16. 王都育児師協会本部へ
こんな朝早くに、誰だろう。
扉を開けると、整った服装の男性が立っていた。
「イクノ・メン様でいらっしゃいますか?」
「ああ、そうだが…」
「ペルカ様からの差し向けでございます。お迎えに参りました」
男性が、丁寧に頭を下げた。
「迎え?」
「はい。本日の会場まで、馬車でお送りいたします」
外を見ると、立派な馬車が停まっていた。
黒塗りの馬車。
御者台には、この男性が座っていたのだろう。迎えはありがたかった。徒歩だと、1時間くらい歩かなきゃいけなかったからだ。
「わざわざ迎えに?ありがたいが…」
「はい。王都の外は危険でございますので」
「外?会場は王都の中じゃないのか?」
俺は首を傾げた。
王都育児師協会本部なら、王都の中心部にあるはずだ。なぜ王都の外に出る必要があるだろう。
「ああ、説明が足りませんでしたね」
御者が、申し訳なさそうに言った。
「会場は王都中心部の協会本部でございます」
「なら、なぜ外に?」
「王都の中を馬車で走ると、道が狭く、人通りも多いため、スピードが出せません」
「…ああ、そういうことですか」
確かに、王都の中は入り組んでいる。
狭い路地、石畳の道、行き交う人々。
馬車で駆け抜けるのは難しいだろう。
「ですので、一度王都の外に出て、外周を走った方が早く着くのです」
「外周を…」
「はい。ただ、王都の外にはモンスターが潜んでおりますので、護衛の意味も込めて馬車をお送りした次第です」
つまり、王都の門を出て、外周の道を走り、反対側の門から再び王都に入る。
その方が、中を抜けるより早いということか。
「なるほど、説明ありがとうございます。こちらも子供が2人あるので、警戒しすぎてました」
「いえいえ、お気になさらずに」
「…ぱぱ、だれ?」
アリアとリュクが、俺の後ろから顔を覗かせた。
「お迎えの人だ」
「おむかえ?」
「ああ。馬車で会場まで連れて行ってくれるらしい」
「ばしゃ!」
アリアが、目を輝かせた。
「乗ってみたい!」
「イクメン、怪しい人じゃないの?」
リュクが見知らぬ相手に、少し警戒している。
「大丈夫だリュク。…じゃあ2人とも行こう」
「さあ、どうぞお乗りください」
御者が、馬車のドアを開けた。
「わあ!」
アリアが、嬉しそうに馬車に飛び乗る。
「すごい!ふかふかのいす!」
「本当だ…」
リュクも、驚いている。
内装は豪華だった。
柔らかい座席、清潔な内装。
流石ペルカの手配だけある。
「では、出発いたします」
馬車が動き出した。
ゴトゴト…。
「うわあ、うごいてる!」
アリアが窓から外を見ている。
「ぱぱ、たのしい!」
「ああ、よかったな」
俺は笑顔で答えた。
馬車は、王都の道を進んでいく。
しばらくすると、巨大な門が見えてきた。
「あれが…門」
リュクが、目を見開いた。
「おっきい!」
アリアも、驚いている。
門の前には、衛兵が数人立っていた。
御者が何か告げると、衛兵が頷き、門が開いた。
ギギギ…
重厚な音を立てて、門が開いていく。
「王都の外…」
俺も少し緊張した。
王都の外に出るのは、転生してから初めてだ。
馬車が門をくぐる。
「…」
外は、広大な草原だった。
地平線まで続く、緑の大地。
遠くには森が見える。
「わあ…」
アリアが、感嘆の声を上げた。
「すごい…広い」
街の外は、冒険者や実力のあるものしか出てはいけないと、暗黙のルールがあるらしい。
そのルールは、危険から守る意味があるので子を持つ親たちはみんな教育の際に教えている。
俺が転生する前に魔王との戦争が終わったらしいが、今だに残党や取りこぼしのモンスターが繁殖して、増えていると聞いたことがある。
だから親たちは、子供を外に出すのを許さない。
ゆえにみんな外の世界を知らないのだ。
「しかし、綺麗だな。リュクも見てるか?」
