23. 蒼い炎と癒えぬ傷
数日後。
再び王宮を訪れた。今回はアリアとリュクを連れてこなかった。前回のクリストファーの暴挙を見れば、2人を危険に晒すわけにはいかない。
「イクノ・メン様。もう来てくれないかと思ってました…」
申し訳なさそうな表情で、リリアナが出迎えてくれた。
「途中で投げ出したりはしません。それより、アル様の様子はいかがですか?」
「それが、とてもいいんです!教えていただいたマッサージを毎日続けていて、お腹の調子も良くなりました」
リリアナが嬉しそうに話す。その声には、確かな手応えが感じられた。
「良かったです。では、今日も診させてください」
「はい。こちらへ」
アル様の部屋に入ると、窓から爽やかな風が入ってくる。
「あうあう!」
ベッドの上で、アル様が声を出した。前回よりも明らかに元気そうだ。顔色もいい。
「おはよう、アル様」
俺は父の温もり(コンフォート・オーラ)を発動させながら、アル様を抱き上げた。柔らかな光が赤ちゃんを包む。
「あう…えへへ」
アル様が笑った。小さな手が、俺の指を掴む。
なんて可愛いんだろう。
「順調ですね」
俺はアル様のリリアナに微笑みかける。
「はい…本当に…イクノ・メン様のおかげです」
リリアナの目に、涙が滲む。それは、喜びの涙だった。
それから、俺はアル様の全身をチェックした。体温、呼吸、心音。すべて正常だ。育児眼で確認しても、状態は着実に改善している。
「リリアナさん、素晴らしいです。あなたの努力が、アル様を救っています」
「いえ…私は、ただイクノ・メン様に教わったことを…」
「それでも、続けるのは大変なことです。よくやってくださっています」
リリアナが、はにかんだように笑う。この人は本当に真面目で、献身的だ。
「あの…イクノ・メン様」
リリアナが、少し躊躇いがちに口を開く。
「はい?」
「クリス様のこと…ご心配をおかけして…」
リリアナが申し訳なさそうに俯く。
「いえ、気にしないでください」
「でも…あのような態度を…」
「リリアナさん」
俺はリリアナを見つめる。
「クリストファーは…おいくつですか?」
「え?」
リリアナが驚いたように顔を上げる。
「クリス様は…15歳です」
「15歳…」
俺は頷いた。やはり、そうか。
「思春期ですね」
「はい…」
リリアナが辛そうな表情になる。
「心が不安定なんです。前からもそうだったのですが、最近更に酷くなって…何が正しくて、なにが悪いのか分からないって、お部屋で叫んでるところを私も耳にしたことがあります」
リリアナの声が震える。
「そのせいで…暴れるんです。物を壊したり…人を傷つけたり…でも、本当は、優しい子なんです…昔は、もっと…」
涙が頬を伝う。リリアナは、クリストファーのことを心配しているんだ。
「わかりました」
俺は優しく言った。
「15歳は難しい時期です。特に、母親を失った子にとっては」
「イクノ・メン様…」
「でも、大丈夫です。必ず、あの子も救います」
リリアナが涙を拭いながら、深く頭を下げた。
その時だった。
ガチャン!
ドアが乱暴に開いた。
「…貴様、また来たのか」
冷たい声。クリストファーだ。
「クリス様…」
リリアナが青ざめる。
クリストファーは、鋭い目つきで俺を睨んでいた。その表情には、怒りと何か別の感情が混ざっている。
「庶民、何度言えばわかる。出て行け」
その声は、前回よりも低く、危険な響きがあった。
「アル様の治療は順調ですよ」
俺は冷静に答える。
「治療?ただの育児師が、出来るわけないだろ」
クリストファーが、鼻で笑う。
「病弱なガキに何をしても無駄だ」
そう言いながら、クリストファーはこちらに近づく。俺の腕の中のアル様を見下ろす。
すると。
「あう…えへへ」
アル様が笑った。
小さな手を伸ばして、クリストファーに触れようとする。
「…っ!?」
クリストファーの表情が、一瞬だけ変わった。驚き。戸惑い。何かが揺らいだようだった。
「笑って…る…だと」
呟くように言う。
「はい。アル様は、もう元気です」
俺が答えると、クリストファーははっとしたように顔を上げた。
「嘘だ」
「嘘ではありません」
「嘘だ!」
クリストファーが叫ぶ。
「病弱なガキが!治るわけがない!母上も病気で死んだ…!弱い者は…死ぬ運命なんだっ!」
その言葉に、俺は胸が締めつけられた。
クリストファーの中で、怒りと絶望と、どうしようもない喪失がぐちゃぐちゃに混ざり合っている。
「クリス様…」
リリアナが、クリストファーに近づこうとする。
「来るな!」
クリストファーが、リリアナを睨む。
「お前も…アイツも…全員…俺を…!」
言葉が途切れる。クリストファーの拳が、震えている。
「何が正しい…?何が間違ってる…?わからない…!」
クリストファーの声が、だんだん大きくなる。
「俺は完璧だったはずだ。王になるために、強くなり、弱い者を…でも…弟は笑ってる?治ってる…教えは…間違ってたのか…?母上の言葉は…間違ってたのか…!?」
クリストファーの思考が、どんどん混乱していくのが目に見えた。15歳という年齢。思春期特有の不安定さ。そして、幼くして母を失った深い傷。
それらすべてが絡み合い、彼の心を蝕んでいるのだろう。
「お前が…」
クリストファーが、俺を睨む。
「お前が…全部…!お前のせいだ…!」
その瞬間、クリストファーの手が腰の剣に伸びた。
「クリス様!」
リリアナが叫ぶ。
シャキン!
