第12話 息ができない──息をしようとした
わたしは悪くない、わたしは悪くない、わたしは悪くない──心の中で繰り返し唱えていた。ただそれだけを考えていた。それだけしか考えられなかった。
わたしは悪くないのに、間違っていないのに、どうしてこちらが悪者にならないといけないんだ!
頭の中は熱に塗り潰され、のど元は息苦しく、胸がざわついた。
息が詰まる。息ができない──息をしようとした。狭まった気道から空気を取り込んでも、息苦しいままだった。
腹の底では、怒りが渦巻いている。受けた屈辱がそのまま残っている。
床に身を投げだして、身をよじりながら、大声を出したい気分だった。なんでもいいから、すこしでも、この不快感を体の外に放出したかった。これを抱えたままでは、頭がどうにかなりそうだ。
肩を怒らせながら、大股で、乱暴な足音を立てて、夜の学校の中を歩く。
──これだから、嫌なんだ。
祝祭実行委員会が。
観想劇準備班が。
貴族の女が。
他人が。
これほど不快感に充ちた夜の見回りがこれまでにあっただろうか? とてもじゃないが、平静ではいられなかった。
そして、聖堂の扉。──ああ、くそ。なんでこんなに重いんだ!
半ば体当たりをするようにして乱暴に扉を開く。
聖堂には、暗闇が堆積していた。そして向こう正面から淡く差し込む月の光は、祭壇を青白く照らしていて──そして座席の最前列に、ひとつの人影があった。
遠目に見える、本当に小さな影絵。
あの女だ。遠目に見ても、直観で理解できた。前回の見回りで遭遇した、ドロレスを名乗るあの女。
全部だと思った。きょうのこの不愉快な気持ちは、全部、あの女が悪いのだと、なぜだかそう思えてならなかった。自分の中で膨らんでいた不快感が、途端に指向性を持つ──
歩を進める。歩くだけでは抑えきれず、突き動かされるようにして、いつの間にか駆け足になっていた。心臓が締め付けられるようだ。息が上がる。
罵ってやる──そう思った。面と向かって、あの女を罵ってやる。逃げるようならどこまでも追いかけて、逃げ場を塞いで追い詰めた上で、徹底的に詰り倒してやる。
最前列の座席に座っていた彼女は、こちらを振り返った。そしてゆっくりと立ち上がる。
わたしと彼女の二人は、祭壇の前で相対する。
わたしは短く息を吸った──そして、ちょうどその時だった。
「こんばんは、ヘレンさん」
ドロレスは静かに笑った。ただそれだけで十分だった。