59.大切な話
二階から真鈴ちゃんが呼ばれ、四人で夕飯になった。
テーブルには二対二の形に分かれて座った。
戸田嶋の右隣に仁。その正面に真鈴ちゃん、隣にお母さん、という席次。
テーブルには家庭料理が並んでいた。
かぼちゃとエンドウ豆の煮物、春菊の胡麻和え、イワシの生姜煮、ワカメと胡瓜の酢の物、お味噌汁の具はタマネギのようだ。
ご飯から立ち上る湯気に胃がせり上がった。
初めての感覚だ。つわり? こんなときに……。ご飯は食べられるだろうか。
いや、そういう問題じゃない。
告白するなら今だ。今、このタイミングしかない。
「どうぞ、召し上がれ」
「あの」
「なあに、何か嫌いなものがあったら遠慮なく言ってね」
「あの、実は、今日は、大切なお話があってまいりました」
真鈴ちゃんが俯いた。
「わたし……、仁さんの子供を、妊娠しています」
家からすべての音が消えた。
張りつめた空気は、ちょっとつついただけで粉々に砕けそうだ。
お母さんが箸を置いた。
きっと、ことばの意味を考えている。
緊張で身体中の毛穴から針のように尖った汗が出た。
「どういうこと?」
質問ではない。
咎めている。
「八週目に入りました」
お母さんが仁を見た。
仁がしっかりと頷いたのを確認して、再び戸田嶋を見据える。
「あなた何を言ってるの」
「申しわけありません。わたしが軽率でした」
戸田嶋は深く頭を下げ、もう一度、
「申しわけありません」
しばらくの間のあとに発せられたお母さんの声音には、はっきりとした怒気が含まれていた。
「仁が、孕ませたっていうの?」
「ですから、わたしが軽率だったと」
「そういうことじゃないでしょ、まだ子供なのよ。あなたどういうつもりで」
「責任はわたしが取ります」
「あたりまえでしょ、仁には関係ないことなんだから、堕ろすなり何なり勝手にすればいい」
『堕ろす』という単語に涙が出そうになった。でも泣いてはいけない。
仁が口を挟んだ。
「お母さん、僕は子供じゃない。それに」
「あなたは黙ってなさい」
お母さんは仁を指さし、そして戸田嶋に向き直った。
「それで何? 何が望みなの、お金?」
「そんな、違います」
「じゃあ何しにきたの」
「ご報告と、わたしの軽率のお詫び」
「軽率ってあなた、勝手なこと言ってるけどそんなのわかんないじゃない、仁の子かどうかなんて」
お母さんの目が右に左にと忙しく泳いだ。そして、
「ああわかった! あなたほんとの父親が誰だかわかんないもんだから、うちの子を騙そうとしてるんでしょ。それで誘惑して……、冗談じゃない!」
「違います」
「認知はさせない、絶対に。だってそんなの、だめよ、ありえない。いい? 仁は高校生なの、受験生なの。それを、この大切なときに何あなたは! 仁の人生を台無しにする気?」
「申しわけありません。でも」
「でもなんて聞きたくない」
「言わせてください。わたしも、仁さんには大学に行ってもらいたい。そのためには、力は及ばないかもしれませんが精一杯考えるつもりです。それと、この子は」
下腹部を優しく押さえて言った。
「この子の父親は間違いなく、仁さんです」
お母さんは憤怒の形相のまま黙って見返してきた。当然だ。最愛の息子に起こったとんでもない事態。その原因となった女を見つめる目に憤怒しかないのは当然なんだ。
戸田嶋は甘んじて受け止めた。
「帰って」
「わかりました。今日はこれで失礼します」
これ以上粘るのは逆効果だ。
「今日はじゃない、もう二度と! もう顔も見たくない。仁にも近寄らないで」
「いいえ、わかっていただけるまで、お願いし続けます。仁さんのこともあきらめません。今日は、心尽くしのお迎えをしてくださってありがとうございました」
「主人に相談して弁護士を立てさせてもらいます」
止めて欲しいと言える立場ではない。
戸田嶋は席を立った。
あとを追って立ち上がろうとする仁を、お母さんが止めるのが視界の隅に見えた。
ひとり玄関ホールまで付いてきた真鈴ちゃんに、
「ごめんね、こんなことになっちゃって」
と声を掛けると、真鈴ちゃんは「うぅん」と首を振った。そして、
「母は、お兄ちゃんのことになると、異常なの」
「うぅん、当然だと思う」
「あたしは、戸田嶋さんが本気だってわかってるから。だからちゃんと、今日はちゃんと、全部、言ったんだよね……」
そう言って手の平を向けてきた。
言っただけだ。
言いっぱなし。
怒らせただけで何も解決していない。
でもハイタッチだけはして、戸田嶋は、柏崎家をあとにした。




