1.神との出会い
気がつくと、俺は真っ白な空間に立っていた。
「…死んだのか、俺」
「その通りです」
突然、声がした。
振り向くと、そこには柔らかな光を纏った人影が立っていた。性別も年齢も分からない。ただ、圧倒的な存在感だけが伝わってくる。
「私は、この世界を管理する神の一柱です」
「神…」
現実離れした状況に、言葉が出ない。
「あなたは娘さんを守って命を落としました。その愛情の深さ、父親としての献身…私は深く感動しました」
神の声は穏やかだった。
「娘は無事か?」
「ええ。あなたのおかげで、かすり傷一つありません。この先は双子の息子さんたちがしっかりと守ってくれるでしょう」
ほっと胸を撫で下ろす。
「それを聞けて良かった。なら、俺はもう思い残すことは…」
「待ってください」
神が手を上げた。
「あなたのような魂を、このまま消えさせるのは惜しい。もう一度、チャンスを差し上げたいのです」
「チャンス?」
「別の世界で、新しい人生を。あなたの経験と愛情を、必要としている世界があるのです」
神が手を広げると、目の前に映像が浮かび上がった。
剣と魔法のファンタジー世界。だが、そこに映るのは、泣いている子供たち。放置された孤児たち。適切な愛情を受けられずに育つ貴族の子供たち。
「この世界では、戦士や魔法使いばかりが重宝されています。子供を育てる、という行為の価値が軽視されているのです」
「…それで、俺に何をしろと?」
「あなたの知識と経験で、子供たちを救ってほしい。そして、この世界に『育児』の本当の価値を示してほしいのです」
映像の中の子供たちの顔が、娘や息子たちと重なる。
「もう一度、子供たちを守れるのか?」
「ええ。今度は、もっとたくさんの」
神が優しく微笑んだ。
「あなたに、特別な力を授けましょう」
神の手から光が放たれ、俺の体を包み込む。
「『育児眼』…子供の才能、体調、感情、未来の可能性まで見通す目」
「『父の温もり(コンフォート・オーラ)』…あなたの周囲の子供が安らぎ、成長が促進される力」
「『愛情促進』…信頼関係を築くことで、子供の潜在能力を開花させる力」
「そして、あなたが育てた経験全てが、『育児師レベル』として蓄積されていきます」
体の中に、何かが流れ込んでくる感覚。
「ただし」
神が指を立てた。
「前世での経験は知識として残りますが、スキルのレベルは1からのスタートです。この世界での実績を積むことで、あなたは前世以上の力を得られるでしょう」
「つまり…俺の知識はあるが、証明はこれからってことか」
「その通り。でも、ご心配なく。あなたの成長速度は、この世界の誰よりも早いはずですよ」
神が手を振ると、映像が変わる。
「この世界の言語、文化、常識…全てあなたの頭に記憶として授けます。そして、転生先の体の記憶も」
「さあ、行きなさい。イクノ・メン。新しい世界で、新しい子供たちを導くのです」
「分かった…。ん?イクノ・メン…?」
「ええ。転生先の体の持ち主の名前です。孤児院で育った彼は、半年前に育児師として独立しました」
「育児師?」
「はい、育児師です。あなたが転生する世界における「育て導く者」の職業です。子供の年齢に制限はなく、自立前の成長段階にある者が対象です。肉体的なケアから、精神的・社会的成長までを支援する専門職ですよ」
「そういうのがあるのか。…元の体の持ち主はどうなってるんだ?」
「彼の魂は既に次の転生へ。あなたがその体を引き継ぐことになります。彼の記憶も自分の記憶のように使えますのでご安心を」
「…なるほど。そういうことなら尚更だな。体を借りる代わりに、ちゃんと働かせてもらう」
「ええ。見守っていますよ」
光が強くなる。
「待ってくれ、最後に一つだけ」
「何でしょう?」
「娘と息子たちに…俺は幸せだったと、伝えてくれないか?」
神が優しく頷いた。
「分かりました」
視界が真っ白に染まった。
◇
目を開けると、木造の天井が見えた。
「…ここは?」
体を起こす。部屋は狭く、家具も最低限。ボロボロのベッドと小さなテーブルだけ。
窓の外を見ると、石畳の道と中世ヨーロッパ風の街並み。
「本当に異世界に来たのか」
頭の中に、次々と知識が流れ込んでくる。
この世界の言語。文化。歴史。通貨システム。
そして、この体。
イクノ・メンの記憶。
「なるほど…」
孤児院育ち。半年前に独立して、『育児師』として活動を始めた。
だが、依頼はほとんどない。
理由は簡単。この世界では育児師という職業が完全に軽視されているから。
「戦士や魔法使いこそ価値がある。育児師なんて、誰でもできる仕事だ」
そんな認識が、この世界の常識。
