橘雪成の秘密
本編「61.行きつけの店」の続きとなっております。
ただ春人と雪成がダラダラとしゃべっているだけの内容です。
真夏に思い付いた話で、季節外れの怪談話になっております。
苦手な方はお避けください。
「というわけで……すべては科学と心理学によって証明できるわけだ」
ほろよい気分の春人がそう言った。
春人はとても上機嫌なようで、いつもの倍くらい口数が多かった。
薄暗がりの店は、春人の美しい横顔を浮かび上がらせて、俺はそれを見るたびにドキドキしてしまう。心臓の鼓動を隠すのに必死で、俺は感心したように言った。
「ふーん、じゃあお前って、幽霊信じてないんだ」
何がどうなって、こんな話になったのか、まるで覚えていないが、俺たちはいつの間にか、こんな話をしていた。春人は呆れて笑う。
「幽霊だと? バカバカしい」
春人はカクテルグラスに口を付けながら、バカにしたように言った。
「超常現象と呼ばれるものは、すべてにおいて科学と偶然で説明がつく。それを、わけのわからないオカルトのネタ話にするのは、暇な人間の好きそうな事だな」
「へぇ……そうなのか」
俺がつまらなそうに言うと、春人は少し俺の顔を窺った。
「なんだよ、お前は信じているのか?」
「んー……信じているって言うか、わけのわからない体験はしたことがあるっていうか」
春人は、手にしていたカクテルグラスを置いた。
「ほぅ……それは面白そうだな。聞かせろよ」
「え」
俺は眉間にしわを寄せてしまった。
あんな意見を聞いた後では、話す気になれない。全部を否定されて終わるに決まっている。
「えー……」
俺が渋っていると、春人が薄く笑みを浮かべた。
「……なんだよ、言いたいからそういう言い方をしたんじゃないのか?」
「だってよ……お前に話しても否定されるだけだし」
春人は小さくため息をついた。
「否定なんかしないさ。目に見えない力が存在するのは確かだ」
「え、そうなのか?」
「ああ……例えば圧力とか、磁力とかだな。目には見えないが、確かに存在するパワーだ。これらを発見する前は、説明がつかないことだってたくさんあっただろうさ」
「そうか……そうだな」
「ま、多くの場合、思い込みと体調による神経異常だが、体験している本人にとっては、本当に見えたり、体感したりする。それは俺が否定したところで意味がない」
「ふぅん……」
「それに、俺はもう大人なんだ。子供の頃は何か理由を付けて否定したがったが、今では違う。本人がそう信じていれば、それは真実だ。そいつにとってはな」
「へぇ、結構大人なんだな」
春人は挑戦的に笑った。
「子供だとでも思っていたのか?」
「いや、そーじゃねぇけど……」
「いいから話せよ。酒の肴になる」
俺は少し苦笑した。
「そうだな……何年前だか忘れたけど、俺が警察官になりたての夏だった。警察官の最初の任務は何か知ってるか?」
「ああ、交番勤務だろ?」
俺は呆れてしまった。
「ほんとによく知ってるなぁ……」
春人は少し笑った。
「それで? 制服着て、派出所の前で仁王立ちしていたのか? 似合いそうだな」
俺は苦笑した。
「ああ……昼間はな。夜はパトロールだ」
「ふぅん……大変そうだな、丸一日だろう?」
「そう、交代勤務だったけど、24時間だったからな。でも地元の、田舎の交番だったから、大した事件も起きず、ずっとヒマだったよ」
「へぇ……田舎のおまわりさんだったのか」
「その頃はな」
俺はその頃を思い出して、はぁっとため息をついた。
「もう、ヒマでヒマでよ……たまに交通事故だって言うから駆けつけてみたら、牛に足を踏まれて動けないオジさんが大騒ぎしてるとか」
「牛……」
春人は吹き出して笑った。俺は構わず続ける。
「人が死んでるっていうから、行ってみたら明らかに寿命のおじいさんとか」
春人は笑いを止めて、感心したように言う。
「ああ、それも大変だな……自宅で死なれると変死扱いだからな」
「あと……狸が畑を荒らして困るからなんとかしてくれとか」
「警察にそんな事言っても……まるで便利屋みたいじゃないか」
俺は、はぁっとため息をついた。
