第2話 すべては秩序だって柔和に静止している
砦の修道会の教えによれば、山という地形こそが聖なる地形だった。厳粛に空気が澄んだ、悪を寄せ付けない領域である聖なる山岳地帯。
冷気が夜の女学校の中に充ちていた。
かすかな行灯の光が照らし出す夜の世界の中、わたしは夜の空気を吸い込んで、身体の中を満たした。
夜の見回りは、わたしに任される仕事の一つだった。
勤勉で、品行方正で、教師陣からの信頼も厚く──そしてなにより、平民の娘。同じ女生徒とはいえ、まさか王侯貴族の子女たちにこんなことはさせられないだろうから。
砦の修道会の本山に建てられたこの女学校は、当然男子禁制である。その運営においては、女生徒たちの自治が必要とされている。この夜の見回りというのも、その自治活動の一環だ。
第一講義室、第二講義室、第三講義室、食堂、図書館……いまのところ、誰の気配もない。
初めてこの見回りを任されたときは、ひどく恐ろしく感じたものだ。明るくにぎやかな昼間の世界とは打って変わり、夜の学校は暗く静まりかえっていた。誰もいないのに誰かが潜んでいるような気がしたし、何も聞こえないのに誰かがささやいてくる気がした。実際、夜の学校に関する怪談なんかは、しばしば女生徒たちの間で、まことしやかに語られていた。──さまよう幽鬼、曲がり角の向こうから伸びてくる手、窓の外の白い人影、いるはずのない幼子、存在しないはずの部屋、あるはずのない7体目の聖女像!
けれど、いまとなってはここはもう既知の世界だ。夜の中で停止した世界──この世界の中で、わたしはたったひとり。
きっと、他の誰も知らないことがある。
実のところ、慣れてしまえば、この夜の見回りほど心が安らぐ世界はない。ここには他の誰もいないし、他の誰の視線もなく、他の誰の感情もない。混乱もなく整然としていて、すべては秩序だって柔和に静止している。この世界の中では、押し込められていたわたしの心が開かれていく──。
いってしまえば、昼間の学校なんていうのは、息が詰まる窮屈な世界だ。この女学校は名門というだけあって、大陸の諸王国から王侯貴族の子女が集められている。……ああ、蝶よ花よと育てられたお姫様たち! むろん、お題目としては、この学校の中において女生徒はみな姉妹のごとく平等ということになっている。生徒はみな一様に修道服を制服として身に着け、身分もなく同じ立場で教理と学問を修めるのが、この学校であるはずだった。
だが、その実態としては……。入学したての頃は、わたしはいちいち怒りの熱を全身に行きわたらせ、屈辱の傷を心に刻んでいた。──けれどそれはきりがなかった。だから、いつしかわたしは、昼間は自分の気分というものを、自分の内側のより深いところに押し込めるようになっていた。そうしておけば、他の誰にも、わたしの心を本当に動揺させることなどできないのだから。事務的にただ淡々とこなすようになった日々──。
けれど、この夜の世界には誰もいない。押し込められて、凝り固まって、しわくちゃになった自分の気分を、思うがままに伸ばしてやることができる。自分の感性が、自分の身体も超えて、暗闇の中を隅々までいきわたる。知覚は鋭敏になり、机の一つ、椅子の一つでさえもくすぐったいくらいだ。
わたしが夜の見回りの間にこんなことを考えて、こんなことを感じているなんて、きっと他の誰も知らないことだろう。