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6.王子様再び?

 玲夢はあれから、友田商事の接待を完璧に勤め上げたようだ。


 先方は常務と広報部長と、あと赴任先のスペインから一時帰国中のシニアマネージャー。これをひとりで盛り上げたのだからたいしたものだ。


 小巻主査の予想通り、朝までのフルコースになったそうだ。

 最初は北京料理店の個室で、まあそれなりの料理を砂糖入りの紹興酒で流し込んだあとは広報部長馴染みのスナック。

 そこで喉が枯れるまでデュエットして、やっとお開きかと思ったら、仕上げはキャバクラだったらしい。

 そこで本職のキャバ嬢以上に場を盛り上げたら、黒服のボスから本気でスカウトされて、断るのに『えっらい大変だった』というのは、いかにも玲夢らしいエピソードだ。

 

 玲夢の奮闘が、仕事の獲得に繋がるかどうかは今のところわからない。それなりに仕事はあって忙しいのだけれど、お金になっている実感がない。

 


 そして今宵。

 戸田嶋が玲夢とのおしゃべりに興じているのはグルーヴハウス新大久保店だ。ワイズデザインが今度、新業態コンペにエントリーする会社の、記念すべき一号店である。

 コンペのお題は新業態だから、要するに飲食にまつわる新時代のコンセプトデザインだ。


 これを勝ち取ることができれば、グルーブ系列の店舗デザインは当面、総取りできる。つまりお金になる、ということだが、それにしても、デザインということばの拡大解釈はついにここまできたか、と思わざるを得ない。


 今日、戸田嶋に出された小巻主査の指令は『グルーヴさんの理念なりセンスなりを偵察してきなさい』ということ。

 つまりコンペのための情報収集なのだが、どうせ経費では落ちないので玲夢を誘って楽しみがてら、ということにした。


 このところ厄続きの玲夢をねぎらう意味も兼ねて、と思ったが玲夢に落ち込んだようすは見られない。羨ましいくらいタフな子だ。


 戸田嶋はライトシロップのテキサスフィズで唇を濡らしつつ、それとなく客層を見、それから音楽、採光、スタッフの動きなどを観察した。


 オーナーのデザインセンスを理解するには、ディティールを見る前に、お客さんを容れた店全体が醸す雰囲気を味わう。それが視察のコツだ。ファッションデザイナーの主張を理解するには、服よりも先に、選んだモデルのタイプを見る。それと一緒だ。


 店に入ってすぐに気付いたのは、生ビールを飲んでいる客がいない、ということ。今日も猛暑日だったというのに、ビールなんて前時代の遺物、とでも言いたげな、ちょっとすかした客を呼ぶ吸引力が、この店にはあるようだ。


 カウンター奥のリカーラックには定番のシングルモルトやジン、リキュールの他、テキーラやラム、カシャーサといった中南米のボトルも並んでいる。


 フロアには、二、三人で囲むのにちょうどいいサイズのステンレスの丸テーブルが五つ。椅子はなく、不規則に並んだテーブルを縫うようにデザインされたヒップバーがリズミカルな曲線を作っている。

 壁はコンクリートと木材が入れ子になっていて、隙間というか、所々の奥まったスペースにモノクロの写真が飾ってある。覗き込まないと見えない仕掛けだ。ゆえに見飽きるまでに時間を要する。


 でも、この店舗デザインの一番の特徴はコンクリートの床に埋め込まれた針のように小さなLEDだ。いや、このキラキラ感はもしかしたらグラスファイバーかも。

 しかも数がすごい。色も強弱もばらばらなのに百なんてもんじゃない。千? とにかく、これだけでSFチックな雰囲気を醸し出している。

 『旧態を嫌い、退廃と混沌が醸し出す未来に遊ぶ人』、と戸田嶋は店のオーナー像をインプットした。




 「で、結局わかんないんだ、ヘタ子の王子様は」

 グレンフィディックの水割りのグラスを片手に、玲夢が訊いてきた。


 戸田嶋は、特別休暇の二日間のあとも、四日連続で早朝の山手線新宿駅のホームに立った。でも未だに自転車の彼を見つけることはできていない。


 「あんときは、たまたまいただけだったのかなぁ」

 声音に滲み出た塞いだ気分を、玲夢がそっと振り払う。


 「曜日とか関係あるんじゃない? バ終わかもしんないし」


 ……そうか。自分が金曜の夜から徹夜だったから勘違いしてた。あれ土曜の朝じゃん。バイト終わりだとしたら同じ曜日に行かなきゃ出会えるわけがない。

 と戸田嶋が、自分の思い込みを猛省しつつ次の張り込み計画を考えていたら、

 「あ、そういえばさ、何が原因だったの、こないだのシール貼り」


 「あぁ青木? あれはね、契約書のチェックミス。言ってあったんだけどね、先方指定の様式使うときはちゃんとリーガルのチェック受けなさいって」


 「やんなかったんだ?」


 「そ、だから自業自得、ていうか値切られるくらいでよかったのよ」


 契約書の罠は特記事項に隠されていることが多い。そんなのビジネスの基本、ていうか社会を生き抜くための常識だということは専門学校でさえ教えているのだが。


 「ヘタ子も大変ねぇ」


 「うん」、とここで小皿に残ったポップコーンをぱくり。

 ……遠くでコリアンダーシードと何かが香っている。サービスで出すフードでこういう冒険をするって、なかなか挑戦的だ。


 「T大じゃあ世渡りは教えてくんないのね。……でもさ、案外いい物件なんじゃないの? ほら、青木ってルックスはそんな悪くないしさ、ヘタ子に懐いてんじゃん。飼い慣らしちゃえば? 言うこと聞くよぉ、きっと」


 「もう、他人事だと思って。……え、今なんつった? T大出なの、青木って」


 「あれ、知らなかったの、ヘタ子指導係なのに」


 「じゃああいつ、地頭悪くないってこと? え、ちょっと待ってよ、あいつ新卒でしょ。何でT大出の新卒がウチみたいな零細にくんのよ? どういうこと?」


 「知らないよそんなの、自分で訊けばいいじゃん」


 途切れることなく弾む会話に、赤いキャップを被った男性スタッフが「失礼します」、とするっと割り込み、ポップコーンの小皿を取り替えた。

 玲夢のグラスが空くタイミングを見計らったのだ。巧いやり方だ。


 「あ、飲みものいいですか」、と玲夢はドリンクメニューを指で追い始めたが、戸田嶋は、男性スタッフをひと目見るなり、彫像のように固まった。

 そして下を向き、鼻をすんすんして確かめる。

 ……間違いない。


 玲夢はまだ、戸田嶋の変化に気付いていない。


 「ボウモアのストレート、ダブルで」


 「チェイサーのご用意は」


 「氷なしのペリエをお願いします」


 「かしこまりました。えっと、お客様は」


 と言われ、戸田嶋はここで顔を上げた。

 今度は、男性スタッフの方が固まった。

 そして三秒後、ふたりは顔を見合わせたまま、息を飲んだ。

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