残された課題
……………………
──残された課題
第62自動車化擲弾兵連隊は葬送旅団の支援を受け、損害を出しながらも魔獣猟兵の待ち伏せを突破し、フランツ・ヨーゼフ橋に向かった。
同連隊はフランツ・ヨーゼフ橋にて陣地を展開し、防衛を開始。確保された後方連絡線から武器弾薬の補給が行われ、ある程度の戦闘力を取り戻した。しかし、失った兵員はほぼ補充されていないままだ。
そして、葬送旅団としても任務を完全に達成したとは言えなかった。
「血の臭いがまだ……」
アレステアが葬送旅団の移動手段であり司令部機能を有する特務空中巡航戦艦アンスヴァルトの兵員室に入って、そう呟いた。
そこは第62自動車化擲弾兵連隊から要請されて後送された負傷者たちが乗せられていた場所だ。ここに多くの負傷者が乗せられ、アンスヴァルトの衛生兵と軍医による治療を受け、医療設備のある後方に移された。
だが……。
「多くの人を助けられませんでしたね……」
そう、後送するまでの間で多くの死者が出た。治療が間に合わず、命を落とした将兵の死体をケルベロス擲弾兵大隊の将兵が運び出すのをアレステアも見ていた。
傷が腐敗し、細菌が血管に入り、敗血症を起こして死んだもの。出血が止まらず、失血死したもの。もしも、もっと早く治療ができれば助かったはずの将兵も多かった。
「どうにもこうにも医者がいないせいだね」
「ええ。医療品はあったんですが、アンスヴァルトの軍医だけでは手が足りませんでしたね。無事に後方の野戦病院に後送できた負傷者は助かったのですが」
葬送旅団には軍医はアンスヴァルト所属に空軍の軍医がいるだけだ。葬送旅団の地上部隊を成すケルベロス擲弾兵大隊には衛生兵しかおらず、軍医は所属していない。
今回は多数の負傷者をアンスヴァルトに乗せたものの軍医ひとりでどうにかなるものではなかった。アンスヴァルトの空軍所属の衛生兵は実戦経験がなく、経験不足で上手く処置ができない。
「どうにかできないでしょうか? このままじゃ、ケルベロス擲弾兵大隊にも負傷者が出たとき対処できないかもしれません。その前に対応を」
「シーラスヴオ大佐に相談してみましょう。旅団規模の部隊という扱いなら、軍医が配備されるのは通常のことです。シーラスヴオ大佐が上級司令部に要請し、軍医を配置してもらえるかもしれません」
「お願いします。暫くは出撃はなさそうですか?」
「ないでしょう。第3軍は配置転換を完了したようですから」
「じゃあ、僕は後方の戦死者の墓所に行ってきていいですか? 少しでも墓守らしいことをしておきたいんです。戦争が終わればまた墓守に戻りたいですから」
「ええ。シーラスヴオ大佐には私から伝えておきます」
「お願いします」
アレステアはレオナルドにそう頼み、マルティアの空港に停泊しているアンスヴァルトを降りると第3軍が死者を安置するために設置した墓所に向かった。死者が眠りにつくミッドランでは死者の扱いにも慎重になる。
「止まれ。ここは関係者以外立ち入り禁止だ」
「葬送旅団のアレステア・ブラックドッグです。戦死者の方々の見守りをと思いまして。神聖契約教会で墓守をしていました」
「ああ。アレステア卿ですか。どうぞ」
見張りの兵士にアレステアが説明してからアレステアはこのトレネズンプフ領を巡る戦いで戦死した将兵が安置される墓所に入った。
墓所は濃い血の臭いがする。ほとんどの将兵が銃弾や砲弾による外傷で死亡したからだ。身体の欠損した将兵が急ごしらえのテントの中で眠りにつき、思い残したことをつぶやいている。
「兵舎にご家族への手紙を残されたのですね。部隊の方に伝えておきます。安心してください。僕がちゃんと伝えておきますから」
戦死者たちは突然、なんの準備もなく死んだ。故に思い残していることは多い。
アレステアはそんな戦死者たちが思い残したことを聞き、安心させた。死者たちはこれで安らかに眠ることができる。
これがアレステアの墓守としての仕事だ。
「こっちに運んでくれ」
そこで若い女性の声が聞こえた。