剣が鞘から抜かれる。美しい刀身だった。その切っ先は俺に向けられていた。
「消えろ…」
クリストファーが呟く。
「お前が消えれば…全部…元に戻る…」
クリストファーの剣が、青い炎に包まれた。
「蒼焔剣!!」
ゴォォォォ…
灼熱の刃。炎が激しく揺らめく。空気が歪む。熱波が部屋中に広がる。
これは…かなり強力な魔法だ。
レオナルドの紅蓮弾とは、比べ物にならないかもしれない。
「イクノ・メン様!逃げてください!」
リリアナが悲鳴を上げる。
俺は咄嗟に、抱えていたアル様をリリアナに渡した。
「アル様を連れて、離れてください」
「でも…!」
「大丈夫です。早く」
リリアナが、震えながらアル様を抱いて部屋の隅に逃げる。
「消えろおおおお!!」
クリストファーが俺に向かって走り出す。
…と同時に、剣を振り下ろした。
ズバッ!!
蒼い炎を纏った刃が、俺の肩を斬った。
「…っ!」
激痛が走る。焼けるような痛み。肉が裂ける感覚。
血が噴き出して、服が焼け焦げた。
俺の体がよろける。
…痛い。すごく痛い。
その言葉が頭を駆け回った。
「いやぁあああ!!!イクノ・メン様!」
リリアナの叫び声が遠くに聞こえる。
シュゥゥゥゥ…
傷が塞がっていく。焼けた肉が再生する。
血が止まる。痛みが引く。
数秒で、服以外は元通りになった。
体力255の恩恵だ。
傷がものの数秒で、瞬時に治る。
「…」
俺は真顔で、クリストファーを見つめた。
「…何をした?」
クリストファーが、目を見開く。
「今…確かに斬った…血も出た…なのに…」
クリストファーが混乱している。傷一つない俺を見て、理解できないという表情だ。
「くそ!もう一度だ!」
クリストファーが叫ぶ。
「蒼焔剣!(アズライト・ブレイザー)!」
再び青い炎が剣を包む。
ズバッ!!
今度は腹を斬られた。
「ぐっ…!」
血を吐く。激痛が走った。
内臓が焼かれる感覚を感じる。
膝が、ガクンと折れそうになる。
でも――。
シュゥゥゥゥ…
数秒我慢すれば治る。
傷は消えて、血は止まる。
俺は心の中で、何度も自分に言い聞かせながら立ち上がる。
痛みは一瞬だけだ。
堪えてる間に治る。
だから目の前のクリストファーから、目を背けるな。
「なぜだ…!?」
クリストファーがさらに混乱する。
「なぜ死なない…!ゴブリンなら一太刀で即死だぞ!?」
また斬りかかる。
ズバッ!
腕を斬られる。
「…っ」
痛みに顔が歪む。でも、すぐ治る。
ズバッ!
足を斬られる。
「くっ…」
ふらつく。でも、すぐ治る。
ズバッ! ズバッ! ズバッ!
何度も何度も斬られる。その度に床に血が飛び散る。その度に痛みに耐える。その度に治る。
俺は、ただ立っている。
真顔で、クリストファーを見つめていた。
「なぜだ! なぜだ! なぜだああああ!!」
クリストファーが叫ぶ。もう、理性が飛んでいる。ただ感情のままに、剣を振るっている。
「俺の剣は…効いてるはずだ…!」
「血が出た…!」
「痛がってた…!」
「でも…治る…!」
「なぜだ…!」
クリストファーの声が悲鳴のようになる。
「俺は…完璧だったはずだ…!」
「魔力も…剣術も…!」
「なのに…!」
「なのに…!!」
クリストファーはおそらく、頭の中がぐちゃぐちゃになっている。正しいこと。間違ってること。強いこと。弱いこと。全部がわからないのだ。母の教え。自分の信念。全部崩れていくのが伝わってくる。
「うああああああああ!!」
クリストファーが、最後の一撃を放つ。
ズバッ!!
