第8話 気体の分子運動のよう
昼間の女学校は、日の光と喧噪に包まれている。
講義の間ずっと座席に押さえつけられていた無数の活力が、一斉に解き放たれた。女生徒たちは学校の中のあらゆる場所で、あらゆる方位に向かってそれぞれ行き交い、それはさながら、物理学の講義で教わった気体の分子運動のようでもあった。
そんな渦巻く無秩序の中、目当ての人間を探すのは、苦労なことだった。
「──すみません、ドロレスさんですか?」と、わたしはようやく追いついた上級生の背中に声をかけた。
「はい?」振り返ったそのドロレスさんは──しかし、やはりあの夜、聖堂にいた『ドロレス』とは別人だった。
確かに、この人もきれいな人ではある。美女の代名詞である聖女ドロレスの名をわざわざもらうだけあって、さぞご両親は遺伝的形質に自信があったのだろう。
それでも、あの夜あの聖堂にいたドロレスとは、全く違う顔の人だった。
あえていうならば、こっちのドロレスさんのほうの顔には、美しさ以外の色合いも含まれているようだった。彼女自身の個性とか、家系的特徴とかが、その目鼻立ちには仄めかされているように思えた。
(あらためて考えてみれば、あの夜『ドロレス』と名乗った人間の特徴について、うまく説明できない気がした。大人の女性のようでもあり、まだ幼さを残しているようでもあった)
さて、目の前の別人さんは不思議そうな顔でこちらを見下ろしたが、すぐに得心が言ったようで、くすくす笑った。
「ああ、あなたが、自治会のヘレンさんね。──ふふ、見回りのときに捕まえ損ねた夜遊び娘を探しているんですってね」
「……そうです」
たとえ彼女に悪気はなかろうが、面白そうにされるのは、なんとも気に入らない。
「ご苦労様。残念だけど、見ての通り、わたしじゃないわ。ごめんなさいね。でもがんばってちょうだい」
彼女は手を振ると、さっさと離れていく。そのまま先を行く彼女の友人たちと合流して、人混みへと消えていった。