「完全に便利屋だとしか思われてなかったよ。網戸の張り替え手伝えって言う人もいたし」
春人はまた笑った。俺もつい、つられて笑ってしまう。
「おまわりさんも大変だな」
「ああ、まったく」
「それで? 変な体験したっていうのは?」
「そうそう……」
俺は半袖の警察官の制服を着て、自転車に乗っていた。いつもの田舎道で、砂利にタイヤが取られそうになる。ここでコケて、一人でケガでもしてもバカらしいので、俺は諦めて歩いて自転車を押した。しばらく行くと、前方から不思議な声が聞こえてくる。
その声は子供の声で、わらべ歌を歌っているようだ。
俺は不審に思って腕時計を見た。時計の針は2時を示していた。
俺は穏やかに微笑んだ。
「……昼間の2時だと思うだろ?」
「? ああ……」
「夜中の2時なんだ」
「……」
春人は俺を見て黙った。
俺は懐中電灯を、真っ暗な空間へ向けた。
そこには小さな男の子が、木の枝を持ってご機嫌で遊んでいる。この歌は、どうやらその子が歌っているらしかった。近くには人の気配がなく、保護者の姿は見当たらない。
こんな夜中に子供が一人でいる以上、職務質問をせざるを得ない。
俺はその男の子の近くで自転車を止めた。少年は、近くに来た俺を見上げた。
「ちょうどよかったぁ、お兄さぁ、一緒に遊んでくいやんせ!」
俺は、その口調に驚いてしまった。
その子の口調は、かなりきつい訛りだ。今では誰も使わないような、この地方の方言だった。そういえば、古臭いような飛白の着物を着ている。
俺は、ばあちゃんに育てられたので、かろうじて言葉が通じた。
俺はその場でしゃがんで、子供と目線を合わせる。
「君、こげんとこいで何をしとおの?(君、こんなところでなにしてるんだ?)」
俺の訛りを聞いた春人が、派手にカクテルを吹き出した。
「ぶっは……! げほっ、ごほっ……!」
「うわ!お前大丈夫か!?」
俺は驚いて春人の背中をトントンと優しく叩いてやった。
春人は、少し落ち着くと涙目で俺を見た。
「いや……だ、大丈夫だ。ちょっとイメージが……」
俺は笑ってしまった。
「じゃあ以下、標準語な」
「ああ、そ、それで頼む」
するとその子供は、にっこり笑った。
「一人じゃつまらない。おにいさん遊んでよ」
どの道、迷子が一人でいる以上、保護しなければならない。保護者が見つかるまで、派出所まで連れて行くことになるだろう。
俺はため息交じりに言った。
「ああ、わかった。でもその前に教えてくれ。お父さんか、お母さんは? どこにいる」
その子供は、頭を横に振った。
「いないよ。ずっと一人なんだ」
「……そうか」
……俺と同じか。
あっという間に親近感を持ってしまった俺は、自分で呆れて、またため息をついた。
俺は自転車に乗せてあった調書を取り出して、ボードに挟み、胸ポケットからボールペンを取り出す。しゃがんだまま、膝の上にボードを乗せて、懐中電灯を頼りに、今日の日時を書きこんだ。
「君、歳はいくつ?」
「いつつ。ほんとに遊んでくれるの?」
俺は手元の紙に5歳、と書き込んだ。
「ああ。名前は?」
「きはち」
「きはち……くんね。住所は?」
「じゅうしょ?」
男の子が首を傾げるので、俺はわかりやすく言った。
「どこに住んでいるんだ?」
「あの山」
子供は遠くを指さした。俺は立ち上がって、その方向を見る。
真っ暗な空間にうっすらと、低い山が黒い輪郭となって見えていた。
だがすぐに、それはウソであることがわかった。何しろ地元だ。
「ウソをつくなよ、あの山に民家はない……」
俺は視線を戻して、その子を見た。
だが……そこには誰もいなかった。
「!?」
俺は慌てて懐中電灯で子供を探した。
男の子は活発だ。一時たりともじっとしていられないものだ。だからきっと、ただ移動しただけかと思った。しかし……どこを見まわしても、その子はいない。
物陰に隠れようにも、周りには見渡しのいい田んぼしかない。しかもその田んぼも、田植えが済んだばかりだ。水が入っていて、短い苗が規則正しく並んでいる。田んぼの中に入ったのなら、いくらあの子の身長が低くても、すぐに見えるはずだ。
