もクラスも部活も一緒。
だから、改まってなんで? って思った。
「ずっと、しぃのことが好きでした」
最初は冗談かと思った。
え、何。私を陥れる罠?
思わず後退り。
だって、隼が私を好きとかあり得ない。
子供の頃はいじめっこより隼を虐めてたし、剣道クラブに入ってからは毎日的がわり。人生一度きりのアオハルシーズンに髪を切らせず、ダサい服を着させ眼鏡も瓶ぞこを死守しサダ男化させたのは何を隠そうこの私。毎日弁当を作らせ、パシリに荷物持ちまでさせているこの私は恨まれても好かれる理由がない。
「と、友達として、だよね──、あはは」
「愛してる。──そう言えばいい?」
はぅ、その顔で愛を語るでない。眩しい、眩しいよっ。
たとえ眼鏡越しでも、久しぶりにその顔でみつめられるとドキドキしてしまう。
何を隠そう、サダ男が顔を上げ前髪かきあげれば超イケメン。三年前にはあどけなかった童顔も十六歳にもなれば凛々しく精緻な美顔。
滅多にお目見えしないので、同級生は皆その素材の良さを知らない。知られたとしても噂が広まらないよう、ぬかりなく手を回している。
──私だけが知っている隼の素顔。
「でも、私は──」
答えは最初から決まっているのに、どうして呼び出してまで傷付こうとするんだろう。
私には柏木先輩がいる。
先輩の彼女になるためにどれだけの努力をしてきたか、隼だって知ってるくせに。
今日は来る交際二ヶ月記念日、お泊まりデートを直前にして校舎裏の雑草に六文字を言い放った、直後のことだった。
──グサリ。
頭部に走る震動と激痛。
ぐらつく身体を支えてくれたのは隼だ。見上げれば、その綺麗な顔から血の気がひいている。
「あわわわわわわわわわわ」
「どした隼、私の身に何が」
うん、頭痛するけどなんとか喋れるよ。
「あ、たま、たま、あたまに」
「たまに?」
「頭に、白羽の矢が立ってる!」
白羽の矢が立ってる?
何の抜擢?
どれ、手を伸ばしてみよう。
あ、本当だ。右のコメカミから細い棒みたいなのがでてる。
ちょっと待て。
左からも出てるよ。
左から右へ?
右から左へ?
「右から左だよ!」
「そうか。死ぬのか、私」
さては柏木先輩を狙う弓道部員の仕業だな。暗殺か。暗殺だな。
「せめてロストバージンしてから──、ゴフッ」
「しぃ────っ!」
隼の声が遠退いていく。
もう痛みも感じない。
目も見えない、耳も聴こえない。
ただ雲に流されるような、浮游感はあった。
ああ、死んだな。
不思議とうんうん、納得した。
学園のアイドルと隠れイケメンの幼馴染みを独り占めした罰だ。乙ゲーのヒロインでもないくせに、調子に乗りすぎた。
世界中の女子の皆さん、もとい牝というメスの皆様、申し訳ございません!
「──あれ?」
「しぃ……! よかった!」
瞼を閉じて、五秒も経っていないと思う。
浮游感がなくなり、華やかな香が鼻をくすぐった。
瞬きをすれば眼は見えるし、耳をすまさなくても隼の声が聴こえる。
「生きてる……?」
「うん、よかった……っ、よかった!」
眼鏡をはずし、ポロポロと涙を溢す隼はめちゃ愛くるしい。天使かと思ったぜ。
美顔越しに辺りを見渡せば、知らない景色。どうやら邸の中のようだ。日本の武家屋敷に似た厳かな寝殿造りで、殺風景な黒塗りの板場には魔法陣のような円形の光が蒼白くたなびいている。
おそるおそるコメカミに手を伸ばすが、矢は消えているし、血糊がついてこない。血塗れだった制服も真っ白なままだ。
「夢──?」
「いえ、貴女は確かに一度亡くなられた」
後ろから聴こえた声に振り返ると、魔法陣の中心に黒い狩衣を着た男が目を瞑り座禅をくんでいる。男はこちらへ顔を上げると妖しげにニヤリ微笑んだ。女のように妖艶な顔立ちで、若々しくみえるが三十は越えていそうだ。
「お待ちしておりましたぞシーナ殿。ようこそ鬼ヶ島、鏡都へ」
なんだ、危険なサブタイトルついてるけど京都だったのか。
確かに邸の中は京都っぽい。少々ブッとんでいるが、気を失っている間に救急車で東京から京都まで運ばれたのかもしれない。これは交通費が浮いたってもんだ。
「すみませーん、京都駅行のバスはどこから出てますかっ」
「…………」
的外れな質問だったらしい、ものすごい間が空いた。
「ここは貴女の生きた世ではない。世も神も異なる辺境の島。貴女はこの国を救うために白羽の矢が立った人柱姫だ」
立ったは立ったけど、脳みそ貫通したよ。
「じんちゅうひめ……?」
「そうだ、貴女は神に撰ばれし人柱姫。毎年輪廻する人身御供を絶やす伝説の御霊。貴女の使命は生け贄に選ばれた憐れな娘の身代わりとなり、鬼の腹を満たすこと。貴女が喰われれば輪廻は終わる。一度死んだ身、軽じて受け入れろ」
笑って酷いこといってる!
