29.柏崎真鈴の反抗期
柏崎真鈴は今、反抗期である。
ただ、ぱっと見にはそう見えない。
それは、ワーカホリックで家庭に無関心な父のせいでひとりで家を切り回さざるを得ない母が気の毒すぎて、表立って反抗できないからだ。
そうなると、自然と矛先は兄の仁に向かう。
それも、毛嫌いしたり悪態を吐いたりする、といったわかりやすい反抗ではない。
イジワルをする、
皮肉っぽい口を利く、
こっそりモノを隠す、
母に告げ口する。
こういう、けちくさい反抗をするわけだが、本当は兄思いで、だから反抗といったって、子犬が飼い主の気を惹こうとして吠えるのと大して変わらない。
仁のことは『すてきなお兄ちゃんだ』、と真鈴は心から思っている。『お兄ちゃんでなければ結婚したい』、というほどに。
☆
小さいころからよく比較された。
最初はそれがいやだったし、悩んだこともあるけど、今はもうどうでもいい。
だって。
スポーツは当然として、勉強だって見た目だって、遊びだって完敗。それだったら自慢する方がラクだもん、自慢の兄ですって。
きりっとした涼しい顔で、笑うと無邪気で、体操の選手で、そこそこ成績も出してるからオリンピックなんて期待してる人もいる。そういう人にとっては、球技が笑っちゃうくらい下手っていう弱点もカワイイってことになるらしい。
そ、お兄ちゃんはみんなのアイドルなのだ。
ファンクラブは三つある。
ひとつは先輩の久米美里さんが作った《ハッスル仁》
久米先輩は前の学校でチアの経験があって、試合のときにはメンバー全員、息の合った応援をしてくれる。お兄ちゃんも認めてるから、まあ、これがオフィシャルって感じかな。
んで、二番目のファンクラブ。
それはね、お兄ちゃんっていうか、団体戦でチームを応援するお母さん仲間のファンクラブなんだ。お弁当とかおやつとか水分補給とか、そういうのを差し入れるのが主な活動。だからこれが一番役にたってるかも。
代表はうちのお母さん。食費がけっこう「バカんなんないのよ」ってぼやいたら、少しずつ協力者が増えてったんだって。
試合のときはでっかい横断幕作って声張り上げてる。この似顔絵付きの横断幕がまたけっこうクォリティー高くって、さすがお母さんクラブって感じ。
問題が三番目のだ。これがヤバい。
お兄ちゃんを応援したい気持ちはわかるんだけど、なぜか独占したがる。手を出したがる。特に代表の女の人がね。
合宿とか遠征とかがあるとバイクで追いかけてって、夜中に宿舎に忍び込んだりするらしい。
何考えてんのー、君たちは。
……あ、何で中三のくせに高校の事情に詳しいのかって?
