第1話 彼女は恥ずべきことを知っていて、恥ずべきでないことを知っていた
頭巾の黒い布地は彼女の髪のつやを塗りつぶし、修道服は彼女の均整の取れた身体と肢体を覆い隠す。しかし、彼女のこの世ならぬ美しさを抑え込むことは、到底できそうにない。むしろその禁欲主義的な装いは、彼女の純粋なる美に陰影を与え、引き立てるための装身具としかならなかった。
彼女の瞳は、光と世界を閉じ込めた二つの宝石だった。顔の輪郭は優美な曲線によって描かれ、その曲線は彼女と彼女以外のすべてを決定的に分断している──
その容貌の美しさで知られるのが、聖女ドロレスである。
彼女はもとより、古き教えの道に入った一人の修道女であった。
彼女の眩しいほどの美貌は、俗世にも知られるところだった。欲望と好奇心に突き動かされた男たちは、ドロレスの姿を一目見ようと、古き教えの聖域の側まで押し寄せたという。いったいあの中のどれが噂の美女なのだろうと、男たちは修道女たちの顔をぶしつけに眺めた。そして運よくドロレスの姿を見ることができたなら、他の修道女に追っ払われるまでドロレスの姿に見ほれることとなった。
恋焦がれた末に、どうにかしてドロレスを還俗させ、娶りたいと願う男は数多くいた。領主、豪商、軍人──男たちはそれぞれの持てる力を使い、争った。
しかし、ドロレスは男たちの切望には答えなかった。彼女はただ、古き教えが指し示すとおりに、しずしずと観想と祈念を行い、修行を積んでいった。
当時の俗世は、堕落した世相であった。一部の階級が享楽に耽る一方で、人民は搾取された。冷夏が続き大規模な飢饉が起こり、治安が悪化し野盗がのさばり、空は恐ろしい極光に埋め尽くされた。停滞した低劣な世界──この道徳的退廃が、魔術師王の台頭を招いたと説明する学者もいる。
魔術師王による大陸征服が始まると、その征服地において、古き教えは苛烈な弾圧にさらされることになる。清浄な信仰の力が持つ魔術への抵抗力を、魔術師王が恐れたためであろう。魔術師王の軍勢によって、古き教えの聖堂と啓典は破壊され、信徒は虐待の末に殺され、そして修道女たちは辱めを受けた。
そんな中、たった六人の修道女が、大いなる犠牲の上に、魔の手を逃れて険しい山に踏み入った。修道女ドロレスもその六人の中の一人だった。彼女らは大陸中央の山岳地帯に潜伏した。山そのものを砦とし、清純なる祝福の力を武器として、魔術師王に対する抵抗を続け、征服地の苛政から逃れる人びとを保護した。六人の修道女はやがて起こる反乱軍の中心となり、解放戦争を先導して魔術師王と対決することになる。
解放戦争の最中、天敵であるはずの魔術師王も、ドロレスの美しさには心を奪われた──と伝説は語っている。
伝説によると、魔術師王はドロレスに対して、永遠の若さの魔術による取引を持ち掛けたという。
人間は老いるものである以上、どれほどの美貌を誇ろうとも、それは結局一時的なものでしかない。しかし、おまえのこの世ならぬ美しさが萎れていくのは、あまりにも惜しい。ドロレスおまえがこの魔術師王の物になるのなら、魔術によってその儚い美しさを永遠の物にしてやる──と、魔術師王はいったのだ。
しかし、ドロレスは聡明な修道女だった。彼女は恥ずべきことを知っていて、恥ずべきでないことを知っていた。
彼女は魔術師王の誘惑を拒絶したと伝えられている。
現代においても、聖女ドロレスは老人の守護聖女、貞淑な人妻の守護聖女、そしてなにより美しい乙女の守護聖女として信仰されている。
……美しい乙女の守護聖女だとさ。なるほど、なるほど。結構なことである。
当然、ものを考える人間ならば浮かぶ疑問がある。
美しい乙女は聖女ドロレスに守護されるとして──じゃあ、美しくない乙女はいったい誰に守護してもらえばいいのだろう? それとも、美しくない乙女は、誰からの守護も得られないのだろうか?
さて。
ときに聖女ヘレンは、六人の聖女の一人である。当然、聖女ヘレンもまた、他の聖女たちと同様に解放戦争を戦い抜いた女傑である。大陸南部の沿岸地域出身と伝えられているこの聖女ヘレンは、砦の修道会の正式な教義としては、水兵の守護聖女、船乗りの守護聖女、漁師と海女の守護聖女として定められている。
そして伝承は、彼女の身体的特徴をほのめかしていた。つまり、髪色が卑しいだとか、目つきが悪いだとか……。無論、砦の修道会が制作する公式の聖女像については、それらの身体的特徴は慎みのある範囲で造形に反映されるものだ。
しかし、民間で娯楽として粗製される絵物語なんかでは、聖女ヘレンはあからさまに、あるいは誇張されて、その身体的特徴を描写されるのが常だった。
そしていつしか、以下の俗信が生まれた──すなわち、聖女ヘレンは醜女であるがゆえに、美しくない乙女の守護聖女である、と。
こうして、この大陸に生きる乙女は、美しいのも、美しくないのも、みな砦の修道会の聖女の守護を得るにいたったのだ。
……まったく、ありがたい話である。
わざわざ、どーも。