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38.偏見との戦い



翌朝。

ケイが目を覚ました時、俺はすでにリビングで朝食の準備をしていた。


「おはよう、ケイ」


声をかけると、ケイは少し戸惑った様子でベッドから出てきた。


「…おはよう」


小さな声で答える。


「お腹空いてるだろ?ご飯できてるぞ」


俺が微笑むと、ケイは少し安心した様子で頷いた。

リビングのテーブルには、温かいスープとパンが並んでいる。

アリアとリュクも既に席についていた。


「ケイくん、おはよー!」


アリアが元気に手を振る。


「おはよう」


リュクも笑顔で言う。

ケイは少し緊張しながら、席に座った。


「さあ、食べよう」


俺が言うと、四人で食事を始めた。

温かい朝食。

穏やかな時間。


でも、俺の心の中には、不安があった。

今日も預かりの子供たちが来る。

子供たちは、ケイをどう受け入れるだろうか。

そして、その親たちは――。



午前8時すぎ。

玄関のベルが鳴った。

最初に来たのは、マルコとソフィアだった。


「おはようございます、イクノ・メンさん」


マルコの母親が丁寧に頭を下げる。


「おはようございます」


俺が応える。

その時、母親の視線がケイに向いた。

瞬間、母親の表情が変わった。

明らかに、嫌悪の色が浮かぶ。


「あの子が、獣人の…」


小さく呟く声に、拒絶感が滲んでいる。

俺は、その瞬間を見逃さなかった。

この体の前任者の記憶で、この世界にも差別があることは知っていた。でも、実際にこの目で見るのは、初めてだった。

知識と現実は、全く違う。

この嫌悪感。

この拒絶。

それが、今ケイに向けられている。


「…大丈夫なんですか?」


母親が不安そうに、嫌悪感を隠しきれない様子で聞いてきた。


「何が?」

「病気とか…あの子、獣人でしょう?」


母親の声には、明確な恐怖があった。


「大丈夫です。獣人が病気を運ぶというのは、デマです」


俺がきっぱりと答えると、母親は少し考え込んだ。


「…イクノ・メンさんがそう言うなら、信じますけど…」


母親が渋々頷いた。

でも、その目は、まだケイを警戒していた。

マルコとソフィアは、ケイを興味深そうに見ていた。


「ケイくん、だっけ?」


マルコが真面目な顔で聞く。


「…うん」


ケイが小さく頷く。


「よろしくね」


ソフィアがおっとりと微笑んだ。


子供たちは、偏見を持っていなかった。

ただ、純粋にケイを受け入れようとしていた。

でも、親たちは違った。

次に来たレオの母親は、さらに露骨だった。


「ちょっと、イクノ・メンさん…」


ケイを見て、明らかに顔をしかめる。


「あの子、獣人でしょう?なぜここに…?」


声には、強い拒絶感があった。


「俺が預かっている子です」

「でも、獣人ですよね?大丈夫なんですか?うちの子に何かあったら…」


母親の声が震えている。

恐怖と嫌悪が混ざった、複雑な感情だ。


「大丈夫です。あの子…ケイは何も悪いことはしません」


俺が言うと、母親は渋々頷いた。


「…イクノ・メンさんを信じますけど、何かあったら責任取ってくださいね」


そう言い残して、母親は急いで去っていった。

まるで、ケイから逃げるように。

一人、また一人と、子供たちが集まってくる。

子供たちは皆、ケイを受け入れていた。

でも、親たちの反応は様々だった。


信じてくれる人。

不安そうな人。

明らかに嫌悪感を示す人。


そして――


「獣人なんて、預かるんですか?」


あからさまに批判する人。

俺はその度に説明し、頭を下げた。

でも、心の中ではショックを受けていた。

憎悪や拒絶。

それが、こんなにも激しいものだとは。



午後。

子供たちが昼寝をしている間、玄関のベルが鳴った。

ドアを開けると、そこには近所のおばさんが立っていた。


「イクノ・メンさん…」


おばさんが心配そうな顔をしている。


「どうしました?」

「あの…街で、噂が広がっているんです」


おばさんが小さく言う。


「噂?」

「イクノ・メンさんが、獣人の子供を預かっているって…」


おばさんが続ける。


「それで、街の人たちが…怒っているんです」

「…そうですか」


俺は予想していた。


「私たち近所の人間は、イクノ・メンさんを信じています」


おばさんが真剣な顔で言う。


「でも、街の人たちは違います。獣人に対する偏見が、とても強いんです」


おばさんが俺の手を握る。


「どうか、気をつけてください」


「ありがとうございます」


俺が微笑むと、おばさんは心配そうに去っていった。



その日の夕方。

子供たちのお迎えが終わった後、俺はリビングで考え込んでいた。

