12. ペルカの育児と、歪んだ正義
イクメンの偵察を終えた後。
ペルカは、急いで自分の育成院に戻った。
王都中心部。貴族街にある、豪華な建物。
「シュナイダー育成院」
3階建ての石造りの建物には、最新の訓練器具が揃っている。広々とした庭、専属のメイドとスタッフもいる。イクメンのボロボロの育成院とは、比べ物にならなかった。ペルカは自分の執務室に入ると、椅子に座り込んだ。
「…信じられない」
イクメンの育成院で見たもの。
あの2人の子供たち。
「短期間で、あそこまで…」
リュクの動き。アリアの魔法。
どちらも、ペルカの予想を超えていた。
「おかしい。何かある」
ペルカは机の上に、資料を広げた。
イクメンの経歴が綴られたものが、まとめられている。
孤児院育ち。
半年前に独立。
実績はほぼゼロ。
「こんな新人が、私を超えるなんて…」
ペルカの手が、震えた。
「…いいえ、まだ慌てることはないわ」
ペルカは、深呼吸をした。
「私には、10年の経験がある。完璧な育児メソッドがある!そして…」
ペルカは、窓の外を見た。
訓練場で、一人の少年が剣を振っている。
「私には、あの子がいる」
◇
訓練場。
一人の少年が、汗を流しながら剣を振り続けていた。
レオナルド・フォン・アルディア。
今年で12歳になる、王族の血を引く少年だ。
金色の髪、凛々しい顔立ち、整った体格。
「998、999、1000!」
レオナルドが、素振りを終えた。
「よくできました、レオナルド様」
ペルカが訓練場に入ってくる。
「ペルカ先生!」
レオナルドが、礼をする。
「次は魔法訓練です。始めますよ」
「はい」
レオナルドが剣を置いて、訓練用の的の前に立つ。
「では、火球を10発。連続で」
「はい」
レオナルドが、手のひらに魔力を集中させる。
「紅蓮弾!」
ボッ!
火の玉が飛び、的に命中する。
「2発目」
ボッ!
「3発目」
ボッ!
次々と火球が的を貫く。
10発全て、完璧に命中。
「素晴らしいわ、レオナルド様」
ペルカが、満足そうに頷く。
「ありがとうございます」
レオナルドが、少し誇らしげに笑う。
「では、次は魔力測定です。こちらへ」
「はい」
2人は、訓練場の隅にある魔力測定器の前に移動した。
「手を置いてください」
レオナルドが、測定器に手を置く。
測定器が、青白く光る。
数値が表示される。
**魔力値:842**
「前回より、12ポイント上昇しています」
「本当ですか!」
レオナルドが、嬉しそうに声を上げる。
「ええ。あなたの努力の成果です」
ペルカが、レオナルドの頭を撫でる。
「これなら、対決でも問題ありませんね」
「対決…ですか?」
「ええ。約1ヶ月後に、ある男性育児師と対決することになっているの」
「男性育児師…」
レオナルドの表情が、少し曇る。
「でも、心配いりません」
ペルカが、レオナルドの肩に手を置いた。
「あなたは完璧に育っています。相手の子供たちは、所詮素人が育てた子供。あなたには、敵いません」
「…はい」
レオナルドが頷く。
でも、その表情は少し硬い。
「では、今日の訓練はここまでです」
「はい」
「夕食まで自習時間です。魔法理論の本を読んでおきなさい」
「…はい」
レオナルドが部屋に戻っていく。
その背中をペルカは、満足そうに見送った。
「完璧だわ」
でもその表情には、わずかな焦りが残っていた。
◇
レオナルドは、自分の部屋に戻った。
広い個室。
本棚には、魔法理論書や剣術の教本が並んでいる。
ベッドに座り、レオナルドは窓の外を見た。
「…疲れたな」
小さく呟く。
毎日、同じスケジュール。
朝5時起床。
そこから始まる基礎体力訓練、剣術訓練、魔法訓練、座学、自習。休憩時間は、ほとんどない。
「ペルカ先生は、俺のためを思ってくれてる」
レオナルドは、自分に言い聞かせる。
「強くなりたいって、自分で言ったんだ。だから、頑張らないと」
でも、心のどこかで思う。
「…たまには遊びたいな」
窓の外、街の子供たちが笑いながら走っている。
「楽しそう…」
レオナルドが、小さく呟いた。…すぐに首を振る。
「ダメだ。俺は王族だ!遊んでる暇なんてない」
レオナルドは、魔法理論書を開いた。
しかし文字が頭に入ってこない。
「…俺、ちゃんと育ってるのかな」
小さな疑問が、心の奥に残った。
◇
夕食の時間。
レオナルドは一人で食事をしている。
テーブルには、栄養バランスが完璧に計算された食事が並んでいる。野菜、肉、魚、穀物。
全てが、成長に必要な栄養を満たしている。
味は…薄い。
「…」
レオナルドは、黙々と食べる。
ペルカが、隣の机で書類仕事をしている。
「レオナルド様、食事のペースが遅いですよ」
「…はい」
レオナルドが、食べるペースを上げる。
「効率的に栄養を摂取することも、訓練の一部です」
「はい…」
レオナルドは、無言で食事を終えた。