アレステアが声の方を見ると帝国陸軍の将兵が担架に乗せた戦死者を運んでいた。そして、それをどこに運びのかを指示している白衣姿の女性がアレステアの目に入る。
くすんだアッシュブロンドをショートボブにし、黄金の瞳をした20代後半ごろの若い女性。身長はアレステアより頭ひとつは大きく、その女性的な体形の体に淡い緑色のワンピースの上に白衣。
「ん……? 君は……」
「あ。アレステア・ブラックドッグです。葬送旅団の」
その女性がアレステアを見つけて見るのにアレステアが少しどもりながらそう返す。
「ああ。君がゲヘナ様の眷属になった少年だね。知っているよ。君に助けられた兵士たちが礼を言っていたのも聞いたから」
「そ、そうですか。あの、あなたは?」
女性が優し気に微笑んで言うのにアレステアが照れながら尋ねる。
「私はルナ・カーウィン。軍医ではないが、今は負傷者の手当てをしているよ。よろしく、アレステア君」
ルナ・カーウィン。
死霊術師たちの秘密結社たる偽神学会の長である女性が、その正体を明かさぬままにアレステアの前に現れた。
「君はここで何を?」
「戦死した方々の言葉を聞きにきました。戦争でいきなり死んでしまい、思い残したことがある人は多いでしょうから……」
「そうか。君は優しい子なんだね」
アレステアの言葉にルナがそう告げる。
「いえ。カーウィン先生も軍医じゃないのに危ない場所で治療をしてるんですから優しい人ですよ。尊敬します。僕はお医者さんのように頭はよくないですから特に」
「頭がいいということだけが人の評価ではないよ。勇敢さや真面目さ、誠実さ。そういうものも同じように評価されるべきだ。君は勇敢で、優しい。それはちゃんと評価されるべきだよ」
ルナはアレステアにそう言い軍人たちが死体を運んだのを確認した。
「……あの、カーウィン先生はここでずっと治療をされるんですか?」
「どうだろう。戦況が動けば私も動くつもりだよ。私はここの住民だったというわけじゃないんだ。ただ、戦場で医者が足りないと言うことを聞いてきた。それだけだから」
「それじゃあ、僕たちと一緒に来てくれませんか……? 僕たち葬送旅団もお医者さんが足りなくて困ってるんです」
「そうなのかい? ふむ……」
アレステアが頼むのにルナが考え込む。
「私だけでは決められることではないから、私から司令部に頼んでおくよ。それで認められたら、君たちの戦いに加わろう。勝手に動くわけにはいかないからね」
「はい! 分かりました!」
ルナがそう言い、アレステアが頷いた。
「では、またね、アレステア君」
そう言ってルナは死体安置所を去った。
「カーウィン先生……。綺麗な人だったな……」
アレステアはひとり墓所でそう呟く。
それからアレステアは墓所で戦死者たちの声を聞き続け、その願いを果たすとアンスヴァルトへと戻った。
「あ。お帰り、アレステア少年。そろそろご飯だよ」
「はい。軍医の方はどうなりました?」
「いい返事はなかったみたい。軍全体で軍医が足りないってさ。予備役を動員したり、徴集をしたりすると確かに規模は大きくなるけど、知識が必要な医者ってのは人口の中でも限られるし、全部引き抜けば後方の医療が崩壊しちゃう」
「そうですか……」
帝国は軍医を養成するために軍務省管轄の医学大学を設け、学費が高いことで知られる6年制医学校の学費を無料にすることで軍医を育成してきた。
しかし、それでも軍医は人気がない。医者としてキャリアを積むことを求めるものたちは外傷に対する外科ばかりの軍医より、もっと様々な症例を扱い、そして最新の医療器具を使用する医大付属病院や神聖契約教会系病院を目指すからだ。
それでも平和な間は問題なかった。
「ああ。アレステア君。戻ってきましたか。食事の時間ですよ」
「レオナルドさん。やっぱり軍医の方は難しそうですか?」
「陸軍司令部からは余裕があれば配属すると言われましたが、今はとても余裕があるようには。緊急勅令で布告された徴集に関する法律によれば医者も徴集の対象だそうですが、まだ徴集は始まっていません」