だが暗い夜道で、あまりよく見えない。
その時、急に雲が晴れたようで、月明かりが出てきて、俺の立っている周辺を照らした。懐中電灯がなくても見えるような月明かりで、俺は助かったと思ったが……やはり、その子はどこにもいなかった。
「……」
俺は調書をボードから外すと、ぐしゃりと丸めてポケットに突っ込んだ。
そのまま、月明かりで明るくなった夜道を、また自転車を押して歩き出した。
「ちょっと待て」
と、春人が言った。
「なんだよ」
「お前……なんでそんなにクールなんだ?」
「なにが?」
「普通は子供が目の前から消えたら、人を呼んで捜索するとか……」
俺は少しどもって、頬を掻いた。
「ああ……まあ、人が消えるってのは、俺にとっては、よくあることだから」
「え……」
春人は微妙な表情になった。俺はそれを見て、楽しくなって微笑んだ。
「多分、あの子は人間じゃねぇよ」
「……」
春人はえもいわれぬ表情になった。唇が半開き状態だ。俺はそれを見て、表情がつられてしまった。
「う……お前、そんな露骨な……モロに否定したそうなツラしやがって……」
「……いや……否定はしないが……しないと思っていたが……まぁ、いい。それで終わりか?」
「いいや。まだ続きがある。お前が聞きたいなら話すけど」
春人は、なぜか諦めたようなため息をついた。
「ここまで聞いたからには聞く」
「そう……どうもその後、俺はそのガキに目を付けられたらしくてな。日常生活の中に時々現れちゃー消えるんだ。たとえば……寝てる時に、あの歌が聞こえてきたり、車のバックミラーに、着物がちらっと見えたり……カーテンの中に隠れて笑ってたり」
「……」
春人は露骨に嫌そうな表情をした。
「でもまあ、俺は怖くなかったし、すぐに消えるし、悪さをするわけじゃないから、放っておいた。結構長かったかなぁ……」
「よく放っておけるな……」
俺はつい笑ってしまった。
「ま、俺もついうっかり、遊んでやるなんて言っちまったからな……その歌を覚えちまって、寝ぼけて口ずさんだら、嬉しそうな笑い声がするから、つい何度か歌ってやったこともあったかな」
「……」
春人は嫌そうな表情を変えなかった。
「おい、そんな目で俺を見るなよ。俺は至って正気だぜ?」
「いや……まぁ……それで?」
「それは交番勤務が終わって、上京してもしばらく続いてたけど……夏休みを取って、帰省した時、ちょっと変わったことがあってな……」
「ふぅん……」
照りつける太陽の下、俺はなるべく日陰を選んで歩いていた。田舎の道は相変わらず自然が多く、セミがせわしなく空気を揺るがしている。
「暑い……」
当たり前の事を呟きながら、俺はゆっくり歩いた。
ここは、ばあちゃんの家へと続く、まっすぐな道だ。道の両脇には、立派な杉が並んでいる。真ん中は神様が通ると教えられていたので、端を歩くのがクセになっていた。
汗をかきながら歩いていると、奇妙なものが目に入った。何かが木に張り付いている。
ポスターや広告などが張ってある場合、それは違法だ。
引っぺがしてやる……と思い、そこに近づいた。
「!」
近くに行って、それを見た俺は、つい眉間にシワをよせてしまった。
……ワラ人形だ。
それは丁寧な造りで、きちんと足の部分までワラで編んである。その人形には無数の釘が刺さっていた。それは胴体の部分だけではない。頭の部分にまで銀色の釘が刺さっている。名前や、写真などは張られていなかった。おそらく、この中に仕込んであるのだろう。
「ったく……」
この道は神社へと続く道でもある。
呪いをかけるためにここを使うのはお門違いだ。神道の神は、呪いなど受け付けない。
本来の神社は、もっと明るいイメージであるはずのものだ。日本の神様は人殺しなどしない。
俺はため息をついて、そのワラ人形を掴むと、力任せに杉から引っこ抜いた。
「取ったのか、それを!?」
春人は驚いたような声を出した。
「ああ取ったさ。なんだよ、取っちゃ悪かったか?」
春人は額に手を当てた。
「なんて奴だ……」
俺は驚いて言った。
