21.小さな王子の涙
2日後。
約束通り、朝のちょうどいい時間に馬車が到着した。
「ぱぱ、いってらっしゃい!」
「イクメン、頑張ってね」
「ああ。リュク、おばさんの家にアリアと行けるか?」
「任せといて。俺たちの事は心配しないで」
「わかった。頼んだぞ」
アリアとリュクに見送られ、俺は再び王宮へ向かった。馬車の中で、俺は考えていた。
前回、アル様の状態を確認した。典型的な栄養不足と愛情不足。そして、育児知識の欠如。
リリアナは真面目で熱心だ。教えたことを、きっと実践してくれているはずだ。
でも…それでも、どこまで改善しているか。
正直不安もある。
生後6ヶ月の赤ちゃん。成長の大事な時期だ。
手遅れになる前に、なんとかしないと。
あれこれ考えてるうちに、馬車は王宮に到着した。
ザッザッザッ…。
石畳を踏む音が、やけに響く。
廊下を進みながら歩いてるとリリアナが見えた。
俺はリリアナの表情を観察していた。
「…」
前回よりも、明るい気がする。
疲労は相変わらず目の下に残っているが、どこか希望の光が宿っている。
「あ!イクノ・メン様!おはようございます」
リリアナが、俺を見た。
「おはようございます。リリアナさん」
「実は、お伝えしたいことが…」
「アル様の様子ですか?」
「はい」
リリアナの顔が、ぱっと明るくなる。
「前回教えていただいた方法で授乳したら…」
「たくさん飲んでくださったんです!」
その声は弾んでいた。
「いつもは、哺乳瓶を嫌がってすぐに泣いてしまうのに。昨日は、最後まで飲み切ってくださって…!」
リリアナの目に涙が滲む。喜びの涙だった。
「それに、夜もよく眠られて…熱も出ませんでした!本当に、本当に…!」
リリアナが言葉に詰まる。
「それは良かったです」
俺は微笑む。
「うまくいったのは、リリアナさんがちゃんと、実践してくれたからです」
「いえ…イクノ・メン様が教えてくださったから…」
「では、今日はもう少し詳しく教えていきましょう」
「はい!」
アル様の部屋に入った瞬間、むっとした暑さが肌に纏わりついた。
空気が重い。
窓は閉め切られ、カーテンも閉まっている。部屋全体が蒸し暑い。
「リリアナさん、窓を開けてもいいですか?」
「え? でも、風邪を引いてしまうのでは…」
リリアナが、不安そうな顔をする。
「大丈夫です。むしろ、この暑さの方が問題です」
俺は窓を開けた。
爽やかな風が、部屋を通り抜ける。カーテンが、ふわりと揺れる。
「赤ちゃんは、大人より体温が高いんです」
「そうなんですか?」
リリアナが驚いている。
「ええ。だから大人が『ちょうどいい』と思う温度だと、赤ちゃんには暑すぎる」
「そんな…」
リリアナが、はっとした表情になる。
「だから…アル様、いつも汗をかいていたんですね…」
「そういうことです」
俺はベッドに近づいた。
アル様は寝ている。
小さな体が、規則正しく上下している。呼吸が、前より安定している気がする。
でも――。
額にうっすらと汗がにじんでいた。
「服も…少し厚着ですね」
「え?」
「赤ちゃんは、大人より1枚少なくていいんです」
俺はアル様の服に触れる。
厚手の布。しかも、何枚も重ね着している。
「風邪を引かせてはいけないと思って…」
リリアナが申し訳なさそうに言う。
「気持ちはわかります。でも、暑すぎると逆効果です」
「逆効果…」
「ええ。汗をかきすぎて、脱水症状を起こすこともあります」
「…っ」
リリアナが、青ざめる。
「大丈夫です。今から直していけば」
俺は優しく笑った。
「一緒に、やりましょう」
「はい…!」
俺はアル様を優しく起こした。
「ふえ…」
小さな声だが、前よりしっかりしている気がする。
「おはよう、アル様」
俺は、【父の温もり(コンフォート・オーラ)】を発動させた。
柔らかな光が赤ちゃんを包む。
「あ…ぅ」
アル様の表情が緩む。
そして。小さく笑った。
「…っ!」
リリアナが涙を流す。
「また…笑ってくださった…」
「ええ。いい笑顔ですね」
俺はアル様を抱き上げた。
「じゃあ、服を着替えさせましょう」
「はい」
リリアナが、新しい服を用意する。
薄手の柔らかい布。
「これくらいがちょうどいいです」
「でも、寒くないでしょうか…」
「大丈夫です。赤ちゃんの手足を触ってみてください」
リリアナが、そっとアル様の手に触れる。
「…温かい」
「そうです。手足が冷たくなければ、寒くありません」
「むしろ、手足が温かすぎる時は、暑すぎるんです」
「そうだったんですか…」
リリアナがメモを取る。