「うん。俺こんなの見たことない」
リュクも窓に張り付いている。
全員がその景色に見とれた。
前世ではこんな自然見ることができなかった。
「ぱぱー、もっとはやく、はしらないの?」
「うーん…確かに遅い気がするな」
馬車は、王都の外周に沿って走り始めた。
走行ルートに辿りついたのか、徐々にスピードが上がってくる。
「おー!はやい!」
アリアが嬉しそうに笑う。
「ぱぱ、たのしい!」
「ああ、楽しいな」
その時だった――。
「…ん?」
窓の外、草の陰に何かがいる。
小さな人影、緑色の肌、鋭い目つき。
「…ゴブリンか?」
俺は息を呑んだ。それも一体じゃない。
複数いる。5体…いや、10体以上。
草の陰から、こちらをじっと見つめている。
「ぱぱ…あれ」
アリアが、窓の外を指差した。
「…見るな、アリア」
俺はアリアの目を手で覆った。
「リュクも、窓から離れてろ」
「う、うん…」
リュクが窓から離れる。
「ぱぱ、なに?あれなに?」
「…モンスターだ」
「もんすたー…?」
アリアの声が、震えている。
「こわい…?」
「…ああ、怖いものもいる」
俺は正直に答えた。
危険なものは危険だと教えるのも大切だ。
「でも、大丈夫だ。この馬車は頑丈だし、俺がお前たちを守る」
「ほんと?」
「ああ、本当だ」
俺はアリアの頭を撫でた。
ゴブリンたちは、動かない。
ただ、じっと見つめている。
まるで、獲物を狙うように。
「…っ」
馬車が加速した。
御者が、馬を急かしているのだろう。
ゴブリンたちが、徐々に視界から消えていく。
「ぱぱ…」
「大丈夫だ。もう行ったぞ」
俺は2人を抱きしめた。
「怖かったな」
「う、うん…」
「イクメン…」
2人とも、震えている。
初めて見たモンスター。
それも、複数。
怖いに決まっている。
「大丈夫だ。俺がいる」
俺は、【父の温もり(コンフォート・オーラ)】を発動させた。
柔らかな光が、2人を包む。
「…ん」
アリアの震えが、止まった。
「…落ち着いた」
リュクも、深呼吸をする。
「ありがとう、イクメン」
「ぱぱ、だいすき」
2人が、俺にもたれかかる。
俺は2人の頭を撫で続けた。
「もう大丈夫だ」
しばらくして、馬車が再び王都の門をくぐった。
反対側の門だ。
「王都に戻った…」
リュクが、ホッとしたように言った。
「うん…」
アリアも、安心したようだ。
馬車は、王都の中心部へ向かって進んでいく。
そして。
「到着です」
馬車が停まった。
「ここが…」
目の前には、巨大な建物が聳え立っていた。
石造りの壮麗な建築物。
王都育児師協会本部。
「立派だな…」
リュクが、呟いた。
「おっきい!」
アリアも、目を輝かせている。
「さあ、どうぞ」
御者が、ドアを開けた。
俺たちは馬車を降りて、建物へと向かった。
エントランスを抜けると、広いホールが広がっていた。そして、中央にいたのは…。
「ようこそ、イクノ・メンさん」
ペルカが、立っていた。高級なドレス。整った髪。完璧な笑顔。どれをとっても美しいと言わざるを得なかった。
「ペルカさん。お久しぶりです」
「お待ちしておりました」
ペルカが俺たちを見る。
値踏みするような視線だった。
嫌な感じがまとわりつく。
「こちらが、アリアちゃんとリュクくんですね」
「ああ」
「うふふ、可愛らしい」
ペルカがアリアに近づこうとする。
「…」
アリアが、俺の後ろに隠れた。
「ぱぱ…」
「どうしたの、アリアちゃん?」
ペルカが、笑顔を保ったまま言う。
「…こわい」
アリアが、小さく呟いた。
「…」
ペルカの笑顔が、一瞬固まった。
「そうですか。では、リュクくん」
ペルカがリュクに視線を向ける。
「…」
リュクも、俺の隣に立ったまま動かない。
「…はぁ。挨拶もできないのですか?」
ペルカの声が少し冷たくなった。
「いえ、子供たちは緊張しているだけです」
