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かわいいって言うな  作者: 灯屋 いと


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知らない顔

 それから一週間後、伊吹は夕食時に要のバイト先に向かった。普段、夕食はコンビニ弁当やカップ麺で済ませている。両親とも仕事で遅く、中学校に入ってから伊吹の夕食はだいたいコンビニかカップ麺かのどちらかだ。たまにはファミレスやラーメン屋に食べに出ることもあるが、面倒くさくて出かける用事がある時がほとんどだ。その日は特に出かける用事はなかった。だが、二日前にメッセージのやり取りを始めた相手が「近いうちに会おうよ」と言っていた。

 その日に約束をしていた訳ではないが、繁華街の近くにいると突然のメッセージがあっても柔軟に対応できる、と伊吹はこじつけた。

 要のバイト先──大勝軒の暖簾を分けて店内に入ると「らっしゃいませー」と威勢のいい声がした。ふわりと濃厚な豚骨スープの香りがする。

「空いてる席どうぞー」と言われ、伊吹が顔を上げると要だった。カウンターの中では数人の大学生くらいから二十代くらいの男女がカウンターと調理場をてきぱきと行き来している。

 伊吹が空いている席に腰を下ろすと目の前にお冷のコップが置かれる。

「注文は?」

「えー……おすすめは?」

「うちの大将の作るもんは全部美味い」

 返事になっていない。すると、要の後ろからぬっと誰かが出てきた。

「要、適当なこと言ってんじゃねえ。うちの看板は豚骨醤油だろ」

「うおっ! 店長、ビビるじゃん」

「友達か? 要」

「まあ、そんなもん」

 話の成り行き上か適当な返事をする要に思わず伊吹は「ハァ!?」と声を上げた。一瞬、要と店長、それから店中の視線を集めてしまった気がして、伊吹はそれ以上口を開くのをやめた。伊吹は店長と呼ばれた年配の頑固そうな男性と要を交互に見る。それから、豚骨醤油ラーメンを注文した。

 これで要に借りは返したことになる。約束は果たした。しかし、店内に入ってから伊吹は何か違和感を覚えた。何かが、違う。だが、それが何なのかが言語化できない。

 首を傾げ、伊吹は水を飲みながら接客中の要を観察していると、違和感の正体に唐突に気付いた。教室では凶悪に目つきが悪くて遠巻きにされている要が怖くないのだ。特に目つきが変わっているわけではない。ただ、接客しながら客や同僚と雑談を交わしては笑っている。「かなめー」と親しげに呼ばれている。伊吹はたぶん、要が笑っているところを初めて見た。

 ──怖くないじゃん……? むしろ、ちょっとかわいいんじゃね? ギャップっつか……。

 伊吹がそのことに気付くと、まるで伊吹の知っている要とここにいる要は別人のように見えた。教室とバイト先。別の顔を持っている。そこまで考えて伊吹は『かわいい』を打ち消した。

 いやいや! かわいいってなんだよ。目つき凶悪な武藤くんに?

 思わず伊吹は自分でセルフツッコミを入れた。『かわいい』と言われて嫌なのは伊吹だが、伊吹が他人を──特に同性に対して『かわいい』と思うこと自体、違和感がある。

 だから、学校で誰とも話をしていなくても平気なのか?

 二つ目の疑問が伊吹に浮かんだ。伊吹の知っている教室の要は誰からも遠巻きにされ、ほとんど誰とも話をしていない。だが、特にそのことを気にしている様子もなかった。孤立しているように見えて本人は平然としているのだ。それは伊吹にとっては少しばかり不思議な姿だった。

 けれど、学校の外に居場所があるのならば話は別だ。伊吹はふと要のことを同類のようなものかもしれないと感じていた。だが、要にはすでに居場所がある。伊吹の居場所はまだない。また少し、伊吹は苛つくなと感じた。

「はい、お待ちー!」

 威勢のいい声とともに伊吹の前に豚骨醤油ラーメンのどんぶりが置かれた。メニューの写真と一つだけ違う。煮卵が伊吹のどんぶりには乗っている。

「あれ? なんで煮卵」

「いーから食っとけ。オマケ」

 内緒と言うように要が悪戯っぽく口元に人差し指を立て、小声で言って仕事に戻っていく。伊吹が返事する暇はなかった。

「頼んでないのに」

 伊吹の苛立ちが一段深くなる。

 割り箸を取って一人でいただきますをしてラーメンを食べた。美味しい。豚骨スープも濃厚でまろやかだ。麺のこしもちょうどよく、チャーシューも煮卵もいい味加減だ。思わず夢中になって食べていると、途中で伊吹の手が止まった。ジーンズの尻ポケットに入れていたスマホが通知で震えた。

 伊吹は一度箸を置いて、スマホの通知を確かめる。SNSのメッセージで「近いうちに会おう」と言っていた男からだった。いまさっき、暇になってこちらの都合を聞いてきている。伊吹は「いまラーメン食ってる」とだけ返した。いまだに顔も知らない相手に対する距離感を伊吹は計りかねている。すぐにメッセージが返ってくる。「会おうよ。ゲーセンの隣のカフェでお茶しない?」

 伊吹はその画面を数秒見て「いいよ」と返信した。その後はカウンターにスマホを伏せて、再び箸を取る。スマホの通知のせいでせっかく美味しかったラーメンが少し味が落ちたような気がした。

 ラーメンを食べ終わり、会計をして伊吹は待ち合わせのカフェに向かった。

 ──煮卵分、また借りができた。

 伊吹は小さく舌打ちをした。

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