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マルティアでの敗北

……………………


 ──マルティアでの敗北



 カーマーゼンの魔女のひとりカノンと戦うアレステア。


 彼の前には斬り殺されたシャーロットの死体が横たわっている。


「嘘だ。そんな。僕は……」


「あなたが殺した」


 狼狽えるアレステアにカノンが冷たく言い放つ。


「違う! これは違うんです! あなたが……!」


 アレステアは怒りに動かされ、カノンに再び肉薄する。


 漆黒の刃はカノンを捉え、引き裂く。


 そのはずだった。


「アレステア君……。何をするのですか……?」


「レオナルドさん!?」


 アレステアが切ったのはレオナルドだった。レオナルドが“月華”に切り裂かれ、シャーロットと同じように地面に崩れ落ちる。


「人を殺すのは楽しい? 神の眷属は人ではない。神の加護という名の変異を起こし、人でなくなる。あなたはその人間たちとは決して同じではないし、友人ですらない。だから、あなたは平気で殺せる。ねえ、楽しい?」


「違う! 絶対に違う! 僕は、僕は……!」


 アレステアが泣き叫びながら目の前の光景を否定しようとする。


「罪に耐えられないなら心を殺してしまえばいい。何も考えず、何も感じず、植物のようになる。そうすれば楽になれる。安らぎが得られる。手伝ってあげましょうか?」


 カノンがそう言って再び空間断裂でアレステアを八つ裂きにした。


 再生する度に何度も、何度も、何度も、何度も、アレステアの体を引き裂き続ける。アレステアはもはや抵抗もせず苦痛を受けながら、その意識を手放そうとしていた。


 カノンの言う通りに、心を殺そうとしていた。


 全てを諦める。何も考えない。感情を喪失させる。


「死は救い。死ねないあなたに心の死を与えてあげる」


 カノンが優しくそう言い、アレステアを刻み続け、苦痛を味わわせる。アレステアの心が摩耗していき、その人格が喪失しようとする。


 アレステアは倒れたまま何もできず、抵抗しようともしない。


「さあ、ただの肉の塊になりなさい」


 カノンがアレステアの心を完全に殺そうとしたとき暗闇が裂けた。


「アレステア!」


 暗闇を裂いて現れたのは“月華”を握ったゲヘナの化身だ。


「ゲヘナ。あなたが直接介入してくるのですか。神々との協定でそれは禁止されているのではないのですか?」


「黙れ、カーマーゼンの魔女。死霊術師に与したお前たちは既に神々に歯向かっているのだぞ。それでいいのか?」


 カノンがゲヘナの化身に告げるのにゲヘナの化身がそう返す。


「神々に従わず地上に残った我々が神に従う道理もなし。敵対するのであれば神であろうと殺しますよ。神殺しなど旧神戦争時代には多くあったこと。禁忌でもない」


「やってみるがいい、魔女。やれるものならばな」


 指揮棒を構えたカノンと“月華”を構えたゲヘナの化身が対峙する。


「アレステア少年! 大丈夫かい!?」


 そこでシャーロットの声が響いた。


「……シャーロットお姉さん……?」


 アレステアが顔を上げるとシャーロットが“グレンデル”を握ってアレステアが倒れている場所に向かって来るのが見えた。


「これはどういう……」


「アレステア。こいつは“蜃気楼の魔女”。得意とするのは空間魔術と幻影魔術だ。偽りの光景を映し出して相手を攪乱するのが、この魔女の特技だ」


 アレステアの目に光が戻るのにゲヘナの化身がそう言う。


「そうだったんですね。つまり、あれは全て幻覚だった!」


 ようやくアレステアが立ち上がった。


「ふむ。どうやら殺しきれませんでしたね。しかし、分かったことがあります。ゲヘナの眷属というのは脅威ではないということ。あなたは非力で、何もできない。セラフィーネが何故あなたに拘るのか理解できませんね」