胸を深く斬られた。
「ぐっ…がは」
血を大量に吐いてしまう。
視界が…一瞬暗くなる。
これは…さすがに深いぞ。
でも――。
シュゥゥゥゥゥ…
傷が塞がる。肉が再生する。血が止まる。
俺は、ゆっくりと顔を上げる。
クリストファーを、見つめる。
「あ…あぁ!ば…化け物…化け物だ」
クリストファーが震えている。
「お前は…化け物なのか…!?」
剣を持つ手が、震えている。
ガラン。
剣が床に落ちた。
「俺は…何なんだ…」
クリストファーの膝が、崩れる。
ドサッ。
床に座り込んでしまった。
「俺は…俺は…」
両手で顔を覆う。
「わからない…何もかも…わからない…」
そこにはなんの肩書きもない、ただの15歳の少年がいた。完璧であろうとした少年。でも、心はボロボロだった。
俺は、ゆっくりとクリストファーに近づいた。
「来るな…!」
クリストファーが叫ぶ。でも、その声には力がない。
俺は、クリストファーの前にしゃがみ込んだ。
「来るなと言った…だろ」
「クリストファー」
俺は静かに言った。
「お前は、強い」
「…っ」
「15歳で、これだけの魔法を使える。剣術も一流だ」
クリストファーが顔を上げる。涙で濡れた顔がそこにはあった。
「皮肉か?お前には効いてないじゃないか」
「ああ。お前の剣は、俺には効かない」
「なぜだ…」
「俺は、子供を守るために強くなった」
じっと、クリストファーを見つめる。
視線が交差した。
「傷つけるためじゃない。子供を守るために」
「子供を、守る…?」
「ああ。お前も、アル様も、みんな守る」
「俺を…守る…?」
クリストファーが不思議そうに俺を見る。
「ああ」
「なぜだ…俺はお前に…酷いことを…殺す気だったぞ」
「それでも、お前は子供だ」
俺はクリストファーの頭に手を置いた。
「…っ!」
「よく頑張ったな」
「…え?」
「一人で、ずっと頑張ってきたんだな」
「…」
クリストファーの目から、涙が溢れる。
「母上が…死んで…俺は…一人で…」
落ちた涙は床を濡らしていく。
「王になるために…強くなるために…でも…わからなくなった…何が正しいか…何が間違ってるか…全部…ぐちゃぐちゃで…」
涙が止まらない。止めようと目を押さえるが、隙間から更にこぼれ落ちていく。
クリストファーの言葉が終わるのを確認して、俺は口を開く。
「もう…一人じゃない」
俺はクリストファーを抱きしめた。
「…うぅ」
クリストファーが子供のように泣く。
何年も溜め込んできたものが、一気に溢れ出す。
「うわああああん!」
大声で泣いた。
誰にも見せなかった弱さを、今は隠さない。
リリアナも、部屋の隅で涙を流していた。
俺はクリストファーの背中を優しく撫でる。
この子を、必ず救う。
アル様も、クリストファーも。
すべての子供たちを。
◇
それから、しばらく時間が経った。
クリストファーは、ようやく泣き止んだ。目が赤く腫れている。
「…すまない」
クリストファーは小さな声で言う。
「気にするな」
「馬鹿いうな。俺は…お前を…」
「もういい、終わったことだ」
俺は微笑む。
「これから、一緒にやっていこう」
「…一緒に?」
「ああ。お前も、アル様を救う手伝いをしてくれ」
「俺が…?」
クリストファーが、驚いたように俺を見る。
「ああ。お前は、アル様の兄だろう?」
「兄…」
クリストファーが、何かを噛みしめるように呟く。
「俺は…兄なのか…」
「ああ」
「俺は…弟を…どうすればいい?」
「これからは守ればいい。アル様はまだ完全には治っていない。みんなでサポートしなきゃいけないんだ」
俺はクリストファーの肩を叩く。
「…わかった」
クリストファーが小さく頷いた。
その目には、まだ迷いがある。でも、少しだけ光が戻っていた。
その日はもう遅かったので、俺はすぐ王宮を後にした。帰りの馬車の中で、俺は考えていた。
クリストファー。15歳の少年。思春期特有の混乱と、母を失った傷で、心がぐちゃぐちゃになっていた。
でも今日少しだけ、変わったはずだ。
完全に救えたわけじゃない。まだまだ時間がかかるだろう。だが、第一歩は踏み出せた。
「よし」
俺は拳を握った。
次も頑張ろう。
すべての子供たちのために。
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【今回獲得した称号】
称号:「不屈の盾」
取得条件:子供の攻撃を何度も受け止め、傷つかずに守り抜いた
保有称号数:25個 → 26個
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称号:「非暴力の誓い」
取得条件:攻撃されても反撃せず、対話を選んだ
保有称号数:26個 → 27個
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称号:「崩壊する世界」
取得条件:相手の価値観を揺るがし、変化のきっかけを作った
保有称号数:27個 → 28個
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【育児経験値+10獲得】
【育児経験値:51/500 → 61/500】
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