俺が間に入る。
「そうですか。まあ、仕方ありませんね」
ペルカが俺を見る。
「それにしても、イクノ・メンさん」
「なんですか」
「随分とまぁ…質素な服装ですね」
ペルカが俺の服を見て言う。
「これが俺の普段着です」
「対決の場ですよ?もう少し、見栄えを気にされては?」
「…」
嫌味か。
「それに子供たちも…」
ペルカが、アリアとリュクを見る。
「可愛らしい服ですが、所詮は庶民の服。うちのレオナルド様とは、格が違いますわ」
「…」
俺は黙って立ち上がった。
「イクノ・メンさん?」
「無駄な話をしに来たわけじゃない」
俺はペルカに背を向けた。
「待合室はどこですか」
「あちらです」
ペルカが指を差す。
「行こう、2人とも」
俺たちは、待合室に向かった。
待合室は、無機質な部屋だった。
白い壁。硬い椅子。窓もない。
「…なんか、さむい」
アリアが部屋を見回して言った。
部屋の温度ではなく、きっと内装のことを言ってるのだろう。家とは違う空気が流れている。
「イクメン、あの人…」
リュクが怒っているようだ。
「嫌な人だった」
「…ああ」
「ペルカさん、なんであんなこと言ったの?」
「さあな」
俺も正直ムカついていた。
でも、子供たちの前では怒りを見せられない。
「ぱぱ、わたしたちのふく…へん?」
アリアが不安そうに聞いてくる。
「いや、全然変じゃない」
俺はアリアの頭を撫でた。
「とても可愛いぞ」
「ほんと?」
「ああ、本当だ」
「えへへ」
アリアが、少し安心したように笑う。
「リュクも格好いいぞ」
「…ありがとう」
リュクが少し照れくさそうに笑った。
「いいか、2人とも」
俺は、2人の目を見て言った。
「あの人が何を言おうと、気にするな」
「うん」
「おう」
「お前たちは、十分頑張ってる」
「…」
「だから、見返してやろう」
「みかえす?」
「ああ。お前たちの成長を、しっかり見せつけてやろう」
「やった!みせつける!」
アリアが元気よく言った。
「イクメン…俺も、頑張る!」
リュクも、決意を固めたようだ。
「ああ。一緒に頑張ろう」
俺は、2人の手を握った。
しばらくして、ノックの音が響いた。
「イクノ・メン様、お時間です」
扉の向こうから、声が聞こえる。
「…来たか」
俺は立ち上がった。
「行こう」
「うん!」
「おう!」
扉を開けると、案内役の女性が立っていた。
「こちらへどうぞ」
俺たちは、廊下を進んだ。
そして、大きな扉の前に辿り着く。
「会場です」
扉がゆっくりと開いた。
「…っ」
中は、広いホールだった。
天井が高く、壁には装飾が施されている。
そして、中央には。
「…」
10人ほどの人物が、椅子に座っていた。
全員が、堅い服装。
育児師協会の関係者だろう。
「イクノ・メン様、ようこそ」
ペルカが中央に立っていた。
その隣には金色の髪の少年が立っていた。
名はレオナルドと言ってたか。
「…」
レオナルドは俺たちを見ている。
その目には余裕の色。
だが顔には笑顔がなかった。
「さあ…」
ペルカが、俺を見る。
「育児師をかけた対決を始めましょう」
「…」
ペルカからしたら対決。
子供たちにはお披露目会…なんて伝えているが。
でも、これは対決だ。勝負の場。
無意識のうちに拳に力が入っていた。
「その前に」
ペルカが言った。
「私から、先行させていただきます」
「先行?」
「ええ。我がレオナルド様の、圧倒的な育児を見せつけて差し上げます」
ペルカが不敵に笑う。
「その後で、あなた方の番です」
「…」
「そこでゆっくりご覧ください。完璧な育児の結果を、見せてあげます」
ペルカがレオナルドの肩に手を置いた。
「レオナルド様、準備はよろしいですか?」
「…はい」
レオナルドが、小さく頷いた。
「では、始めましょう」
ペルカが手を上げた。
「お披露目会、開始です」