 カノンが静かな口調でそう語る。


「よって副次目標の達成は不要と判断します。撤収です。少佐、撤収の準備を」


「了解、大将閣下」


 いつの間にか人狼のコマンドがカノンの元に集結していた。


「では、さようなら。また会う日も来るかもしれませんね」


 そして、コマンドとともにカノンが姿を消した。


「逃げたか」


「負けてしまいましたね……」


 ゲヘナの化身が忌々し気に言い、アレステアが呟く。


「アレステア少年。大丈夫なの? 死んでるみたいに見えたけど……」


「はい……。心が死んでしまうところでした。シャーロットお姉さんやレオナルドさんを殺したという幻覚を見せられて、本当に殺してしまったんじゃないかって……」


「あたしたちは大丈夫! けど、司令部は襲われちゃったよ」


 アレステアの言葉にシャーロットが首をすくめる。


「まさかミラー大将さんも?」


「彼と参謀は無事。何とか守り抜けた。でも、地図と命令書、暗号表の類をごっそり持っていかれた。多分、それが目的だったんだと思うよ。他は全部陽動ってわけ」


 第3軍司令部のスタッフは無事だったが、司令部にあった重要な情報が盗まれた。敵に知られれば自分たちの防衛線が破られる可能性がある地図や命令書。敵に傍受された無線を解読される暗号表。


 人狼のコマンドはカノンが暴れている間にそれらを回収していた。


「それはよくないですね……。どうするのですか?」


「知られた情報はすぐに変更するしかない。暗号は変更すればいいけど、部隊の配置や作戦は変更するのは難しそうだ。ミラー大将のお手並み拝見と行こうか?」


 シャーロットはあくまで末端の兵士として振る舞い、上級司令部の事情に口をはさむような態度は見せなかった。


 そこで軍用四輪駆動車を先頭にした軍用トラックの車列が司令部に来た。


「無事ですか、アレステア卿?」


「シーラスヴオ大佐さん! 僕たちは大丈夫ですが、残念ながら司令部を守り切れませんでした……」


 ケルベロス擲弾兵大隊を率いて燃料、武器弾薬の備蓄防衛に向かっていたシーラスヴオ大佐が第3軍司令部へと戻って来た。


「そうですか。ですが、皆さんが無事であれば何よりです。こちらは何とか物資備蓄の防衛に成功し、立て直した陸軍部隊に後を引き継ぎました。こちらの把握している限り、既に敵コマンドはマルティアより撤退した模様」


「凌げたわけですね。次の攻撃があると思われますか?」


「敵も完全には撤退せず、監視のために数名は潜伏させたままだと思いますが、攻撃については暫くはないはずです。行動を起こすならば一気に全力で行う。軍事行動の基本は戦力の集中にあります」


 アレステアの懸念にシーラスヴオ大佐が答える。


「よかったです。では、第3軍のミラー大将さんたちにもう大丈夫だと伝えましょう」


 アレステアが安堵し、崩壊した市庁舎の地下室に降りる。


「アレステア卿。魔獣猟兵のコマンドは?」


「撤退しました。物資の備蓄は防衛できています。しかし、地図や命令書、暗号表が奪取されたようです。対策をお願いします」


「なんてことだ。すぐに司令部を立て直さなければ」


 ミラー大将は参謀とともに大急ぎで市庁舎の地下から出ると護衛された車両で空港に移動し、そこに司令部を設置。大急ぎで通信機や地図などが準備され、マヒしていた司令部機能が回復する。


「この混乱の間に変化は?」


「魔獣猟兵の限定的な攻勢が行われました。トレネズンプフ領のカリスト河に架かる橋のひとつが奪取され、我が方の砲兵が襲撃を受けました。1個砲兵大隊が攻撃され、配備されていた榴弾砲10門を喪失しました」


「ふむ。司令部をマヒさせて大攻勢というわけではないのか。しかし、砲兵が叩かれたのは痛い。ただでさえこちらは深刻な火砲不足だ。初期に受けた打撃から回復しきれていない。火砲がなければ戦えないぞ」


 戦争において火砲の存在は戦場の女神と呼ばれるほどの存在だ。


 攻撃においても、防御においても火砲は重要である。火砲の火力は歩兵が携行する小火器などよりも遥かに高く、そして射程距離も長い。間接射撃なら相手から見えないままに攻撃できる。


 現在、帝国陸軍は複数の火砲を装備している。


 機動力が高く、山岳地帯などでも運用可能な軽榴弾砲として口径75ミリ、口径105ミリの榴弾砲。


 それよりも火力が高く、運用するのにそこまで労力がない中口径の主力となる榴弾砲として口径155ミリの榴弾砲。


 運用における負担は大きいものの他の火砲と比較して絶大な火力と射程距離を誇る重砲として口径203ミリ榴弾砲。


 砲兵ではなく歩兵が運用する火砲として口径81ミリ、口径120ミリ迫撃砲。そして直接射撃を行うものとして口径37ミリ、口径47ミリ速射砲。


 帝国陸軍は敵より多数の火砲を運用することによる火力の優勢を以てして敵を粉砕し、撃破するというドクトリンを有していたため、砲兵の扱いは高く、火砲は常に最優先で更新され、多数配備されてきた。