そりゃあ先輩方との情報交換よぉ。
なぁんてね。それもあるんだけど仁の妹だもん。みんなお兄ちゃんのこと知りたがるし、プレゼントや手紙だって、直接渡せない子はみんなあたしんとこに持ってくる。
そりゃ自然とネットワークができるよ。とびきり強力なやつが。
でさ、この三番目んの、名前からしておかしいんだ。
《マッスル仁》だよ。
何なのよマッスル仁って。喧嘩売ってんのか笑いを狙ってんのかって、そっからして不明なんですけど。
しかも代表の半場ツムギって人は、どうも本気でお兄ちゃんと付き合いたいみたいなんだなぁ。だから宿舎に忍び込むのっては、つまりその、夜這いってこと。
え? 知ってるよぉそのくらい。中三だよ。
あぁ、死語ってこと。はは、だよねー。何で知ってんだろあたし。ま、いっか。
それはそうとさ、最近お兄ちゃん誰かと付き合い始めたみたいなんだ。
そりゃわかるよ。お兄ちゃんってすぐ顔に出るんだもん。なんかいいことしてきた日なんて、こっちが恥ずかしくなるくらいにデッレデレ。
最初は久米先輩かと思った。
だったらいいなって思った。
久米先輩はきれいだし、あたしも大好きだし、だからもし将来結婚したら久米先輩がお義姉ちゃんになるんだぁって、想像しただけでぽわ~んとなっちゃう。
でも残念ながら違うみたい。
それとなく先輩に聞いてみたことだから間違いない。ほんと、残念ながら。
お兄ちゃんが付き合ってるのは大人の女の人だ。
どこで知り合ったんだろ。
体操関係にいたら見逃すはずないんだけど。
最初に発見した動画は、ちょっとマイナーな晒し系サイトだった。
誰がアップしたのか知らないけど自転車にふたり乗りして猛スピードで街を駆け抜けてくのや、原宿の交差点を彼女さん負んぶして走ってる動画。これはちょっと間抜けだったけど、なんかすっごく楽しそうだし、なるほどなぁって。
だって付き合ってなきゃ、あんな密着できないでしょ。
動画や書き込みはね、そりゃあチェックするよ。これでもあたしが一番のファンだし、マネージャーですからね。ファンがアップする動画や呟きには常に目を光らせてるんだ。当然でしょ。
でも、あたしがわかるってことは半場ツムギにもわかるってことなんだよね。
夕べ、お兄ちゃんに電話してきたのは、半場さんだ。たぶんそう。ここんとこ何回もだもん。
お兄ちゃん夕べ、スマホに向かて『真剣なんだ』って言ってた。そのあとも何か必死で、何かを止めてたっぽい、てことは半場さん、自分たちで彼女さんのこと排除するとか、そういうことを言ったんじゃないのかな。
それがファンのすることかっての。内容によっちゃ脅迫だよ。だいたい何なの? お兄ちゃんと付き合える可能性なんてゼロなんだよ。もう理解しろってのいい加減。
お兄ちゃんは『直接話し合う』って言って夕べ十時過ぎに出かけてった。まあ、お兄ちゃんの性格だからそれはしょうがないんだけど、朝、部屋見たらいないんだもん。
電話かけても圏外だし。どうなってんの? 電源入れ忘れ?
う~ん、ま、たまにあるからなぁ。よく怒られてるもん、お母さんに。「連絡入れないんだったら携帯取り上げるよ」って、しょっちゅう。
もしかして、半場さんと話したあと、彼女さんちに向かったのかなって最初は思った。
でも、それにしては何か変だ。
彼女さんちにお泊まりだったら友達に頼んで口裏合わせる。か、明るくなる前にベッドに戻んなきゃお母さんにばれるし。
それが……、朝になっても戻ってない。
てことは、ひと晩中、半場ツムギんとこ?
それってヤだな。
どうせなら本命の彼女さんちであって欲しい。
よし、勇気出して確認してみよう。突撃電話、トツデンだ。それにお兄ちゃんの彼女さんがどんな人か気になるし。
え、何で彼女さんの携帯番号知ってんのかって?
そりゃ見たんだよ、お兄ちゃんのスマホをさ、こないだお兄ちゃんがお風呂入ってるとき。
うん、いけないことだってのは知ってるよ。
でもさ、パスコードを妹の誕生日にするって時点で『見ていいよ』って言ってるようなもんじゃん。
……違うか。
でもまあしょうがないよ。見ちゃったんだもん。見ちゃったもんはしょうがない。
で、見てみたら彼女さんの名前も電話番号もすぐわかった。通話履歴がばっちり残ってたからね。
戸田嶋早妃っていうんだ。とだじまさき、でいいんだよね。
あ、じま、じゃなくてしま、かな。
ま、訊けばいっか。たいした違いじゃないし。
☆
柏崎真鈴は、ひとり、あれこれと思いを巡らせるとスマホを手に取ると、通話履歴から戸田嶋早妃の名前を見つけ、緊張の指先を通話マークの上に乗せた。