真剣な表情。一言一句、逃さないように。
服を着替えさせた後は、授乳の時間だった。
「前回教えた通りに、やってみてください」
「はい」
リリアナがミルクを用意する。
手首の内側に、少し垂らして温度を確認。
「ちょうどいい温度です」
「いいですね」
リリアナが、アル様を抱き上げる。
頭を少し高くして、首をしっかり支えて。
哺乳瓶を、斜めに。
「そうです。完璧です」
アル様がゴクゴクと飲み始める。
「やった。飲んでる…」
リリアナが嬉しそうに笑う。
「リリアナさん」
「はい?」
「授乳中、アル様に話しかけてあげてください」
「話しかける…?」
「ええ。赤ちゃんは、言葉はわからなくても、声のトーンや雰囲気を感じ取ります」
「優しく話しかけることで、安心するんです」
「…そうなんですか」
リリアナがアル様を見つめる。
そして小さく、話しかけた。
「アル様…美味しいですか?」
「ゆっくりでいいですよ」
「たくさん飲んで、大きくなってくださいね」
優しい声。愛情がこもっている。
アル様は、リリアナを見つめながら飲んでいる。
小さな手が、リリアナの指を掴んだ。
「…っ」
リリアナの涙が、ぽろりとこぼれる。
「アル様…」
「いいですよ、その調子です」
俺は優しく笑った。
ーーー15分くらいで、授乳は終わった。
「次はゲップです」
「はい」
リリアナが、アル様を縦に抱く。
肩に、赤ちゃんの顎を乗せて。
背中を、トントン…と一定のリズムで叩く。
「…げぷ」
しばらくすると、可愛らしい小さなゲップが出た。
「出ました…!」
リリアナが嬉しそうに笑う。
「いいですね。実はもう1つ方法があります」
「もう1つ?」
「ええ。こうやって…」
俺はアル様を膝の上に座らせた。
「この姿勢でも、ゲップが出やすいんです」
片手でアル様の顎を支える。
もう片方の手で、背中を優しくさする。
「げぷ」
また小さなゲップが出た。
「すごい…!」
リリアナが目を輝かせる。
「赤ちゃんによって、出やすい姿勢が違うんです」
「だから、色々試してみるといいですよ」
「はい…!」
リリアナが必死にメモを取る。
その後、俺はマッサージも教えた。
「前回は、全身のマッサージでしたね」
「はい」
「今日は、特に大事な部分を教えます」
「お願いします」
俺はアル様のお腹を優しくさする。
「ここです。お腹のマッサージ」
「お腹…?」
「赤ちゃんは、お腹にガスが溜まりやすいんです」
「それが原因で、泣いたり、お腹が痛くなったりします」
「そうだったんですか…」
「ええ。だから、こうやって…」
俺は時計回りに優しくさする。
「『の』の字を書くように、マッサージしてあげてください」
「『の』の字…?」
きょとんとしたリリアナを見て俺は気づく。
この世界には平仮名がないんだった。
慌てて俺は、この動きを覚えてと言い直した。
リリアナが真似をする。
優しく、優しく…。
「あうぅ」
アル様が気持ちよさそうにしている。
「すごい…リラックスしてる…」
「ええ。これを毎日続ければ、きっとお腹の調子も良くなります」
「はい…!」
それから、俺は色々なことを教えた。
オムツの替え方。
お尻の拭き方。
うんちの色の見方。
「緑っぽくても、大丈夫です」
「え? 緑…?」
「ええ。赤ちゃんのうんちは、黄色だったり緑だったり、色々です」
「でも、白っぽかったり、黒っぽかったりしたら、すぐに医者に」
「わかりました…」
泣き方の違い。
「お腹が空いた時は、『えーん、えーん』って感じで。オムツの時は、『ぐずぐず』って感じです。抱っこしてほしい時は、『ふえーん』みたいなかんじです」
「そんなに違うんですか…」
「ええ。慣れれば、すぐわかりますよ」
次に寝かしつけのコツ。
「仰向けが基本です」
「横向きは?」
「危ないです。窒息の危険があります」
「…っ」
「うつ伏せも、絶対にダメです」
「わかりました…」
授乳後の姿勢。
「授乳した後、すぐ寝かせないでください」
「え?」
「15分くらいは、縦抱きのままで」
「そうしないと、ミルクを吐いてしまうことがあります」
「そうだったんですか…」
リリアナが、1つ1つメモを取る。
真剣な表情だ。この人は、本当に必死なんだな。
アル様を、なんとしても救いたい。
その想いが、ひしひしと伝わってくる。
◇
すべてが終わった後。
アル様は、すやすやと眠っていた。
穏やかな顔。安心しきった表情だった。
「イクノ・メン様」
リリアナが俺を見た。
「ありがとうございます」
「いえ」