 しかし、魔獣猟兵の初期の奇襲で撤退を強いられた帝国陸軍は撤退の際に移動が困難な重装備である火砲のほとんどを放棄して撤退した。それによって撤退に成功すれど火砲が不足する部隊が多くなってしまった。


「火砲ってそんなに重要なんですか?」


「当然だ。航空攻撃を除けば火砲は陸戦において最大の火力。そして、今我々が重要視しているトレネズンプフ領は狭く、歩兵の展開できる規模が限られている。よって火砲が勝敗を決すると言っても過言ではない」


 今の前線であるトレネズンプフ領は河川で分断され、要衝のある場所が集中しているために狭く、大規模な歩兵戦力が展開できない。


 だからこそ、火砲が重要だ。歩兵より遥かに高い火力を発揮する火砲で歩兵を支援することが勝利に繋がる。航空優勢を喪失しており、航空支援が行えない状況では前線の歩兵の頼りは砲兵のみ。


「そうですか。しかし、大砲はどうして足りてないんですか?」


「初期の打撃のせいである。撤退する際に放棄せざるを得なかった。負傷者が多数出たため火砲の牽引に使うトラックを負傷者の輸送に使ったし、敵の砲爆撃で破壊された交通インフラは火砲のような重装備の移動を妨げる」


「なるほど……」


 ミラー大将の説明にアレステアが納得する。


「暗号表が奪取されたことへの対応を急がなければ。すぐに新しい暗号表を発行し、配布する。それまで無線の使用は禁止。有線通信のみを許可する。通信参謀、すぐさま対応計画を立案、実行せよ」


「了解」


 ミラー大将がすぐさま指示を出し、通信参謀が具体案を立案する。


「閣下。命令書や地図も奪われました。こちらの防衛計画は敵に筒抜けです。部隊の配置や作戦計画を変更する必要があります」


「こちらの戦力が敵に対し劣勢であることは発覚してしまえばどうしようもない。予備役はまだ完全に動員できていないし、徴集に至ってはまだひとりとして動員されていない。現有戦力は防衛線の要所に張り付けるだけで限界だ」


 前線に隙間なく兵力を展開するということは現実的ではない。昔からそうである。


 前線の敵を迎え撃つのに最適で、かつ守らなければならない場所に戦力を集中させるのが基本だ。少ない戦力でも集中させることで局地的に数で優勢になれる。


 だが、その防衛地点が先のコマンドの襲撃によって全て敵に把握されてしまった。


 敵はそこを迂回し、攻撃してくるだろう。


「作戦参謀。今の防衛計画に変わる代替案を立案し、実行するまでどの程度かかる?」


「2週間から3週間。部隊の移動はリスクがあります。今は塹壕で航空攻撃や砲撃から逃れていますが、もし移動するとなると格好の標的です。敵の砲兵戦力はこちらを上回り、我が方の砲兵が対砲迫射撃を行っても負けるでしょう」


「全く。トラックは使えないな。目立ちすぎる。徒歩で移動させるしかない。それも敵が把握するのが困難な夜間に実行する。すぐに代替案を立案しろ。それから前線部隊に厳重に警戒するように通達。もちろん有線通信で、だ」


「了解」


 現代の歩兵が必ずと言っていいほど持っている装備がある。


 それはスコップだ。


 地面に立っている歩兵は無防備だ。特に遮蔽物が少ない野戦においては銃撃で薙ぎ倒され、砲弾の破片を浴び、爆撃で吹き飛ばされる。


 それを防ぐために歩兵は穴を掘る。塹壕あるいは蛸壺と呼ばれる陣地を作るのだ。穴を掘って地面より下に潜れば、銃撃も、砲爆撃も効果が減少する。


 時間と戦況の余裕があれば重機を使って穴を掘るが、戦場に必ず重機があるわけではない。歩兵は自分の身を護るために自分で穴を掘る。生き残るために必要な装備だ。


 今、帝国陸軍はまさに穴を掘って立て籠もっている状態だ。魔獣猟兵に航空優勢を奪われ、火力でも劣勢な状況ではこれしか手段はない。


「部隊の移動は慎重に行うべきです。配置転換中に攻撃されれば、今の前線を突破される恐れすらあります」


「分かっている。段階的に実行する。以上だ」


 帝国軍はマルティアの戦いで事実上敗北した。


……………………

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