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第壱話 志帰嶋皇子

 〇 継体朝の朝鮮半島


 継体(けいたい)天皇と前大王の仁賢(にんけん)天皇皇女の手白香皇女(たしらかのひめみこ)の皇子として志帰嶋皇子(しきしまのみこ)(後の欽明天皇)は生まれました。

 この時代はヤマト政権が権益を確保していた朝鮮半島南部の任那が衰退していく時期です。百済に任那四県を割譲したり加羅が独立したり新羅に領土を奪われていきます。



 □ 509年 欽明天皇が誕生する。

 □ 512年 任那四県を百済に割譲する。

 □ 527年 磐井の乱。

 □ 531年 継体天皇が崩御する。

 □ 532年 任那滅亡(一回目)




――本日は志帰嶋皇子に話を伺います。



志帰嶋皇子(しきしまのみこ)(以下「志帰嶋(しきしま)」)「余が志帰嶋である」



――志帰嶋皇子の幼少期の政治状況を説明するにあたりスポットゲストとして大伴金村(おおとものかなむら)をお呼びしました。



大伴金村(おおとものかなむら)「よろしくお願いします」



――継体天皇の御代では朝鮮半島が混乱していてヤマト政権の影響力が低下していきます。まずは西暦512年にヤマト政権は任那(みまな)四県を百済に割譲しました。



大伴金村(おおとものかなむら)「ヤマト政権は朝鮮半島南部に大きな権益を持っていて、支配していた地域を任那と呼んでいました。実際には海の向こうということもあり独立していた勢力の寄り親という方が正確かもしれません。朝鮮半島への影響力が落ちていたこともあり、任那四県と呼ばれる地域は百済に実効支配されていました。百済は友好国であったので見返りを要求した上で平和的交渉で割譲したのです」



――ヤマト政権が任那の一部を百済に割譲したことが切っ掛けとなり、任那地域の加羅国が百済と敵対して新羅に接近することになりました。ですが、加羅国と新羅も揉めた上に新羅が任那地域に進出してしまいます。任那日本府のある金官伽耶国が新羅に侵略されて危機になりました。



大伴金村(おおとものかなむら)「それで近江毛野(おうみのけな)を派遣して救援しようとしたのですが………」



――筑紫国磐井(いわい)が新羅と組んで反乱を起こしました。磐井の乱です。近江毛野は敗北して大和に逃げ帰ったので、物部麁鹿火(もののべのあらかひ)を将軍として筑紫へ派遣して乱を制圧します。磐井は討たれて磐井の乱は終結しました。



大伴金村(おおとものかなむら)「物部麁鹿火は筑紫以西の統治を任されましたので、近江毛野を朝鮮に派遣して新羅の侵略を止めようとしますが失敗しました。そのことを聞いたので毛野を解任して大和に呼び寄せたのですが病で亡くなりまして」



――朝鮮半島南部の情勢は最悪というところですね。



大伴金村(おおとものかなむら)「はい」



――近江毛野が亡くなったのは西暦530年です。この頃の大王一族の状況を志帰嶋皇子を交えて話を聞きたいと思います。



志帰嶋(しきしま)「うむ。ようやくだな。余は正統な大王家の皇子であるのを血縁図で示そう」


 市辺押磐皇子 ― 仁賢天皇 ┐

               ├ 手白香皇女 ┐

 雄略天皇 ― 春日大娘皇女 ┘       │

                       ├ 志帰嶋(欽明天皇)

                       │

          彦主人王 ― 継体天皇  ┘



――雄略天皇、仁賢天皇、継体天皇の血筋が入っています。



志帰嶋(しきしま)「だが、余が次の大王とはなれぬ。若すぎるというのが理由だ。余の前に腹違いの兄が即位することになっておる」



――継体天皇は後継者候補として勾大兄皇子(まがりのおおえのみこ)を指名しています。勾大兄皇子の母親は尾張氏の娘ですが、政治経験が豊富で今すぐにでも大王の政務がこなせます。家系図を整理してみましょう。


 継体天皇 ┬ 志帰嶋皇子(母:手白香皇女)

      │       

      ├ 勾大兄皇子(母:尾張氏娘)

      │

      └ 檜隈高田皇子(母:尾張氏娘) ― 上殖葉皇子(母:橘仲皇女)



――勾大兄皇子には皇子はいませんが、同母弟の檜隈高田皇子ひのくまのたかたのみこには上殖葉皇子(かみえはのみこ)がいます。上殖葉皇子の母の橘仲皇女たちばなのなかつひめみこは手白香皇女の妹、つまりは仁賢天皇皇女です。つまり、上殖葉皇子は正統な皇位継承者であるのです。



志帰嶋(しきしま)「父上(継体天皇)が崩御した後に勾大兄皇子が即位したとしよう。その次が余になるのか上殖葉皇子になるのかは分からぬ。母上(手白香皇女)は気を揉んでおる」



大伴金村(おおとものかなむら)「私は大王(継体天皇)の意思を尊重して、志帰嶋皇子が即位するのが筋だと思いますが………」



――西暦531年、継体天皇が崩御しました。



志帰嶋(しきしま)「父上(継体天皇)は勾大兄皇子が即位するようにと遺言を残したようだな」



大伴金村(おおとものかなむら)「ですが、大后様(手白香皇女)がそれを拒んで自らが称制(しょうせい)(即位せずに政を行うこと)を行うとおっしゃっております」



――皇位が上殖葉皇子に渡るのを恐れているのですね。



大伴金村(おおとものかなむら)「次の大王を決めるのは群臣らの合意によります。今は国内で揉めている時期ではありませんので、保留ということにしておきました」



――つまりは手白香皇女の称制を認めたということですね。



大伴金村(おおとものかなむら)「仕方あるまい。勾大兄皇子は私と麁鹿火が説得した。巨勢氏と蘇我氏の臣らも大后(手白香皇女)を支持していましたのでね。意外と政治手腕がある方です」



志帰嶋(しきしま)「余はそれでよい。五年も立てば大王に即位出来る」




――なるほど。それで国内で揉めている状況ではないというのは朝鮮半島情勢の悪化のことでしょうか?



大伴金村(おおとものかなむら)「そうです。近江毛野のせいで混乱した朝鮮半島を落ち着かせるのが私の役目です。百済と加羅国を和睦させて、加羅国を新羅に対峙させるようにしました。百済は高句麗に大敗したばかりで、南部の安定とヤマトの支援を求めていますので。加羅国も今のままでは新羅に征服されてしまうのは自明の理ですので説得しました」



志帰嶋(しきしま)「金村の手腕は見事だった。だが、手遅れだったな」



――西暦532年、新羅は金管伽耶国を併合しました。



大伴金村(おおとものかなむら)「任那日本府とヤマト系官人を隣国の安羅国に移しました。朝鮮半島南部に残る数少ないヤマトの従属国で最期の砦です」



志帰嶋(しきしま)「国内で争っている場合ではないわけだ」



大伴金村(おおとものかなむら)「ですが、国内の方でも状況が大きく変化します。西暦533年。大后(手白香皇女)が崩御された」



――まだ若いのに。そうなると志帰嶋皇子が即位することになるのですね。



志帰嶋(しきしま)「当然だな。余が次の大王だ。金村よ、お前を大連に任命する」



大伴金村(おおとものかなむら)「…………お断りします」



志帰嶋(しきしま)「急にどうした? 隠居でもするのか?」



大伴金村(おおとものかなむら)「………先帝の遺言通り勾大兄皇子を大王に推挙します」



志帰嶋(しきしま)「!?」


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