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5.ブラックな会社で繰り返される容赦ない日常

 戸田嶋(へたしま)は、小巻主査の仰せに従って二日間休んだ。


 二日目の朝はさっそく早起きして、新宿駅の山手線内回りホームを延々歩き回ってみたものの、彼は現れなかった。

 出会った車両の辺りにターゲットを絞り、駅員に不審の目を向けられながら四時間ほど乗り降りする人の顔をチェックしてみたものの、やっぱりだめ。


 会えないとますます会いたくなるのは、すでに恋の罠に落ちている証拠である。

 寝ても覚めても、彼の顔が意識から消えない。

 あの微かなフレグランスの香りも。


 はぁ~~~。


 思い出すと切ない。そのくせ思い出さずにはいられない。で、もうやめようと思って目を瞑ると、そこには、あの笑顔があるのだ。


 ……たまらん。


 辛いんだか幸せなんだかわからない無限ループを何とかため息でごまかしつつ二日ぶりに出勤した戸田嶋だが、会社に近付くに従って、徐々にリアルなストレスが圧しかかってきた。



 『ファッションの最先端を切り開く総合デザインカンパニー』という会社説明会のプレゼンを真に受けて、玲夢と一緒にワイズデザイン株式会社に入社したのは二年前のことだ。


 一応はクリエイター採用のはずなのに、今やこの会社の実態はイベント会社か、孫請け広告代理店だ。いや、もはや何でも屋に近い。そのせいで、いつの間にか、休みも土日ではなく交代制の不定休となった。


 あと、たまにデザインの仕事が入ってもファッションであることは稀で、インテリア小物から店舗のロゴ、犬の首輪から庭園のレイアウトまで種々雑多だ。

 牧田デザイン&ビジネス専門学校でひと通り学んできたので今のところなんとか対応できているが、畑違いにもほどがある。

 

 例えば玲夢(れいむ)が今日派遣される予定の、商社のイベント。これは作家ものの椅子専門ショールームの、オープニング記念である。戸田嶋が滑り込みで設計図を届けた、あの現場。そして今夜、玲夢が仰せつかったのはレセプションの接待要員だ。


 一応はデザイナーの名札を着けての参加らしいが、玲夢は、この仕事にはほとんど関わっていない。

 本丸のデザインは冨島先生に丸投げだったし、玲夢がやったのは案内黒板のレタリングと採光の設計、あとはグリーンの調達と配置くらいだから招待客に説明することなんてないはずだ。



 最初の一年は、何でもやらなきゃ、とがんばって走り抜いた。

 ふるさと納税のなんたら調査だとかいって上京してきた腹の出た公務員のために『東京の夜の町巡り』のアテンドをしたり、時間がないという施工業者に頼まれて子供の幼稚園の送り迎えを押しつけられたこともある。

 そういえば奥さんの誕生日プレゼント選びを任されて、当時トレンドだったマルチチャームネックレスを選んだら、なぜかえらく怒られた。その理由は未だにわからない。

 まったく。

 ひどい話だ。


 一年経ったころ『この会社、おかしいんじゃないか?』と思い始めた。

 考えてみると、ていうか本当は考えるまでもないのだがこの会社、オフィスからしておかしい。

十五階建ての、そこそこ高級なマンションの十二階にある2LDKなのだ。そこを、そのまま、オフィスとして使っている……。

 

 ダイニングキッチンは二十畳ほどの広さがある。

 テーブルは無垢のウォールナットで、長辺の外側は、原木の風合いを生かした曲線になっている。

 水回りは、この手のマンションにありがちなアイランドタイプではなく、奥まったところにプロ用の調理器具と共に(しつら)えられている。


 だが、何よりも存在感を放っているのは、年輪も美しい一枚板のバーカウンターと大型のリカーラックだ。カウンターに座って横を向けば、渋谷の街が一望に見渡せる大きな一枚ガラスがあって、夜になれば、独占するのが申し訳ないような夜景が楽しめる。