貯金はあとわずか。今月の家賃も払えるかどうか。
「しかし、育児が誰でもできるだと?ふざけるな」
40年間、3人の子供を育ててきた俺には分かる。
子育てがどれだけ大変で、どれだけ尊いのかを。
鏡を探して、自分の姿を確認する。
映っていたのは、25歳くらいの青年だった。黒髪、黒い瞳。悪くない顔立ちだ。
「若返ってるな…よし、スキルを確認してみるか」
意識を集中すると、目の前に半透明のウィンドウが浮かび上がった。
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**【ステータス】**
名前:イクノ・メン(通称:イクメン)
年齢:25歳
職業:育児師 Lv.1
**【スキル】**
- 育児眼 Lv.1(子供の才能・体調・感情・成長予測を視る)
- 父の温もり Lv.1(周囲の子供を安心させ、成長を促進)
- 愛情促進 Lv.1(信頼関係により子供の潜在能力を開花)
【育児実績】
- この世界での育成人数:0人
- 育児経験値:0/100
- ※前世の知識は保持していますが、実績としてカウントされません
「やっぱり証明はこれからか…」
窓の外を見る。
自分の今いる場所は王都の片隅だった。
おそらく、スラム街に近い場所。
看板が目に入る。
『イクメンの育成院』
「育成院…この世界では、短期の預かりと長期の育成を両方やる施設か」
記憶によると、たまに数時間の預かり依頼はある。でも、それだけでは食べていけない。
本当に必要なのは、長期育成の依頼。
だが、それがゼロ。
「男の育児師なんて、誰が信用するか」
「育児なんて女の仕事だろ」
「育児師なんて、戦えないゴミ職業じゃないか」
この半年間、そんな声ばかりが聞こえてきた。
「…上等だ」
俺は拳を握りしめた。
「俺が証明してやる。育児がどれだけ重要で、どれだけ尊い仕事か!そして、この世界の子供たちを…守り抜いてみせる」
前世は道半ばで、果たせなかった思い。
もう一度、子供たちの笑顔のために。
「さあ、始めるか。新しい人生を!」
その時、外から子供の泣き声が聞こえてきた。
「…ん?」
窓から外を覗くと、路地裏で小さな女の子が泣いている。2歳くらいだろうか。ボロボロの服を着て、一人で座り込んでいる。
「おい、あの子…」
周囲の大人たちは、誰も気にも留めない。
「没落貴族の娘だろ?」
「親が借金で逃げたって話だ。昨日からずっとあそこにいるらしい」
「可哀想に…でも、王国の孤児院は満員だってよ」
「引き取り手を探してるらしいが、誰が引き取るんだ?貴族の子なんて面倒なだけだ」
冷たい声が聞こえる。
この世界では戦争の影響で孤児が多い。こんな光景は珍しくないらしい。
だが、俺は見過ごせなかった。
階段を駆け下り、外へ飛び出す。
女の子の前にしゃがみ込んだ。
「よしよし、どうした?」
女の子は俺を見上げた。
金色の髪。青い瞳。涙でぐしゃぐしゃの顔。頬はこけ、唇は乾いている。
「ぱぱ…まま…」
「大丈夫だ。もう大丈夫だからな」
俺は優しく抱き上げた。
その瞬間。
体の中から、温かい何かが溢れ出す感覚。
『父の温もり(コンフォート・オーラ)』が自然に発動した。
女の子の体から、緊張が解けていく。
激しく泣いていた声が、すっと収まる。
「う…」
女の子が俺の服を掴んで、顔を埋めた。
その瞬間、体の中から温かな波がじわりと広がった。
視界の縁が淡く滲み、目の前に半透明の文字が浮かぶ。
【育児眼 発動】
名前:アリア・フォンブラウン
年齢:2歳3ヶ月
状態:軽度栄養失調・初期脱水・精神的ショック
才能:魔力 SSS / 魔法適性 SSS / 剣術 A / 指揮 S
未来予測:適切な育成で王国最強の魔法騎士へ。現状放置で1週間以内に衰弱死の危険。
画面を通して伝わるのは、冷徹な“事実”だけだった。
腕の中の小さな体が震える。胸の中で何かが切れたように、言葉が出た。
「ふざけるな…」
この小さな女の子が、放っておけば死ぬ?
俺の腕の中で、女の子が震えている。
「…お前は、俺が育てる」
女の子を抱きかかえて、育成院へと戻る。
周囲の声が聞こえた。
「は?あいつ、引き取るのか?」
「男一人で子供を育てるなんて無理だろ」
「どうせすぐに投げ出すさ」
「そもそも、あいつ半年前に開業したばかりだろ?実績ゼロじゃねえか」
冷笑と嘲笑。
「…見てろよ」
俺は呟いた。
「この子を必ず立派に育てる。そして、育児の価値を、この世界に示してやる」
腕の中の女の子が、俺の服をぎゅっと握りしめた。
これが、俺の異世界育児師生活の始まりだった。