「本当に…本当に…」
リリアナの目に、涙が滲む。
「私、何もわかっていませんでした。部屋を暑くしすぎて。服を着せすぎて。アル様を…苦しめていたんですね…気づけて良かったです」
俺は優しく笑った。
「今からでも、遅くありません。一緒に、やっていきましょう」
「はい…!」
帰り際、見送りに来てくれたリリアナが言った。
「イクノ・メン様」
「はい?」
「次は…アリアちゃんとリュクくんも、お連れになりますか?」
「え?」
「アル様も、だいぶ免疫がついてきたと思います。それに…」
リリアナが微笑む。
「アル様にも、お友達が必要です」
「…そうですね」
俺は頷いた。
「次回、連れてきます」
「ありがとうございます!」
ーーーその日の夕方。
育成院に戻ると、アリアとリュクが出迎えてくれた。
遅くまで長居してると、おばさんにも迷惑だろうから、夕方前になったら先に育成院に戻ってるように、リュクには言っていた。俺も夕方までには帰れるように気をつけている。
「ぱぱ、おかえり!」
「イクメン、どうだった?」
「うまくいったぞ」
「よかった!」
2人が嬉しそうに笑う。
「それでな、次はお前たちも一緒にどうかと言われたんだ」
「え!? ほんと!?」
アリアが目を輝かせる。
「イクメン、俺たちも王宮に行けるの?」
リュクも少し興奮している。
「ああ。赤ちゃんに会いに行くんだ」
「やったー!」
「アリア!楽しみだな!」
2人は飛び跳ねて喜んでいる。
俺は2人の頭を撫でた。次は3人で行こう。
アル様にも、この子たちの笑顔を見せてあげたい。
◇
その夜。
俺は、リビングで一人考えていた。
アル様の状態は、確実に良くなっている。
リリアナも、熱心に学んでくれている。
でも。まだまだ、やることはたくさんある。
栄養。愛情。環境。
すべてを、整えていかないと。
俺は、ステータス画面を開いた。
【育児経験値:28/500】
まだ、レベルアップまでは遠い。
子供たちの笑顔が、俺の経験値だ。
もっと、もっと頑張らないと。
アリアの笑顔。
リュクの笑顔。
そして、アル様の笑顔。
それが、俺の力になる。
「よし」
俺は立ち上がった。
明日も頑張ろう。
子供たちのために。
◇
翌日。
いつも通り、育成院は賑やかだった。
「イクメン先生、見て見て!」
「おお、すごいな!」
10人の子供たちを預かり、午前中の訓練。
昼食を作り、午後も遊ぶ。
夕方、保護者が迎えに来る。
「ありがとうございました!」
「また、お願いします!」
忙しい。でも、楽しい。
夜からは、アリアとリュクの訓練だ。
「ぱぱ、今日も光の玉、6つ出せたよ!」
「おお、すごいな!」
「イクメン、腕立て60回できた!」
「よくやった!」
2人とも、日に日に成長している。
「明日、王宮に行くからな」
「アリア、たのしみ!」
「おう!」
2人は目を輝かせている。
「赤ちゃんに、優しくするんだぞ」
「わかってる!」
「もちろん!」
明日が楽しみだ。
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【今回獲得した称号!】
称号:「温もりの手ほどき」
取得条件:他者に育児の知識を教え、子供の命を救う道を開いた
保有称号数:17個 → 18個
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称号:「知識の灯火」
取得条件:育児の知識を惜しみなく分け与え、希望を灯した
保有称号数:18個 → 19個
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称号:「師の慈愛」
取得条件:育児師として他者に知識を伝え、子供を救う手助けをした
保有称号数:19個 → 20個
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称号:「王子の守護者」
取得条件:王家の子を救う決意をし、治療を開始した
保有称号数:20個 → 21個
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称号:「絶望を希望に変える者」
取得条件:諦めかけていた者に希望を与え、救いの道を示した
保有称号数:21個 → 22個
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【育児経験値+15獲得】
【育児経験値:28/500 → 43/500】