徴集に関する法律は皇帝ハインリヒによる緊急勅令で布告されたが、法律を運用するのはまだだった。
というのも徴集された民間人を受け入れる軍の側が準備できていないのだ。装備が足りず、訓練を行う教育部隊が足りず、部隊の指揮を執る将校が足りない。
帝国はまさに想定外の事態に遭遇し、事前準備なしに戦争に突入してしまった。それは油断であったことは確かだろうし、メクレンブルク内閣は責任を取るべきだろう。だが、今政治的に争っても魔獣猟兵に利するのみ。
「あのですね。今日カーウィン先生っていう女医さんと会ったんです。その人がもしかしたら僕たちと一緒に来てくれるかもしれません」
「その方は軍医ですか?」
「いえ。ボランティアだそうです」
「そうなると配備される可能性は低くはないですね。正規の軍医の配備には渋い顔をしても民間の医師が志望しているなら通るかもしれません」
「そうなんですね。よかった……」
レオナルドの言葉にアレステアが安堵する。
「ご飯食べに行こう。お腹減ったよ」
「ええ。食堂に行きましょう」
シャーロットが促し、アレステアたちがアンスヴァルト内の食堂に向かう。食堂は大型飛行艇では士官と兵卒で分かれるのだが、アンスヴァルトは旧式であるため分けられておらず、階級の区別なくともに食卓を囲んでいる。
「おー。今日のご飯も美味しそうじゃん。今日はチキンステーキだよ」
「飛行艇のご飯って美味しいですよね」
「後はこれをツマミにお酒が飲めれば最高なんだけど」
流石のシャーロットも飲酒禁止の帝国空軍飛行艇の食堂でお酒は飲まなかった。
「毎日いろんな料理が味わえるのは嬉しいです。昨日は魚でしたよね」
「ええ。北方風の味付けでしたな」
多民族国家帝国では軍の食事もバリエーションが豊富だ。特に空軍と海軍では様々な地方から軍に志願した兵士たちが調理を専門とする給養員となり、自分たちが育った味の料理を作る。
西方のタコやイカといった海産物をたっぷり使った料理や南方のスパイシーな香辛料の風味が豊かな料理。帝国の広大さを思わせる食卓となっている。
また肉体労働を行う兵士たちの腹を満たす食事なだけあって量も多い。アレステアには多すぎるぐらいであるが、お腹は満たされる。
「ごちそうさまでした!」
アレステアは食事を終えると食器を返却し、シャーロットたちと司令部に戻る。司令部には先に食事を終えていたシーラスヴオ大佐が待っていた。
「アレステア卿。レオナルド卿が要請されていた軍医の配備について陸軍司令部から返答が来ました。やはり正規の軍医は派遣できないということです。残念ですが」
「そうですか……」
「しかし、民間の医師が我々の部隊に加わることを志願しているそうで、それならば受け入れて配備することは可能だと言うことです」
「あ。それはルナ・カーウィン先生という方ではないですか?」
「名前は把握していませんが、心当たりがおありで?」
「はい。墓所であった女医先生です。優しい人でした」
アレステアが少し頬を赤くしながら言う。
「すぐに配属するとのことですので、確かめられるといいでしょう」
シーラスヴオ大佐がそう言い、アレステアたちは現在支援に当たっている帝国陸軍A軍集団第3軍の戦況についてシーラスヴオ大佐から説明を受けながら過ごした。
そして、それから3時間ばかりが過ぎたときに彼女はやってきた。
「私はルナ・カーウィンと言います。今回は葬送旅団に配備されました。よろしく」
やはり配属されたのはルナだ。
「カーウィン先生。ようこそです!」
「アレステア君。約束通り、頼んでみたよ」
アレステアが笑顔で歓迎し、ルナが微笑む。
「これからは彼女が葬送旅団の軍医として配属されます。階級は徴集に関する法律に従い軍医少尉扱いとなります。ですが、軍医が指揮を執ることはありません」
シーラスヴオ大佐がそう説明した。
「では、これからともに戦いましょう、カーウィン先生」
「ええ。ともに戦おう」
葬送旅団にルナ・カーウィンが加わった。
……………………
面白いと思っていただけたらブクマ・評価・励ましの感想などお願いします!