「はい、わかりました──て易々受け入れるわけないでしょうがっ」
「待って──僕は? 僕も一緒に死んだの?」
あっ、私の影が喋った。
「否、シュン殿は生身のまま召喚されておる。私とてうら若き娘を黙って喰わすつもりはない。シーナ、お前の命はこの方に懸かっているのだよ」
次には男が手をつき隼へひれ伏した。
サダ男が敬われている。今夜は雨だな。
「ようこそお出でくださいました。貴方は英雄、異国の剣士。輪廻を断ち切る法則に欠かせぬ一人でございます。只の餌である人柱姫とは違い、鬼を倒せる唯一の剣士。貴方なしでは平和は訪れません」
いま完全に私のこと餌て言ったな、こいつ。隼が桃太郎なら私はきびだんごか。
「隼が鬼を倒せば、元の世界へ戻れるの?」
「無論、一箇所ではないがな。この国には四十八箇所、毎年その数、罪のない娘が鬼に捧げられ死んでいる。それ等総てが払拭された暁には、この国の神が貴女の魂の時を、生前まで戻してくれるだろう」
鏡都は円形の小さな島国。
島の中心部が人類の居住区であり、まるい水堀を隔て海沿いの山岳地帯に鬼が棲息している。結界の役割を担う水堀は波紋のように三層築かれており、人身御供はその水堀に建てられし鳥居四十八箇所にて求められるという。
「鬼退治が終われば、僕もしぃと一緒に戻れる?」
隼が男に食いつく。あんた騙されてんのよ、四十八箇所よ? 散々働かされて死ぬだけよ。
「神は貴方の願いも叶えよう──但し、貴方がそれを望めばの話、だがな」
今度は卑しげにニタリと笑う。
「初陣は七日後。島は東、震の方角を司る鬼。この御所から程近い一層目の水堀に立つ鳥居だ」
御所とは日本と同じく帝が執政を行う皇居で、鏡都の最も安全地区、正中部に建てられている。三層ある一層目の水堀は御所を囲うまさに城を守る防護設備。
帝とは目前に座る黒づくめの男のこと。おっさん、この国の王様だったのか。
震の鳥居を司る鬼は、毎年初夏になると御所に仕える宮中の女人へ白羽の矢を立てるらしい。今年はあろうことか御所一の美しさを誇る皇女の局に矢が刺さってしまった。花盛りの宮中は悲しみに垂れ、皆喪に服すような佇まいであるという。
供儀を拒めば大地震や津波に似た天災が鏡都を襲い、国を滅ぼすだろう?
初っぱなラスボスの香りが漂ってるよ。
「そんな大層な鬼、どうやって倒すのよ」
「お前は能無しか。剣士だと言うたろうが、剣で貫くのだよ」 「剣、一本!?」
お前が能無しか。 剣一本でラスボス倒せると思ったら大間違いだ、クソゲーにでてくる勇者だって魔法くらい使うわ。 やっぱり私達ただの捨て駒じゃない。この時の為にお前は剣道習ってたんだとか、運命語りやがったら後ろからドツいてやる。
どうせなら孤高の剣才と謳われた部長寄越しなさいよっ!
「ヒーローは金髪碧眼て決まってんでしょうがっ!」
「はて──、確かにその様な面妖な容姿の男が占で映ってはいたようなροικμξζε」
なんか変な呪文で誤魔化された。 途端に足元の魔法陣が光を柱のようにたち上らせ、私の身体だけを包み込んでいく。
「隼……っ!」
「しぃ!」
遠ざかる隼の声。
一瞬落とし穴に落ちる程度の短い落下を感じたかと思えば、次には景観が変わっていた。
窓のない土壁。厚みのある木製の格子。びくともしない銅製の錠。
ローファーのヒールに突き刺さる砂利土。
「…………うん」
ここ、牢屋だね!