第三話 聖明王と任那復興会議
〇 聖明王と任那復興会議
仏教を伝えたとされる百済の聖明王は高句麗に攻められて首都を南の泗沘に遷都します。
南方の伽耶諸国の領有をめぐり新羅とも対立を深めていました。
聖明王は新羅に対抗する為にヤマト政権との連携を求めて仏教の布教をして、任那復興を呼びかけました。
□ 523年 聖明王は百済王に即位する
□ 538年 首都を泗沘に遷都した
□ 538年 仏教公伝(一回目)
□ 541年 任那復興会議の開催
□ 547年 欽明天皇は百済に武器などの支援をする
□ 548年 聖明王は新羅と羅済同盟を結ぶ
――スポットゲストとして聖明王をお呼びしてます。
聖明王「この度はヤマトに呼んで頂いて感謝する」
稲目「こちらこそ遠いところをわざわざ」
欽明「新ゲストが来たから稲目は帰ったのではないのか」
――聖明王は任那復興会議を開いています。
欽明「任那は滅んでは無いが?」
聖明王「ここで言う任那とは金官伽耶国のことだ。金官伽耶国を新羅から取り返す。その手伝いを私はするつもりだ」
稲目「それはありがたいのですが。百済に利はあるのですか?」
聖明王「半島南部をヤマトが領有して新羅を抑えておけば百済は北の高句麗に集中できる」
欽明「しかし、ヤマトは出兵したばかりで余裕がない。日本府のある安羅国を中心に話し合っておいてくれ」
聖明王「安羅国の日本府の官人が新羅と通じているとしてもか」
――聖明王の発言は事実で安羅国の日本府の官人や伽耶諸国の人々は新羅より百済を警戒している様子がありました。実際に任那併合してますしね。それに日本府の官人とは言っても朝鮮に長いこと住んでいるのでヤマトの民の意識が薄いのです。ヤマトの思惑より自国の利益の為に動いています。
聖明王「百済は任那復興会議を開いて新羅を討ち金官伽耶国をヤマトに取り返そうとしている。だが、日本府の官人は非協力的で百済に敵対的だ。彼らを罷免してもらいたい」
欽明「無理だな。既に在地人と化している。命令を下すなら軍を派遣するしかないが、その余裕はない」
聖明王「ぐぬぬ………」
欽明「(だが、任那復興は必要だ。国力を蓄えて百済を支援して新羅を叩き潰さなければならんな)稲目、準備だけはしていろ」
稲目「御意」
――欽明天皇は日本府の官人を罷免はしませんでしたが、稲目に命じて百済支援の為の武具や援軍を送る準備をします。新羅征伐の諸郡には大伴金村の三男の大伴狭手彦が選ばれます。
欽明「大伴狭手彦に新羅を討伐して金官伽耶国を取り戻し任那を復興するように命じた。朝鮮半島にかつての栄光を取り戻す!」
聖明王「高句麗の圧が強いので新羅と同盟した。高句麗討伐の兵を送ってくれ」
欽明「はぁっ!?(威圧)」
〇 高句麗討伐
百済の聖明王は新羅と同盟を結び高句麗討伐の為にヤマト政権に援軍を求めました。
欽明天皇は高句麗を撃退すれば任那を復興させると聖明王に約束させて援軍を出します。
将軍として高句麗と戦った大伴狭手彦は高句麗の城を落とすなどの活躍を見せました。
聖明王は八十年ぶりに漢山城付近の領土を高句麗から奪い返します。
□ 550年 大伴狭手彦は高句麗を討伐する
□ 551年 聖明王は高句麗から漢山城を奪還する
――欽明天皇は聖明王に援軍を出しました。どのような思惑ですか?
欽明「高句麗を撃退すれば任那を復興させると約束させたわ。新羅と協力して戦うのは業腹だが仕方あるまい。狭手彦を将軍に任ずる」
――大伴狭手彦は征高句麗将軍として朝鮮半島に渡ります。百済軍と協力して高句麗領に侵攻して城を落としました。
聖明王「やはりヤマトに支援を頼んで正解だった。このまま北上する」
欽明「義理は果たした。狭手彦には戻ってくるように命令した」
――よろしいのですか?
欽明「百済は朝鮮半島西側から新羅は東側から攻め上っている。ヤマト軍は百済と連携して高句麗を攻め上ったが、このままだと新羅軍と合流する。新羅と肩を並べて共に戦うのは納得がいかん」
聖明王「新羅軍がいれば漢山城の攻略も出来るだろう。ここまで助かった」
――百済軍は新羅軍と共同で漢山城を落城させて高句麗を北方に追い出しました。実に八十年ぶりに漢山城近辺の領土を百済に取り戻したのです。
聖明王「高句麗の脅威もかなり押し返した。先祖代々の悲願を果たした。此度の戦は大成功だ」
――この辺りで本日のスポットゲストの聖明王はお帰りです。ありがとうございました。
欽明「面倒なのが帰ったか」
――大伴狭手彦は朝鮮から帰国してきます。高句麗で略奪して来た珍宝・財宝を献上してきました。
欽明「珍しい品が多く余は満足である。狭手彦よ大義であった」
――大伴狭手彦は蘇我稲目に対して欽明天皇より多くの財を献上している。金村の隠居以降パッとしない大伴氏の再興を大臣の蘇我稲目に託していたのだろう。
欽明「えっ?」
稲目「ありがたく頂戴する」
欽明「何貰った?」
稲目「美女を二人ほど」
――大伴狭手彦は高句麗の城を落とした際に高句麗の姫と付き人を捕虜としました。二人が美人であったので蘇我稲目に献上したのです。
欽明「女性を物扱いすると昨今炎上するぞ」
稲目「私の娘二人に合わせて十九人の子供を産ませた主上のお言葉として心に刻んでおきます」
欽明「………高句麗の姫の方はきちんと妻にするのだぞ」
稲目「付き人の方も貴族の娘のようですので、二人とも妻にします」
――こうして蘇我稲目は二人の美女を妻としました。高句麗の姫は翌年に男子を産みます。その男子の名は蘇我馬子。付き人の女は数年後に男子を産みます。その男子の名は蘇我境部摩理勢。
稲目「馬子の母方の祖父が高麗人という話がどういうわけか私の父が高麗人という噂になってしまいましてね。私の父の名が蘇我韓子、祖父の名が蘇我高麗なんて伝承が後世に残ってしまいました。まあ、それはどうでもいいので置いておきましょう。
欽明「蘇我氏は葛城氏の分家筋で古来よりの大和人なのだがな」
稲目「私が渡来人を重用して大陸の文化を保護しているのというのも噂に拍車をかけているのでしょう」
欽明「そういえば聖明王から援軍の礼にと何やら贈られて来たのだが………」