第15話 あなたとわたしは違うから
わたしは彼女から視線を逸らした。──彼女の視線が、耐えられなかった。ただまっすぐに、こちらの内面まで貫く視線。しかもそれは、この世の者とは思えぬほどの美しい人間から発せられているのだ。
「……いったい、なんの権限があってそんなことをしようっていうの」
「話して楽になることがあるのなら、話してほしいの。あなたが苦しいままでいるのは、いやだから」
「苦しいことっていうのは、自分の弱いところなのよ。他人に、わざわざこちらの弱点を晒すわけないでしょう。そんなの非合理だわ。一度弱みを握られたら、あとでどんなことになるか、わかったものじゃない」
「わたしはあなたを決して害しません、ヘレンさん」
「どうだか」
「姉妹ヘレン、あなたの苦しみを分かち合いたい」
彼女はこちらの目を見て呼びかけた。
この『姉妹』というのは、砦の修道会においての、女性に対する改まった敬称である。人間というのは姉妹の如く平等であるという理念が込められている。
──平等? そんなものが、いまのこの世界に存在するのだろうか。
現実に存在しないというのなら、その理念は綺麗ごとでしかないのではないか。であれば、それは欺瞞であり、単に平等がないことよりももっとひどい悪としか思えない。
あるいは、遥か昔には、六人の聖女が魔術師王を打ち倒した時点では、そのような美徳も実際に存在していいたのかもしれない──
遥か昔、なのかもしれない。
わたしは唐突に気がついた。この、目の前の女に対する違和感。
まるで、同じ時代の人間のようには思えない。
この女は、遥か昔の美徳を持った人間なのだ。すり切れていない、神聖で純粋な時代の美徳。積み重なった歴史によるひずみもなく、摩耗も損耗もなく、信仰を守って生き、信仰に守られて死んでいった時代。その世界であれば、生きることは幸福であり、死ぬことでさえも祝福があったのだろう。
……けれど、わたしは違う。
「苦しみを分かち合うなんて、無理よ」わたしは絞り出すようにいった。「あなたとわたしは違うから」
彼女は、目を大きく見開いた。ガラス細工のような美しさに、ひびが入ったようにも見えた。やがて彼女はわなわなと震えだし、表情を歪ませた。
──この女の顔が感情に歪むことがあるのか、と妙な感慨を覚えた。それまでの泰然とした微笑は一切消え去り、代わりに荒れた海原のような激しさがそこに現れた。
ついには、彼女はしゃくりあげながら泣き出してしまった。