第9話 聖女さまのように美しい人
あの夜の出来事について、わたしは当然の手続きとして自治会に報告をした。
そして調べたところ、ドロレスという名前の女生徒は、この学校に数名が在籍していた。
……しかし、結果的には、そのいずれのドロレスさんも、夜の聖堂にいた彼女ではなかったことになる。
首をひねりながら自治会の詰所に戻ると、座り仕事をしていた監督生の先輩が顔を上げて声をかけてくれた。
「お帰り、ヘレン。……その感じだと、犯人は見つからなかったのかな。まあどのみち、いまになってとっ捕まえたところで、証拠がなければ嫌疑不十分だろうけどね」
「そんな! 規則を破った人間が罰せられずにのうのうとしているなんて、わたしは嫌です!」
「相手がしらを切ったら、それ以上は追及することもできないでしょう」
「いいえ、わたしが相手に罪を認めさせます」
「やる気があるねえ、ヘレンは。手伝ってやりたいのもやまやまだけれど。……顔は? その自称ドロレスの顔は、なにか特徴はなかったの?」
「顔──」
聖女さまのように美しい人でした。
反射的にこの回答は思い浮かんだが、けれど口には出したくなかった。
「──顔は、暗くてよく見えませんでした」慌てて付け加える。「でも、会って話したら分かると思います。あのときも会話はしましたし……」
「ふーん、そう。まあ冤罪がでないようにしてくれればいいんだけどさ。少なくとも、名簿の上でのドロレスさんたちは違うようだったし」
先輩はひとつ、椅子の上で背伸びをした。
「まあ、そもそも名簿の名前が必ずしも正しいかっていうと、そうでもないんだけどね」
「──えっ? どういうことですか?」
先輩はなんてことないことのように言ってのけたが、こっちにとっては初耳で、だいぶ予想外の話である。
「あっ、やべ」と先輩。
「なにがやばいんですか」とわたしは詰め寄る。「名簿の名前が正しくないってどういうことですか」
「うーん……」
先輩はちょっと考えるそぶりを見せて、ついでにあたりを見回した。やがて、まあ話してもいいかという風に語りだした。
「この学校には、正体を隠している女生徒もいるっていう話だよ。理由はいろいろあるだろうけど、やんごとなき身分の子女なんかがもっぱらだろうね。政治的理由だったり、身の安全のためだったり、単にやっかみを受けないようにするためだったり」
「お姫様なんていうのは、自分の身分をひけらかすもんなんじゃないんですか? そういう連中なら履いて捨てるほどいますが」
「そういうのもいるし、そうじゃないのもいるってこと。正体を隠している女生徒は、当然、名前も偽名だろうね」
「はあー」
わたしはなんだか、すっかり驚かされてしまった。
「全然知りませんでした」
「秘密にされているからね。女生徒の正体が秘密であるし、女生徒の正体が秘密であるという事実自体も隠されている」
「わたしが勝手に平民仲間だと思っている相手でも、もしかしたら一国の王女という可能性もあるってことですよね」
「理論上はそうだね。……この件については口外しないように頼むよ、ヘレン。本当は、自治会の監督生とかにしか知らされない話だからさ」
「ええ、もちろんわかってますよ」
「どのみちヘレンなら、遅かれ早かれ監督生に推薦されて、知らされていたことだと思うけどさ」
……なんか、すごい話を聞いてしまったものである。
これまで考えもしなかった秘密が、案外身近にあったとは。そうか、世を忍ぶ仮の名前か──
「──先輩、いまの話からするとですよ。あの夜の聖堂にいた自称ドロレスは、実際にドロレスという名前だけれど名簿上は偽名、という可能性があるということですかね?」
「その可能性もあるってことだね」
先輩はにやりと笑った。
「まあ、仮にドロレスが本名だという説をとるなら、正体を隠さないといけないほど高貴な身分の女生徒を、とっ捕まえようとしていることになるね」
「そうですね。──でも、そうだったら、むしろ嬉しいです」
「ふうん?」
「その種の人間を捕まえて罰することができたら、人間はみんな平等だってことを証明することになるじゃないですか」