「へぇー……お前、呪いは信じるのか? 意外だな」
「……呪いというのは本当に存在するんだぞ」
「えっ?」
俺はつい耳を疑った。現実主義の春人とは思えないセリフだ。
「まあ、自己催眠の一種だが」
「そうなのか……でも催眠術は信じるのか?」
「催眠術というか、催眠療法というのがあるだろう。それによって患者が、今までできなかったものが、できるようになるのは事実だ。そこには目に見えない力……つまり気圧や磁力のようなパワーが働いている可能性がある。まだ実証されてないが」
「そ、そうなのか……でも、もうやっちまったし」
俺が苦笑いすると、春人はため息をついた。
「まあ過去の事なら仕方がないな……それで、何も起きなかったのか?」
「ああ……その時はな」
「その時……?」
「その後に起きた」
「……」
春人は神妙な表情をした。
「たっだいまー」
「おーお、ゆき、帰ってきたか」
ばあちゃんは、顔をしわくちゃにして喜んで、俺を迎えてくれた。ただし、それは一瞬で、すぐに怒られる。
「こら! なんというところから入って来るのだ、正面から入りなさいといつも言ってるではないか」
「あーわり、つい……」
俺はいつもの近道を使っていた。正面から道を回って入るのが面倒で、勝手口からばあちゃんの家に侵入した。ばあちゃんの家は、神社の境内の隅にある。神主の家は隣にあるのに、巫女であるばあちゃんの家は、境内の中だ。橘家は、代々ここに住んできたという。
だがその歴史も……ばあちゃんで最後になった。
「あっちー、参るぜ、この暑さ……」
俺が勝手口に荷物を置いて、入ろうとすると、ばあちゃんが急に呼び止めた。
「ゆき、お前……何を持ってるのだ」
「ああ、これ……」
ばあちゃんにその人形を見せると、ばあちゃんは顔を強張らせた。
「なんか参道の木に張り付いてたから、取ってきたぜ」
ばあちゃんは愕然とした。
「お前、なんて事を……!」
「え、処分してやると思ったけど、悪かったか? だいたい、あんなところにあるのが悪いんだ。神社の近くでやるなんてバカが」
ばあちゃんは神妙な表情になったが、すぐに頷いた。
「……そうか、では私が始末しよう」
「そっか、ほらよ」
俺は気軽に言って、その人形を渡そうとした。
だが、その瞬間に、静電気が起こった。
バチッ!
そのはずみで、ワラ人形は勝手口の手前の地面に落ちてしまった。
「うお、びっくりした……静電気だ、夏なのになぁ……」
俺は何気なく言って、それを拾おうとしたが、ばあちゃんが慌てて言った。
「拾わんでいい」
「え、ああ、そう」
俺は喉が渇いていて、早く何か飲みたかったので、そのまま靴を脱いで古い家に入った。
「ばあちゃん、水、みずー」
荷物を持って、俺は自分で使っていた部屋まで歩こうとした。
そんな俺の背後で、ばあちゃんが呟いた。
「相変わらず、強いな、ゆきは……」
「? なにが」
ばあちゃんは、大げさにため息をついた。
「なんでもない。まったく、今度から不用意に触るでないぞ」
「なーに言ってんだか……」
俺はそれに取り合わずに荷物を持って部屋に入った。
春人は、からかうように笑った。
「なんだ、じゃあお前の言う、変なことが起こったって言うのは、その静電気のことか?」
「いや、事が起こったのは、この後なんだ」
「へぇ、何があったんだ?」
春人は何気なく聞いた。
「ばあちゃんが、その日の夜に死んだ」
「!……」
俺は春人の様子を見て、慌てて言った。
「おい、ちょっと待て、なんでそんな顔すんだよ、俺はそんな重くなってもらおうとかって思ってねぇぞ!」
「いや……だってお前……」
俺はつい苦笑した。
「元々、歳だったし、心臓の持病が原因なんだから、仕方ないだろ?」
春人は真顔で、呟くように言った。
「ああ……そうだったのか……だが、まさかワラ人形のせいだ、なんて言うんじゃないだろうな?」
「ああ……それがなぁ。俺、その後、身内が亡くなったショックやら、忙しいやらで、そのまま忌引きもらって一区切りつくまで、ほんと忙しくて……その人形の事すっかり忘れちまって」
春人は神妙な表情で頷いた。