親たちの反応。

街の噂。

近所のおばさんの警告。

全てが、俺に危機感を抱かせていた。


「イクメン、大丈夫?」


リュクが心配そうに聞く。


「…ああ」


俺は頷いた。

でも、心の中では、現実の重さを感じていた。

50年前の疫病。

「獣人が病気を運んだ」というデマが広がり、獣人は隔離された。

後に無関係だと判明したが、偏見は消えなかった。

隔離された獣人は貧困に陥り、衛生状態が悪化した。

それを見た人々は、「やはり獣人は不潔だ」と偏見を強化した。

知識としては、知っている。


でも、実際にこの目で見た差別の激しさは、知識をはるかに超えていた。


「…大変なことになるかもな」


リュクが小さく呟く。


「ああ」


俺も頷いた。


「でも、俺は諦めない」


俺がきっぱりと答えると、リュクは頷いた。


「俺も手伝うよ」


「ありがとう、リュク」


俺はリュクの頭を撫でた。



翌日。

朝から、育成院の前に人が集まり始めた。

街の人々だった。


「獣人の子供がいるんだって?」

「とんでもない!」

「病気がうつったらどうするんだ!」


怒号が飛び交う。

俺は玄関の前に立ち、群衆を見つめた。

実際に目の前で、群衆が憎悪を向けてくる。

その迫力、その恐怖。

それは、想像をはるかに超えていた。


「皆さん、落ち着いてください」


俺が言うと、群衆は一斉に俺を見た。


「落ち着いてなんていられるか!」

「獣人なんて、この街にいらない!」

「追い出せ!」


声は次第に大きくなっていく。

近隣住民のおばさんが前に出た。


「やめてください!イクノ・メンさんは悪くない!」

「そうだ!この人を信じてください!」


他の近隣住民も声を上げる。

でも、群衆の声はそれを上回った。


「黙れ!」

「お前らも獣人の味方か!」

「裏切り者!」


近隣住民たちが怯む。

俺はその光景を見て、胸が痛んだ。

近隣住民は、俺を信じてくれている。

でも彼らだけでは、この群衆を止められない。

その時、群衆の中から、一人の男が前に出てきた。

商人風の男だった。


「イクノ・メンとやら。あんたがこの育成院の主か」


男が高圧的に言う。


「ああ、そうだ」

「獣人の子供を預かってるってのは本当か」

「本当だ」

「ふざけるな!」


男が怒鳴る。


「獣人なんて、病気の塊だ!この街に獣人を連れてくるなんて、とんでもない!」

「それは偏見だ。獣人が病気を運ぶというのは、50年前のデマだ」


俺がきっぱりと答えると、男は鼻で笑った。


「デマ?そんなもん知るか!俺たちは、昔から言い伝えられてきたことを信じてるんだ!」


男が群衆を振り返る。


「みんな!こいつは、俺たちの子供を危険にさらしてるんだぞ!」


群衆が一斉に声を上げる。


「そうだ!」

「追い出せ!」

「獣人を連れて、どこか行け!」


怒号が飛び交う。

俺は、冷静に考えた。

このままでは、収拾がつかない。

そして、預かりの子供たちが危険にさらされる。

俺は瞬時に決断した。


「わかった」


静かに言うと、群衆が一瞬静まった。


「しばらく、育成院を閉めます」

「…何?」


商人が驚く。


「預かりの子供たちの安全が、第一だ。このままでは、子供たちが危険にさらされる」


俺がきっぱりと言う。


「だから、しばらく育成院を閉めて、状況を整理する」


群衆がざわめいた。


「当然だ!」

「獣人なんて、追い出せ!」


満足そうな声が聞こえる。

俺は、それを聞きながら、育成院の中へ戻った。

その日の午後。

俺は預かりの子供たちを集めた。


「みんな、大事な話がある」


俺が言うと、子供たちは真剣な顔で聞いていた。


「しばらく、育成院をお休みする」

「え…?」


マルコが驚く。


「どうして?」


ソフィアが不安そうに聞く。


「色々あってね。でも心配しなくていい。また必ず、再開する」


俺が微笑むと、子供たちは泣きそうな顔をしていた。


「せんせい…」


レオが小さく呟く。


「また、会えるよね?」


オリバーが聞く。


「ああ、もちろんだ」


俺が頷くと、子供たちは少し安心した様子だった。


その日の夕方。


お迎えに来た親たちに、俺は事情を説明した。


「しばらく、育成院を閉めます」


親たちは驚いたが、事情を聞いて理解してくれた。


「大変でしたね…」

「無理しないでください」

「また再開したら、お願いします」


温かい言葉をかけてくれる人もいた。

でも、中には冷たい目で見る人もいた。


「獣人なんて預かるから…」


小さく呟く声が聞こえた。

俺は、それを聞かなかったふりをした。


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