序幕の巻。
しら‐は【白羽】
(人身御供を求める神が、その望む少女の住家の屋根に人知れず白羽の矢を立てるという俗伝から)多くの人の中で、これぞと思う人が特に選び定められる。また、犠牲者になる。「白羽が立つ」とも。
──広辞苑第六版より引用
私は神に撰ばれし身代わり屋、人柱姫シーナ。
姫とは名ばかりの生け贄の娘。
歴史の中で繰り返される悲しい伝説、人身御供──その、供物となるもの。
今日も元気に巫女装束、明るく供儀台で死を待っています。
──ざ。
──ざ、ざ。
さざ波をたて厳かに現れた、本日のクライアントは青鬼様。
商談場所は島の水堀に奉られた生け贄の祭壇。海へと続く洞窟の中には二階建てのビルの高さはある鳥居と、私が白雪姫風に寝そべる冷たい供儀台が備え付けられている。鳥居が鬼門となり黄泉の国から鬼が現れると、黒い影が隠惨な闇となり洞窟内に広がり、松明の炎までも飲み込んでしまう。
その巨躯に恐れ戦慄き退くは供儀台を囲っていた従者達。
果敢にも剣を振り上げる一人の少年を除いて──。
「せぃぁああ──っ」
『男はいらん』
──プチッ。
「…………」
『さぁ、人柱姫。吾に魂を捧げる浄らかな御霊よ。最後の望みを申すがよい』
鬼は私の魂を対価に荒波を静め豊漁にしてくれる。そして供物となる娘の望みを必ずひとつ、叶えてくれる。
ちなみに一寸前、海ぶどうみたいな音をたてて鬼に踏み潰された男は、供儀という哀しい輪廻を断ち切るといわれる伝説の英雄──異国の剣士シュン(享年十六歳)。輪廻ではなく、己の命を断ち切りましたが。
役立たずが、と溜め息混じりにお馴染みの台詞を吐いた。
「たった今、青鬼様が御霊を奪われた馬鹿を現世に甦らせていただけますか」
『なんと──憐れな姫君よ、愛する男の為に魂を捧げるか』
「はい」
ぺしゃんこシュンはたちまち元通り。代わりに私が鬼のお口へ運ばれる。
ガパリ、顎が開く衝撃音。
白煙のごとくたち昇る呼気。鼻につく悪しき瘴気。
私は静かに瞼を閉じ、その時を待つ。
安らかな死を──。
「んなわけ、ないっつーの」
人柱姫なめんなと唇で呪を口ずさみ、指で印を結ぶ。怒りに燃える私の眼窩は仄桜色に染まり、瞼を開けば浄火が瞳を朱色に灯らせる。
人柱姫とは鬼のご馳走であり、鬼の毒牙。
生け贄でありながら、鬼を絶つ聖剣を宿す御霊。
白雪姫風に組んでいた指が印を結び終えると、腹部を鞘にその身に宿した魂血剣、《冠火羅》が抜かれる。
握りなれた柄を返し鬼のこぶしを突き破ると、猛然とした鬼の指を足継ぎにすたこら腕を駆け上がった。
『ぐっ──、おのれぇえ、神を愚弄するか』
「はっ、なぁにが神だ。笑わせんじゃないわよっ」
私を振り落とそうと腕を上げた隙にジャンプ──二度呪を結べば斤斗雲、《雲娘ちゃん(愛称)》が私の足裏を受け止める。
鬼の眼窩は目の前、だっ。
「角生えとんじゃ、ワレェ──!」
神に近い高位だろうが鬼は、鬼だ。
二本の角を兜に見立て、首には数珠をぶら下げているがよく見りゃ人の頭蓋骨。苔むした蒼肌に猛々しい筋肉は立派な鬼。
どうせ海を荒らしていたのも、魚を喰らい尽くしたのもこいつの仕業だろう。
「地 獄 に 堕 ち ろ !」
朱眼で見極めた右目を狙い、冠火羅が鬼の目玉を打突する。冠火羅に血を吸われた鬼は瞬時に石化し、砂となり塵となり消えた。剣を腹に納めれば、鬼の血は私のリポビタンD。貧血気味の蒼白い顔に赤みが点す。
「ふぅ。満腹、満腹」
鬼の急所は心臓ではなく、二つの目玉のどちらか。よかった右目がビンゴで、だって私の朱眼はただ赤いだけ。女の勘万歳。
これでまた七日は生き延びられる。
再び供儀台へ戻れば、シュンがガッツポーズで煌めく笑顔を振り撒いてきた。死んだ以外何もしとらんがな。
「凄いやっ、しぃ!」
「あんたはルイージか。何回死んでんのよ」
「二十四回」
「そうか、折り返しか」
わーいっ、とシュンは筆を執ると、首に掛かっているラジオ体操のスタンプカードにハートマークを記した。
えへへ、と視線を落とした先には腕に巻き付く蒼白い美姫、一の宮。
「シュン様、わたくし血を失いすぎました……」
「大丈夫? ほら、肩に手を回して」
てお姫様抱っこだよ、それ。
またお姫様うっとりしてるけど、そいつ五分前までぺしゃんこだったからね?
その他シュンに群がる美女二十三名。
「帰る」
「あっ、待ってよ──、しぃ!」
赤い袴を翻し雲娘ちゃんに跨がると、唖然とする従者達の間をすり抜け、独りさっさと御所へ戻った。
不定期に、思い立ったら、書きなぐっていく予定。あまり期待せずに、ぼんやり読んでいただけたら嬉しいです。