29.アリアの冷たい記憶
「説明してくれ。何があった」
国王陛下の重い声が、朝の静けさを切り裂く。
俺は椅子から立ち上がり、深く一礼した。
「はい。全てお話しします」
俺は、事の発端から順を追って説明し始めた。
外で死にかけていたアリアを、育成院で育てたこと。彼女が両親から虐待を受けていたこと。
その両親が突然現れて、アリアを連れ戻そうとしたこと。領主グレゴールが権力を使って圧力をかけてきたこと。昨夜、育成院が放火され、俺自身も襲撃を受けて埋められたこと。
…国王陛下は、一言も発さずに聞いていた。その表情は厳しく、時折眉間の皺が深くなる。周囲にいる兵士たちも、固唾を呑んで見守っている。
「…なるほど」
俺の説明が終わると、国王陛下は腕を組んだ。
「領主グレゴール。お前の言い分を聞こう」
グレゴールが慌てて前に出る。
「陛下!この男の言うことは全て嘘です!私は法に則って、正当な手続きを行っただけです!」
「ほう?」
国王陛下の目が、鋭くグレゴールを見据える。
「親子証明書を発行し、親の権利を主張した。それだけか?」
「はい!それ以外は何も!」
グレゴールが力説する。その横で、ヴィクトールとエリザベートも頷きながら便乗する。
「この男が、私たちの娘を不当に監禁していたんです!」
「私たちは、ただ娘を取り戻したかっただけなのに!」
ヴィクトールとエリザベートは涙声で訴える。
まるで被害者のような演技だった。
国王陛下は、2人を冷たく見つめる。
「2人はこう言ってるが…イクノ・メン。お前の話を裏付ける証拠はあるか?」
「あります」
俺は即座に答えた。
「私には、記憶投影があります。アリアが両親から受けた虐待を、お見せすることができます」
「記憶投影…?」
国王陛下が興味深そうに聞き返す。
「はい。子供の記憶を、映像として他者に見せることができます。嘘や偽りはありません。記憶そのものを、そのまま共有できます」
「…そのような魔法があるのか」
国王陛下が静かに頷いた。
「ぜひ見せてもらいたい。だがその前に、彼を呼ぼう」
国王陛下が手を上げると、馬車の中からもう一人の人物が降りてきた。立派な法服を着た、初老の男性だ。
「こちらは、王国最高裁判官のヴィルヘルム卿だ。公正な判断のため、同席してもらう」
「陛下のお呼びとあらば」
ヴィルヘルム卿が一礼する。
「それでは、その記憶投影とやらを見せてもらおうか」
国王陛下が言う。
「分かりました。それでは、アリアを呼んできます」
俺は育成院の敷地内へ入ると、空間作成を出した場所へ歩いていく。側から見ると何もない。ただの空間だ。
俺はスキルを解除した。
シュゥゥゥ…
何もなかった場所で、突然空間が歪んだ。
まるで透明なカーテンが開くように、隠されていた場所が姿を現す。その中から、リュクとアリアが歩いて出てくる。
「あなた!アリアよ!」
「そんなところにいたのか!会いたかったぞ!」
ヴィクトールとエリザベートが驚愕の声を上げる。
探し回っても見つからなかったはずだ。
空間の中に隠れていたのだから。
「なんだ、今の魔法は…?」
「空間魔法か…?」
「馬鹿言え、そんな神話級の魔法があるわけ…」
借金取りたちや兵士たちも、ざわめき始める。
誰も見たことのない魔法に、困惑している様子だった。国王陛下も、わずかに目を見開いた。
「これは…空間創造魔法か?」
「はい。私の持つスキルの1つです」
俺は答える。
国王陛下が興味深そうに頷いた。
「スキル?魔法のことか?…空間創造は、伝説級の魔法だ。それを使いこなせるとはお主、やはり只者ではないな」
その言葉に、周囲の空気が変わる。
イクメンへの見方が、明らかに変化していた。
ただの育成院の育児師ではない。
高度な魔法を操る、特別な存在なのだと。
「ぱぱ!」
アリアが俺に抱きつく。
リュクも立ち上がって、周囲の様子を窺っている。
「大丈夫だ。怖くない。国王陛下が来てくださった」
「こくおう…?」
「あの人が国王様?俺初めて会ったよ」
驚くリュクとは対照的に、アリアが首を傾げていた。
「とても偉い人だ。お前を守ってくれる」
俺は2人の手を取って、国王陛下の前へと歩いていく。国王陛下の姿を見て、リュクが息を呑む。