 リビングはバリのリゾートをイメージしたのか、インテリアは、竹や木の風合いが生かされたもので統一されている。ダイニングとの間仕切りはなく、自由に行き来ができる。

 つまり住居というよりはパーティールーム、といった趣だ。


 チーフ格の小巻主査を合わせても五人しかいない社員は、この環境のなか、思い思いの場所に座るか、でなければ床やソファーに寝転んでノートパソコンで仕事をしている。

 多少オフィスらしいといえば、小巻主査の定位置であるダイニングテーブルに大型ディプレイが設置されていることくらいか。

 とにかく、オフィスとはほど遠い。

 よって、問題は多々。


 まず男女混成チームなのにトイレがひとつしかない。

 あと、これは会社の問題なのだが、どんなに仕事が遅くなってもタクシー券はもちろんカプセルホテル代すら出ない。

 そのくせ生活に必要なものはすべて揃っていて、ベッドなんてホテルのスイートにありそうな天蓋付きのダブルである。

 要するに帰れないなら泊まれ、という理屈だが冗談じゃない。小姑みたいな小巻主査と朝まで一緒なんて考えたくもないし、だいたい男が一緒に残ったらどうすんのって話。

 だからまあ、何があっても終電のある時間に切り上げよう、ていうモチベーションにはなっている。



 そんなオフィスに、夕べも泊まったらしい小巻主査は、今、ダイニングテーブルで朝食中だ。

 今日のメニューは玉子かけご飯と、インスタントの松茸のお吸い物。

 お椀から立ち上る渋い匂いが部屋中に漂い、今日もクリエイティブな雰囲気とはほど遠い。


 小巻主査は、目の下の(くま)を隠したいのか、昼間でもハーフトーンのサングラスを外さない。今どきにしてはサイズが大きくて、なんか、昭和って感じだ。


 で、その小巻主査がサングラスを鼻の辺りまで押し下げて玲夢に言った。


 「梨田、今日の友田商事のレセプション。終わったら直帰でいいから」


 小巻主査の横顔ってなんか演歌歌手みたいだな、と考えていたら、玲夢が、

 「まじで? いいんですか?」と明るい声で返事をした。


 原宿で十九時上がり……。

 なるほどそうか。確か、海斗君の現場もあの辺りだ。


 芦原海斗(あしはらかいと)

 若くて、いかにも『やんちゃしてました』な感じの彼は、ちょっと前、うちが内装を委託した建築会社の見習い職人だ。

 なんでも玲夢が通っていた栃木の高校の後輩で、偶然、現場で再開したらしい。


 海斗君にとって、玲夢はあこがれの先輩だったらしい。ひとめ見るなり、その思いを再燃させた海斗君のアピールがちょっと強めなものだから玲夢は迷惑そうにしてるけど、間違いない。あれは照れだ。

 玲夢のヤツ、今日、仕事が終わったら呼び出して遊ぼうって考えてる。



 でも小巻主査のことばには続きがあった。


 「戻んなくていいけど、打ち上げのお誘いはありがたく受けること。

 大丈夫心配しなくて、あの部長、梨田のことタイプだからぜえっっったい誘ってくる。

 で、いい、朝まで引っぱってがんがん盛り上げなさい。勘定向こう持ちなら鰻でも寿司でも何でも食べていいし、タクシー代もせびっていいから。これ業務命令ね」


 「げ」


 「げって何よげって。あそこ今度、国際展示場のインテリア展に八コマ借りて出展するのよ。今日の流れによっちゃコンペなしで仕事もらえるかもしれないの」


 「げげ」


 「ほおらぁ、梨田だって気合い入るでしょ♪」


 前のめりになっているときの小巻主査は、人の言葉をいいようにしか取らない。


 でもこれって要するに飲みの付き合い、てかこの接待、女を武器にしろって話じゃん。うちらの仕事じゃないでしょ! と思い、

 「こういうのって、あの、どうなんですか?」

 と、そっと助け船を出した。

 だってアウトでしょ、今の基準だと。

 でも小巻主査は、

 「あ、ごめんね~戸田嶋、あんたにも今度、回すから」


 小巻主査はとんでもない勘違いを残したまま二杯目の玉子かけご飯を掻っ込み始めた。

 だめだこりゃ。



 この会社には営業職がいない。だからクリエイティブ職にも畑違いの仕事が回ってくる。やらなきゃ会社が回らない。

 ていうかその前に、インテリア展のブースデザインのどこがファッションなのだ。『ファッションの最先端を切り開く総合デザインカンパニー』はどこにいった! 

 と叫びたい気持ちを抑えていたら、玲夢に次の指令が飛んだ。


 咀嚼しながらしゃべるので若干不明瞭だ。

 「四時からだったよね(もぐもぐ)、レセプション。それまで青木のシール貼り(ずずっ)手伝ってやって。テンパってるから(げほ)」


 輸入パイナップルの販促用グッズの企画とデザインを任された新人の青木光輝は、受注したあとにも拘わらずクライアントから値切り倒され、仕上げのシール貼りを自前でやらざるを得なくなった。


 戸田嶋は『ごめん』、という思いを込めて、玲夢に片手拝みのウインクを送った。

 青木の失敗は、指導係の戸田嶋の責任でもある。



 玲夢は強い。不条理な役回りにも文句を言わず、いや、文句をいいながらも必ず結果を出す。

 でもそんな彼女も最近は、毎晩、神様に祈っているらしい。こないだ飲んでるときに、その文言を教えてくれた。

 確かこうだ。


 『シンプルに、普通の人生を送らせてください神様。ええもちろん、贅沢なんていいません。もうちょっとだけやりがいのある仕事と……』

 あとなんだっけ……えと、たしか

 『エッチがうまい以外に三つ以上取り柄のある彼氏。あと黙って見せるだけで簡単にマウントが取れるお台場のマンション。これだけいいです神様、これだけ』


 無理だよ。無理だって玲夢、そもそもそれ普通っていわないし。

 

 でも、もうちょっと何とかしたい気持ちは戸田嶋も同じだった。

 何だろう。

 何が間違っているんだろう……。


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