「まぁ、そうだろうな」
「俺がそのことを思い出したのは、変な夢見た翌日な」
「変な夢?」
「そうそう。変な夢……」
俺はぐっすりと自分の部屋で熟睡していた。狭いベッドに、狭い部屋。もちろん俺はパンツ一枚の恰好だった。小さいながらもクーラーが稼働していて涼しかった。
明け方頃だろうか、誰かが窓を叩く音がする。
トントン、トントン……
その音に気付いたものの、あまりに眠くて俺は起き上れなかった。
「……んだよ……うるせぇな……」
俺がまた寝ようとしたら、窓の外から声がした。
「これ、ゆき……ここを開けておくれ」
「ん……ばあちゃん?」
その声間違いなく、ばあちゃんだった。
だが……この時よく考えたらわかることだが、昨日ばあちゃんの葬式が終わったばかりだ。
その時俺は、寝ぼけていて、そのことをすっかり忘れていた。ただでさえ実感がなかったのに、熟睡していたのだから無理もない。
「ここを開けておくれ……」
ベッドの向こう側にある窓に、トントンと叩く人影が見える。俺は眠くて、寝返りを打った。
「わりぃけど……俺……」
しかし、ばあちゃんはまだ窓をトントンと叩き続ける。
「入れないのだ、開けておくれ、ゆき……」
そこで俺は妙なことに気が付いた。俺の部屋は二階だ。窓の外には足場になるようなものはない。もし、たとえあったとしても、老人がよじ登れるわけがない。
「……」
俺は気になって、まだ寝ている体を無理やり起こそうとしたが……やっぱりやめた。
ここは神社の敷地内だ。
境内の中というのは聖域で、邪なものは入れないと聞いた。それに、ここは元々、ばあちゃんの家だ。自分の家に入れないわけがない。
――もし、この“ばあちゃん”が本物ならば、俺の手は必要ないはずだ。
俺はまた寝返りを打って、窓の方を見た。
その影はどうも……ばあちゃんの影ではないように見える。
いやそれどころか、なんか人間にしては小さい気がする。
まるで人形のような……
だがそう思っても、眠たくてすぐに瞼が下がってきてしまう。俺はまた、ウトウトとしてしまった。だが、すぐに老人の声ではっとする。
「入れておくれ、ゆき……」
「……わりぃけど、眠いんだ……後にしてくれ……」
俺は外にいるばあちゃんを無視して、また眠りに落ちてしまった。
「……で?」
春人は神妙な表情のまま言った。
「それだけ」
「それだけかよ……」
俺があっさり言うと、春人は肩の力を抜いたようだ、がっくりした様子になった。
「ま、夢だよ、たぶん」
「ああ、そうだろうな」
「でも、俺はその夢のおかげで、朝起きた時に思い出したんだ、あのワラ人形どうしたかなって」
「?」
俺は不思議そうな春人を見て、少し笑った。
「なんか、まだそいつが近くにあるような気がして、家の周辺を捜したんだ。そしたら……あったんだよ」
「どこに?」
「俺が最初に入ってきた勝手口の外に」
葬式の間、近所の人が出入りするために、勝手口は解放してあったはずだ。だが近所の人も気味悪がって近づかなかったのだろう。そのワラ人形には四方を盛り塩がしてあって、誰も動かしたような形跡はなかった。俺が落とした位置がそのままだ。
「……なんだよこれ」
俺は一人で呟いた。
ばあちゃんは拾わなくていいって言ったのに、誰も動かしていない。
「やれやれ……」
とっくに処分したものだと思っていた。きっとこの四つの盛り塩は、ばあちゃんの仕業に違いない。俺は身をかがめてワラ人形を取ろうとしたが、寸前でやめた。特に理由はないが、手を伸ばしかけてひっこめる。
「……まさかな……」
ばあちゃんに、何かしたのはコイツか?
そう思った瞬間、何の変哲もないこの人形が、なんか気味が悪いようなものに見えてきた。今さらだが、気持ちが悪い。
「……」
俺はしばらく身をかがめてそいつを見ていたが、すぐに近くにある台所から料理用の日本酒を持ってきて、だばだばと人形にかけた。その後、盛り塩をつまむと、その人形に振りかけた。
ん……?
そこまでやってから、自分は何をやっているのかとバカバカしくなった。
なぜ俺はこんなことをしたんだろう?