アリアは、俺の服を握りしめて震えていた。
「こちらが、アリアです」
俺はアリアを国王陛下の前に連れて行く。
国王陛下は、優しい表情でアリアを見下ろした。
「…アリア。怖がらなくていい。私は、お前を傷つけたりしない」
その穏やかな声に、アリアの緊張が少しだけ和らぐ。
「それでは、記憶投影を発動します。陛下、少々不快な映像になるかもしれません」
「構わん。真実を見せろ」
その時、ヴィルヘルム卿が一歩前に出た。
「陛下、失礼ながら1つ確認させてください」
「何だヴィルヘルム」
「記憶投影という術、初めて聞きます。その記憶が改ざんされている可能性はないのでしょうか?」
ヴィルヘルム卿の質問は、もっともだった。
裁判官として、証拠の信憑性を確認するのは当然のことだ。しかし、国王陛下は首を横に振った。
「イクノ・メンが、改ざんする理由があるか?」
国王陛下が俺を見つめる。
「ヴィルヘルムをはじめ、まだ知らぬ者もいるだろう。よく聞け」
国王は堂々と声を響かせた。
「この男は、我が子クリストファーとアルフレッドを救ってくれた恩人だ。その人柄と実力、共に私が保証する」
胸の奥が熱くなる。
まさか国王陛下が、ここまで俺を信じてくださっているとは。きっとリリアナが、俺のことを丁寧に伝えてくれたのだろう。
…本番はここからだ。
油断するな。
アリアを守れるかどうかは、俺の証明にかかっている。
胸の熱を押し込み、呼吸を整える。
感情を抑え、冷静に。
俺は再び前を向き、説明を始めた。
「記憶投影は、対象者の記憶をそのまま共有する術です。私が手を加える余地はありません。見えるのは、アリア自身が体験した記憶そのものです」
「…なるほど。理解しました」
ヴィルヘルム卿が納得したように頷く。
「では発動します」
俺は周囲の人々に告げる。
「見たくない方は、俺から目をそらしてください。細かい制御はまだできませんので…」
国王陛下が、まっすぐ俺の目を見つめる。
ヴィルヘルム卿も、兵士たちも、近所の人々も――全員が俺を見ていた。
その視線の圧に、思わず生唾を飲み込む。
俺は、アリアの頭にそっと手を当てた。
「アリア、見せてくれ」
「うん…」
アリアが小さく頷く。
俺は記憶投影を発動させた。
ズン…
頭に重い感覚が広がる。
今回は前回よりも深く、アリアの記憶の奥底まで潜り込んでいく。
俺の目から淡い光が放たれると、その光を見た者たちの瞳孔が、わずかに広がった。
記憶が流れ込んでいく。
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ーーー真冬の夜。
暖房のない部屋にいた。
体が震えて止まらない。薄着で毛布もない。
「いや...いや…」
歯がガチガチと鳴る。
指先の感覚がなくなっていく。
このまま眠ったら、もう目が覚めないかもしれない。誰も来てくれない。
ずっとご飯も食べていない。
たまに持ってきてくれるのは、トレイに入った水とパンの切れ端だけ。
お腹が痛い。立ち上がれない。
「たべたい...」
と呟くが、声も出なくなっていた。
目の前が真っ暗になる。意識が遠のいていく。
ズン…!
さらに記憶は深くなる。
父親の暴力は日常だった。理由もなく殴られる。
物を投げつけられる。髪を引っ張られて引きずり回される。
「お前なんか、もっと早く捨てればよかった!」
酷い言葉が、何度も何度も繰り返される。
痛みよりも、その言葉が心を引き裂いていく。
母親は見て見ぬふりをするどころか、時には一緒に笑っていた。
「みっともない」
「恥ずかしい子」
「貴族の血が穢れる」
アリアが泣けば笑い、アリアが震えれば楽しそうに眺めていた。
ズズン…!
そして最も深い記憶。
真っ暗な地下室に閉じ込められた日々。
鍵をかけられて、数日間誰も来ない。
トレイに入った冷たい水と、パンの切れ端が床にころがっている。
暗闇の中で、小さな体は恐怖に震え続けた。
「だれか...たすけて...」
爪で扉を引っ掻き続けたが、開くことはなかった。
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