「ごちそうさまでした」
「では、入浴後は就寝です。明日も早いですから」
「はい」
レオナルドが部屋を出る。
ペルカはレオナルドの背中を見て、満足そうに頷いた。
「完璧な育児…」
でもその言葉は、どこか虚しく響いた。
その夜。
レオナルドが寝た後。
ペルカは一人、ワインを飲んでいた。
「イクノ・メン…」
あの男性育児師の顔が、頭から離れない。
「なぜ、あんなに子供たちが輝いていたの…」
リュクとアリアの笑顔。
あの明るさ。
「…」
ペルカは、ワイングラスを置いた。
そして机の引き出しから、古い新聞を取り出す。
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『男性育児師による児童虐待事件』
5年前の記事だ。
当時。王都で活動していた男性育児師が、預かっていた子供に暴力を振るっていた。
子供は重傷を負い、精神的なトラウマを抱えた。
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ペルカは、その記事を握りしめた。
「あの時、私が保護した子供…」
あの子の泣き顔。恐怖に怯える姿。
「二度と、あんな事件は起こしてはならない」
ペルカの手が、震える。
「だから、男性育児師は排除しなければ。子供たちを、守るために!」
ペルカの目に、強い決意が宿る。
「イクノ・メンも、根っこは同じ…。今は良くても、いつか子供を傷つける。だから、私が止めなければ」
ペルカは新聞を引き出しに戻した。
「対決で、必ず勝つ。そして、あの男から育児師の資格を奪う」
ペルカの決意は、固かった。
だが、その決意の根底にあるのは…恐怖だった。
5年前の事件への恐怖。
男性育児師への、過剰な警戒心。
それがペルカの判断を歪めていた。
◇
翌朝5時。
レオナルドが起床する。
「…眠い。けど早く行かなきゃ」
すぐにベッドから出る。
遅刻は許されない。
訓練場に向かうと、ペルカが既に待っていた。
「おはようございます、レオナルド様」
「…おはようございます」
「今日は、対決に向けて特別メニューです」
「特別…メニュー?」
「ええ。基礎体力訓練を2倍にします」
「に、2倍…」
「それと、魔法訓練も強化します」
「…はい」
レオナルドが、覚悟を決める。
「では、始めましょう。まず、ランニング10km」
「はい!」
レオナルドが走り始める。
ペルカはその背中を見つめた。
「イクノ・メンに、負けるわけにはいかない」
「この子を、完璧に育て上げる」
「それが、私の使命…」
そんなペルカの闘志をよそに。
レオナルドの表情は、どこか疲れていた。
笑顔がない。
ペルカは、それに気づいていなかった。
…気づいていても、見て見ぬふりをしていた。
「結果が全て。強く育てば、それでいいのよ」
そう、自分に言い聞かせていた。
◇
数日後。
ペルカは、レオナルドの成長記録を見直していた。
「魔力値、順調に上昇。剣術、問題なし。知能テスト、高得点。情緒の安定性は…」
ペルカが手を止めた。
情緒の安定性。
対決の評価項目の一つ。
「…大丈夫、問題ないはず」
でも、心のどこかで引っかかる。
レオナルドの笑顔が、最近少ない気がする。
「いいえ、気のせいよ」
ペルカは、記録を閉じた。
「私の育児は完璧なのよ。10年間、一度も失敗したことはない!だから今回も、必ず勝つ…」
その自信は、どこか脆かった。
イクメンの育成院で見た、あの子供たちの笑顔。
あの輝き。あれが目に焼きついて離れない。
「…」
ペルカは、窓の外を見た。
「私の育児は間違っていない…!間違っているのは、あの男よ。男性が育児師なんて…」
ペルカはそう自分に言い聞かせた。
同時に心の奥底で、小さな疑問が芽生えていた。
本当に、これでいいのかしら…。
その疑問を、ペルカは必死に押し殺した。
◇
訓練は、さらに厳しくなった。
レオナルドは、毎日ヘトヘトになるまで訓練を続ける。
「レオナルド様、まだです!あと100回!」
「は、はい…」
レオナルドが、剣を振り続ける。
腕が痛い。足が重い。
でも、止められない。
「ペルカ先生が、俺のためを思ってくれてる。だから、頑張らないと」
レオナルドは、そう自分に言い聞かせた。
でも、心のどこかで思う。
「…本当に、これでいいのかな」
その疑問は、日に日に大きくなっていった。
一方。ペルカは自分の部屋に戻ると、考えていた。
「対決まで、あと少し。レオナルド様は順調に育っている。でも…」
ペルカは、イクメンの顔を思い出した。
「あの男の子供たちは、なぜあんなに輝いていたの?私の育児と、何が違うの」
ペルカは、その答えを見つけられなかった。
いや、見つけようとしなかった。
「…いいえ、考えすぎだわ。私の育児は完璧。結果が、それを証明する」
ペルカは、そう自分に何度も何度も言い聞かせた。