酒と塩で味付けしたって、うまくなるわけじゃない。魚じゃあるまいし。
俺は濡れたそれを、つまむようにして足の部分を持ち上げると、そのまま敷地内にある焼却炉へ持って行き、中に放り投げた。焼却炉には火がついていなかったが、夕方になれば巫女さんがやるはずだ。
「……で、確認はしなかったけど、実際にそうなったと思う」
俺がそう言うと、春人はカクテルを飲んで頷いた。
「なるほど。一応そういう手順は踏んだわけだな。それが正しいかどうかは知らんが」
「俺も知らんけど」
俺たちは軽く笑い合った。
「で……その日の夜に、また変な夢を見たんだ」
「またかよ」
「でも、今度は気味の悪い夢じゃなかった」
俺は自分の部屋で熟睡していた。いつも通り、ハダカにパンツ一丁だ。
すると、どこからか声が聞こえた。その声は、どうやら窓の外で歌っているようだ。
一かけ二かけて三をかけ
四かけて五かけに橋をかけ
橋の欄干腰をかけ
はるか彼方を眺むれば
十六七のねえさんが
片手に線香花を持ち
ねえさんねえさんどこいくの
私は九州鹿児島の
切腹なされた父上様の
お墓参りに参ります
俺は寝ぼけていたが、その歌ですぐにわかった。
あのガキだ。
あのガキに覚えさせられた数え歌。
どこか聞き覚えのあるメロディだが、歌詞までは覚えていなかった。
それなのに覚えさせられた。
それだけ、あのガキとの付き合いは長かった。
俺はまだ半分寝ていたのに、むくりと起き上った。
昨日はどんなに、ばあちゃんに呼ばれても眠くて起きれなかったのに……なぜか勝手に体が動いた。カラカラと窓を開けると、蒸し暑い夜風が入って来る。
俺は眠たい目を擦って、遠くの畑を見た。
隣の畑の中に、きはちがいた。いつも通りに小枝を持って振り回している。その隣で一緒に歌いながら、微笑んでいるのは……
「……ばあちゃん?」
俺が呟くと、その声が聞こえたのか、二人ともこっちを見上げた。
そして、二人で満面の笑みを浮かべて俺に手を振った。
俺はまだ寝ぼけていたが、俺も手を振った。
すると二人は、楽しそうに微笑み合い、手を繋いで畑から道に出て、歩き去って行った。
あの数え歌を口ずさみながら……
途中で何度も振り返り、俺に手を振りながら。
俺もなぜか嬉しくなって、その度に手を振り返し、見えなくなるまで二人を見送った。
春人は俺を見て、ふぅん……と言うと、カクテルを一口飲んだ。
「……で……それも夢なんだな?」
「まぁな。気が付いた時は朝で、俺はベッドで寝てた。でも二人が消えてった方角は、最初にきはちが言ってた、あの山の方角だった……気がする」
「ふぅん……それで?」
俺は肩をすくめて、苦笑した。
「それだけ。ちなみにそのガキと会ったのも、それっきり。もちろん、ばあちゃんともな」
春人はカクテルのグラスを見つめたまま、意味深に頷いた。
「へぇ……なるほど」
「……」
俺は黙って水を飲んだ。
春人が何を言いたいのかが、なんとなくわかる。
どーせ否定したいに違いない。
「で……ハルト先生の分析はどうですか?」
俺は嫌味っぽく言ったのに、春人はそれに気付かなかった。あるいは無視したのかもしれない。
「そうだな……やはり身内が亡くなった事による心理的要因が……」
春人はなんだかよくわからない単語を出してペラペラと喋りだしたので、俺は半分ほど聞き流した。どうせ俺の理解できるようなものでもない。
「……というわけで、それはほぼお前の願望であり、そのきはちという子供についても自分の分身であるという見方もできるわけだ。警察官になったお前はまだ遊び足りなくて、もう一人の自分を作り、それを遊ばせる事によって自分の欲求を……」
「はいはい、わかってるよ、そのガキも夢だって事がな」
辟易して俺が言うと、春人は少し苦笑した。
「だが……良かったな」
「? なにが」
春人は我に返ったように慌てて言った。
「いや、おばあさんが亡くなった事じゃない」
「そんなのわかってる」
春人は安心したように微笑んだ。
「……お前の心理状態を不安定にしていたものが、一つ消えた、という事さ。その子供を見なくなった、という事がその証拠だ」
「……そうか。……そうかもな」
俺は少し苦笑した。
……だが、不思議な体験はそれだけじゃない。
今も幻は続いている。
そう。
たった今も。
俺の背後で半透明の女が消えた。
だがそれは……俺にしかわからない。
俺だけの秘密。
END…
いかがでしたでしょうか?
本編では、幽霊などをあまり出したくなかったので、番外編にしました。
ほんと山も何もない、つまらない話で申し訳ない……
これに懲りず、本編の続きもお待ちくださいませ。
ごめんなさいごめんなさいごめんなs……